第72話 11-6.


 真っ先にロッカールームへ向かい、ドレスブルーからワーキングカーキへ着替え、数年ぶりに使ったCzをホルスターごと銃器ロッカーへ放り込む。

 久々に使ったけれど、今夜はとても、メンテナンスする気にはなれなかった。

 オフィスへ入ると、机の上にチョコレートやらポテトチップスやらミニドーナツやら、ジャンクフードを一杯に店開きして、オレンジジュースを片手にファッション雑誌を眺めているアグネスが視界に飛び込んできた。

「アグネス! おやつは500円までっつったろ! 」

「ぐはっ! 雪姉ちゃん! 」

 どこぞの国民的アニメのエンディングみたいに、ジャンクフードを喉に詰まらせて「んがぐぐ」とか言っているアグネスの横をすり抜け、自分の席について端末を立ち上げる。

「いいから座ってろ。当直ご苦労、当直先任ワッチ誰だっけ? 」

「え、えと、デミオ5班長ですけど、ついさっき、食堂へ行かれました。……つか、どうしたんですか? なにか緊急でも? 」

「んにゃ。ちょいと忘れモンだ」

 突然のアマンダの降臨に驚きながらも繰り出されたアグネスの問いを、サラリとかわしつつ、調達実施本部の承認ワークフローを立ち上げた。

 『休暇申請』のタイトルをクリック、休暇種別を『代休』にすると、過去の休日出勤実績と代休消化期限、代休取得可能日数が表示される。

 昨年一昨年と、1週間の夏期休暇を取得したのだが、今年は思い切って2週間で申請することにした。

 これだけ使っても代休は10日以上、有休と合わせると60日も『権利』が残っている。

 国連最古の専門機関である国際労働機関ILOのありがたい通達、『国連職員たるもの世界の労働者の範たるべし』との掛け声に、国連直轄のUNDASNとしても従わざるを得ず~法的には『特別職国際公務員』であるUNDASN将兵は従う必然性はないのだが~、実施部隊はともかく後方部隊はアピールのし易さも手伝って、軍でありながら、国際水準以上の労働環境が与えられることになった。

「……ま、実際はテキトーに実態を誤魔化してるだけだがな」

 きちんとしたシフトが組まれ、規則正しく交替勤務に就く下士官兵はともかく、士官ともなると、なかなかそうはいかない。

「仕方ねえわな、士官は常に定数割れだし」

 ポソリと呟いて、休暇期間を明日から2週間と入力し、『承認依頼』のボタンを押して画面を閉じた。

「次は……、と」

 休暇日は未定だったが、2年連続7月下旬から取得している夏期休暇を、今年も予定していることは前回の7係内ミーティングでもメンバーへ予告済みだし、7月から8月の『主要取引先』である各企業、各種団体、法人の営業カレンダーは事前に確認済みだ。

 それこそ、10年ほど前にILOが提唱した『ロング・ホリデー・パワーアップ・プロジェクト』に批准し、改正労基法を成立させた日本政府、厚労省の主導で、殊、民間企業は毎年2週間から3週間もの長期夏季休暇を取るようになっていた。

 だから、余程のことがない限り、大きなトラブルはないだろうし、あるとすればそれはUNDASN側の問題で、主に遠く離れた太陽系外の各戦線での戦況急変に伴う、緊急物資調達・輸送作戦の発令が考えられるくらいだ。

 それがもしもあったとしても、過去の経験では、系外最前線の状況変化から物動計画の見直しまでのタイム・ラグは1週間程度、まずは輸送本部の集積局の物資集積状況を確認、デポジットを打っている分でも不足だと判れば、続いて輸送計画の見直しが図られ、地球本星からの追加輸送が必要だと判明してから、初めてその影響は調達実施本部へ。

 それがニューヨークの本部から直接アジア管轄の末端窓口にまで『命令』という形で届くにはプラス3日。

 今も低い音量でオフィス内に流れている各軍管区戦闘概況の放送系通信を聞く限り、大きな作戦も実施されていないようだし、物動に響くほどの大規模な遭遇戦、突発戦も発生していない。    

 明日からの2週間は、ルーチン・ワークで終始するだろう。

 元々の物動計画自体が、何処の国の軍隊でも昔から呪縛のように受け継がれている『推進補給~必要なところに必要なものを、必要ないところにも同様に~』の概念に囚われているせいで、前線や前線近くの集積拠点では物資はだぶつき気味で、だから調達実施本部も早め多めで苦しい資金繰りに目を瞑って買い物係の役割に徹しているのだから。

 ここまでで、自分が取得する2週間の長期休暇により、部下や周辺に迷惑をかける心配が大してないであろうことが確認できた訳だ。

 だから、次にアマンダがしなければならないことは、自分の不在中における業務の引継ぎ資料の作成だった。

 別に、既に深夜と呼べるこの時間から、一から作成する必要はなかった。

 今月に入って、7月下旬から8月中旬までの任務遂行計画を下敷きにしてざっと作成した、7係各班への引継ぎ資料、作業指示書のベータ版が叩き台だ。

 まずはベータ版をざっくりと粗く作成した後、日々の作業進捗と状況変化に伴う内容の更新、及び新規事案の追加を、アマンダは今日まで、毎日退勤前に行っていたのだった。

 今日は勝負の日、と決めていたから、最新版は数時間前の退勤時の内容だし、明日から休むと決めたのはつい5分程前だ。

 少し予定は狂って、休暇期間を1週間延長してしまったものの、この程度なら影響範囲は狭いだろうから、内容の更新には30分も掛からないだろう。

 フォルダから引継ぎ資料を選択し、文書作成ソフトで開いて作業に取り掛かると、案の定20分もせずに完成と相成った。

 すぐさま、メーラーを起動し、デミオと陽介に資料を送る。

 ふぅっ、と一息ついて顔を上げると、丁度オフィスにデミオが戻ってきたところだった。

「あれ? どうされたんです、係長」

「おうデミオ、ご苦労。今お前に資料送ったとこだ。アタシ、明日から2週間、休む」

「え! 」

「んな、急に! 」

 デミオとアグネスの声が交錯する。

「送ったのは業務の引継ぎ資料と不在中の作業指示書、その他諸々だ。まあ、大したイベントもねえし、鬼の居ぬ間に命の洗濯でもしてな」

「そんな、自分で鬼って、雪姉ちゃん……」

 アグネスが呆れたように突っ込む。

 送信されたメールを慌てて開き、真剣な、少し焦った表情を浮かべながら内容を読んでいたデミオは、やがて苦笑を浮かべた。

「さすがです、係長。これくらい丁寧な引継ぎ資料があれば、留守中、問題ないとは思いますが……」

「だろ? ……まあ、二進も三進も行かなくなったら、携帯端末呼び出せ。別に日本にゃいるんだし、ケツ持ちくれえ、やってやっからよ」

 そう言うと、机の抽斗をあっちこっちと開きながら言葉を継いだ。

「アタシ、後30分ほどいるからよ。目ぇ通して、なんかあったら訊いてくれ」

「イエス、マム」

 話しているうちに目的のペーパーを見つけ、さっと内容に目を通した後、アマンダはペンを取り上げ、空白になっていた日付欄に遡って当月初日である7月1日と書き入れた。

 これもペーパーとセットで予め用意していた封筒に入れて封を閉じ、徐に立ち上がって言った。

「センター長室にいっから。なんかあったら呼べ」


 無人の部屋に入り、手に持っていた封筒を置こうとして、不意に思い立って陽介の椅子に座ってみた。

「明石がいたら『沢村係長! なにをしてるの、わきまえなさい! 』とかなんとかうるせえんだろうけど、アイツは今夜、陽介と一緒だもんな……」

 悔しいけど。

 仕方ないけど。

「けっ! ……ヤスモン臭え椅子だぜ」

 悪態をついてみても、悔しさは紛れない。

 短い吐息を零し、持ってきた封筒を机の真ん中に置いた。

 手許にあったメモ用紙を1枚やぶり、胸ポケットのボールペンを抜き取って、軽く突き出した唇でペンのグリップを暫くは弄んでいたアマンダだったが、やがてメモ用紙に向かってペンを走らせた。

 1枚書き損じて、2枚目で完成したメモを、もう一度読み直してみた。


『これを読む頃にはワークフローで回ってると思うけど、2週間の夏期休暇をお先に貰うことにした。引継ぎは5班長のデミオ。同じ引継ぎ書類と指示書を別便のメールでお前にも送ってる。急で悪いが、ケツ持ち頼む。それと封筒の中身は7月1日付の予備役願書と必要書類一式。別に自分から進んで、積極的に辞める気はないけど、色々とヤバそうな匂いもするし、万一、上から面倒臭い事言われたら有効活用してくれ。使い方はお前に任せる。』


 案外、簡潔に、上手く書けたかな、と見直して、思わず微笑が浮かんだ。

「ん。いいか」

 読み直す間、片手で書き損じを使って完成させた折鶴を重石代わりに、封筒の上へメモ用紙を載せた。

 顔を上げると、部屋のガラス越しに、自分の席が見える。

「……陽介から見えてたアタシって」

 どんな風に見えていたんだろう。

 口は悪い、態度は悪い、そりゃ仕事は一人前にはやってきたつもりだけれど、さぞかし、扱い難い部下だったことには違いない。

 だけど、それだって、徐々には変えてきたつもりだった。

 四季の言うとおり、一歩、一歩、坂道を登ってきた。

 四季に手を差し伸べられて、特務士官にだってなれた。

 士官になるってことが、よく判ってなかった、図体ばっかりでっかく育って中身は餓鬼のまんまだった自分に手を差し伸べて、責任を背負って任務を遂行する幹部になるということ、それらを判らせてくれたのは、間違いなく、四季と陽介だ。

 幹部になるということがどう言う事か、判ったからと言ってじゃあ具体的にどうすれば良いか、今度はそれが判らずに唯、右往左往するアタシに、大人になるということを教えてくれたのも、やっぱり、四季と陽介だ。

 そうなりたいと心より願い、自分なりに頑張って、挫けそうになる歩みを自ら励まし坂道を登ってきたのだ。

 その道程で、せめてもの心の支えにと『陽介に代わる宝物』を見つけ出し、胸に抱くことも出来た。

 そうだ。

 明日、アタシは。

 1年ぶりに、もうひとつの宝物に、『陽介に代わる宝物』に、逢いに行く。

 もうひとつの宝物を、この腕に、この胸に抱くことが出来る。

 それだって、四季の言う、坂道の頂に輝く星を掴もうと、夕闇から昼間の眩しい陽光を求めて登ってきた、その結果には違いない。

 勿論、それが陽介のいない空白を、けっして埋めることなんて出来ないだろうことは判っている。

 この半年、陽介に再会したその日から、そんなことは判り切っていたことだ。

 そしてまた、もうひとつの宝物と自分が思い定めた『あの子達』は、同様に自分だけを選んだ訳ではないのだ。

 陽介と同様。

 それでも、アタシは『あの子達』に逢いたいと願っているし、『あの子達』もまた、自分を拒絶することはない。

 それもまた、陽介と同様。

 そんな『あの子達』に、アタシは感謝さえしている。

 『こんなアタシを受け入れてくれて、ありがとう』と。

 そう。

 陽介は志保を選んだ~のかも、しれない~。

 だが、アタシを否定した訳ではないのだ。

 それならば。

 せめて、告げよう。

 『ありがとう』、と。

 冴えないオチだ、だらしのないオチには違いない。

 だけど、そんなだらしのなさは、案外とアタシに似合っていそうな気も、するではないか。

 いや。

 似合っている。

 だって。

 そうでも言わないと、アタシはこの先、アンタと一緒にいることすら、出来なくなってしまう。

 それこそ、今以上の高みに登り、掴めもしない星を希むのは無理なのかもしれない。

 だけど、それでも。

 それでも、小さく天頂で煌く星を、アタシは眺めていたいのだ。

 錯覚だったけれど、一瞬、『アタシにだって掴めるかもしれない』と、そう思わせてくれた眩しい煌きを、夕闇からでもいいから、しっかりと己の両足で立って、眺めながら生きていきたいのだ。

 それは、知りたくもなかった、幸せの記憶。

 知ってしまったが故に、一層、この先望めないことが哀しみに拍車をかける。

 けれど。

 今のアタシは、四季の言う通り、あの『静謐な地獄』から、四季の、陽介の手を借りながらも、這い上がってきたのだ。

 幸せを知らぬままの低空飛行のなだらかな不幸、一度でも知ってしまった幸せを、二度と手にすることのない、暗闇の底の不幸。

 だけど、同じ不幸には違いはないのかもしれないけれど、その暗闇の底は、昔の、餓鬼だったあの頃のブラックホールの様な『底無しの地獄』でないことだけは、確かなのだ。

 薄っすらとでも、煌く星が遠くに見える夕闇の中、一度は自分にも射し込んだ暖かな陽光の懐かしい記憶を抱いて生きてゆける、『煉獄』なのだ。

「どっちにしろ、だらしのねえオチには、違いねえけどな」

 自嘲するようにポソリと言って椅子から立ち上がる拍子に、回転した椅子のどこかが引っ掛かったのか、デスクの袖の抽斗が1段、5cm程開いた。

 なんだセキュリティがなってねえ抽斗の鍵くらい掛けとけ陽介のバカと口の中で毒づきながら、閉めようとして伸びた手が止まった。

 目にしてしまった。

 抽斗の中、溢れるほどの、折鶴の群れ。

「……なん、で? 」

 見慣れた筆跡で書かれたメモ用紙、コピーミスの裏紙、廃棄された資料、ガムの包み紙、何かの包装紙、ジャムったプリンタの連続用紙、一羽、一羽の鶴を見るだけで、全ての場面を鮮やかに思い浮かべることが出来る。

 この街で再会してから今日までの、短いけれど陽のあたる幸せな『場所』に、確かに自分が居た、証し。

「……なんで、こんなもん」

 ドサリ、と再び椅子に座り込み、アマンダは両手で顔を覆う。

 嘘だ。

 嘘っぱちだ。

 『ありがとう』なんて、それこそ本心を隠す、ていの良いカモフラージュだ。

 アタシ、哀しい。

 アタシ、悔しい。

 アタシ、諦めきれないよぉ。

 なんで陽介、こんなもの溜め込んでんだ、馬鹿野郎。

 馬鹿で餓鬼のアタシが、こんなもん見たら、諦められる訳、ねえだろうが。

 どうすりゃ、いいんだよ。

 アンタが好きで、アンタと1日でも長く一緒にいたくて、アンタを1秒でも長く傍で感じていたくて。

 そうだよ。

 恥ずかしくって、照れてテレて死んじまいたいくらい、それでも歯を食い縛り、唇を噛み破る程噛み締め、真っ赤な頬を見られまいと俯いて隠し、爆発するかと思うほど動悸が早まる心臓を胸の上から宥め押さえつけ、そんな自分が幸せで幸せで夢じゃねえだろうな現実だろうないや現実な訳がねえ夢ならチクショウ醒めるなと口の中で呪文のように唱え続けたこの長いような短いような半年を、今更アタシはなかったことになんか、出来ねえよ。

「うぅ……」

 しゃくりあげる声が洩れそうになり、慌てて口を掌で押さえた拍子に、陽介のくれたイヤリングが耳元で微かに音をたてた。

 陽介バカヤロー、こんな時までヒーローヅラかよと、可笑しくて笑ったつもりが、何故か子供みたいな嗚咽が洩れてしまい、だらしのない自分に死ねこのクソバカと呪いをかけた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る