第96話 15-3.


「ねえ。四季、あんた……」

 赤十字病院のロビーで携帯端末での通話を終えた四季に、瑛花は躊躇いがちに声をかけた。

「ん? 」

 振り向いた四季のあどけない表情に、数時間前に手術室前で見せた、切なげな表情は見えなかった。

「なに? 先輩」

 やっぱりアンタも、色々あったんだね。

 喉元まで出かかった言葉を、瑛花は飲み込んだ。

 言葉にしてしまったら、ただの無責任な同情に成り下がってしまいそうだったから。

 ああ、ほんと、いやな時代に生まれちゃったもんだね、私達。

「……なんでもない」

 口を噤んだ瑛花の素振りに、四季は一瞬、訝しげな表情を見せたが、すぐに話題を変えた。

「それより、先輩。久々に見惚れちゃったよ。強いねえ、やっぱり」

「ああ」

 誉められているのに何故だか、四季には揶揄われているような気分になる。

 瑛花は顔を逸らして手をひらひらと振って見せた。

「あんな腑抜けみたいな相手、奥義を使うまでもなかったわ。それよりアンタこそ、あんな簡単に銃を取られるなんて、隙があり過ぎよ。しっかりしなさい! 」

 それでも少しだけ嬉しくて、台詞の後半は照れ隠しだ。

「へいへい、まだまだ師匠には敵いません。恐れ入りました」

 ふざけた様子で頭を下げた四季だったが、すぐに頭を上げてしみじみと言った。

「でも、向井君、よく頑張ってくれたね」

「そうね。暫くは要監視、楽観視は許されないだろうとは言ってたけど……」

 手術が終わりICUへ移された今は、アマンダ達が付き添っている。

 瑛花は念の為、アマンダがまたぞろよからぬ考えを抱いて動き出さないか心配だからとジャニスに監視を頼んでおいたのだが、恐らく彼女は、もうおかしな気は起こさないだろうと思えた。

「ところで四季、今の通信。緊急だったの? もう行かなきゃ駄目なの? 」 

「あ、ああ、今の連絡? 」

 四季はそう言った後即答せず、数瞬、何か考えている様子だったが、やがて、ニヤ、と悪戯っぽく笑った。

「ところで先輩、今日はこれから暇? それともオフィスに戻ってまだ仕事? 」

 質問に答えず、何か企んでいそうな表情を浮かべる可愛い弟子を警戒しつつ、それでも瑛花はお洒落な腕時計に、チラリと視線を落とした。

 1948時ヒトキューヨンハチ

 急ぎの仕事はないし、会議やら来客やらは事件の連絡を受けたときに、副官に命じて全てキャンセル、リスケを頼んでおいたから。

「今から帰っても、仕事にゃなんないしなあ」

 瑛花を答えを聞いて、四季は嬉しそうな表情を浮かべて、おねだりするように両手を合わせた。

「じゃ、ちょいと付き合ってよ? いいだろ? 」

「……ちょっとアンタ、何か企んでんじゃないでしょうね? 」

 警戒するような瑛花の口調も何処吹く風と、四季は笑って見せる。

「べっつにー。……なぁ、いいじゃん先輩、奢るからさあ? 」

「奢り? ……ますます怪しい! 」

 瑛花はのけ反りながらそう言い放ったが、すぐに抵抗するのは諦めた。

 どうにも唯の飲みの誘いとは思えないし、間違いなくちょっとした『オイタ』をやらかそうとしているように思えてならない。

 けれど、基本的に優等生の彼女のことだ、ましてや他人を危ない火遊びへ巻き込むような無責任なことはしない、それだけは確かだ。

「はぁっ」

 どうやら私は、この美しいけれど生意気な後輩には甘いみたいだ。

 ましてや、あんな出来事の後じゃあ、尚更だろう。

 ひょっとすると、今回の事件に関する『何か』だから、自分に誘いをかけたのだろうし。

「でもまあ、いいか。仕方ないわ、付き合ってあげましょう」

「よっしゃ、さすが先輩! キマリだね! 」

 四季はポンと手を叩くと、再び携帯端末を取り出した。

「ああ、坂崎? 私。……ん、さっきの件、頼むよ。……そうだな。今からだったら、たぶんそれくらいの時間にゃなるだろう。……うん。悪い。もっぺん、時間確定次第連絡する。……ん、じゃ、現地で」

「坂崎……? 」

 誰だっけと瑛花が記憶を穿り返しているうちにも、四季は次の相手と通信していた。

「師団長、ご無沙汰しています、ラングレー一等艦佐です。……ええ。お願いが……。そうです、その件で……。ええ……。まあ、軍隊ってのは半分方、面子で動くようなモンですし……。あはは、まったく。……ホント、舐められたお終いですものね、ええ」

 相手の声は聞こえなかったが、瑛花は四季の話から、ほぼ正確に彼女の企みを感じ取っていた。

「……ったく無茶するわ、この娘は」

 溜息混じりに呟きながらも、瑛花は自分が知らず知らずのうちに口元に不敵な笑みを浮かべているのに気付いた。

 確かに四季の言う通り、軍隊なんてその行動原理の半分は面子みたいなもので、残り半分は舐められないように虚勢を張る、半分は優しさで出来ているなんてことはないのだから。

 部下をふたりも戦線離脱させられたのだから、上官としてこのまま黙って引っ込んでいるのも、癪だし。

「せっかくのお誘いを袖にするのも角が立つし、ね」

 ヤだわ、これじゃあまるっきり私、ツンデレじゃないか。

「仕方ないわね。いっちょ、やりますか! 」

 キャラ確定の定番台詞を言ってから、不意に、首を傾げた。

 ところで、四季の言ってた好きなひとって、誰だろう? 


「拓也とか言う役立たずの餓鬼はどうした? パクられてねえだろうなっ? 」

 伊勢佐木長者町のラブホテル街の外れにある小さなビル、大橋興業本社の2階事務所に、社長の大橋謙三の苛立たしそうな濁声が響いた。

「へえ、組長」

「馬鹿野郎、社長と呼べっ! 」

 怒鳴られて、若頭~専務、と言い直すべきなのだろうが~の山崎は、角刈りの頭をぼりぼりと掻いてみせる。

「社長。拓也は蓬莱町の小梅さんのスナックに着いたと、さっき真田から連絡が入りました」

 大橋は応接セットにドカッと腰を下ろすと、忌々しげに吐き出した。

「けっ! 最近の若い奴ぁ……。改造じゃなんだろうとマブもん渡してやったってのに、しくじって別の奴のタマ取っちまうたあ、どこまで馬鹿なんだ? 」

「組……、社長。まだ死んではいねえようで。9時のNHKじゃ重態だ、とか」

「どっちでもいいんだ、そんな事ぁっ! しくじったってことが問題なんだよっ! 」

 山崎の律儀な訂正に、大橋の苛立ちはたちまちピークに達する。

応接セットのローテーブルを蹴飛ばしながら立ち上がって、彼は怒鳴った。 

「お前も判ってんだろうが、えぇ、山崎っ? 武蔵野帝都義侠会も叔父貴が生きてた去年までぁ良かったが、倉田のボンクラが五代目掻っ攫ってからぁ、ウチはヤツの眼の仇にされてんだ! 爪の先ほどのちっぽけなドジでもいい、揚げ足取って因縁つけてウチを潰し、武蔵野春風組を名実共に武蔵野帝都義侠会の看板にしたくって堪らねえんだよ、あの腐れ外道は! 」

「ただでさえウチのショバが謎の外人コールガールに荒らされてるって、面子丸潰れでしたしねぇ。それに加えて」

 今にも血管が切れそうな大橋に対し、怒鳴られている若頭、山崎は眉ひとつ動かすことなく、ぼそぼそと静かに答えている。

「ウチの黒田や松田達が女ひとりに再起不能になるまで叩きのめされたってのは、倉田会長にゃあ、いい口実でしたね。由緒ある港青光興業の若頭補佐ともあろう者がなんてザマだ、引いては武蔵野帝都義侠会の面子も丸潰れだと……」

「女のタマ取れねえなら、杯返せだと? どこまでハラワタ腐ってやがるんだ、あの豚野郎めっ! 」

 吠えるだけ吠えて疲れたのか、酒臭い太い溜息を吐き出した大橋は、再びソファに腰を下ろすと、煙草を咥えた。

「で、どうする、山崎。相手は事務屋だとは言え腐っても軍隊だ、向こうも警戒強めてるだろう。そうなりゃ次は一筋縄じゃいかねえぞ? 」

 山崎は無言で大橋の言葉に首肯した後、彼の向かい側のソファに座って、声を少しだけ顰めた。

「社長、それもあるんですが、それより武蔵野春風組のほうがきな臭い。ちょいとばかり、面白くねえ情報が入ってます」

 大橋の表情が一瞬強張った。

「……なんだ? 」

「まだマスコミにゃウチの名前は流れてませんが、どうやら倉田の連中、今回の件がウチのしくじりだって感づいたようで。で、何やらウチに仕掛けてくるようなヤバそうな匂いがプンプンと……」

 簡単に大橋の虚勢が剥がれ落ちた。

「倉田がかっ? いや待て、いきなりウチに仕掛けるなんて、そんな無茶な」

「もちろん、すぐさま戦争って訳でもねえかも知れません。が、最悪、兵隊揃えて並べて見せて、組長に引導渡すつもりかも」

 武蔵野帝都義侠会という巨大暴力団、大きな看板で対抗勢力と張り合っているが、一皮剥けばその内実は、組織内の順位争いや派閥闘争で、同じ系列組織同士と雖も、生き馬の目を抜くような抗争の日々。

 ましてや四代目の死去に伴う跡目争いで、血で血を洗う抗争の末に五代目を手にした武蔵野春風組は、一日でも早く己が権力基盤を盤石にしたい筈で、そんな状況下、武蔵野帝都義侠会の看板に泥を塗るようなしくじりを仕出かした港青光興業を、跡目争いで対立したこともあって、これを機会に潰したいと手ぐすね引いているだろうことは、少し想像力を働かせれば、すぐに思いつくことだった。

「兵隊は? ウチはどうなってる? 」

 山崎は壁掛け時計をチラ、と見上げて答えた。

「姐さんと坊ちゃんは保護してご自宅へ。ご自宅は、丸亀が10人ほど連れて固めてます。ライフルやチャカを腐るほど渡してますから。あと、蓬莱町の小梅さんへは木下が5人ほど連れて。本社は1階とここに20人づつ。全員、エモノは持たせてます」

 ふうっ、と大きな溜息が大橋の口から煙草の煙とともに洩れた。

「さすがだな、山崎。頼りになるぜ。鉄火場に立ちゃあ、関東中の極道が震え上がる『鰻上りの銀』だけのことはある」

 ここまで無表情だった山崎が、初めて微かに表情を歪めた。

「社長……。『鰻上り』じゃありやせん。『昇り龍の銀』」

「うるせえっ! どっちも似たようなモンだろうがっ! 」

 大橋が怒鳴るのとほぼ同時に、轟音が響き、事務所の鉄製ドアが吹き飛んだ。

「なんだっ? 」

「襲撃か? 」

 それまで大人しく社長と専務の会話を、事務所の壁際に並んで拝聴していた社員達20人ほどが、喚きながら列を崩して散開した。

 山崎は、驚いてソファから立ち上がった大橋を、その背中に庇うように立ち塞がった。

「組長、奥へ」

 大橋が恐怖を顕わにしてがくがくと頷き、ふらつく足を動かして移動しようとした瞬間、ドアの消え失せた入り口に複数の人影が現れた。

「野郎ッ! 倉田の連中か? 」

 怒声が上がり、全員が猟銃やハンドガンを構える。

「う、撃つなっ! お、俺だ! 丸亀だっ! 」

「う、撃たないでくれえっ! 」

「うううう撃たないで! ここ殺さないでくれっ! 」

 山崎がさすがに驚きを隠しきれない表情で叫んだ。

「丸亀に木下、真田っ? お前達、社長のご自宅はどうした? 小梅姐さんと拓也はっ? 一体全体、何があったってんだ? 」

 その質問の答えだと言わんばかりに、丸亀達3人は、誰かに蹴り飛ばされるようにして事務所の中に転がり込んできた。

 そして3人がさっきまで立っていた入り口に、人影。

「そちらは私からご説明差し上げますわ」

 ひどく場違いな、甘く魅力的な女性の声が響いた。

「! 」

 全員が銃を向ける中、悠然と現れたのは、黒い覆面に黒のスウェットとパンツに黒い編上靴と黒尽くめで、凶悪さを隠そうともしない造形のショットガン、SPAS11を構えた女性~均整のとれた美しいプロポーションだけは隠せない~だった。


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