第90話 14-2.


 アタシの手料理、久し振りだろ? どうせアタシがいねえ間はコンビニ弁当やカップ麺とか食ってたんだろうが、こちとら別にお前の健康なんざどうでもいいけどよー、独身男がそんなもんばっか食ってる姿ってなぁどうにも惨めったらしくていけねぇ、まあ哀愁と言やぁ聞こえはいいが、実際は妙な貧乏臭さってぇか不潔感が漂うんだよなあ、お前もたまにゃあ自炊でもしろよ。

 自慢げな顔で、まるで母親のように説教を垂れるアマンダに、ハイハイ了解しました今後一層奮励努力いたしますと素直に頭を下げながら従った駅前スーパーで仕込んだ食材で彼女が作った晩飯は、たった2週間ぶりの筈なのに、確かに懐かしく、そしてこれまで以上に美味く感じられた。

 揚げだし茄子、豆鯵の唐揚、大根と鶏肉の旨煮、出汁割りとろろ汁。

 和食中心の晩飯は、最高気温37度の街中を歩いてバテ気味の身体に優しく、そしてそれ以上にアマンダのさりげない気配りが嬉しくて、胃の許容量を遥かにオーバーしてもまだ食べ足りないと感じられる程だった。

「よーすけー。アタシ、コーヒーな」

 テレビの賑やかなCMの音声に混じって聞こえるアマンダの声に、陽介は思わず笑みを漏らした。

「ほい、お待ち」

 いつも通りクリープを2杯入れたコーヒーの入ったマグカップを、ゴロンと横になってテレビ画面をみつめているアマンダの前に置き、陽介はその後ろへ座る。

「んー」

 アマンダはコロリとうつ伏せになり、両手でカップを抱えると、ずず、と一口コーヒーを啜り、ふぅーっ、と長い吐息を落とした。

「あぁ美味ぇ。ひまわりの代用コーヒーも、あれはあれで美味ぇんだが、やっぱ本物にゃ負けるなあ」

 そのままべたん、と畳の上に顔を伏せたアマンダに気付き、陽介は声をかけた。

「どうした。復帰早々、飛ばし過ぎたか? 」

「ん? んー。……かもなぁ」

 てっきり『馬鹿野郎、そこらへんの軟弱OLと一緒にすんなっ! 』とかなんとか罵声が返ってくるかと身構えていた陽介は、少なからず驚く。

「……じゃあ、それ飲んだら、今日は早めに部屋に戻って寝ろよ。ただでさえ物流が細くなる盆休み前は、一時的に忙しくなるんだし」

「んー……」

 それでもアマンダはうつ伏せになったまま、動こうとはしない。

 いつもと違って、様子が変だ、それとも、本当に疲れてるだけかと、陽介は首を捻った。

 そう言えば、すっかり日常に戻ったように見えた今日も、思い返せばそんな素振りがあったようにも思える。

 ふとした瞬間、例えば喫煙コーナーで、食堂で、オフィスで、駅のホームで、スーパーの店内で、まるで迷路の中で立ち竦む幼子のように、虚空に視線を彷徨わせるアマンダ。

 高原の記憶にてられているだけか、それとも?

 ひょっとしたら、自分だって同じような態度を見せているのかも知れないな、そんな思いに捉われていた陽介は、アマンダの言葉で我に返る。

「……アタシもテレビ、買おうかなぁ」

「……え? 」

 思わず陽介は問い返すが、アマンダは顎を畳につけ、ぼんやりとマグカップをみつめているばかりだ。

 問い質そうとして、ふと、陽介は自分の心に突き立った『棘』に気付いた。

 その『心に刺さった棘』と、今日のアマンダが見せる、些細だが不審な態度は、なにか共通の『匂い』がしないか? 

 そして、思い当たる。

 やはりアマンダは、戸惑っているんじゃないだろうか? 

 ふたりの距離に。

 切っ掛けは、と元を辿れば、それはやはり、アマンダが休暇に入る前夜の、一連の出来事に違いない。

 結果的に、陽介は悩ましい数日を経てアマンダを求めて旅立った訳だし、アマンダもまた、苦しい数日を経て陽介との再会時には、素直にその胸中を曝け出してくれた。

 だが、結局自分は、肝心な結論を得ていない、いや得ようとしていないのではないか? 

 あの夜の出来事に関しては、四季の説明でほぼ事実関係は把握できたし、また明野村ではアマンダから質問され、彼女もまたその答えに納得してくれたように思えた。

 だが、それだけで果たして、全てが解決し、それで今後も、ふたりは今まで通りのふたりでいられるのか? 

 事実を知る、それだけでいいのか? 

 事実を事実だと確認し、その上で今まで通りのふたりでいること、それ自体が、既に限界にきているのではないだろうか? 

 確かに、今日のアマンダを見て、陽介が懐かしく思い、同時に安心感を覚えたのは事実だ。

 そして同時に、一種の『違和感』も。

 その違和感が、心の棘として、残っている。

 その正体は、アマンダが時折見せる『常にない様子や仕草』、それだけではないように思える。

 要は。

 あのひまわり畑で、ふたりの距離は再び、変ってしまったのではないだろうか?

 その変ってしまった距離こそが、心に突き立った棘の正体であり、一見その棘の正体に見えた『アマンダの常とは違う様子』もまた、彼女の心に刺さった棘ゆえ、なのではないだろか。

 彼女が旅立つ前夜、距離感も把握できないほどに離れてしまったように感じられたふたりの関係。

 それを嫌った陽介が彼女の後を追うことによって、そしてあのひまわり畑での再会によって、ふたりの距離は、今度はどう変ったのだろうか? 

 いっそう離れてしまった訳では、けっしてない。

 それは確かだ。

 あのひまわり咲き乱れる夏の高原で。

 優しく煌く天の川に抱かれた夜の底で。

 蝉時雨降り注ぐ寂れた駅のホームで。

 アマンダと確かに重ねたのは手、だけではない筈だ。

 離れたのではなく、近付いたのだ。

 ふたりの歴史に、かつてない程に。

 『かつてない』ほどの接近だからこそ、ふたりは戸惑っている。

 いったい自分はアマンダを、どうしたいのか? 

 いったい自分はアマンダと、どうなりたいのか? 

 抱きたいと思ったあの夜の、心震えるような感情は、一時の劣情ではない、そう言い切れるか? 

 確かに、咲き誇る百万本のひまわりの中で、一際大きく、美しく、太陽の光を受けて輝いていた大輪のひまわり、アマンダは美しかった。

 普段と違う素直さで、持ち前の明るさと優しさ、肌理細やかな女性らしい心遣いを際立たせた彼女と笑い合ったひとときは、本当に楽しく、愛惜しく感じられた。

 だがそれさえも、あの夜の出来事が我知らぬうちに心に影響を与えていないと、果たして俺は言い切れるか? 

 しかし今、この瞬間も陽介の心に沸き起こるたったひとつの想いだけは、確かな真実であることは間違いないように思え、とにかく彼は、その想いを口の端に乗せた。

「……なあ、アマンダ? 」

 アマンダは、チラ、と陽介を上目遣いに見上げる。

「なんか、あったのか? 」

 アマンダは、すっと眼を逸らすと、マグカップを両手で持ち上げる。

「……なんもねえ」

「この部屋に来るのは嫌になったか? 」

 重ねるように問いかけると、今度はアマンダは慌てて上半身を起こし、しかし口には出さず、ただ首をフルフルと横に振る。

 陽介は、ふっ、と短く溜息を落とすと、まるで怒られた子供みたいにぺたりと畳に座り込み、項垂れて両手に持ったマグカップをみつめるアマンダの頭をゴシゴシと撫でた。

「アマンダ、お前……、戸惑ってるんじゃないか? 」

 ぴくりと、アマンダの薄い肩が揺れたことで~この薄い肩で、どうすれば数十キロもの重量がある分隊支援火器を自由自在に取り廻せるのか? ~、陽介はますます確信を深めた。

 アマンダもやはり、戸惑っているのだ。

 近付きすぎてしまった、ふたりの距離に。

 これから二人の関係が、どう変わっていくのだろうか、見えなくて。

 そんな風に、アマンダが戸惑っているのならば、俺は。

「正直、俺も、戸惑っている。……戸惑っているけど、今この瞬間、たったひとつ、はっきりと判ることがある」

 ゆっくりと顔を上げたアマンダの瞳は、微かに潤んでいるようにも見えた。

 その瞳を見た瞬間、陽介は自分の掴んだ『たったひとつの真実』が間違っていないことを確信することが出来た。

「俺は、お前とこうして過ごす日常が、たまらなく愛しい」

 アマンダの瞳から、ポロ、と涙が一滴、堪えかねたようにゆっくりと零れた。

 慌てて顔を伏せ、手の甲でゴシゴシと涙を拭うアマンダの頭をポンポン、と優しく叩き、言葉を継いだ。

「さあ、今日は少し早いが店仕舞いとしよう。飲んじまえ、な? 」


 自室へ戻ったアマンダは、風呂を沸かし、湯船に浸かって露の滴る天井を見上げた。

 夏はどちらかというとシャワー党のアマンダも、高崎農園から戻った直後はいつも、湯船でのんびりする。

 高崎家の広い浴室と較べるべくもないが、毎年、祭の終わったあとのような奇妙な虚脱感と心地良い疲れを洗い流すには、シャワーでは心許ないと思ったからだ。

 ポチャン、と響く滴の音を聞きながら、アマンダはつい先程の、陽介の言葉を噛み締めていた。

 図星だった。

 これまで、無意識に、自然に触れ合っていたふたり、それが今、意識しなければ指一本動かせないほどに、関係性が変わってしまっていた。

 それに戸惑い、揺れまくっている自分の胸の内に、陽介の言葉が、まるで楔のように撃ち込まれたのだ。

 そう。

 陽介がそうだと告白してくれたのと同様、自分もまた、新たなふたりの距離に戸惑っていたのだ。

 ミハランで初めて出逢った日から、高原へ旅立つ前夜まで、長い空白を挟みながらも、不器用なふたりが少しづつ、ゆっくりと歩み寄ってきた、愛しい距離。

 だけど。

 あの、夢のような、高原での2日間が、果たしてふたりの距離にどんな影響を与えたのだろうか? 

 あの日、陽介の顔を『ひまわりの波打ち寄せる岸辺』で見つけた瞬間から、ただ純粋な喜びだけに身を任せ、思うが侭に振舞ってしまった自分を見て、陽介はきっと戸惑いを覚えたのに違いなく、それでも彼は普段通りの優しさと普段以上の『格好良さ』で、自分を包んでくれたのだ。

 更に考えてみれば、なにも農園での出会いが変化の始まりではない。

 あの伊勢佐木町での事件のあった夜、彼の部屋で自分の全てを彼の前に曝け出した瞬間から、もう、止めようもない変化は始まっていたのだ。

 だけど、それさえ陽介は、戸惑いながらも、やっぱり出来得る限りの優しさと気遣いをもって、手を差し伸べようとしてくれた。

 ただ、自分が自分の馬鹿さ加減とだらしなさに耐えられず、逃げ出しただけなのだ。

 もうひとつの宝物が待っていてくれる筈の、あの高原へと。

 そして陽介は、そんな自分を、それでも追ってきてくれた。

 こんなに嬉しいことは、ない。

 そして嬉しさに高鳴る胸の内、膨れ上がる喜びの陰で、知ってしまった。

 いや、知っていたけれど、知らないふりをし続けていた、真実を。

 ひまわり達は、確かに大切な宝物だけれど、それでもやっぱり陽介の代わりにはならないのだと言う、真実を。

「陽介……」

 ポソ、と呟き、あとは声を出さず、口を開く。

 『ス』

 『キ』

 と。

 陽介は、正直に自分も戸惑っていると言いつつも、それはけっして離れたことにはならないと断言してくれた。

 ふたりの距離が、愛惜しいとまで言ってくれたのだ。

「陽介、やっぱりアンタは、アタシのヒーローだ」

 陽介が明野村を去った日の夜、三人で食卓を囲んだ時の、幸次郎と富美子との会話が脳裏に甦った。


 陽介が去り、三人の食卓、これまで通りと言えばそうだけれど、何故か淋しさを感じさせる食堂。

 夕食の後、アマンダは幸次郎と富美子に頭を下げた。

「おっちゃん、おばちゃん……。ご、ごめんなさい! 」

「なんだい、いきなり」

 向かい側で、幸次郎が持ち上げたコーヒーカップを置いて目を丸くする。

「どうしたの雪ちゃん、なんかあったの? 」

 隣に座っていた富美子もまた、驚いた様子で顔を覗き込んで来る。

 アマンダは頭を下げたまま、言った。

「なんか今年は……、いきなり来ちまった挙句に、初日はなんかその……、えと、し、心配させるような真似しちまって……、その、だ、だから……」

 幸次郎と富美子は顔を見合わせて、微笑を交わす。

「謝る必要なんぞ、これっぽっちもないずら、雪ちゃん」

「そうよ。私達は、雪ちゃんの笑顔が戻ったんだから、それでもう充分」

「で、でも……」

 アマンダが思わず頭を上げると、幸次郎が微笑んでいた。

「若い頃は、そりゃ色々あるさ。泣きたいことや悔しいこと、忘れてしまいたいこと思い出したくないこと……。誰にだって、大声出して泣き喚きたいこともある。それに、雪ちゃんは素直で明るい、いい娘だからね。正直、心配は心配だったが、時間が薬になるだろう。そう思ってたんだよ」

 頷きながら富美子が夫の言葉を引き取った。

「だけどこんなに早く、雪ちゃんの素敵な笑顔が戻るとは思わなかったわ。これも、陽介さんのお蔭。ねえ、父さん」

「全くだ。雪ちゃんはほんとに、隊長さんのことが好きなんだなあ」

 アマンダは顔を真っ赤にして口をパクパクさせる。

「だっ、だけどっ! だけどアタシ……、アタシなんか……」

 アマンダの声は急速に小さくなる。

「陽介みてえなエリートと、アタシみてえな暴走族上がりで不良……! 」

 いつのまにかアマンダの顔の前に伸びてきていた富美子の人差し指が、そ、と唇の前に立った。

「駄目よ、雪ちゃん。駄目」

 富美子は優しく微笑んで言葉を継いだ。

「貴女は、私達夫婦の自慢の娘なの。働き者で、誰にだって優しくて、素直で元気で明るくて、もちろん美人で、それはもう可愛くて可愛くて、目の中に入れても痛くないってこういう事か、って納得してしまうほどの、大事な娘なの。私達は、初めて逢った2年前の夏から、雪ちゃんの里帰りが楽しみで仕方ない。きっと、あの娘が生きてたら」

 富美子は、一瞬口を閉ざして目尻を拭い、気を取り直したように再び微笑んだ。

「こんなワクワクした気持ちで、お里帰りを待ってたと思うわ」

 そこまで言って富美子は、ごめんなさいね、けっして貴女を亡くなってしまった娘の代わりだなんて思っているわけではないのよ? と慌てる姿に、アマンダは大丈夫そんなの判ってるよと答えると、彼女は安堵したように目を閉じて、再び言葉を継いだ。

「……だからね、雪ちゃん? 」

 富美子は、アマンダの黒髪を梳くように、ゆっくりと撫で続けている。

「世界中の誰にも、貴女を悪くは言わせない。世界中の全てが敵になったって、私達だけは無条件に貴女の味方。だから雪ちゃん、貴女は、自分を貶めちゃ、駄目。どんな時も、胸を張って明るく笑ってらっしゃい。そうでないと、雪ちゃんのことを大切に思っている、雪ちゃんのことを大好きで大好きで堪らない、私達や陽介さんはどうすればいいの? 」

「おばちゃん……」

 妻の言葉を無言のまま、微笑を浮かべて聞いていた幸次郎が、徐に口を開いた。

「雪ちゃんがひまわりに魅せられたのは、自分を、あの花に重ねたからだろう? 」

 思い掛けなくも図星を突いた幸次郎の問いに、アマンダは驚き、思わずコクリと頷いてしまう。

「でも、雪ちゃんとひまわり、決定的に違うのはなんだろうね? 」

 思わず小首を傾げるアマンダだったが、幸次郎は別に回答など期待していなかったらしく、すぐに答えを口にした。

「ひまわりは、自分が常に顔を向けている太陽の都合なんか気にしない。ひまわりは、そんな自分を必要以上に卑下しない。ひまわりは、夏の短い期間しか微笑むことが出来ない」

 幸次郎は、視線を自分の手許のマグカップに落とす。

 ひまわりの絵柄の、アマンダからのプレゼントだった。

「母さんが言った通り、雪ちゃんには、一年中笑っていてほしいなあ。そりゃあ私らは夏の間しか雪ちゃんと逢えないけれど、隊長さんは秋でも冬でも、雪ちゃんの笑顔を見ていたいだろ? 」

 そうねえきっとそうだわと富美子が笑う。

「雪ちゃんはだから、相手がどうとか自分がなんだとか、気にしちゃいけない。大切なのは、自分がどう思っているか、自分がどうなりたいか、じゃないのかな? 」

 幸次郎はそう言うと、マグカップを置いて真っ直ぐにアマンダの顔を見た。

「雪ちゃん。恋ってのは、ふたりでするものなんだ。ひとりで抱えたままじゃ、折角の想いが腐ってしまうよ? 」

「ふたりで恋していくのなら、まず、動かなきゃ、雪ちゃん」

 アマンダが富美子を振り向くと、彼女はほんのり頬を染め、幸次郎をみつめていた。

 まるで、少女のような表情だった。

「欲しいものは欲しい、そう口に出さないと手に入らないわよ? ……よく、『見ているだけで幸せ』とか言うけれど、それは自分が可愛いだけなんじゃないのかな? 」

 ハハハ、と幸次郎が笑いながら頷いた。

「母さんがそうだったなあ。呼び出されて『一緒に逃げて』って言われた時は、腰が抜けたよ」

「父さん、ヘタレなんだから」

 笑い合うふたりを見ながら、アマンダこそ腰が抜けるほど驚いていた。

 駆け落ち同然で夫婦になった、とは聞いてはいたが、今日までアマンダは、てっきり幸次郎が富美子を口説き落としたものと、思っていたのだ。


「おばちゃん、全然そうは見えなかったな……」

 そう口に出してみて、アマンダはふと、思い当たった。

 いつも笑顔を浮かべ、ひとあたりもよく、口を開けば飾らないが温かい言葉を贈ってくれる幸次郎は、どことなく陽介と似ているように思えたのだ。

「そう考えると、おばちゃんがひまわり、おっちゃんが太陽か……」

 次の夏、もしも陽介と共に農園を訪れることが出来たら。

 なぜ、夫妻がひまわり畑を開こうと決めたのか、聞いてみよう。

 そう、思った。

 クスクス笑いながら風呂を出て、バスタオルで身体を拭きながら、アマンダは「あ」と小さく声を上げた。

 ふたりで恋をする為に。

 いったい明日からどうすればいいのか、具体的な方法を考えていなかったことを思い出したのだ。

 しまったどうすりゃいいんだと裸のまま、腕を組んで暫くウンウン唸っていたけれど、やがてアマンダは諦めたように吐息を零した。

 足りない頭をどんだけ捻ったって仕方ねえや。

「明日は明日の風が吹く……、か」

 まあいいやとガシガシ乱暴に髪を拭っていて、ふと、普段は見ないようにしている洗面台の鏡の中の自分と眼が合った。

 驚いた。

 鏡の中の自分が、笑っていたから。

 あの明野村以外で、今日まで、これほど素直に、自然に、笑顔になれたことなんか、なかった。

 いや、陽介と出逢ってからは、笑顔を浮かべられる自分になってきたなと感じてはいたけれど、そんな自分を鏡に映すことはなかったように思う。

 不思議だった。

 同時に、肩の力が抜けたような気がした。

 アタシ、こんな顔で笑ってたんだ。

 笑顔の自分が、なんだかくすぐったかった。


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