第95話 15-2.


 四季が、横浜市立みなと赤十字病院の玄関前で偶然鉢合わせた瑛花とふたり、先を争うようにして中央手術室前に駆け込んだ時、待合ロビーのベンチに座るその女性が誰なのか、彼女は直ぐには判らなかった。 

 陽介の流したものだろう、服は血に塗れて、もう、第2乙種軍装のカーキ色は殆ど残っていない。

 いや、判らなかったのは、汚れてしまった服のせいなどではなかった。

 それほどその女性、アマンダは、憔悴していた。

 隣に座って、心配そうな顔で彼女の肩を抱いている一尉~確かジャニス・ウィーバーと言ったか~がいなければ、きっと朽木のように倒れているだろうとも思えるほどに。

 まるで生き物のようにうねり、輝きを放っていた豊かな黒髪は、ボサボサで艶をなくし、ところどころに土の塊や落ち葉、訳の判らない汚物がこびりついて、まるで雨に打たれた野良犬のように萎れている。

 見るものを魅了して止まなかった健康的で美しく伸びた四肢は、今は乾いてどす黒く見える血と、泥や掠り傷だらけで、棒杭のように生気がない。

 肌理細かく艶のあったカフェオレ色の肌、端正な美しい顔は、けれど浴びた返り血とアマンダ自身の涙や洟、涎などで、まるで薄皮が張ったようになっていて、まるでミイラのようにも見えた。

 時には人を射竦める、稀にだけれど宝石のようにキラキラと輝く、そして時折は切ないほど優しい煌きを湛える瞳は、今はこれっぽっちの光も映すことなく、暗くて深い穴にしか見えない。

 身体つきさえ、一回り縮んでしまったような錯覚を起こさせる彼女を見て、四季は、ひとは哀しみだけでこれほど変ってしまうということを知った。

 次の瞬間、あの美しく凛々しかったアマンダをこんなにしてしまったのは、自分なんだと気付き、涙が止め処なく溢れた。

「あ、四季! 」

 急に駆け出したことに驚いた瑛花の声を聞き捨てて、四季はアマンダの前に、まるで懺悔するかのように跪き、彼女の手を取って叫ぶように言った。

「ごめん! 雪姉、ごめん、ごめんなさいっ! 」

 手を握られてもなお、ブラックホールのような暗い瞳を虚空に彷徨わせているアマンダに構わず、四季は彼女の手を伏し拝むように額に押し付けた。

「私がっ! わた、私が雪姉にあ、あんなことお願いしちゃったからっ! 私……、私、む、向井君を……、雪姉を……、こんな、こんな……」

 涙が溢れ鼻が詰まり、息が苦しくて思うように喋れなかった。

 あんなに優しく笑えるようになったアマンダから、私は再び笑顔を奪ってしまった。

 つまらない思いつきで、ほんの少しの効果を得る為に。

 UNDASNに楯突くテロリスト、憎むべき犯罪者達の息の根を止めたのならばまだしも、ただ威嚇をしたかった、それだけのために。

 私は、どれほどの犠牲を雪姉に、向井君に強いてしまったのだろう? 

 けっして、こんな惨い事態と引き換えで納得できるような結果ではなかったのだ。

 雪姉が必死になって手を伸ばし、それに気付いた向井君が必死になって手を差し伸べて、漸く繋いだふたりの間を、私は『任務』という仕事の一環でしかないものを持って、いとも簡単に引き裂いたのだ。

 洩れる嗚咽を止められず、溢れる後悔を堰き止める術も持たず、ただ廊下に響く自分の見っとも無い慟哭だけを聞きながら、四季はただ、涙を流した。

「姐は、悪くなんかねえよ」

 ふいに耳に届いた掠れた声に、四季は涙に濡れた顔を上げる。

「え? 」

 思わず問い返す四季に、もう一度、同じ言葉が囁かれる。

「姐は、悪くなんかねえよ」

「雪……、姉……」

 アマンダは笑っていた。

 しかし四季は、その笑顔のあまりの凄惨さに、思わず息を飲む。

 雪姉は、悲しんでいる。

 心の底から悔やんでいる。

 血が滲む程の哀しさを知ったとき、人は、やっぱり笑うんだと四季は頭の片隅でぼんやり考えた。

「悪いのはアタシだ。陽介を撃った奴は、3月15日、例の最初の騒ぎのときに、アタシがボコッたヤー公の中のひとりだよ。お礼参り、って奴さ。アタシが調子に乗って、奴等、滅茶苦茶にボコッたから。だから、悪いのはアタシだ。気にすんな、姐」

 目の前で笑うアマンダの瞳は、今はもうブラックホールではなかった。

 光が戻っていた。

 しかしその光に四季は見覚えがあった。

 ミハランで初めて出逢った頃の、怒りや憎しみ、寂しさ、切なさや後悔、悲しみ。

 負の感情、全てを湛えた、冷たい光。

「……だけどっ! 」

 このままじゃ駄目だ、このままじゃ雪姉はきっと……。

 四季が焦りを覚えて叫んだ言葉を、アマンダはス、と立ち上がることで押さえ込む。

「いいから。立てよ、姐」

 繋いだままだった両手に引き上げられるように立ち上がった四季は、しかし立ち上がってもなお力を緩めないアマンダの胸に、思わず倒れ込んでしまう。

「あ……」

「おっと」

 ふたりの言葉が交錯するのとほぼ同時に、アマンダが急に手を離し、風と共に四季の周囲を舞った。

「雪姉! 」

「来るなっ! 」

 再びふたりの言葉が、今度は鋭く交錯する。

 アマンダの手にはSIG-P230が握られていて、UNDASN標準のサテンブラックの凶悪なマズルが四季の胸を指向していた。

 『治安状況の悪化』を背景に、テロ標的となり易い駐日UNDASN高級幹部に半ば携帯を義務付けられていた個人防御兵装PDW、四季のヒップアップホルスターが軽くなっていた。

「悪いな、姐。チャカ、借りる」

「なにをするつもり? 」

 四季は低い声で問う。

 隣でジャニスが、顔を蒼白にして言った。

「まさか、敵討ちにいくつもり? ……やめて、アミー。センター長が仰ってたじゃない! やめろって。折角繋いだ手を離すなって」

 アマンダは、淋しげな微笑を浮かべると、ゆっくりと銃を持ち直し、マズルを自分の顎の下へあてた。

「アミー! 」

「雪姉、やめろっ! 」

 アマンダの瞳から、ポロッ、と大粒の涙が零れる。

「お願い、アミー、やめて! ドクターも手術前に仰ってたでしょう? 体力さえ持てば、助かる確率は高いって! 」

「いいんだ、それは」

 アマンダは、微笑んでいた。

 その瞳に、哀しみを湛えて。

「陽介にはもちろん、助かって欲しい。いや、きっとアイツは助かる、ああ見えて、アイツは根性あるからな。だから、それはいいんだ」

「じゃあっ? 」

 アマンダの顔が一瞬歪んだのは、きっと憎悪と怒りだろう、自分自身へ向けた。

「アタシは、自分を許せねえ。こんな図体ばっかりデカくって、役立たずで傍迷惑なアタシが。いつまで経っても大人になれねえ、アタシ自身が、さ」

 四季は哀しげに首を傾げる。

「どうして、雪姉? 」

「今度のことは、アタシが原因だ。アタシが、あの夜ヤクザ達をブチのめした。あのチンピラはだから、アタシのタマを獲りに来たんだ」

「だからそれは不可抗力じゃない? 」

 四季の反論に、アマンダは首を振る。

「いや、違うよ、姐。アタシはあの夜……」

 うっ、とアマンダの喉が鳴った。

「あの夜、アタシは確かに楽しんでたんだっ! UNDASNに入る前、ゾクやってた時代の、馬鹿で救いようもねえクソ餓鬼だった頃の自分を思い出して! 」

 漸く浮かんだアマンダの瞳の中の光はけれど、涙の滴に変って止め処なく頬を濡らしていく。

「……楽しんでたんだよ。チンピラ共の骨が折れる音、歯が折れる感触、飛び散る血と体液と反吐の匂い、泣きながら命乞いする情けない声……。アタシはあの夜、確かに笑ってた。口の中に広がるアドレナリンの苦い味を懐かしいと思いながら……」 

 何時の間にか哀しい微笑は消え、ただやりきれぬ後悔と苦汁だけが滲むアマンダの表情が、四季には痛々しかった。

「自虐趣味、つうのかな……。アタシは、思い出したくもねえクソッタレな暗闇の頃の自分を、拳で身体で無理矢理引き摺りだして、いつまでも惨めったらしく夕闇で立ち尽くすアタシ自身を哀れみ、可哀想に思って……、それで慰めてたのかも知れねえな」

 アマンダの美しい顔が歪む。

 声が震える。

 そして、吠えた。

「馬鹿なんだよ、アタシ! せっかく姐や陽介に、泥沼の底から引き上げて貰っていながらさあっ! アンタ達と同ンじ真昼の太陽の下に立てねえことが悔しくって哀しくって寂しくってたまらねえクセに、それでもそれを認めたくなくって悪足掻きして、テメエでテメエを甚振いたぶって諦めようとしてたんだ! そんな自己満足の挙句の果てにアタシは、世界で一番大切な陽介を! アタシだけの為に輝くと言ってくれた、太陽をっ! 」

 アマンダは、深い、深い溜息とともに言葉を、静かに吐き出した。

「アタシはこの手で、傷つけちまった。……命が助かる助からねえの問題じゃねえんだよ、姐。あんなに欲しくて、傍にいたくて、見ているだけで幸せを感じさせてくれる、アタシの宝物を、アタシ、この手で傷つけたんだ……」

 四季の顔にかかるアマンダの深い溜息が、微かに血の匂いを運んできた。

「もう、生きてく価値なんかねえよ」

 投げ捨てるようにそう言うと、アマンダは空いた片手で胸のポケットから何かを取り出し、ポンと四季に投げて寄越した。

 思わず掴み取ったのは、小さい金属片。

 天辺がひしゃげた、38口径リボルバー弾の弾頭だった。

「そいつは、アタシのこの、胸とシャツの間に挟まってたんだ。陽介の内臓をグチャグチャにして貫通し、アタシに当たってたんだよ。陽介の身体と引き換えに、アタシは無傷で居られた……。その鉛玉は、アタシの罪の証拠だ」

 アマンダは、まるで自分が直接撃たれたかのように苦しげに顔を歪め、呻く。

 その表情は四季の痛覚まで刺激して、弾丸を握り締めた拳で思わず胸を強く押さえる。

「アタシは餓鬼ん頃、おふくろに庇われて……、おふくろの命と引き換えに生き延びた。小さな傷痕は残ったけど、おふくろは命懸けでアタシを守ってくれたのは確かだ。それがどうだ? 今度は陽介だ! アタシはいったい、何人犠牲にすりゃあ気が済むんだ? 餓鬼ん時だって、生き延びたはいいが、辛かった! 寂しかったよ! 耐えられなくて、馬鹿なアタシは、暗い闇の底に逃げ込んで、性根まで腐っちまった! 命と引き換えに守った娘がこれじゃあ、おふくろもさぞ天国で悔しい思いをしてるだろうさ! だけどアタシは、気が狂いそうなくらい、おふくろから貰った命が重かったんだよ! 重すぎて、餓鬼のアタシは、潰れちまったんだよっ! 」

 アマンダは一転、声を落とし、自嘲の笑みを浮かべる。

「そんな底なし沼から助け出してくれたのは、二度と拝めねえと思ってた陽光の届く場所まで、引っ張り上げてくれたのは、姐、アンタと陽介だ。なのに、今度はその陽介が自分の命を盾にして……。なぁ? どうすりゃいいの? いったいアタシはどうすりゃいいんだよっ? おふくろの次は陽介だ! 今度こそ……、陽介になにかあったら、アタシはどうすりゃいいんだっ? 二度と立ち上がれねえくらいペシャンコになっちまうよ! 奇跡が起きて陽介の命が助かったとしても、アタシはどのツラ下げてあの馬鹿の顔見れるってんだよっ? 」

 アマンダは、陽介の笑顔を瞼に浮かべているように、一瞬、至福の表情を浮かべた。

「見せられる訳、ねえよ。アタシみてえな疫病神は、陽介の隣になんか、所詮並べる訳、なかったんだ。だけど、だからと言ってアタシは二度とあの暗闇の底に戻るのはヤなんだよ! 独りはもうイヤなんだ、陽介なしじゃ生きていけねえんだよっ! 」

 細く、長い吐息の後に、アマンダは、ポツンと、独り言みたいに、呟いた。

「だから、死ぬんだ」

 正視していられなかった。

 しかし、四季は眼を背けない。

 背けてはいけない、ちゃんと見るんだ、そう、自分を叱咤した。

 こんなの、間違ってる。

 間違ってるよ。

 アマンダも、向井君も、どっちも助けなきゃ、私は私を一生許せない。

 私はこれ以上、人を殺しちゃいけないんだ。

 私はこれ以上、罪を背負うのはごめんだ。

”だけど、どうすれば……? ”

 腐っても鯛、アマンダは特Aレンジャー、格闘徽章持ちで、マーシャルアーツの教官資格者だ。

 今、こうして泣き喚いていてさえ、隙がない。

「雪……」

 姉、と続ける前にアマンダは、空いた片手でシャツの胸元を掴むと、一気に手前に引っ張った。

 ボタンが弾け飛び、黒のタンクトップが顕わになる。アマンダは淡々とした手付きでタンクトップの裾をたくし上げた。

「陽介はさあ、姐。この傷痕をちゃんと見据えて、綺麗だ、お前は綺麗だ、そう言ってくれたよ? こんなアタシを、ソソるって、抱きたいって、言ってくれたよ? ……アタシ、嬉しかった。夢みたいだった。この痕、腐った過去も全部ひっくるめて好きだ、そう言ってくれたんだよ……。それだけでもう、今日まで生きてきた甲斐があった、そう思えて嬉しかった。なのにアタシは……」

 アマンダがそこまで言った瞬間、四季の視界の隅で何かが、微かに動いた。

「? 」

 四季も、そしてアマンダさえも、声すらあげる暇がないほど、それはまさしく電光石火の早業だった。

 ふうっ、と短い吐息の後、右手を伸ばし掌を突き出したポーズで止まっていた瑛花が構えを解くのと、弾き飛ばされたSIGが廊下に落ちて硬い金属音をたてるのは、ほぼ同時だった。

 さすが先輩、と感心しかけて、四季は我に返って、慌てて叫ぶ。

「一尉、銃を! 」

 ジャニスが飛び付く様に銃を確保したのを確認して、瑛花は今度も眼にも止まらぬ早業で、アマンダの頬を平手で打った。

 往復ビンタだ、瑛花はビンタをお見舞いするとき、相手の反撃に対応するため、必ず往復で態勢を整える。

 その場に崩れ落ちたアマンダを見下ろし、瑛花はドスの効いた声で、言った。

「黙って聞いてりゃあ、いつまでグダグダ言ってんのっ! 死ぬなら死ぬ、生きるなら生きるでハッキリなさいっ! 」

 呆然とした表情で見上げるアマンダに、瑛花はもう一度短い溜息を吐くと、少しだけ柔らかい表情で言葉を継いだ。

「面倒臭いけど、まぁいい機会だから教えておいてあげる。……戦争の世紀、こんな時代、どこにでも転がってそうな面白くもない話をひとつネタにして、今日まで散々甘えて甘やかされて生きてきたんでしょう? そろそろ、シッカリ生きてみるには、いい頃合じゃない? ……それでもだらしないって思うのなら、その時は死んでもいいわ」

「統括……」

 アマンダの掠れた声を聞いて、瑛花はゆっくり頷いた。

「だけどアンタ、私の部下でしょう? だったら、私の許可なく死ぬんじゃないわよっ! 」

 アマンダの口から嗚咽が洩れた。

「もちろん、向井君にだって、私は許可を出した覚えはないわ」

 顔を覆って泣き出したアマンダを見て、四季は取り敢えず安堵の溜息を吐いた。

「ありがと、一尉」

 ジャニスから銃を受け取り、ヒップアップホルスターに戻すと、四季は自分のブレザーを脱ぎ、アマンダの傍らにしゃがみ込むと背中にそれをそっとかけた。

 少女のように蹲って肩を震わせえているアマンダが、愛しくて仕方がなかった。

「馬鹿だなあ、雪姉。貴女が死んで、どうなるの? 残された向井君は、どうなるんだよ? 残されたひまわりの花、『おっちゃんとおばちゃん』はどうなるの? 」

 涙に濡れた顔を四季に向け、アマンダはしゃくりあげる。

「でも……っ! アタシ、だけどっ……! 」

「亡くなったお母様もお父様もお祖母様も、そして向井君も、どんな気持ちで、貴女を抱き締めたと思ってるの? みんな、貴女に幸せになって貰いたくって……、みんな、貴女に幸せを掴んで欲しくって、貴女に持てる限りの愛情全てを注ぎ込んで、祈りを込めて貴女を力一杯抱き締めたんだよ? 」

「うあっ……! うああああっ! 」

 アマンダにしがみつかれて、四季も廊下にぺたりと座り込み、アマンダの頭を胸に抱えて、背中を、髪を撫で、摩る。

「だから雪姉は、それを重荷に思っては駄目。しっかり眼を開いて、正面からお母様達の、向井君の想いと向き合いなさい。皆が寄せる貴女への想いは、けっして重いものではないの。それは、貴女を優しく包む。幸せっていうのは、心地良いものなの。恐れては駄目。遠慮しては駄目。そして、逃げては、いけないの」

 四季は、アマンダの髪を撫でながらも、そっと自分の目元に指をやり、涙を拭う。

「確かに、雪姉にとっては……。お母様のことも、今日の向井君のことも、堪らないほど、辛いよね? でもだからって逃げちゃ、駄目。お母様達、向井君、それに瑛ちゃん先輩やウィーバー一尉、山梨のおっちゃんおばちゃん……。貴女が顔向けできないと思っているみんなが、貴女以上に貴女のことを好きなのは、雪姉? 全部、全部、貴女が今日までみんなに想いを捧げてきたその結果なんだよ? だから雪姉、怖がっちゃ駄目。眼を閉じては駄目。真っ直ぐ、みんなをみつめ返して、柔らかな微笑みを返してあげるのが、雪姉の務めなんだよ? 」

 四季の背中に回ったアマンダの震える手に力がこもる。

「向井君、貴女を農園まで迎えに行ったでしょう? 雪姉には、向井君の想いが判るよね? 雪姉にとって向井君が太陽であるように、向井君にとって雪姉もまた、太陽なんだ。それと同時に、彼にとっては貴女が世界中で一番大切な宝物、掛け替えのない綺麗な宝石、美しく咲き誇る大輪のひまわりの花、でもあるんだよ?」

「そう……、なの? 」

 掠れる声で問い返すアマンダの身体を、四季はそっと離す。

「見て、雪姉」

 四季はそう言うと、ネクタイを抜き取り、シャツのボタンをゆっくりと外しはじめた。

「え? 」

 四季の行動の意味を図りかねて思わず声を上げたアマンダに、四季は恥ずかしそうに微笑んで見せて、徐にシャツを片肌脱いで見せた。

「! 」

 息を飲んだのはアマンダだけではなかった。

 同じように四季を注目していた瑛花も、ジャニスも。

 白く肌理細やかな、艶のある肌。

 同性の眼から見ても羨望の吐息を洩らしてしまう、見事なまでに美しいプロポーション。

 それだけに、四季の脇腹、そして肩甲骨の下、鎖骨の辺り、無傷の肌が見えないくらいに身体中に散らされたたくさんの傷痕は、一層醜く盛り上がって見える。

「姐……」

 四季ははにかむように、頷いて見せた。

「脇腹と背中の傷は、地球へ戻る前に、銃撃で受けた傷。ぶっちゃけ、この怪我のお蔭で戦闘疲弊症を患って、私は最前線から地球へ戻ったんだけどね。で、残りは1回目の東京勤務でテロリストと遣り合った時の傷。でも、この傷痕を見て、私の好きなひとも、言ってくれたよ? 『綺麗だよ』って。『なにもかも、全部含めて綺麗だよ』って」

 四季はシャツの前を掻き合わせながら言葉を継ぐ。

「私、嬉しかったよ。彼はそう言いながらも、やっぱり傷痕を見ると痛々しそうな顔、するんだけどさ? だけどそんな彼の表情も含めて、私は、やっぱり幸せだ、そう思った。きっと向井君だって、そう思ってると、私は思うな」

「姐! 」

「雪姉は、向井君とちゃんと手を繋げたんだろ? 心が繋がったんだろ? これからずっと、一緒に歩いていくんだろ? 」

 四季は再び、アマンダを抱き締め、そして、想う。

 この美しい女性は、私だ。

 傷ついた身体を、心を、自らの腕で抱き締めて泣いていた、あのときの私だ。

 四季は自分を励まし、声を振り絞る。

「だったら、生きなきゃ! なにがあっても、例え腕が千切れたって! 繋いだ手を離しちゃ駄目だ! 恋って……、恋ってのは、ねえ? 」

 不覚にも、涙が零れた。

 震える声を、格好悪いと、ふと思った。

「恋ってのは、ひとりでするものじゃないの。ふたりでするものなの。……雪姉と向井君、ふたりで恋していくの」

 アマンダの瞳から、まるで滝のように涙が溢れ、そして次の瞬間、その涙の滝はシャツをはだけた四季の胸を濡らしていた。

「うわああああっ! ごめん! ごめんなさい! ごめんなさいぃっ! 」

 廊下に響くアマンダの泣き声を聞きながら、四季はまるで母親のように、根気良く、いつまでもいつまでも、背中を優しく叩き続けた。


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