15. ひまわりの慟哭

第94話 15-1.


「やれやれ……」

 オフィスの裏口から転がるように駆け出てきたアマンダは、表通りにあたる関内大通りの角で立ち止まり、思わず溜息を零してしまった。

「クソッタレ、他に娯楽はねえのかよ。人の顔見りゃピーチクパーチク」

 昨日は陽介の勢いに押されて思わず衆人環視のど真ん中で、とんだコントを繰り広げちまった、とアマンダは額の汗を腕で拭う。

 それでも昨日はまだマシだった。

 なにせ、1階ロビーのど真ん中で抱き合っていたふたりが、スピーカーから流れ始めた、営業時間終了を報せる『蛍の光』のメロディで思わず我に帰ると、最初は呆気に取られていたギャラリー達も、意識を現実に引き戻されて互いに顔を見合わせ始めたその隙に乗じて、アマンダはそのままロビーを脱出し直帰、陽介も彼にしては要領良く、周囲をケムに巻いて素早く退勤。

 だが、今朝は食堂に入った途端おばちゃんに『雪ちゃん聞いたよ、オメデトー! 』の大音声で出迎えを受けたのを皮切りに、散々皆から弄り回されて、最初はいちいちキレてみせていたものの際限がないことに気付いたのが1000時ヒトマルマルマル、とにかく陽介と示し合わせて昼は外食、ついでに今後の対策を練ることにしたのだ。

 もちろん、その陽介と示し合わせるための会話の殆どは、陽介が軽率に考え無しで仕出かした公開告白へのアマンダからの非難~罵詈雑言とも言う~で埋め尽くされたのだが。

「だけど……」

 いったい、いつまで続くんだ、このスラップスティック。

 アマンダは煙草を咥え、今日も今日とて絶賛営業中の真夏の太陽輝く1400時ヒトヨンマルマル過ぎの蒼空を見上げた。

「だけど……」

 口では散々、陽介への悪態と呪詛の言葉を吐きながらも、こんなにも顔が緩むのは何故だ? 

 身体が、まるで弾むように軽いのは何故だ? 

 心を、涼風が颯々と吹き抜けるようなこの爽快感は? 

 顔が普段より火照るのは、夏の陽射しのせい、それだけ? 

 ……判ってる。

 今更、誤魔化したって仕方ない。

 嬉しいのだ。

 アタシという人間が、アタシを構成する細胞のひとつひとつが、喜んでいるのだ。

 幸せだ。

 アタシ、幸せだ。

 こんな幸せを胸に抱きながら、こんなに明るい夏の陽射しの下で笑えるなんて、これぽっちも思ってもみなかった。

 あの可愛い、大切な宝物。

 百万本のひまわりに囲まれた、もっと蒼く澄んだ空気に包まれた大地で笑っている瞬間でさえ、思い返せばこれほどの幸せを感じなかった。

 今、しみじみと、それが判る。

 アタシ、陽介のこと、大好きだ。

 愛してる。

 彼に魅かれて、彼に導かれて、暗闇の底から夕闇まで必死になって這い登ってきたアタシを、アイツはとうとう、真っ白な陽射し降り注ぐ大地へと引っ張り出してくれたんだ。

 アンタは昨日、俺はヒーローじゃないとかなんとか、言ってたけど。

 そうじゃないよ、陽介? 

 アンタは立派なヒーローさ。

 アタシだけの、素敵なヒーロー。

 だってアンタは、アタシを、こんなにも幸せで満たしてくれてるじゃないか。

 昨夜、彼の部屋で交わしたくちづけの記憶が、不意に甦る。

 ヒーローはヒロインを間一髪で救い出し、ラストシーンは熱い抱擁、そして。

「やば……っ! 」

 身体が疼く。

 昨夜は、あんまりアタシが震えるもんだからキスだけで終わっちまったけど。

 でも、陽介? 

 もしも、今夜。

 今夜、アタシが……。

「うわあっ! 」

 思わず小さく叫び、ブルブルと頭を振ってアマンダは現実へ帰還した。

「な、なに考えてんだアタシ、や、やらしい……」

 真っ赤になって火照った頬を、刹那、スゥッ、と涼やかな風が撫でていった。

「あ……、涼し」

 けれど。

 風に続いて複数の悲鳴が、傍らを通り過ぎたことに気付いてアマンダは「あれ? 」と呟き、周囲を見回した。

 血相を変えたサラリーマンが、髪を振り乱したOLが、脇を駆け抜けていった。

 掻き乱された空気が風となり、再びアマンダの頬を撫でていく。

「! 」

 次から次へと、必死の形相で駆けてくる人々の向こうに目をやり、アマンダは漸く気がついた。

 10mほど先、派手なアロハを着た金髪の若い男が、両腕を真っ直ぐこちらに向けて突き出している姿に。

 その腕に支えられた、銀色に輝く硬質な『それ』に、アマンダは見覚えがあった。

 ええと、あれは確か。

 そうだ。

 銃だ。

 UNDASNでは殆ど見掛けないリボルバー。

 38口径だろうか。

 S&WのM36チーフスペシャル……、だったか? 

 ガクガクと震えて一向に静止しないマズルを見ているうちに苛立ちが募り、アマンダはふ、と銃口からピントを外す。

 次の瞬間、自動的にその持ち主の顔にフォーカスが移った。

 ああ、そうかと、アマンダは得心した。

 銃を構えている人物と、目が合った。

 と言うことは、アタシを狙っているんだ。

 パクパクと金魚のように口を開閉させているその男が、実は何やら言葉を叫んでいることに気付いたのは、更に数瞬の後だった。

「テテテテメエッ! よ、よくも、あン時ゃあ、ややややってく、くれたなあっ! 」

「あ」

 突然、記憶が蘇った。

 四季の依頼で、UNDASN売春の情報を集めるために動き始めた、その初日。

 早々に釣り上げたヤクザ連中を叩きのめし、薄汚い路地裏のゴミだらけの地面へ沈めたあの夜。

 自分を尾行していた、チンピラ。

 男の激しい吃音で思い出したのだ。

「テメエ、あの時の……」

 アマンダがドスの効いた声で言い、一歩踏み出した瞬間、男の持ったリボルバーのマズルが、光った。

「きゃあああっ! 」

「うわあっ! 」

「ひいっ! 」

 銃弾は明後日の方向に跳び、路上駐車していたセダンのリアガラスを曇りガラスに変えた。

「クソッタレ、下手糞が! 」

 あんな腰砕けでガタガタ震えているのだ、殆ど銃なんぞ撃ったこともないのだろう、当たりっこない、サッサと引導渡してやる。

 咄嗟にそう決めて、アマンダは男に向かって駈け出そうとして、けれど。

 けれど、アマンダの周囲で頭を抱えて這い蹲っているOLやサラリーマンの悲鳴が彼女の脚を止めた。

 ダメだ、拙い。

 ここで撃たせてはダメだ。

 あの腕前じゃ、アタシには当たらないだろうし、何なら避ける自信もあるが。

 自分ひとりを狙って外さない腕の持ち主ならともかく、この調子で乱射されると、一般人にまで被害が及ぶ。

「待てっ、撃つんじゃねえっ! 」

 そう言って思わず両手を突き出すと同時に、甲高い音とともに再びマズルが火を吐き、今度はアマンダの足元の点字タイルに穴が開く。

「うう動くなあっ! 撃つ、うううう撃つぞおっ! 」

 自慢の動態視力とレンジャー仕込みの観察力が、その時、10m先の男のリボルバーのシリンダーを捉えた。

 M36のシリンダーは6発右回転、残弾の格納されている左側には、シルバーチップのバレットが1発しか見えなかった。

 と言うことは装弾数は元々4発、残りは2発。

 ヤクザ達が三下にタマとってこいと改造銃ではなく実銃を渡す場合、入手困難な9m/mパラなどの実包はフル装填させない場合が多いことを、アマンダは過去の経験で知っていた。

 小さく深呼吸をして、一言。

「無駄弾撃つんじゃねえぞ、にいちゃん」

 アマンダは唇に引っ掛かった火のついていない煙草をペッと吐き出し、落ち着いた声で言った。

「残り2発だ。よおく狙え。ここだ、ここ」

 アマンダは自分の鳩尾を指差す。

「ウウウウルセエッ! 」

「喚くな馬鹿」

 言いながらアマンダは、ゆっくりと1歩近付いた。

「関係ねえ他人様を撃っても寝覚めが悪ぃだろ? もっと近寄れ。テメエの腕じゃあ3mでやっとだぜ? 」

「うああっ! 」

 男の顔が、恐怖に醜く歪む。

 アマンダは更に、一歩近付く。

「今ならまだ、引き返せるぜ? 」

 言いながらアマンダは、思い切って数歩近付く。

 後、5m。

「うううう……」

 マズルが震えながら、しかしゆっくりと、地面へ下がっていく。

「よーし……。いいぞ。……ほれ、そのまんまこっちへ」

 投げろ、と続けようとした瞬間、大音量の、怪鳥の叫びにも似たサイレンが突然、静寂の街角に鳴り響いた。

 誰かが呼んだのだろう110番で、最寄パトカーが乙報(赤色灯点灯サイレン音量最大)に移行したのだろう。

 昼間の横浜市内、渋滞に近い道路状況だ、そんな中での銃撃事件発生に、PC運転手がアクセルをベタ踏みしたのだろう、フットサイレンの大音量が静かな緊張感が漲る現場のバランスを、一気に崩した。

「うわあああっ! 」

 喚き声をあげながら、再び男が銃を真っ直ぐに持ち上げ、トリガーに掛かった指が白く変色するのが眼に入った。

「チィッ! 」

 素早く左右を確認する。

 右はシャッターを閉めた本日定休のカフェ、遮蔽物なし。

 左は足元に蹲ったサラリーマンとOL。

 一瞬振り返った背後、射線上には、我慢し切れなくて立ち上がり、へっぴり腰で逃げ出そうとしている中年女性とサラリーマン。

 動けない。

 せめてドレスブルーでも着ていたら、アレはケブラー編み込みの防弾だ、38口径程度だと10mなら楽に防げるだろうが、生憎今日はワーキングカーキ、唯の布切れだ。

 38口径のシルバーチップか、当たったら痛ぇだろうなと、妙にのんびりとした感慨が湧く。

 仕方ねぇ。

 せめて瞼は閉じず、可能ならば睨み殺してやると、眼を見開いた瞬間。

 目の前に『白いなにか』が横から飛び出してきた。

 一瞬遅れて、パンパンッと2発の甲高い銃声が青空に響き渡った。

 それから更に数瞬の後、目の前の『白いなにか』に、赤い染みが、2箇所。

「……え? 」

 何が起きたのか理解できないまま、アマンダが1歩前へ踏み出すと、それが合図だったかのように『白いなにか』がグラリ、と揺れた。

 白いシャツを着た人間の背中だ、とそこではっきり理解した。

 その人間が片手に持っていた黒い何かが、バサ、と地面に落ちる。

 見慣れた、黒に近い藍色の、金ボタン、袖に金筋、赤い組紐のような……。

「ドレスブルー? 」

 まさか? 

 嘘。

 え? 

 だって。

 混乱するアマンダに構わず、白いシャツを着た人間は、ゆっくりと彼女に向かって倒れてきた。

「嘘! 」

 一言叫んで、アマンダは倒れる人間に駆け寄り、身体全体で受け止めたものの支え切れず、その場に尻餅をついてしまう。

「嘘だろっ? 」

 尻餅をついた瞬間、がくん、と首をアマンダの胸元に預けてきたその顔を見て、アマンダは、腑抜けのように言った。

「陽介? 」

 アマンダは呆然としながらも顔を上げ、未だ銃を構えたままの男を見た。

 男もまた、自分の射撃が命中したことが信じられないような、間抜けな顔を曝け出していた。

「……撃ったの? ……お前、陽介、撃ったの? 」

 小首を傾げて、まるで少女のように尋ねるアマンダに、男は思わず首を縦に振り、それから初めて思い出したように叫んだ。

「う……、うわぁぁああぁああああっっっ! 」

 アマンダは痴れたような表情で彼の駆け去っていく後姿を見送っていたが、やがて、視線を再び、自分の胸に倒れ込んでいる人物に向けた。

 彼の胸と鳩尾の少し下辺りに出来た真っ赤な染みは、みるみるシャツ全体を染め、そして抱いているアマンダを、歩道を、全てを赤に染め上げていく。

 間欠泉のように、胸から、腹から赤い泉が噴き上がるのを見て、漸くアマンダの思考が動き始めた。

「血が……、血が出てるよ」

 アマンダは、傍に落ちていたドレスブルーを陽介の胸に押し当てる。

「血が、血が出てる、出てるよぉ……」

 ケブラー繊維編み込みのごつい上着は~着てさえいれば38口径くらい防げただろう、だけど今日は暑いから~、陽介の命をみるみる吸い取り、アマンダの手の中でグチュグチュと嫌な音を立て始めた。

「止まんない……。止まんねえよ……」

 ぶつぶつと口の中で呟いていたアマンダは、みるみる胸に感じる温度が冷えていくのに気付いて、悲痛な叫び声をあげた。

「うわあっ! 陽介ぇっ! 陽介ぇっ! 血が、血が、止まんねえよおおっ! 」

 まるで埴輪のように見開かれたままだったアマンダの暗い瞳に光が戻った瞬間、ボロボロッ、と涙が溢れた。

「陽介、起きろ! 起きろよおっ! 死んじゃやだ、死んじゃやだよっ! 」

 アマンダは陽介の頭を胸に抱き締め、思い切り振り回す。

「もうやだよ、アタシを残して死んじゃやだよ! アタシ独り残されるのは、もうやだよっ! 」

 アマンダは陽介の血の海に溺れながら、彼の身体から逃れ出ようとしている命の根源を掻き集めるように、無我夢中で陽介を抱き締め、掻き抱く。

「陽介、陽介、起きろよ、起きろってば! もう、やだよ、独りはいやだ、独りはいやだよ、もうアタシ独りじゃ生きていけないよおおおっ! 」

「アミー! 」

 銃声が聞こえたからだろうか、オフィスから警衛分隊を率いて駆け付けたジャニスに、アマンダは血塗れの、しかし涙の跡だけははっきりとそうと判る顔を向けた。

「陽介が死んじゃう、助けて、助けてよ! この馬鹿に言ってよ、アタシ残して死ぬなって! アタシはこの馬鹿なしじゃもう生きていけないんだからって! 」

「アミー、しっかりしなさい! 」

「一尉、退いて! 」

 ファーストエイドキッドを手に部下を指揮するディック・チャップマン一曹がアマンダを陽介から引き離そうとすると、アマンダは狂ったように手を振り回した。

「いや! いやだ! 決めたんだ! アタシ、決めたんだ! 二度とこの馬鹿放さない! やっと、やっと手を繋げたんだ! 昨夜は初めてのキスだってしたっ! だから、絶対放さないんだ! こいつが死ぬならアタシも一緒に死ぬぅっ! 」

「アミー、正気に戻りなさいっ! 」

 パシン、と乾いた音が響き、ジャニスの掌がアマンダの頬を打った。

「……あ」

 アマンダが呆然とジャニスに顔を向けた、その刹那。

 一瞬静まり返った白昼の街角に、陽介の苦しげな声が響いた。

「そうだ、落ち着け……。アマンダ……」

「陽介っ? 」

 アマンダが視線を落とすと、陽介は苦し気に歪む顔に微かな笑顔の痕跡を浮かべ、荒い呼吸の合間に、掠れた声を上げた。

「……ぶ、無事か? 怪我、……な、……い、か? 」

「よ、陽介っ! しゃ、喋るな! アタシ無事だよ、無事だから! 喋るなよ死んじゃう、死んじゃうよぉ! 」

 アマンダがぼろぼろと零す涙が、陽介の血に塗れた額へ、頬へ、雨垂れのように落ちる。

 陽介は苦しげに顔を歪めながら、それでも薄っすらと瞼を開いて涙と洟と涎と血に塗れたアマンダを見上げて、笑みを浮かべた。

「よ……、よかっ……。安……、心した、よ……。や……、やっと、ヒー、ローに……」

 ゴフッ、と苦しげに咳き込み、吐血した。

「陽介ぇっ! うわあっ、うわあああっ! お前はヒーローだよっ、だ、だってっ! だって、アタシを助けてくれたじゃねえかあっ! 」

 陽介はゆっくりと震える手を、傷口を押さえているアマンダの手に重ねる。

「やっと……、ヒーローに……、な……、れ……」

「ああああっ! 陽介、もう喋んなよぉ、お願いだから、おね、お願いぃいっ! 」

力なく、ずるずると滑る落ちようとする陽介の手を握り締め、アマンダは叫ぶ。

「でもな……」

 陽介の声は既に掠れて、周囲の喧騒に飲み込まれて聞くことさえ難しい。

 アマンダは彼の手を握り締め、ぶつかるくらい顔を口元に近付ける。

「ほん、との、ヒー……、ロー、はな? ヒロインを、な……、泣かせちゃ、いけ、ないんだ」

「よ、陽介、陽介ぇえっ! 」

 ああ、ああ、いるのかいねえのか知んねえけど、神様! 

 助けて、陽介を助けて! 

 頼むよ、お願いだから、こいつをアタシから奪わないで! 

 アタシを殺してくれたっていい、だからっ! 

 だから、コイツだけは助けてあげて! 

 コイツはアタシの太陽なんだよ。

 アタシはひまわり、太陽だけを追っかけて生きてきた。

 その太陽がなくなっちまったら、アタシも生きていけねえんだよ。

 どっちも殺すのは手間だろ? 

 だったらアタシだけ殺して。

 アタシがいなくても、コイツは生きていけるんだから。

「ひぃい……」

 もう、言葉にならない。

 傍から聞くと、ただ、ヒーヒー呼吸音だけが響くアマンダの声が一瞬、止まった。

 胸に、膝に掛かる彼の体重が、急に増したように感じられたのだ。

「え……? 」

 アマンダは思わず、握り締めた手にギュッと力を込める。

 しかし、その手はもう、握り返してこない。

「陽介? 」

 アマンダは呆然と愛しい人の名を呟くと、猛然と彼の身体を揺さぶる。

「陽介、馬鹿野郎、起きろよ、ほらっ! 笑って! 笑えよぉっ、お願いだから笑って、いつもみたいに優しく笑って! コーヒー淹れてよ、もっぺん髪撫でて、もっぺんキスして! 」

 救急車、後1分程で現着です。

 一尉、大丈夫ですから退いて、退いて下さい。

 アミー、しっかり、大丈夫だから手を放して。

 関内周辺に非常線を。

 横浜磯子308移動。

 けたたましいサイレン。

 本部より各移動。

 機捜105臨場。

 泣き叫ぶ、声。

 慟哭。

 様々な、緊迫した人々の声が錯綜する街角に、アマンダの悲痛な声が一際高く、響く。

「陽介いいか、死ぬんじゃねえぞっ! 」

 アマンダは、チャップマンや駆け付けた警察官、救急隊員に寄って多寡って陽介から引き離されながらも、彼の手を握り締めて放さず、叫ぶ。

「アイツはアタシが殺してやるからっ! 絶対、殺してやるからよっ! 」

 投げ付けるようにそう叫ぶと、アマンダは空いた片手でチャップマンのレッグ・ホルスターに収まったH&K-MP5に手を伸ばす。

「駄目です、一尉! 」

「寄越せっ! ソイツ貸せ、いいから寄越せっ! 陽介と約束したんだ、アイツ殺すアタシが殺す、殺す殺す殺す絶対殺すっ、殺してやる! 貸せ、寄越せぇっ! 」

「アミー、駄目ぇっ! 」

「やめろ! 」

「止しなさい! 」

 今度こそ羽交い絞めにされて地面に押さえつけられても尚、血塗れの手足を振り回して暴れるアマンダの動きがピタリと止まった。

「? 」

 全員が彼女の急激な変化に驚き、一瞬の静寂が訪れる。

「行くな、アマンダ! 」

 掠れてはいるが、それまでよりも数倍も力強い、陽介の声だった。

「陽介っ! 」

 アマンダは押さえつけていた全員を一瞬で跳ね飛ばし、血の海を泳ぐように、繋いだままの陽介の手をガイドロープにして、彼に這い寄った。

「陽介っ! 」

 上からアマンダが覗き込んだのと同時に、陽介の瞼がゆっくりと開く。

「な……、懐かしいセリフだな……。でもな、アマンダ。折角……、繋いだ手じゃないか。だから、放すな。もう、いい……」

 何時の間にか止まっていた涙が、再び堰を切って溢れ、アマンダの頬についた血を洗い流していく。

「俺が、幸せにするから、……行くな。……手を繋いで、……ずっと、一緒……」

「陽介っ! 」

 一緒にいよう。

 嬉しいよ。

 こんなときまで、アタシにそう言ってくれるお前の優しさが、嬉しくって、幸せで、だから哀しいよ。

 一緒にいたいよ、独りはいやだよ。

 なんで、こんな良い奴が、こんな目に会わなくちゃなんねえんだよ。

 アタシが悪いのに、陽介は、これっぽっちも悪くなんかないのに。

 だから、陽介を連れて行かないでよ。

 一緒にいたいよ。

 幸せになりたいよ。

 せめて、陽介? 

 もっぺん、キス、したいよぉ。 

 だから、死なないで。

 アタシを、踏み台にしていいから、さぁ? 

 だから、アタシを置いていかないで。

「陽介ぇぇぇえええええっ! 」

 アマンダの絶叫が、鳴り響くサイレンの隙間を縫って、大都会のビル街に哀しく木霊した。


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