#3 もう一度、起きた

 急に視界が明るくなった。暗くなったり明るくなったり、いいかげんにしてほしいものだ。ちかちか点滅する切れかけの蛍光灯じゃあるまいし。そして、もはや何度考えたかわからないが、もう一度考えよう。


 ──ここは、どこだ。


 ぼやける視界であたりを見る。どうやらおれはベッドに寝ているらしい。真っ白な天井を見あげている。窓のない壁も真っ白で、ドアがひとつ。部屋中がうんざりするほど清潔そうな白一色だ。


 からだを起こそうとすると、金縛りにあったみたいに動かないことに気がついた。腕も足も石のように重く感じられる。自分のからだじゃないみたいだ。ちょっと首や指を動かすのも重労働に思える。


 おれがからだを動かそうとイモムシのようにもがいていると、静かにドアがひらいてだれかが入ってきた。


「おいおい、まじかよ。ほんとに目覚めるとはなあ」


 聞いたことのある声でそう言いながら、男が近づいてきた。ベッドのわきにあるイスに腰かけ、持っていたフライドチキンを食べはじめる。


 おれはその男の顔をよく知っていた。いたずら好きな悪友。ゲームが大好きで、ゲーム制作会社で働いている。


「よう、調子はどうだ?」


 返事をしようとしたが、かすれたうめき声しか出てこない。腕や足だけでなく、喉までいかれてしまったようだ。


「ああ、そうだったな。ムリにしゃべらなくていいぞ。おまえの知りたいことは全部話してやるから、聞いていればいい」


 そのまえに、とおれの頭からヘッドホンのようなものを外した。


「これか? これは企業秘密さ……って冗談だよ。あとで説明してやるから。まず事故のことは覚えてるか?」


 声の出せないおれは首を軽く縦に動かして答える。


「おまえはトラックにひかれたことで植物状態になり、この病室で四年間眠り続けてたといわけさ」


 おれにはついさっき起きた出来事のように思えるが、事故から四年も経っているのか。だから自由に動けなかったんだ。病室ならば壁からなにから白まみれなのは当然のことだな。納得がいった。


「そのあいだに世の中はすっかり変わっちまって、外に出ることもできなくなった」


 四年前、すでに新型ウイルス感染症が世界的に流行していたが、パンデミックはおさまるどころかますます悪化してしまったのか。


「せめて気分だけでも、とVR人気が加速したんだが、その技術は急激に進歩してこいつができたってわけだ」


 友人はおれの頭から外したヘッドホンをドヤ顔で見せつけてきた。


「これはうちの会社が開発した最新型VR機器の試作品さ。使用者を睡眠に近い状態にすることで完璧な没入感を実現した。簡単に言えば、これを頭に着けて眠ると、夢のなかで現実と区別のつかないほどリアルなゲームができるってことさ」


 それはもはやゲームの域を超えた技術革新ではないか。というより危険はないのか。


「そこでおれは考えた。きっと植物状態も睡眠状態も似たようなものだろう。ならばおまえにも使えるはずだと。そして、その予想は見事に的中した!」


 友人は胸を張ったが、なんの根拠もない考えがたまたまうまくいっただけだろう。自信満々に語るのはどうかと思うが。


 しかしさっきのがゲームだったとは驚きだ。作り物とはまったく気がつかないリアルさで、からだの感覚も本物としか思えなかった。友人が「完璧な没入感を実現した」と自負するだけのことはある。


「おれのおかげで生き返ったんだ。感謝してくれよ。あ、でもお礼の言葉はいらないからな。金か、おれの欲しいものリストから選んでくれ」


 現金な友人だった。せっかくの美談が台無しだ。黙っていればおれを救ってくれたヒーローになれたというのに。まあ、感謝はしているが。


「でもなあ……目覚めたのがこんな世の中じゃあ、素直によろこべないよなあ……」


 いや、たとえパンデミック下であったとしても、おれは現実世界で生きていきたい。


「こんな……巨大ニワトリに征服された世界なんて……」


 ……は? いまなんと言ったのだ? 四年のあいだにおれの耳がおかしくなったのだろうか。それとも友人のあたまがおかしいのか。


「どうした? 不思議そうな顔して──ってそうか、まだ話してなかったな」


 ほらよ、と言って友人がリモコンを操作すると、真っ白な壁一面に、巨大ニワトリ怪獣が都市を徘徊する映像が映し出された。それはさっきまでおれが体験していたゲームの世界に見えたが、なにかが違っている。建物だ。植物に覆われたりくずれたりしていない、よく見慣れた街並みなんだ。


「これはゲームでも映画でもない。いまの地上世界の姿だ。新型ウイルスなんてヒトにはたいしたことなかったが、突然変異してニワトリに感染し、怪獣みたいに巨大化させた。やつらには世界中の軍隊が敗北したよ。そして人類は地上から締め出され、地下暮らしを強いられることになったのさ」


 おいおい、なんて話だよ。そんなの信じられるか、と言いたいところだ。しかし、ここが地下だというのは本当かもしれない。窓がないのはその証拠ではないのか。


「おまえがやったのは、ニワトリ怪獣の支配する未来世界で生き残るサバイバルゲームだ。よくできてただろ」


 現実と区別がつかないという点ではすばらしかったが、まったくおもしろくなかったぞ、あのゲーム。


 もしも友人の話が本当ならば、おれはどうすればよいのだろう。本来ならばこれからリハビリをして人生を再スタートするはずだ。だが、地下に追いやられた人間社会に希望はあるのだろうか。そんな世界で生きる意味などあるのだろうか。生きたいという意志が、おれの心から消えてなくなっていく。そんな気がした。


「それにしても……」


 手で口をおさえてうつむく友人。しばらく肩を震わせていたかと思えば、いきなりせきを切ったように大声をあげて笑いはじめた。ここは病院だというのに騒ぐとは、マナーに欠ける男だ。


「いやー、すまんすまん。さっきのことを思い出したら、笑いをこらえられなくなって……くく、わはははは!」


 またも大口をあけて笑う友人。頼むからフライドチキンの食べかすを飛ばすのだけはやめてくれよ。


 いったいなにを思い出したというのだろうか。さっきのことと言ったが、病院でおもしろい出来事などそうあるものではない。患者の快復をよろこんだり不幸をかなしむことはあるが、バカ笑いするようなことなんておれには思いつかなかった。


「ふうー、あれは後世に残したい傑作だった。じつはな、おまえにつけたVR機器には特別な機能がついてるんだ。試験データをとるために、装着者の思考をモニタリングできるようになってる。どう感じてなにを考えたのか。おれのお手元のスマホで赤裸々に明かされるってわけさ」


 おれの心を読んだというのか? ますますヤバい装置ではないのか。四年のあいだに進みすぎだろう。もはやSFの世界だぞ。


「おまえときたら、異世界転生だの天国だの。ライトノベルかマンガの読みすぎじゃねーの? わはははは!」


 どうやら思考をモニタリングできるというのは事実らしい。


「しかも最後の最後には、ニワトリの腹のなかに宇宙? 世紀の大発見? バッカじゃねーの! だははははは!」


 おれはせいいっぱい状況把握に努めて生き残るための行動をとったつもりだ。だが、そんなおれをネタにして笑い続ける友人。騒ぎを聞きつけてやってきた看護師の女性にしかられている。


「静かにしろって言われてもね、ムリなんすよ。看護師さん。だってこいつが……ぷぷ、あはははは!」


 おれはいま、親愛なるわが友に猛烈に感謝している。生きる気力を失いかけていたおれに、生きる意味を与えてくれたのだ。必死にリハビリに励んで自由に動けるようになったあかつきには、めいっぱいの感謝の気持ちを込めて、こいつをぶん殴ってやるんだ。そう心に決めたのだった。

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