第三話 巨大龍の骸は、やがて災禍となって甦る

「それで? どうなった」


 長髪を頭で結った、武人然とした精悍な顔つきの男――悪友であるルドガー・ハイネマンは、窓辺で葡萄酒を一口飲み下しながら、こちらに問う。


 邪魔だからと先日までは包帯の上に何も着ていなかった彼も、今は軽装鎧を身にまとい、腰には一振りの剣を差している。

 なまくらは御免ごめんだと嫌がる彼に、私が用立てたものだった。

 自国の武力とはそれだけで民の心に安心感を生む。彼には最大の剣として、ある程度着飾って貰わねばならなかった。

 その申し訳なさも含んだ、重たい言葉を、私は無理矢理に押し出す。


「皆、腰が重い」

「だろうな」


 場所を移して、私の自室。

 呼び出しておいたルドガーに、事の次第を報告する。

 初めこそ面白がっている調子だった彼は、しかし話が進むにつれ渋面になっていった。


「俺の聞き間違いでなければ、陛下は巨大龍を放置すると聞こえたが」

「そう言った。私も悩ましい」


 理性では理解できる。

 やっと災厄が終わったのだ。

 しばらくは日常を噛みしめ、それから対処を始めても遅くはないと、皆考えているのだろう。

 民間の巨大龍災害被災者へ支援を行う組織も存在するから、任せてしまおうという思惑もあるのかも知れない。

 その筆頭である〝秩序の光〟の代表者とは、近いうちに顔を合わせねばならないだろう。


 詰めるべき話は無限にある。

 が、懸念材料もまた、無数にある。

 その最たるものが、民間へ注ぐだけの国力が、龍の蹂躙によって大幅に低下していることだ。


「それに対して、おまえさんはどう思うんだ。学院で、誰もが忘れ去っていた暗黒史……巨大龍の研究に手を出した物好きであるおまえは」

「龍への恐怖心から始めた勉学で、助けられた命もある」

「エルドの龍災害対策、その全指揮を任されたわけだからな、救えなきゃ嘘だぜ」


 ああ、余計な苦労を背負い込んだと自分でも思う。


「だが、知識も手段もあるのに民草を見捨てるなど、エンネアにもとる。私にはとても出来ない」

「認識の齟齬そごがあるな。俺はてっきり、あいつの復讐がしたくて龍災対をひきいていたのかと思っていたが?」

「彼女は死んでいない。そう信じて、今日までやってきた」

「お得意の理性的な思考はどうした? 最後に会ってから七年だ。消息は巨大龍が到来した街で途切れている。絶望的だろ」


 そんなことは、解っている。

 ……おまえが、私を気遣ってくれていることも。


「なら、いい加減あいつを忘れて、嫁でもめとったらどうだ。三男坊とはいえ、いまじゃあおまえさんも名の知れた貴族だろう。巨龍対の部下に、紫髪の女がいたな。あれは俺を袖にするぐらいいい女だったぜ?」

「そういって、エンネアをかっさらうつもりか?」

「……昵懇じっこんの間柄というのも考えものだな」

「残念だ。握り込んだこの拳を、その上等でゲスな顔にたたき込んでやるには、私の身体能力がいささか低すぎる」

「賢明な判断だ。手加減しても、俺はその骨を折っちまう」


 だろうなと肩をすくめて、私たちはしばし笑い合い、杯を交わす。

 やがて、悪友が静かに口を開いた。


「……確かに、三人でいた頃ってのは、悪くない思い出だぜ」


 ルドガーは、ここではないどこか遠くを見詰めていた。

 互いに思い返すのは、幼き日の記憶。

 黄金の日々。


 私と彼、そして白雪のようだった彼女――エンネアは幼馴染みだった。

 父たちの茶会に同席することもあったし、なにより同じ魔法学院へと進学し、勉学に励んだ仲だ。


 ルドガーは攻勢魔法――魔法剣を極めんとして。

 私は世界の仕組みと、滅びである巨大龍の探求を。

 そして彼女は、古代魔法エンシェント・スペルとその根源たる〝白き巨人〟と呼ばれる伝承について学んだ。


 エンネアは、私などとは比較にならない才媛さいえんだった。

 その知識は後世永久に残ると賞され、〝永遠白華えいえんびゃっか〟の二つ名で呼ばれていたほどだ。


 彼女がいてくれればと、巨大龍災害と対峙する間、何度思ったか解らない。

 エンネアは、私などよりよほど人を導く旗頭として正しかった。

 けれど。

 彼女は七年前、龍から人々を守るのだと言って被災地へと向かい……以来、帰っては来なかった。


 遺体は見つかっていない。

 他の、大勢と同じように。


「『窮地はチャンス』」

「あいつの口癖か。いや、いまじゃあおまえさんの口癖か」

「ああ、そうして彼女はいつだってこう続ける。『己の意志で夜を歩みきれば、きっと朝日は昇るもの。つまり――』」

「感傷に付き合うつもりはない。もう一度訊ねるぜ……龍の遺骸について、ヨナタン、おまえさんはどう思ってる?」

「……放置はまずいだろうな。いや、是が非でも解体しなければならないと考えている」

「ほう? そこまで言う根拠は?」


 グラスになみなみと満たされた葡萄酒を手渡され、グビリと飲み干す。

 酒精の力は偉大だった。僅かなりとも怖れが霧散する。

 拳の震えを、強く握りしめることで押さえ、昨晩大急ぎでまとめた書類の束を机から引っ張り出し、ルドガーへと押しつける。


「まず、その巨体から来る日照不足。これは、作物の生育に対して大きな被害を出すはずだ」

飢饉ききんが来ると?」

「断言はできない。だが、既に今年刈り取るはずだった小麦の多くは龍に焼かれてしまった。我が国エルドは、このまま冬を迎えることになる」


 おまけに備蓄は、龍との戦いでほとんど放出している。

 いずれ食糧問題から目をそらすことはできなくなるだろう。


「懸念は他にもある。三百年前、巨大龍が現れたときは、龍自体がダンジョンと化した、という記録がある」

「そりゃあ……まずいだろ。王都の目の前にダンジョンってのは」

「龍の身体に流れる莫大な魔力が、モンスターの苗床になるという話だ。それ以外にも、龍の体表には様々な生物が棲んでいる。種が落ちれば、龍跡樹海りゅうせきじゅかい――尋常とは異なる植生しょくせいの森だってできるだろうし、当然環境を蝕む。それに」

「それに?」

「場合によっては、スタンピードもあり得る」


 彼は閉口した。

 私だって頭を抱えてしまいたいのが本音だ。

 スタンピード――つまり、モンスターの大量発生による大海嘯だいかいしょう

 あらゆる都市や土地を飲み込む、文字通りのモンスターの津波だ。


 ただでさえ国力が弱っている現在、そんなものに対処する余裕はない。


「もっとも、これはまだ先の話だ。ひと月やふた月でそうなるとは思えない」

「なら、何をそんなに警戒している?」

「他言無用で、頼めるか」

「承知した」


 阿吽あうんの呼吸。

 わざわざ確認するまでもないといった様子で彼は頷く。

 それでも私は、まだいっとき逡巡して。

 ようやくに、その不吉な言葉を吐き出した。


「……アンデッド化」

「おい、おいおいおい!」


 ルドガーは椅子を蹴立てる。

 手に持っていたグラスからは葡萄酒が零れ、彼の服を汚す。

 常に泰然自若を崩さない彼が、大きく狼狽していた。

 それはそうだ。

 我々は、ようやくにして巨大龍を退しりぞけたのだ。

 だというのに――


「ば、バケモノだ……! スケルトンのバケモノが出たぞ……!!」


 外から聞こえた絶望的な悲鳴が、思考を遮った。

 私と悪友は互いを見遣り、即座に部屋を飛び出す。

 抱いていた危惧は、おそらく同じものだっただろう。

 まさか。


 まさか――本当に巨大龍が、復活アンデッド化してしまったのか!?

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