第71話 11-5.
「ううん、男を押さえられなかったのは残念と言えば残念だったけど、仕方がないか。あんまり欲をかき過ぎるのも良くないのかもな」
結局、二人掛かりで脅して宥めて賺してと手を尽くした聴取にも~アマンダはもっと徹底的にやりたかったようだが~、健気にも何一つ口を割らなかったジェニファー・ウッド中尉を、米海軍第7艦隊司令部のある横須賀まで送り届けてその帰路、ステアリングをアマンダに任せて、四季はナビシートでぽつんと呟いた。
「これで明日、米州1課から国際部長名で
「いいのかよ、あんなヌルい締め上げで終わらせてよぉ」
シガーライターで煙草を吸い付けながら、アマンダが低い声で問い返す。
「足にでも一発撃ち込んでやりゃあ、いい声で歌い出したろうによ」
アマンダにしてみれば、今日までの数ヶ月間、苦労して追い詰めたターゲットを、こんな簡単にリリースするのは悔しいだろうし、納得し難いのだろう。
「いいんだ、そこまでしなくても。今回のミッションのミニマム条件、米軍への警告はクリアできた訳なんだから」
四季は苦笑を浮かべながら言葉を継いだ。
「彼女の口を割らせたって、例え男の方を押さえたって、それは巨大で凶暴な黒幕の末端でしかない。彼らは直ぐに別の手足を使い出すだろうし、ひょっとしたら今日の彼や彼女自身、ダミーかも知れない。重要なのは、我々が動いている、という事実。彼等に対して、UNDASNの表の窓口である私達がこれだけ動いてる、その事実を突き付ける事が重要なんだ。制服組の我々がこれだけ動いているのなら、それじゃあUNDASN非正規部隊はどれだけ活動して、どこまで手が伸びているのか? UNDASNが動いているのなら、日本政府の公安はどうなんだ? 在日米軍の黒幕だろうCIAにしたって、現在ホワイトハウスでは反主流の自分達が、主流派である
全面的に合衆国と対決するのは、国際部のボスである涼子にとっては然程難しいことではないだろうが、それでも、今は対決するには手元に残った手札は、少しばかり物足りない、と言うのが本音でもあった。
けれど今は、この程度の結果で満足しているしかないのだろうな。
そう考えながらも、心に残る妙な疲労感の原因は、主に個人的な後悔なんだろう、と四季はぼんやり思った。
アマンダは暫く無言のままだったが、やがてボソリ、と零す。
「お優しいこって」
そして、
「お優しいついでと言っちゃなんだけど。そのおっさんの手当ても、姐の方で頼めねえか? 」
「……誰? これ」
アマンダの説明を聞いて、四季は思わず笑ってしまった。
「あははっ、了解、了解。雪姉が道路に掘った穴三つ分と合わせて、菓子折り持ってご挨拶に伺うよ。『不出来な姉がご迷惑を掛けまして』って」
おどけた口調に乗ってこないアマンダに、四季は笑顔を消す。
「ねえ、雪姉。いったい、どうしたの? ……やっぱり、なにかあったんだろ? 」
さっきの追跡劇での、アマンダらしくないミスもそうだし、今現在、彼女が不服に思っているのは、男を押さえられなかったから、それだけではない筈だ。
ひょっとして彼女は、今回の作戦行動とは直接関係のないところで、なにかが。
アマンダはチラ、とルームミラーを通して四季を見ると、煙草を灰皿に捻じ込んだ。
「お察しの通りだ」
何時間待とうが返事を聞くぞ、と言わんばかりの四季の無言の圧力に負けて、アマンダは溜息混じりに言葉を投げた。
予想外だったのだろう、優しく、柔らかな口調で話し始めたことに、四季は驚いている様子だった。
「人間ってのはさ。自分に見合った高さ、ってのがあるんだよ、きっと。姐には姐の高さ、アタシにはアタシに似合いの高さ」
陽介には陽介の、志保には志保の。
多分、この2人はお互いに丁度良い高さなのだろう。
「無理して自分以上の高さに登ったって、落ち着かねえだけで良い事なんざこれっぽっちも、ねえ。……そんなもんだ」
「雪姉……」
「まあ、聞きなって」
アマンダは四季の言葉を堰き止める。
「期待ってのはだから、手の届く範囲に留めておくのが利口ってもんだ。届く筈のねえもん望んでも、足元がヤバくなって転がり落ちるのがオチだよ」
「だけどっ! 」
「折角、自分に合った居心地のいい高さにいるのに、欲を掻くと今夜のアタシみてえにドジを踏む。そりゃあ、登ればその分、居心地も良くなるんだろうけどよ。まあ、それも適当な幸せ胸に抱いてりゃあ御の字、くらいのつもりでいなきゃ」
オレンジ色の街灯に浮かんでは消える四季の整った横顔が、まるで初めて出逢った頃の彼女の面影にそっくりに見え、アマンダは本能的に危機感を覚えた。
今、四季に話すことを許してしまえば。
きっと、揺らぐ。
揺らいでしまう。
だって、四季は、これまでもずっと、ずっと、アマンダが掛けて欲しい言葉を、かけ続けてくれたから。
その優しい想いは本物で、だから聞いてしまうとその心地良さに自分はきっと。
揺らいでしまうだろうから。
四季の『攻撃』を防ぐには先制あるのみ、そう考えて言葉を継ごうとした刹那、彼女の柔らかなアルトが耳に届いた。
「ねえ、雪姉」
先制されたからには、せめて、出来る限り四季の顔を見ずにおこう、そう思う。
「確かに……。確かに、さ。高望みせず、現状維持で、本心隠して、毎日を遣り過ごすのって、さ? 確かに、寂しいけれど、楽だよね……。苦しむ必要もない、哀しむ必要もない、怒る必要だってないし、切なさに心震わせる必要だってない。ただ、諦めだけが支配する、低空飛行だけど、穏やかな人生……。だけど、さ? 」
言うな。
それ以上、言わないでくれ。
判ってる。
判ってんだよ、姐。
判った上で、それを無理矢理飲み下して、アタシぁ、澄ましたツラ作って言ってんだ。
「そんな、日々を支配している諦め……、って何? 一度は知ってしまった、幸せの記憶なんじゃないの? それをもう一度、その手で掴む為に、苦しみ、哀しみ、怒り、切なさに涙流して、それでも歯を食いしばって、雪姉はあの地獄から、一歩一歩、坂道を登ってきたんじゃないの? 」
ああ、そうだ。
そうだよ。
その通りだ。
だけど、アタシは躓いちまった。
ここは自分のいるべき場所じゃない、それを知ってしまったんだ。
アタシは所詮、闇の底がお似合いなんだ。
偶々、陽介が差し伸べてくれた手を掴んじまって、引き上げられて降り立った夕闇を、昼間と勘違いして浮かれちまって、結局、足を滑らせて元の谷底。
所詮は、そんなオチだったんだよ。
笑いたくても、笑えねえ。
だらしのねえ、オチだよ。
「雪姉と、向井君の間で、何があったのかは知らない」
「陽介は関係ねえっ! 」
車内に響き渡るアマンダの叫びは、しかし四季の言葉を止めることは出来なかった。
何故なら、今こうして、飲み込んでしまった毒を吐瀉する様に、苦しみながら自分を誤魔化す言葉だけを吐き続けようとするアマンダを、四季は見ていられなかったから。
そしてそんな彼女にしてしまった原因の一端は。
確実に、自分にあるのだろうから。
「でも、そんな本心に諦めを纏い、覆い隠して生きるのだって、それだけ向井君のことが好きだから」
パシンッ、と鋭い音が響いた。
アマンダの苦しげな、後悔の色が深く滲む表情。
そして、ルームミラーに映る、頬を押さえている自分の哀しげな表情。
どちらも平等に、オレンジ色の寒そうな灯りが、一定間隔で浮かび上がらせていく。
地雷をまともに踏み付けた。
そのお返しは想像以上に痛かったけれど。
それでも。
四季は、最後まで言わなければならないと思った。
だって。
だって、きっと。
アマンダの方が、何倍も、何倍も痛かった筈だから。
「何のために、雪姉は頑張ってここまで坂道登ってきたの? 何のために、あの熱砂の地獄から、ここまで坂道登ってきたの? 」
四季は、ゆっくりと手を伸ばし、シフトレバーに置かれたアマンダの左手~さっき、自分の頬をぶった手だ~に掌を重ねる。
「お願いだから、後生だから……。坂道登るの、やめないで。坂道の頂に輝く星を掴んで欲しいよ。……なかなか星は掴めないかも知れないけれど、少しづつでも近付いてるんだって。……そう、思おうよ、雪姉……」
アマンダは、シフトレバーに乗せた手を、静かに、四季の手を振り払うことのないように、ゆっくりと伸ばしハザードを点灯させる。
「雪姉……」
アマンダは黙ったままで、車を路肩に寄せて、静かに停車させた。
ふぅっ、と大きく吐息を落とすと、アマンダはゆっくりと四季の方を向き、ハザードから離した手を、彼女の柔らかそうな膝の上に置いた。
「悪かった、ごめん、痛かったろ? 姐……」
打って変った静かな声でそう言うと、アマンダはふわ、と四季を両手で抱き寄せた。
「……ゆ、き」
「アンタ、やっぱり変った奴だよ。でも、大好きだ。……ほんっと、悪かった。許してくれ」
「雪姉……! 」
抱き寄せられた四季の耳に、アマンダは息を吹きかけるように囁いた。
「……アンタの言葉、ありがたく受け取っとくよ。確かにあの日、ミハランの砂漠で、アタシは陽介に救われて、今の高さにいる。そして、陽介と離れ離れになったって、今日までなんとかやって来たんだ。それだけでも、届かねえ筈の高みを目指した価値はあったのかも、知れねえな……」
台詞の後半は、まるで自分自身に言い聞かせているような、噛み締めるような口調だった。
アマンダはゆっくりと四季の身体を離すと、微笑を浮かべた。
「もうちょい、姐の言ったこと、考えてみらあ」
そして徐にドアを開いた。
「雪姉……! 」
「YSICに到着だ。ちょいと野暮用があるんでアタシはオフィスに寄ってから帰る。姐、帰り道、判るよな? 」
思わずコクンと頷く四季に、アマンダは招き猫のようなラフな敬礼をして見せた。
「んじゃぁおやすみ、武官ドノ。ああ、今夜の件もオチがついたら、暇なときでも教えてくれや」
一方的に喋るだけ喋って車から遠ざかる背中をみつめる四季の翠の瞳から、ぽろ、と大粒の涙が零れた。
ぶたれて熱を持った頬に、その冷たさはとても、とても心地良く感じられて。
その皮肉な心地良さに、四季は再び涙を零した。
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