第69話 11-3.
「いいんですか、センター長」
エレベーターホールの前で、志保は背後のパーティ会場の方を気にしつつ、小声で尋ねた。
時計を見ると
パーティの終了予定時刻は
「ああ、いいんだよ。堅苦しい制服組がいると連中も楽しめないだろうしさ」
陽介は帽子を被り直しながら、サラッと言った。
「それに、あれ以上アルコールが入ると、君がもっと大変になるだろうしね」
陽介に悪戯っぽく笑いかけられて、志保は恥ずかしくなって思わず顔を伏せた。
パーティーが始まって名刺が足りなくなったのは、実は陽介ではなく、志保の方だった。
「いや、こんな美しい士官にお目にかかれるとは」
「なんというか、ただ、美しいだけでなく、凛々しいですなあ」
「さすがに、最近の若い女性社員達と違って、会話していて気持ちがいい」
「向井三佐、羨ましい限りです。沢村さんもお美しいが、明石さんも負けず劣らずで」
同じくらいの美人だったら、上品な方が良いに決まってるだろう、でもそれってセクハラですよ御社はコンプラ大丈夫ですかと、思わず文句を言いそうになった。
アマンダと較べられたのは不服だったが、普段、配置が配置だけに表舞台へ出ることのない志保にとっては、陽介が心配するほど大変さは感じられず、どちらかと言うと初めての体験でもあり、楽しんでさえいた。
が、陽介には見知らぬオヤジ達に取り囲まれた自分が、余程、
「そう言えば、随分酷い噂があるもんですね」
そのパーティーで、“エラいさん達”から振られた話題を思い出し、志保はその話を聞いた時の腹立ちもあって、陽介に話しかけた。
「ん? ああ、『UNDASN売春』の件か? 」
志保の振った話題に陽介は一瞬、不快そうに眉を顰めたが、すぐに苦笑を浮かべ、タイミング良く扉を開いたエレベーターに乗り込んでから、同乗者が居ないのを見計らって溜息混じりに言葉を継いだ。
「まあ、よくある都市伝説の類だろうけど……。それにしてはディティールが、こう、なんて言うのか」
「妙にリアル……、ですもんね」
志保達は、セミナー出席者で、かなりアルコールが入っていた、とある運送会社の取締役だと言う男からその噂を聞かされたのだ。
「怪しからん話ですなあ、まったく。我々地球人類の安全を、生命を盾に守ってくれているUNDASNの方々をネタに、しかも、あろうことか売春などと! まったくもって、噴飯モノです! 」
口調と態度は如何にも憤慨している様子ではあったが、チラチラと志保を舐めるように見ながら話す様子はどうなのと思ったけれど、その噂によると黒のダブルスーツを着ているらしいとか、黒髪の美人だとか、伊勢佐木周辺に出没するらしいとか、本心ではかなり興味津々な様子で、陽介は志保をそれとなく背中に隠しつつ、適当に話を合わせて切り上げたのだが。
陽介がお開き前に会場を出たのも、それが原因のひとつらしかった。
「却って具体的過ぎるところが、伝説の伝説たる
アハハと普段通りの明るい笑い声を上げる陽介に頷きつつも、志保は首を傾げる。
何をもって『割の合わない真似』と陽介が言っているのかは、いまいちよく判らなかったが、確かに周囲のUNDASNの女性を思い浮かべて、そのような行為をしそうな人物は思い当たらなかった。
とは言え、志保のUNDASN女性との交流範囲は、
ふむ。
だけど。
あの娘なら、やってるかも知れない。
ふと、ひとりの顔が浮かんだ。
”アマンダ……、沢村一尉”
なんとなく、ではある。
もしも誰かに『君の周囲で、一番可能性のある人物を選べ』と言われたら、ほんの少しの躊躇の果てに、渋々アマンダ、と答えるだろう。
なんとなく苦手だ、というのもある。
言葉遣いやオフィスでの態度が、とても同じ女性……、いや、『女性らしさ』に拘る訳ではないが、あそこまで粗雑で乱暴な人間など、フィクションの中のヤクザか不良くらいしか知らないし、いつだったか誰かから、UNDASNに入隊する前はホンモノの暴走族だったらしいと聞いた憶えもある。
そんな人物が何故、UNDASNを志願したのかは判らないが、暴走族時代に問題を起こし、逃れる術として切羽詰って志願したのだ、と言う噂すら耳にしたことがあった。
さすがに、それはいくらなんでも、とは、今では思っているが。
実際、アマンダは言葉遣いも悪いし態度も悪い、けれど仕事面だけを見るとYSICの中で、誰よりも遣り手だ。
別に乱暴や意地悪をされた訳ではないし、実際、部下や出入り業者からの評判も良い。
そんな彼女が、陽介の言うような『割の合わない真似』をするかと問われたら、確かに考え難い。
なるほど、センター長が仰るのはそう言う意味か。
それに、この思考は人としてそれこそ下衆だったし、何より彼女に申し訳なかったな。
うん、と志保がひとり頷いた途端に、陽介の声が彼女の意識を現実に引き戻した。
「イエッサ! ……あれ? 」
振り向くと陽介がいない。
「ああ、こっちだ、明石君」
声の方に顔を向けると、陽介は横浜大通り公園に面した正面玄関の方ではなく、裏通りに面した玄関の方で手を挙げていた。
「すまん、タバコの自販機がこっちにあるんだ。こっちから出ようや」
「イ、イエッサー」
駄目だ。
今日はなんでこんなにボンヤリしてるんだろう。
知らないうちに、余程舞い上がっているらしい。
胸の内で自分を叱りつけ、志保は陽介がさっき潜り抜けて行った自動ドアに向かって急ぎ足で歩いていった。
アマンダは、チラリと背後のホテル玄関に視線を飛ばした。
ホテルの中から客が出てくることだけが心配だったが、今日の客の入りを考えると、そのリスクも低い。
と、なると、だ。
この『カップル』が、一体どこまで二人連れで歩くのか。
そして、もしも別れて歩き出した場合、どちらを追うべきか。
アマンダは迷っていた。
頼みの綱は、応援に出向くと言ってくれた四季だが、予定通りだとすると彼女が現着するまで後30分近くある。
「クソッ……」
歯噛みした瞬間、ターゲットが視界に現れた。
こちら側に長身細身の男、頭ひとつほど低い女性の方は、アマンダの位置からは影になって見えない。
思わず『人質』に突き付けたCzのトリガーに掛かる指に力が入る。
もちろん、セイフティはオンにしたままなのだが。
思いの外緊張していたのだろう、間口2mほどの狭いラブホの入り口を二人が通り過ぎるのに、5分程も掛かったか、と感じられるくらい、時間が経つのが遅く感じられた。
ターゲットが再び壁の向こうに姿を消してからきっちり五つ数えて、アマンダは盾にしているサラリーマンの頭越しに、ゆっくりと片目だけ出す。
「ミラー、持って来るんだった」
UNDASNの陸上部隊は、基本的に野戦軍であり、インドア・アタックなんて、系外惑星の野外戦闘では経験することは滅多になかったが、少ない私物をひっくり返せば、訓練時に配られたミラーがある筈だった。
そんなことを考えつつ、ターゲットが歩み去った方を覗き見ると、既に10m程向こうを並んで歩く後姿が街灯にぼんやり浮かんでいた。
もう少し離れたら後を追うつもりでサラリーマンの腕の拘束を少しだけ緩めた瞬間、右耳に入れたイヤホンがピピッ、と鳴った。
『雪姉、鏡原。
アマンダは喉元につけた骨振動マイクが辛うじて拾うであろう無声音で応答する。
「
『場所は? 』
「蓬莱町プリンス別館をブルズアイとして、その裏道を12時方向へゆっくり徒歩で移動中」
『挟撃できるな。そのまま車で裏道へ入る』
「姐、プライオリティは? 」
アマンダの問いに一瞬、間が空く。
『第一優先、男女共。次点、女』
『
会話を交わすうち、ターゲットは20m程も離れ、次の路地を越えて未だ直進している。
ますます緊張感は高まる。
まるで、潜んだタコツボの前を、ミースケの機甲師団が通過してるみたいにも思えた。
嫌な記憶に顔を顰めながら、アマンダはサラリーマンからゆっくりCzのマズルを離し、背後から囁きかけた。
「……いいか、おっさん? 何があっても絶対喋るな」
ガクガクと首を振るのを確認し、キめた関節はそのままで、アマンダはCzを男の背中に改めて突き付け、ゆっくりと路地へ押し出した。
ターゲットが幾つか目の街灯の下を歩き過ぎる姿から目を離さないまま、アマンダは男の手を解放した。
「ゆっくりこっち向け」
文字通りゆっくり振り向く男の禿げ上がった額は、通り雨に降られたかのように汗でびしょ濡れになっており、暗がりでも判るほど顔色が白い。
途端に、アマンダの胸に罪悪感が浮かび上がった。
”……悪ぃことしちまったな。後で、姐に言って外交特権とやらを使って、ご丁重に詫びでも入れといてもらうか”
ドレスブルーの上着で隠した銃を巨大な腹に突き付け、相変わらず視線はターゲットに固定したままで、アマンダは言葉を継いだ。
「名刺、出せ」
「へ? 」
「喋んじゃねえっ! 」
男の掠れた声を、低く激しい言葉で押さえつける。
彼は慌てた様子で背広の内ポケットから草臥れた皮の財布を抜き取り、名刺を出した。
余程の恐怖を感じているのだろう、震える指は見なかった事にして、アマンダは心を鬼にする。
「いいか。お前は真っ直ぐこのまま、この道を関内駅の方へ走れ。振り返るな。立ち止まるな。逆らったら、お前の脳味噌がカラスどもの餌になるぜ? 駅についても、マッポなんぞに駆け込もうとは思わねえこった。アタシはこの後すぐフケる。そしてアンタの身許は」
アマンダはピ、と名刺を男の手から抜き取って自分のブレザーのポケットに入れる。
「アタシん手の中だ。悪いこたぁ言わねえ、今日のことは忘れるこった」
首が取れるのではと危惧する程に、激しく首を縦に振る中年サラリーマンの汗が顔に飛び散るのに閉口して、アマンダは半歩身体をずらして彼の正面を空ける。
「ほれ、とっとと行け! 」
男はアマンダに言われた通り、ドタドタと走り始めた。
体つきからは想像できないほど早いスピードで、あっと言う間にラブホテル街の奥の闇に消えて行った。
「……すまねえ、きちんと詫びはいれっから、よ」
今後、この経験に懲りて、イケナイ遊びには手を出さないようになってくれたら、結果オーライだろう。
左手で男の消えた方を拝んで、アマンダは反対側を振り向いた。
ターゲットの影が100m程離れた街灯にちらりと浮かんだのを見て、アマンダは追跡しようと脚を一歩踏み出した。
と、その瞬間。
聞き慣れた声が、耳に届いた。
「……アマンダ? 」
身体が、脳が、痺れた。
毎日、どんな時も求めてやまなかった声。
耳にするだけで、幸せを与えてくれる声。
今、この状況で、一番聞きたくなかった声。
信じられなかった。
まさか、と思った。
しかし、万が一にもその声だけは、聞き間違えない、そんな絶対の自信があった。
振り向くまいと言う想いに反して、ゆっくりと首が動く。
まるでギギギ、と音が鳴りそうなくらい、首の動きに心が軋んだ。
霞む視界の向こうに、陽介が、いた。
逆光だったが、すぐに彼と判るのが、悲しかった。
隣に立って、彼に腕を絡めている背の低いシルエットが志保だと判った刹那、あぁ、やっぱりな、と呟く自分がいた。
自分を可哀相だと思ったのは、2度目だな。
ふたりをぼんやりみつめながら、そんなことを考えていた。
慌てて走り出た自動扉の向こう、志保は何かにボソ、と顔から突っ込んだ。
「……センター長? 」
陽介の背中だった。
ああ、今日はもうほんとに格好悪いところばっかり、なにやってんのよ私しっかりしなさいと自分を叱咤していた志保は、彼の様子がおかしいのに気付いた。
煙草を買うと言っていたのに、何故、こんなドアを出た直ぐの場所で立ち止まっているのだろう。
横に並んで顔を見上げると、呆然とした表情で、真っ直ぐ前方を見ている。
いや、凝視していると表現した方が良いだろう。
何事か、何を見ているのかと訊くに訊けず、志保は彼の視線を追って薄暗い道の向こうを見た。
向かいのラブホテルの玄関から出てきたと思しきカップルが、互いに顔を向け合って立っている姿が目に入った。
「……あ、れ? 」
男は見覚えのない、禿げ上がった冴えない中年サラリーマンだが、女性の方は見覚えのある服を着ている。
ええと。
あれって、
自信がなくなって、自分の着ている服を見て、再び顔を上げる。
こちら側から見える彼女の右肩には、自分と同じ朱色の幕僚飾緒。
と言うことは、本部詰めの一尉以上だ。
そう言えば、あのボリュームのあるウェーブヘアにも見覚えがあった。
あんなに豊かな髪で、手入れも大変だろうに、いつだって艶々と綺麗な髪なのよね、羨ましいわ、それになんだかいい香りがするんだ、どんなシャンプー使ってるのかしら、あの娘。
……あの娘?
うん、そうだ。
そう、私は知っている。
あの、ラブホテルの前で男と向かい合っているドレスブルーの彼女を、私は知っている。
「あ……」
思わず声が出た刹那、カップルはそれに気付くこともなく、男はゆっくりと内ポケットから財布を出して、中から抜いた何かを~財布から出したのだ、日銀券に決まっている~を女に渡した。
突然、ついさっき、エレベーター内で陽介と交わした会話や思考の流れが脳裏に甦った。
『黒髪の』
『伊勢佐木界隈で夜な夜な』
『金ボタンのダブルのスーツを着た』
『凄い美人』
『UNDASN』
『売春』
『あの娘ならやってるかも』
『向井三佐が、唯一名前で呼ぶ』
『昔の相棒』
『それ以上のなにかがありそうな、涙の再会』
『私の苦手な』
あの娘だ。
刹那、隣の陽介が苦しげな声で、さっきから志保の喉元で詰まっていた正解を吐き出した。
「アマンダ……? 」
立ち去った男とは反対側へ歩きかけていた彼女は、ピタリと立ち止まり、ゆっくりとこちらを見た。
刺す様な視線に、志保は思わず隠れる様に陽介の腕にしがみついてしまった。
陽介がフラリと一歩、足を前に踏み出すと、アマンダはふいっ、と顔を逸らし、
「あ! 」
思わず上げた志保の声に押されるように、陽介が足早に路地へ向かう。
腕にしがみついていた志保もつられて路地へ出、アマンダが消えた方を見やると、既に彼女の姿は闇に呑まれて見えなくなっていた。
2人とも、無言のままアマンダを飲み込んだ夜の闇を暫く見つめて、立ち竦むばかりだった。
随分時間が経過したように思えたが、ひょっとすると1分も経っていないかもしれない。
呆然と立ち尽くす志保の耳に、意外な言葉が響いた。
「……帰るか」
「え? 」
驚いて隣の陽介を見ると、彼は平板な声に比して苦虫を噛み潰したような表情~赴任以来、彼のそんな顔を見るのは初めてだった~を闇の中に浮き上がらせ、くるりとアマンダの走り去った方向に背を向けた。
「え! ……え、や、で、でも」
「いいんだ! 」
陽介は低く、しかし叫ぶように、まるで志保ではなく自分に言い聞かせるように、そう言うと、ゆっくりと駅の方に向かって歩き始めた。
志保は、後ろ髪をひかれながらも、已む無く陽介の後を小走りに追う。
追いついて隣に並ぶと、陽介は弱々しい笑顔を浮かべて、志保を見た。
「すまなかったな、明石君。怒鳴ったりして」
とんでもないですの一言が言えず、俯いて首を横に振る志保に、陽介は何事もなかったかのように言葉を継いだ。
「大通りに出て、タクシーを拾おう。君、自宅は? 」
「あ、えと、篠原町、新横浜の……」
「俺は山手駅、竹之丸の方だから、反対だな」
言い捨てて、足早に大通りに出た陽介は、走ってきた空車を停めて志保をリアシートに乗せると、彼はやっぱり何事もなかったかのように「おやすみ」と言って微笑んだ。
「あのっ! 」
その普段通りの陽介の笑顔が、志保には何故か痛々しく感じられて、閉まろうとするドアを手で止めて大声で叫ぶ。
「……どうしたんだ? 」
問い返されて初めて、言うべき言葉を持っていないことに気付き、志保は口篭ってしまう。
いや、言いたいことなんて、山ほどあるのだ。
名前を呼んでもらえて、嬉しかった。
パーティに誘ってくれて、楽しかった。
酔っ払い親父の包囲網から助けてくれた時、カッコよかった。
いつもそうして貰ってるだろう、沢村さんが憎かった。
貴方の前でだけ饒舌で笑顔まで見せる沢村さんに腹が立った。
沢村さんが目障りだった。
沢村さんと親しいセンター長に、イライラしてた。
言える筈はなかった。
彼の寒々とした心が見える、『普段通りの笑顔』を目の当たりにして。
「……あの、私、さっきのこと、言いません。誰にも」
陽介は一瞬微笑を消し、悲しげな表情を浮かべて掠れる声で答えた。
「……俺は、何も君に要求しない。君が、思うとおりに行動してくれて構わない。君が何をしようと、俺は何とも思わない」
「だけど……」
「そして俺は」
志保の言葉を遮って、陽介は再び微笑んだ。
「少なくとも俺は……。俺は、何もしないつもりだ」
「なかったことにする……、とでも? 」
思わず問い返す志保に、陽介は首を微かに横に振る。
「そう出来るのならば、人生楽だろうけど、ね……」
まるで独り言のように呟くと、陽介はタクシーのドアを閉めた。
走り出したタクシーの中、リアウィンドウ越しに振り返ると、ゆっくりと後続のタクシーに手を上げる陽介の背中が見えた。
人込みの中でも目立つ制服姿の彼は、しかし、見え続けている間、一度もこちらに顔を向けてはくれなかった。
何故だか、負けたような気がして、涙が滲んだ。
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