第80話 12-7.


「まさかマスコミが取り上げるとは……」

 掻き込む様に食事を終えた陽介とジャニス、ご注進に及んだ志保は、10分後場所をセンター長室に移して額を寄せ合っていた。

 陽介の机の上には、志保の持ち込んだ週刊誌。

 老舗の文芸系大手出版社が発刊しているもので、政治芸能のゴシップやらスキャンダルを中心に、時折、社会派ネタのスクープ記事を載せたりして、創刊以来一定の発行部数を維持している、らしい。

 ただのゴシップ誌なら放っておけ、で済むのかもしれない、何せ読者自体も然程記事について信頼している訳でもなく、話のネタになるかも程度でしか読みはしない。

 けれどこの週刊誌、出版元自体が社会的信用も高く、また記事の内容自体もセンシティブ且つセンセーショナルな内容で案外当たらずといえども遠からずなところをイヤな感じで突いてくる事も多々あり、この記事が元ネタとなって過去には政界汚職や政財界癒着、官僚不祥事や事件隠蔽工作などが暴露されて国会での与党攻撃の材料になったり、政治家や官僚の辞任騒ぎにまで発展したことも幾度となくあり、その意味では手強い媒体に掲載されてしまった、とは志保の弁だ。

「先日のパーティの席上での話し振りだと、街の噂か都市伝説っぽい感じだったのに……」

 志保の言葉に陽介は頷きながら席を立つ。

「記事によると、インターネット上では随分前から話題に上っていたようだな」

 出来上がったコーヒーを自分のマグと来客用カップ2杯に注ぎながら、陽介が溜息混じりに言った。

「俺は寡聞にしてまったく知らなかったが……、この手の情報に疎いのは、後方幕僚としては失格なんだろうなぁ、まったく」

「貴女、毎週このペーパーバック、買ってるの? 」

 興味深そうに訊ねるジャニスに、志保は憤然と言い返す。

「私はこんな低俗な雑誌、読みません! た、たまたま、通勤電車の車内広告の見出しが目に入ったから……」

 後半はモゴモゴと言い難そうに、志保の視線は机上の雑誌へ向く。

 雑誌名ロゴの下に赤外線撮影らしい粒子の粗いモノクロ写真、それでも明らかに被写体がUNDASNの女性士官と判る後姿の上、大きな活字で目玉記事の見出しが躍っている表紙。

『UNDASN売春伝説の裏のウラ~真偽と情報提供者の意図を探る~』

 ジャニスは雑誌を手に取り、一発で目的のページを開いた。

 志保がつけた開きグセのお陰だ。

「この写真、巧妙に個人を特定できないようなアングルのものが、見開き4ページに渡って4枚……。どれも売春とは無関係みたい。ほら、これなんか」

 表紙同様、赤外線撮影らしい解像度の低い写真ばかりだが、その中の1枚を指でトントン、と叩き言葉を続ける。

「この方、ラングレー駐日武官ですよ。後ろ姿のモノクロ写真でも、銀色の政務幕僚飾緒、あの綺麗な赤い髪は一目で判りますって。どれも男性と一緒のシーン、且つ場所の特定が出来ないってのも、却って何らかの意図を感じますよね……、あ、ありがとうございます」

「ありがとうございます」

 2人の前にコーヒーカップを置いて、陽介も自席に座りながら口を開く。

「8番の言うとおりだな。UNDASNの隊員は基本的に出退勤は制服着用だから、ランダムに、男性と一緒だった女性士官を隠し撮りしたと考えるのが普通だろうね」

「そう言えば、この記事の書き方も、なんか奥歯に物の挟まったような、巧妙な書き方ですものね」

 今度は志保が言葉を挟み、雑誌をクル、と自分の方に向ける。

「ええと……。あ、こことか。『……編集部に届いた写真自体が、どこまで信憑性のあるものなのか、例え合成ではないと証明できたにせよ、このシーンがそれぞれ売春行為の瞬間であることは証明し難いし、深読みすればこの写真を小社へ送りつけたその意図も、疑い出せば』」

 志保はペラ、とページを繰る。

「『キリがない。しかし、インターネットの巨大掲示板でスレッドが立つ事自体、売春行為、とは一概に言えないが、売春紛いの行為が行われている可能性が非常に高いのも、また確かである。』」

 志保はまなじりを上げて陽介を見、言葉を継いだ。

「これはUNDASNに怨みを抱く何者か、もしくはスキャンダル記事で貶す事で利益を得る何者かの仕組んだ、罠です。センター長、断固抗議し、記事の撤回と謝罪記事の掲載を出版社に対し求めるべきでは? 」

 ジャニスが笑顔を押し隠すような複雑な表情で志保に顔を向けた。

「でも志保、それはYSICわたしたちの仕事じゃないでしょう? どちらかと言うと駐日武官事務所の仕事だと思うけど」

「だけどウィーバー係長、ほら、この」

 やはり志保も、一発で目的のページを開いてみせた。

「記事だと、『目撃情報の殆どは横浜市内に集中している。ちなみに、横浜市内でUNDASN女性士官の姿が見られるのは、調達実施本部アジア調達情報センター横浜事務所、横浜人員募集センターの2箇所だけであり、特に前者はその職掌柄、女性士官が一般部隊に較べて多い』……。これって私達YSICの女性が、そんな眼で見られているって事を暗に指しているのよ? 」

 徐々にボルテージが上がる志保を押さえ込むように、陽介が口を挟んだ。

「まあ、待て、総務。コーヒーでも飲んで落ち着け」

「そうよ、志保。おいしいわよ、センター長手ずから淹れて下さったコーヒー」

 ジャニスの言葉に志保は少しだけ頬を染め、伸びていた背を少しだけ緩めてカップを持ち上げた。

「も、申し訳ありません、つい、興奮してしまいまして……」

「いや、いいんだ。それより8番、誉めてくれてありがとう」

「どういたしまして」

 陽介は少しだけ表情を緩め、自分のマグを持ち上げて言葉を継いだ。

「確かに、この記事に対して抗議するのは駐日武官事務所の仕事だし、それ以前に、この記事が明確な抗議対象となるかと言えば、俺は違うと思う。まあ、人の口に戸は立てられんの言葉通り、これは放置するしかないだろうな。もう発売されてしまっているんだし。それとも、この出版社の書籍を調達禁止品目に指定するか? それこそ、コンプライアンス違反だな」

 黙って頷く志保の悔しそうな表情を見ながら、陽介はズズ、とコーヒーをすする。

「それよりも、総務。君の方でYSIC全員に対して、もしもマスコミの追加取材とかの接触があった場合、取り敢えずこの記事に対するノーコメントを徹底するよう、俺の名前を使って総員に発信してくれ。人の噂は75日ともいうしな、ヘタに反応する方が損だ。取り敢えず、統括センター長には俺から一報入れて、方針は確認するが……」

 ジャニスと志保が頷いた瞬間を見計らったように、机上のインターフォンが鳴った。

「おう、向井だ」

『外線3番に、ラングレー駐日武官からお電話が入っております』

 ハンドセットオフでスピーカーから流れたその言葉に、三人は思わず顔を見合わせた。


 裏口警衛のハンク・ヒッカム二等陸曹が怪訝そうな表情で訊ねた。

「あの……、さっきから何をしてらっしゃるんです? どなたか、お見えになるので? 」

「あ、や、う、うん。ちょ、ちょっと、ね」

 志保は少し慌てた様子で愛想笑いを返し、再び裏口に面した道路の左右を見渡した。

 夕方顔を出すと連絡のあった、駐日武官を待っているのである。

 別に、陽介に出迎えるように言われた訳ではない。

 自主的に出迎えようと志保が思ったのは、昨年の着任以来、『マスコミの寵児』とも言えるほどの有名人~2年前、最初の着任時の『日本出身の美人日独クォーター』という見出しが色褪せるほど、2回目の着任では外交的政治的な実力を持つ人物であることが知れ渡っていた~が、単なる出先機関に過ぎないYSICを訪問することへの興味が勝っていたからだ。

 更に言えば、その用件がどうやら、今朝の『ゴシップ記事』問題に絡むらしいから。

 もっとも、陽介には単に『今日の夕方頃、時間が空くから顔を出す』との連絡だけで、用件まで伝えられた訳ではない。

 しかし、問題の週刊誌発売当日の訪問なのだ、気にするなという方が無理な相談であろう。

「来た? 」

 いきなり後ろから声をかけられ、志保は思わず悲鳴をあげそうになった。

 バクバクする胸を押さえて振り返ると、ジャニスがさっきまでの志保同様に、道路の左右をキョロキョロ見渡している。

 その背後ではハンクが『アンタもですか』と言うような、呆れた表情を浮かべていた。

「驚かせないでよ! ……まだだけど」

「来るとしたら車よね? 」

 ジャニスは、志保の抗議はスルー方向らしい。

「タクシーってこと? 」

「違うよ、志保」

 ジャニスはチッチッチッ、と指を振る。

 今朝から、彼女は志保を名前で呼ぶようになっていた。

 少しくすぐったい感じがしたが、なんとなく気分がいいもんだ、と志保は放置することにして、自分も名前で呼んでみた。

「どういうこと、ジャニス」

 ジャニスもまたくすぐったそうな笑みを一瞬浮かべ、けれどそれには触れずに答えた。

「駐日首席武官のポストは基本的に一佐配置、武官専用車があるのよ」

「ウチの統括センター長、二佐だけど車使ってるじゃない? 」

 志保は、自分のことを棚に上げても、どこからどう見たって軍人には見えない自分達の上官、瑛花を思い出しながら突っ込んだ。

「あれは傭車。それこそウチで調達したハイヤーの年間契約よ。そんなのと違って、武官専用車は特注防弾防爆仕様の軍用車、外交官ナンバー付きよ」

 ふーん、と志保は唇を尖がらせてから、徐にジャニスに問いかけた。

「ねえ、ジャニス。貴女、沢村一尉とは親しいのよ、ね? 」

「親しいって言っても、時間で言えば貴女と同じくらいの付き合いよ」

 ジャニスは左右に視線を配りながら答える。

「沢村さんって……、センター長とすごく親しいでしょう? 」

「うん。どっかの惑星の最前線でコンビを組んだとかどうとか、聞いたことがあるわ」

 戦友って訳ね、と口の中で呟く志保を、ジャニスはじっと見つめ、徐に尋ね返した。

「どうしたの、それが? 」

「え……。いや、うん……」

 志保は暫く口篭っていたが、やがて虚空を泳いでいた視線がある一点を捉えた。

「あ」

「ん? 」

 釣られてジャニスも、志保の視線を追い掛けた。

 馬車道に面した路地の入り口辺りで立ち止まって周囲を見回している、白いレースの日傘をさした女性の姿が見えた。

「なんか、似てるなって思ったんだけど……。でも、私服だし違うわ」

「待って、志保」

 ジャニスがそう言うと、向こうの女性もこちらに気付いたのか、ニコ、と微笑んでこちらに向かい歩き始めた。

「ラングレー武官じゃない? 」

「え? 」

「武官よ、絶対そう」

 高級そうな、白いサマースーツだ。

 ゆったりしたノンストレートスカート、胸元でV字に切れ込んでいるのは、よく見るとブラウスではなく、スリーピースのベスト。バックベルトのミドルヒールの白いパンプスが涼しげだ。

 私も欲しいな、と志保はぼんやり考える。

 だけど。

 確か武官は、ストロベリー・ブロンドのストレートヘアで、綺麗な翠の瞳だった。

 第一、軍人は傘を差さない筈、まあそれは制服着用時に限られるが。

 けれど今、ゆっくりとこちらへ近付いてくる飛び切りの美女は、白い上品なデザインの日傘を揺らしながら、綺麗な赤い髪を涼しげに後頭部で纏めていて。

「え? 赤い髪? 」

「え」

 思わず口に出して呟いた時には、件の女性は志保とジャニスの目の前で美しい微笑を浮かべていた。

「貴女達がいてくれたから、迷わずに済んだよ」

ネイティブかと思わせるような、美しい英語だった。

「あの……」

「まさか……」

 2人の言葉に目の前の美女は、翠色の瞳を細めて小首を傾げた。

「あれ、お出迎えじゃなかったのか」

 そう言うと、彼女は恥ずかしげに頬を染めてまあいいやと呟き、日傘を左手に持ち替え、空いた右手を差し出した。

「駐日武官のラングレーです。センター長にアポ入れといたんだ。可愛いお嬢さん方、こんにちは」

 軍人とは思えない薄い肩、華奢な白い首筋に纏わり付く紅茶色の髪が、夕陽に輝いた。

「2年振りの地球の夏は、やっぱり暑いね。私服時は日傘が手放せないや」


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