第86話 13-5.


 陽介が慌てて切羽詰まったような口調で割り込んだことで、高崎夫妻は笑顔のまま、けれどふたり揃って首を傾げながら、視線をこちらへ向けてくれた。

「色々とアマンダ……、いえ、沢村一尉だけでなく、自分までお褒め頂いておいて、恐縮なんですが……」

 陽介は、苦笑を浮かべてポソ、ポソ、と話し始める。 

「確かに彼女と知り合ったのは、もう何年も前……。砂漠と岩山だらけの、地獄みたいな最前線の惑星でした。……自分は元々船乗りでしてね。なんの間違いか、たった独りで地上に放り出された自分は、彼女の言葉通り、まさに『オカに上がった河童』でした。彼女は初対面で、足手まといにしかならない自分を、だけど身体を張って守ってくれた……。場違いの惑星で途方に暮れるばかりの自分に、居場所を与えてくれた。……それが、縁です」

 夫婦は穏やかな表情で、ただ黙って聞いてくれている様子で、それに促されるように、陽介は安心して言葉を継ぐことが出来た。

「まあ、今の彼女を知るお二人は驚かれるかもしれませんが、沢村一尉……、当時は一曹だったかな? 彼女はまるで……、まるで、鞘のないナイフのような、どこからどう触っても傷付けられてしまう、そして鞘がないことで自分自身も傷付いているような、そんな危うさがありました。……それでも、自分がこんなノンビリした性格だったからか、彼女がご存じの通り気のいい世話焼きな性格だったから……、彼女はいつの間にか、自分を『相棒』として扱ってくれるようになりました。だけど、そんなある日のことです……」

 そうだ。

 あの日が、本当のアマンダを知った、本当の意味での出逢いの日だったのかも知れない。

「ちょっとした行き違いで、派手な大喧嘩をやらかしましてね。自分も若かったせいか、随分過激な、彼女を怒らせるには充分過ぎる程の罵倒を投げ付けた。彼女は黙って銃を抜き、本気で自分に銃口を突きつけましたよ」

 そう。

 あの刹那の、彼女を見て。

 あの時の、彼女の瞳を見て。

 俺は手を伸ばしたのだ。

 そして、あの夜も。

「その時、自分は気付いたんです。血の気も失せる程の怒りの表情、トリガーを引き絞らんとする指の関節が白くなる瞬間……。銃口の向こう側で、アイツの瞳は、叫んでいた」

 そうだった。

 やっぱり俺は、馬鹿だ。

 そんな大事なことを、今の今まで忘れていたなんて。

「助けて。私を助けて。この地獄から連れ出して。……そう叫んでいるように、自分には思えたんです」

 陽介は2本目の煙草を口に咥え、しかし火をつけぬまま、深く、少し湿り気を含んだ温かい空気を肺に吸い込む。

「振り返ってみれば、あれが…。あの日が、アマンダと俺が、本当に相棒になれた日、なのかも知れないなぁ……」

 ハハハ、少しカッコつけ過ぎましたかねと陽介は低く笑って見せたが、淋しさを含んだ笑い声は、すぐに星空に吸い込まれるようにして消えた。

「いや、アマンダは私の銃を突きつけたこと、今でも重荷に思っているようで、事あるごとに落ち込んでは謝ってくるんですが、黒歴史って奴でしょうね。その後、互いに転属になり、それぞれ何光年も離れた戦線に送られ、運良く生き延びることが出来て……。そして数年後、どんな運命の悪戯か、この日本で再会した……。確かに自分達は、奇妙な縁で結ばれているのかもしれない。だけどそれは、縁があった、というだけのことで、だけど結局自分は、彼女を何一つ、理解してやれてなかった。……そんな気がしてならないんです」

 陽介は、火のついていない煙草を指に挟んだ自分の掌をじっとみつめる。

「確かにあの砂漠の補給廠で仕出かした大喧嘩は、俺達二人にとっては良い方向へ舵を切る切っ掛けだったのかもしれない……。だけど、この地球で再会してから今日まで……、俺は果たして、アマンダのSOSに気付いてやれていたんだろうか? アイツのサインを、ひょっとして見逃してはいなかったか? ……現に俺は、日々、見たこともないアイツの一面に驚いてばかりで、それを唯、能天気に楽しんでいるだけじゃなかったのか? 」

 既に口調は独白になっていて、自分でもそれに気付いてはいたが、静かに相槌を打ってくれている高崎夫妻が、まるで励ましてくれているようにも思えて、だから陽介は小さな吐息の後、静かに続けることが出来た。

「……その証拠に、アマンダが突然、行き先も告げずに旅立っても、俺はただ狼狽えるばかりで、いくら頭を捻ってもその旅立ちの理由も何も判らず、結局、情けない顔を曝してここまで追いかけることしか、出来なかった。……俺は、アマンダという人間を、何一つとして理解してはいなかったんです」

 知らぬうちに握りつぶしてしまっていた煙草を、陽介はポケット灰皿に押し込みながら、ふぅっ、と今度は大き目の溜息を落とした。

「そんな体たらくなのに、俺は今まで一体、どうして彼女を救ってやれる、なんて思ってたんでしょうね? ……いや、それ以前に俺は一体、アイツをどう見て、どう感じて、どう思っていたんでしょう? 同情? 保護者のような責任感? 上官としての義務? ……いや、そうじゃないと自分では思いたい。違うと思いたいし、違う筈だ。じゃあ、戦友として? 相棒として? ひとりの魅力的な女性として? 」

 陽介は自嘲的な笑みを浮かべながら、肩を落とし、視線を足元に向けた。

「それは嘘じゃないでしょう。それがあったのは、多分確かです。だけど、俺にはそれだけじゃないように……、それだけじゃいけないような、そんな気がして……。しかし、それが判らない」

 陽介は、照れ隠しのつもりで3本目の煙草を咥えて、今度は火をつけた。

「今日だって、そりゃ本当に驚きました。あんな楽しそうなアマンダを見たのは初めてだったし、そしてそんな驚きよりも、彼女の新しい魅力をみつけたような気がして、なんだか、いい歳した大人がみっともない話ですが、ドキドキしました。……だけど、言葉を返せば、その程度しか判ってなかったんですね」

 それまで黙って聞いていた富美子が、静かに、しかしはっきりとした口調で言った。

「でも、それでも、貴方はここへ……。雪ちゃんのもとへ辿り着いたじゃないですか。ちゃんとあのに、手を差し伸べてやってくれたじゃないですか」

 虚を突かれたように、陽介は一瞬、呼吸を止める。

 思わず振り仰いだ富美子の、予想以上に力強い表情に気圧されて、陽介はすぐに視線を逸らしてしまったほどだった。

「だけど、俺は……」

 漸くそれだけを口から絞り出すように言うと、陽介は大きく数度深呼吸をして、ゆっくりと続きを口にした。

「俺は、さっき気付いたんです。アマンダの瞳は、あんなに楽しそうな笑顔を浮かべていたアイツの瞳は、けれど……。あの砂漠で……、静謐な地獄で、俺に銃を向けていたあの時と同じだった……」

 そして、確信した。

 やっぱり俺は、アマンダのサインを見逃していたんだ。

 やっぱり俺は、アマンダを救えるような、ヒーローなんかじゃないんだ。

 忸怩たる思いが溢れ、胸が痛い。

 泣いてしまいそうな気持ちになる己の情けなさは、煙草の煙のせいに無理矢理してしまう。

 そんな陽介の横っ面を張り飛ばすような、静かだけれど、力強い言葉が耳に飛び込んできた。

「それで充分じゃないですか、隊長さん。貴方は、立派に雪ちゃんを救える。私達が出来なかったことを、貴方ならあの娘にしてあげられるんですよ」

 ゆっくりと声の方を見ると、富美子が、優しく微笑んでいた。

 微笑みながらそう言った富美子の言葉は、表面だけなぞれば単なる慰めでしかなかったが、それでも、訳の判らない迫力、そして有無をも言わせない説得力が感じられ、陽介にはまるで福音のように心地よく響いた。

「家内の言うとおりですよ、隊長さん……」

「ご主人まで……」

 富美子の隣に立つ幸次郎もまた、彼女同様、優しく微笑んでいた。

 幸次郎は、ゆっくりと背後に広がるひまわり畑に身体を向けた。

「私と家内は出逢ってもうすぐ……、四半世紀にもなりますか。確かに駆け落ち同然の恋愛結婚で互いに浮気もせず……、少なくとも私はせず、痛ッ! 冗談だって母さん。……まあ、こんな家業ですから年中顔付き合わせてやってきて、それでもコイツのことをどれだけ知っているのかと訊かれたら、正直、首を捻らざるを得ない。だが、男と女なんてものは、所詮はそんなもんなんじゃ、ないでしょうか、ねえ? 」

 隣でコロコロと笑っている富美子が、一瞬、少女のように見える。

「そうですよ。もしも私の考えていることがこの人に判っちゃったら、私だったら恥ずかしくって照れ臭くって、家出しちゃうかもしれないわ」

 ハハハと幸次郎も笑いながら妻の言葉に頷く。

「お互いに、理解できているフリをして、あの手この手で互いに気を引き合い、牽制しあい、探り合う……。だけど、結局互いの信頼感さえあれば、そんなもの、なんでもない。惚気る訳じゃないが、これでも日々、知らない家内の一面を発見して驚くことなんぞしょっちゅうですよ」

 幸次郎と富美子は、どちらともなく顔を見合わせ、どちらともなく頷きあう。

「でもね。私ぁ、それでいいと思ってる。何もかも知り尽くした上で結婚するってのも、そりゃアリかも知れんが、私はそんなこと出来るのかと思うしもちろん私には出来ないことだし、そしてもしも全部互いに分かり合ったって気になったとしたら、それはきっと勘違いだろう、そう思います」

 富美子がゆっくりと言葉を添える。

「知らないけれど、信頼できる。信頼さえしていれば、後はゆっくり、知っていけばいいんです」

 富美子は、陽介に微笑みかけた。

「隊長さん。貴方も、本当は気付いてるんでしょう? ……雪ちゃんのこと、信頼してあげられる。だから後から、ゆっくりでもいいから知っていけばいい、そう思って、ここまでやってきたのではないかしら? 」

「隊長さんは、それに、ちゃんと雪ちゃんのサインを見逃さなかったじゃないですか」

 幸次郎も妻の隣で、同じように微笑む。

「初めて雪ちゃんがここへ来たのは、2年前の今頃でした……。あの時あの娘は、今日の貴方のように格好の良い制服をバリッと着込んで、余所行きの笑顔と思いっきり気取った声で、凛々しく敬礼しましたよ。『アマンダ・ガラレス・雪野・沢村一等陸尉です』ってね。だが、あの娘の仮面は次の瞬間、簡単に剥がれてた……」

 幸次郎に釣られて陽介は、懐かしむような瞳を夫婦の肩越しに見える、ひまわりの斜面に向ける。

 墨のような黒々とした夜空、煌く満天の星、その夜の底に佇む黄金の漣。

 まるで星々の煌きを受けて照り返す海面の漣のようなひまわり達は、しかし昼間と違ってなにかしら淋しげに哀しげに、切なげに見える。

「眼がね。こう、キラキラと煌いて……。そう、まるで、今日貴方を私達に紹介したときのように、ね」

「きっと、あの頃の雪ちゃんにとって、ウチのひまわり達は隊長さん、貴方のように見えたのね」

 富美子の言葉に頷く幸次郎の姿が、視界に映る。

「だなあ、きっと。雪ちゃん自身、ひまわりみたいに、明るくて元気で素直でいい娘だから」

 幸次郎の言葉を聞いて、四季の言葉が陽介の脳裏に甦る。

 アマンダは、自分自身をひまわりに投影しつつ、いったい『どんな太陽』を捜し求めていたのか……。

「だから隊長さん、貴方が見た、その砂漠の星の雪ちゃんの瞳、その中のSOSが今日も見えたってのは、やっぱり、あの娘はウチのひまわりだけじゃあ、駄目だった、ってことじゃないですかねえ? 」

 富美子が、陽介の背中を押すように、静かだが力強い声で、言った。

「私達の眼から見れば、隊長さん。雪ちゃんが今日、貴方に見せた笑顔は、初めてここへ来てひまわりを見た時と同じ……。いいえ、それ以上にキラキラしてましたよ」

 アマンダは言ってくれた。

 アンタは、やっぱりヒーローだ、と。

 本当に、いいのだろうか?

 アマンダは、それでいいのだろうか?

「おーい、お風呂沸いたよーっ! おっちゃーん! おばちゃーん! よーすけーっ! 」

 聞き慣れた、クールなハスキーボイスの持ち主と同一人物とは思えない、元気で明るい声が母屋から聞こえる。

「はあい、今いくよー」

 富美子が手を振って答え、夫に向き直って言った。

「さあ、父さん。お風呂にしましょうか」

「そうするか。ああ、隊長さんもどうです、もうひとっ風呂」

 陽介は、漸く我に返り、夫婦に頭を下げた。

「いや、私は結構です。どうぞ、ご主人、奥さん、ゆっくりなさって下さい。今日も1日、お疲れ様でした」

 それじゃあと頭を下げ、肩を並べて母屋に引き返していく夫婦の背中に微笑を送り、陽介は再び顔を、夜の底で息衝いているひまわり畑に廻らせた。

 もしも、高崎夫妻の言うことを、馬鹿正直に真に受けるなら。

 もしも、アマンダ、俺がお前の太陽だと言うのなら。

 俺にとってのひまわりは、やっぱりお前だ。

 やっぱりお前は、ひまわりの女王だよ。

 陽介はひまわり畑に向かって敬礼を送る。

 ひまわり達が答礼したように、一斉に揺れた。


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