13. 太陽とひまわり

第82話 13-1.


 夏休みに入ってすぐの土曜日ということもあって、大混雑の新宿駅で漸くスーパーあずさの指定席を入手、満席の中央線特急車両に揺られること1時間、更に各停に乗り換えて15分。

 松本市直行なら、リニア新幹線を使えば1時間もかからないのだが、陽介の目指すところは、在来線沿線、しかも最寄り駅には各駅停車しか停まらないのだから、文句を言っても仕方がなかった。

 目的の駅に降り立った陽介がまず起こした行動は、噴き出す汗を拭うことだった。

 冷夏によるレタス等野菜類の不作実態調査という名目だけれど、とても冷夏とは思えないほど夏らしい日で、駅コンコースの寒暖計~なんだか懐かしいデザインのそれは、肩凝り筋肉痛によく効くらしい膏薬のキャッチコピーと商品名がレトロな字体で大書された木製の板に填め込まれたアナログ寒暖計だった~は午前10時前だというのに既に32度を超えている。

 中央本線、日野春駅。

 山梨県北杜ほくと市、昔は北巨摩郡日野春村と言ったそうだが、遠くに八ヶ岳を望む、山間の集落の駅である。

 1904年開業、中央本線開通当初からある駅で、近隣名所として日本の国蝶であるオオムラサキ生息地と北杜市オオムラサキセンター、武田信玄所縁の『信玄旗掛松』事件の石碑があることを、古びた改札前ロビーの地区掲示板の隣に置かれた観光案内で知った。

「それにしてもまあ、絵に描いたような、高原地帯の静かな駅だよなあ」

 思わず独り言をこぼしてしまう程に、一部木造、コンクリート造りの平屋の駅舎内には、キオスクのおばさんと世間話をしている中年の駅員しかいない。

 いや、キオスクと駅員が常駐しているということは、左程寂れている訳ではないのかも知れないと思い直した。

 それなら客待ちのタクシーがあるのだろうか、いやあってくれたら嬉しいと外の様子を伺うと、北杜市立福祉介護センターと書かれた模造紙を横腹にガムテープで貼り付けたマイクロバスが1台、まるで捨てられたように停車しているだけだった。

 夏の陽射しが、アスファルトをまるでスキー場のゲレンデかと見紛う程に真っ白に照らしていて、第1種軍装を着てきたことを陽介に後悔させていた。

「タクシーがないんじゃ、ここから件の農場まではどうやって行けばいいんだ? 」

 駅のある日野春村を始めとして北巨摩郡きたこまぐんの7町村を合併して出来たのが北杜市だ。

 陽介の目的地、件の農場は、その昔、明野村あけのむらと呼ばれていたらしい。

 そこまでは事前に掴んでいたのだが、交通機関までは気が回らなかった。

 もう少し下調べしておけばよかったと、思わず後悔した瞬間、背後から陽介は呼びかけられた。

「あんた、失礼だけども。雪ちゃんのお知り合いかね? 」

「雪、ちゃん? 」

 陽介が声の方を振り返ると、さっきまで世間話をしていた駅員がキオスクの女性に頷いて見せていた。

「ほうれ、言うた通りじゃろう? やっぱりUNDASNの軍人さんずら」

「ほんに。雪ちゃんと格好が違うから、どうじゃろかと思ったんだけども」

「あ、あの、すいません。雪ちゃんって……」

 陽介が二人に近寄ると、女性の方が店内から笑顔を見せて答えてくれた。

「違うんかの? 明野村の高崎農園」

「そ、そう! 高崎農園! それです! 」

 思いがけず、ピンポイントで求めていた答えが返ってきた。

 噛み付きそうな勢いの陽介に、二人は暫くの間、呆れたように口を開きっ放しにしていた。


 駅員が呼んでくれた南アルプス無線という会社のタクシーに乗って行き先を告げると、老年の運転手もアマンダのことを「雪ちゃん」と呼び、陽介が彼女の上官と判った途端、運転手は相好を崩して彼を『隊長さん』と呼んで、問わず語りで色々と話してくれた。

「いやしかし、隊長さんもご苦労さんですなあこんな山ン中に。けども高崎さんとこのひまわりもミクニーやっつけるのに役に立つんじゃねえまあ宇宙つうところは不思議なモンじゃ。ええ? ああ、山道じゃからスピードは出せんがええとこ半時間もすりゃあ見えてきますわい。ああ、ええとこですよそっからもう半時間ほど走りゃ乙女高原じゃし。ま、あっちへ行く観光客連中は大抵韮崎で降りますから私らうらも普段はそっちばかりじゃがなあ。しかし隊長さんもええ部下持ったもんさぁうらぁ雪ちゃんが防衛艦隊の軍人でぇしかも将校さんじゃと聞いた時にゃあまあ、軍人さんでこげな素直で優しゅうて明るうて人懐っこい別嬪がおるもんじゃのぅ言うてウチのばあさんや会社の連中と話したもんです。高崎さんもそりゃあエエ娘じゃ言うてベタ誉めじゃが、それがちぃとも大袈裟ではのうてのう。こんな田舎のどこが気に入ったか判らんが、地元おいつきの娘でもこうは働かんじゃろ言うほどで、ほんま嫁にでも来て住み着いて欲しいくらいじゃ。軍人さんじゃからそのうち前線へ出ることもあるじゃろけえ、そいつぁ無理かも知れんちうとったんですが、まあ隊長さんひとつ、よろしゅう頼みますで。なにせ戦争中じゃ、危険のねえ仕事もなかろうが、あの娘はまあ大切にしてやって下さいや」

 運転手の怒涛のアマンダ賛辞に対し、はあええまあそうですねえと口の中でもごもごと応えながら、陽介は四季の来訪、瑛花の電話と連続攻撃を受けた後のことを思い返していた。

 過去の調達実績を、『山梨』、『ひまわり』、『アマンダ』で検索すると、彼女達の言わんとする答えが、拍子抜けするほど簡単にAFLディスプレイに表示されたのだ。

 山梨県北杜市明野町~昔は明野村と言ったらしい、3世紀を経た今もその風景は『村』と呼ぶほうが相応しく思える~、高崎農園。

 国連食料農業機関FAOが、第一次ミクニー戦役開戦冒頭の地球爆撃によって壊滅寸前となってしまった食糧生産体系を速やかに復興させるべく、全世界的な統制経済、殊、食糧管理に重点を置いた所謂『モスクワ条約』により、遮二無二農業畜産漁業活動を大々的に指導監督し、第一次産業の工業化を武器に食糧増産に励んだ結果、生き残った地球人類35億人の『食い扶持』をカロリーベース、生産額ベース共に漸く確保したのが、今世紀前半、第一次戦役終了間際のことだ。

 第二次戦役勃発までの停戦期間である『ギャラクシー・ホリデイ』の間に、せめてUNDASNの将兵だけでも腹一杯食べて戦えるようにと、モスクワ条約の追加プロトコールに支援された統幕作戦部研究6課(後方間接支援戦略研究担当)の肝煎りで、調達実施本部計画局と科学本部農芸化学研究センターが全世界の民間農業施設に資金バックアップと技術支援を持って臨んだ『UNDASN糧食確保3ヵ年計画』、所謂『ギャラクシー・キッチン・プロジェクト』も今年で第二十五次計画を迎える。

 農業の企業化と工業化に並行して、更なる食糧増産、効率化を目的にスタートしたこのプロジェクトだが、2年前、第二十三次計画での実験農場公募に応募し、加工食品原料・福利厚生農芸部門で審査の結果採用されたのが、ひまわり栽培で15年の歴史を持つ高崎農園だった。

 アマンダは、その現地契約担当官として2年前、初めてここを訪問したことが記録されていた。

 確かに、太陽系内外陸上艦上を問わず、外向きのロビーや将官クラスの執務室には鉢植えや切花が飾られているし、いやなにもそんなパブリックなスペースに限定せずとも、余程の最前線でもない限り、PXで生花は手に入る。

 つまり生花はUNDASNの調達対象品目に入っている訳で、その担当はと言えばアマンダ率いる7係となるのだが、改めて調べてみると、やはり軍隊と観賞用生花が頭の中で上手く結び付かず、陽介は不思議の念に捉われた。

 いや、それよりも意外だったのは、ひまわりが特に加工食品原料として様々な方面で重要度の高い品目になっていることだった。

 四季のくれたヒントにあったように、植物性食用油としては多価不飽和脂肪酸が豊富で健康食品として人気が高いが、その種は無論ハムスターだけでなく、植物性たんぱく質の供給源として、未だに不足気味の大豆は本星内民需へ回し、専らUNDASNはこのひまわりに頼っているらしい。

 だがそれよりもUNDASN内での需要が一番大きいのは、代用コーヒーの加工原料としてだった。

 コーヒーと人類の関わりは紀元前エジプトのパピルスに記録が登場するほどに古く、その産地は北回帰線と南回帰線に挟まれた、通称『コーヒー・ベルト』と呼ばれる中緯度熱帯地域を中心とした約70ヵ国を中心に生産され、21世紀初頭には年間780万トンを生産、以降安定供給されていたが、これが前述の第一次ミクニー戦役の被害を受け、あっと言う間に半分以下の310万トンにまで落ち込んでしまった。直接生命維持に影響しない嗜好品だったことも災いし、今世紀中盤まで人類はコーヒー不足に泣くことになる。

 が、それを断固頑是無いと強硬にコーヒーを欲し求めたのは、誰でもないUNDASNだった。

 いつか陽介も言った通り、軍に入って極端に娯楽が制限されると、人々の思考は食欲へ向かうのは当然のことだ。

 まずは三食、続いて軍人達が好んだのはコーヒーだった。

 そこで代用コーヒーの登場となる。

 代用コーヒーの歴史は意外と古く、18世紀、プロイセンで、ビール産業の保護を目的に輸入超過気味だったコーヒー豆に高い関税をかけたことで、庶民が代用コーヒーでその欲求を慰めたことに始まるらしい。ビールとコーヒーが大のお気に入りのドイツらしい出来事だが、その後、南北戦争中の北米や、WWⅠ、WWⅡと戦争の影響でコーヒー豆の輸入が困難な時代には、その都度表舞台に登場してくる。

 日本でも日中戦争から太平洋戦争の最中、代用コーヒーが親しまれた時代があったとのことだ。

 今でこそ、100%代用コーヒーなどという代物はお目にかかれなくなってはいるが、実はUNDASN将兵が陸艦空、太陽系内外を問わず、昼夜浴びるほど飲んでいるコーヒーの約1/3が代用コーヒーなのである。

 UNDASNでのコーヒー年間消費量が、21世紀初頭の日本のコーヒー消費量とほぼ同じ35万トン、3500万人将兵が一人当たり年間10kgのコーヒーを消費している勘定になるが、このうち3kgに代用コーヒーが混ざっている訳だ。

 この3kgのうち、1kgがひまわり、後の2kgをぶどうの種、どんぐり、とうもろこし、チコリ等が占めている。

 高崎農園では、二十三次計画選考前からJA山梨を通じて若干量をUNDASNに納入していたが、2年前からはアジアセンター管轄ではNo.1のひまわり調達先となっていた。

”……確かに、武器弾薬だけで戦争できないってのも本当だよな”

 自分の認識の浅さ、狭さに今更ながら呆れる想いの陽介だったが、ここまでを調べ終えた彼は、迷うことなく志保に土曜日からの出張を告げていた。

 ただ、一抹の不安は、残っている。

 本当に、いるのか? 

 アマンダが。

 この、南アルプスの麓、息苦しくなる程の緑に包まれた高原の何処かに。

 これまでの彼女を、どう捻くり回して見ても、この風景とアマンダとが、陽介の頭の中で上手く繋がらない。

 アマンダと初めて出逢ったのが、見渡す限り黄土色の砂塵渦巻く平原だったから。

 それもあるだろう。

 けれど、そうじゃない。

 どれほどに戦闘だけでなく、事務仕事や営業活動を人一倍器用に熟そうとも。

 どれほどに料理はもちろん、裁縫や掃除洗濯、家庭的で魅力的なスキルを披露されようとも。

 アマンダのニヒルと呼んでも良い、淋しげで儚く思える、翳のある笑顔が。

 どことなく哀しみや孤独、不安と言った負の感情を湛えた様に見える、鋭い視線を飛ばしてくる瞳が。

 陽介の中で、息苦しくなるくらいの濃い緑に埋め尽くされた、抜けるような青い空に押さえ込まれたような、この大自然溢れる高原の風景に、アマンダを溶け込まさないのだ。

 無論、日野春駅の駅員やキオスクの女性、そして今もまだ喋り続けている運転手の口から零れた『雪ちゃん』という固有名詞から、多分自分の求める『彼女』もいるのだとは、思う。

 だが、どうしてもイメージが追いつかない。

 なにより普段は呼ばないけれど、彼女の持つ日本名、『雪野』という名前の持つイメージが、この夏の高原と合わないから、かも知れない~普段、雪野と呼ばずにアマンダと呼び習わすのは、きっとそんな固定化されたイメージを陽介自身が持っているからなのだろう~。

 根拠薄弱な、言ってしまえばそんな理由だけだったのだが、それでもやはり、陽介は不安を打ち消せずにいた。

 ただ、一点。

 陽介のそんな強固な思い込みを乗り越えるように~それはまるで、祈りにも似た~、彼女がここにいるのかも知れないと思わせる理由。

 それは、動物園で象を見つめて燥いでいたアマンダの、なんの翳りもない、きらきらと煌く瞳の、どうしても忘れられないその記憶だけが、陽介の行動の拠り所だった。

 あの瞳を持ったアマンダならば。

 この太陽の下、同じ瞳で笑っているかも知れない。

「ああ、あれが高崎農園の正面玄関さぁ」

 物思いに耽る陽介の意識を現実に引き戻したのは、運転手の声だった。

「ここが観光農園だった頃にゃあ、バスも通っておったんだがねぇ」

 彼の指差す方を見ると、確かに石造りの門が正面にあった。

 但し、その門柱に門扉はなく、左右には壁もフェンスも、1本のロープさえも見えない。

 ただ、2本の門柱だけがぽつねんと、濃緑の中で静かに立っていた。

「高崎さんの自宅を訪ねなさるんなら、この山の裏側さぁ。門からだと結構歩くことになるが、自宅玄関前ならもう10分ほど走れば着くんだが。隊長さん、どうなさるかね? 」

 陽介は無意識のうちに即答していた。

「いや。この門のところで結構です」


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