第68話 11-2.


「さて、しかし……」

 アマンダは右手首を返してG-SHOCKに視線を落とした。

 蓬莱町プリンスホテル別館裏、ソフトドリンク自販機とラブホテル『小熊の幼稚園』入り口の壁際に、丁度身を隠せるスポットを見つけて張り込みを始めてから、既に2時間が経過している。

2100時フタヒトマルマル……」

 ここからが勝負だ、とアマンダは視線を表通りである横浜大通り公園からこの裏道へ抜けてくる十字路に視線を据えた。

 ターゲットの米海軍の軍人(仮)が、第七艦隊司令部のある横須賀からJRでここへ来るとしたら、関内駅から歩いて進行してくるだろうと当たりをつけて。

 これまで集めた情報からすると、水曜日の2100時フタヒトマルマル以降、このラブホテル街に出没する筈なのだ、ターゲットは。

 今日を勝負の日と勝手に決めて、アマンダは準備万端整えて1900時ヒトキューマルマルには、このポイントにエントリしていた。

「アテンション! センター長、外出されます! 」

 志保の号令響く中、陽介が直帰予定で外出先へ出掛けて行ったのが1725時ヒトナナフタゴー

 1800時ヒトハチマルマルにはアマンダも退勤し、最近漸く独りでも入れるようになったファストフード店でハンバーガーを3つ、ウーロン茶Sサイズで流し込むようにして腹ごしらえを終えてきた。

 店を出たところで四季の携帯端末に連絡を入れ、今日辺り引っ掛かりそうだと告げると、2200時フタフタマルマルくらいならそっちへ行けると言うので、ブルズアイ7時方向0350~伊勢佐木長者町の交差点のことだ、アマンダの立つポイントからラブホテル街を見張る上での唯一の死角がこの交差点だったのだ~で張るように頼んでおいた。

 これまでの情報収集活動と違い、久々の『定点監視』だから第2乙ワーキング・カーキじゃマズいかと、今日は第1種軍装、ドレスブルーでオフィスを出たし~部下達からはどうしたのか煩く問われた~、念のためにとヒップアップホルスターには、本星へ戻ってから久し振りに手にする愛銃Czを突っ込んでいる~暫くぶりのガンオイルの匂いは、妙に気持ちを騒めかせた~。

「……なのに、なんで現れねえんだ、クソアマめ」

 吐き捨てるように呟き、左手の缶コーヒーを一口啜る。

 予想以上の甘さのお陰で、175ml缶1本を2時間でまだ飲み干せていない。

 コーヒーに砂糖は入れないが、フレッシュは入れたいアマンダが、ブラックか微糖か悩んだ挙句、微糖を選んだ結果だった。

 週の中日だからなのか、結構な数のカップルが目の前を通ったが、『小熊の幼稚園』に入ったカップルは皆無で、営業妨害だよなあやっぱりと、少しだけ申し訳なく思った。

 クソッタレ、小熊の幼稚園以外のラブホテルは、見える範囲は『満室』の表示が結構目立ち、アタシの前を通り過ぎた連中め今頃くんずほぐれつの肉弾戦を展開中かよ馬鹿にしやがってと腹が立つ……、というより妙に頬が熱くなった。

 落ち着けオチツケ、別になんてことはねえ、そうだよあれはワカン=マッツだったかニシコンだったか、何処の戦線フロントかは忘れたが、総攻撃の前夜、タバコでも吸うかとテントを出て散歩していて、アタック・キャンプのドラム缶の影でエッチラオッチラと励んでいた奴らを見たことだってあるじゃねえか、そうそうこれくらい大したことはねえんだええっとあれはどこのフロントだったっけか? 

 思い出そうとして瞼を閉じると浮かぶのは重なる男女のシルエット。

 ボヤけていたフォーカスがジワジワと焦点を結ぶと、その2人は自分と陽介に変っていて、思わず「うわ! 」と声が出るほど驚いた。

 ありえない。

 アタシが、陽介に、ハダカを曝け出すなんて。

 や、陽介は、アイツは頭に馬鹿がつくほど優しい奴だから、アタシが趣味じゃなかったとしても、そうそう露骨に嫌な顔はしないだろう。

 だけど、その。

 ええと。

 男として、……つうかさ? 

 その、ソソるかどうかは、別モン……、だろ? 

 きっと、萎えるんじゃねえかな。

 うん。

 だから、望んじゃいけない。

 そう。

 とっくに決めてたことじゃないか。

「……あ」

 我知らぬうちに潤み始めた視界に気付き、アマンダは拳で目元を拭いながら、小声でFuckと呟いた。


「センター長! 」

 横浜市商工会議所主催、『戦時経済下における企業収益構造を考える』セミナーはたった今終わったようで、セミナー会場よりワンフロア下の大宴会場に足を運んだ志保は、そこで漸く目的の人物の姿を見つけることが出来た。

「ああ、総務。すまんな」

 パーティは未だ始まっていない様で、正面ステージのスタンドマイクの前では司会者らしきタキシード姿の男性がなにやらホテルの従業員と話をしており、会場は雑然とした雰囲気だ。

「ご依頼のもの、お持ちいたしました」

 オフィスの中でさえ照れるのに、見知らぬ人々が注視する中での敬礼は結構キツいな、などと考えていると、陽介はそんな志保の苦労を知ってか知らずか、普段通りの笑顔で答礼してくれた。

「名刺入れの中を覗いた時は、ヒヤヒヤしたよ」

 陽介が会場へ出発してから1時間後、アマンダがなにやら血相変えて、しかも珍しくドレスブルーを身に纏って退勤していく姿を、珍しいこともあるもんだと思いながら見送って、再び書類に目を落としていた志保に、部下が呼び掛けた。

「係長、センター長から外線です」

「え? 向井三佐から? 」

 振り返った志保に、部下は受話器を差し出しながら言った。

「7係長は15分ほど前に帰られましたとお答えしたら、明石君を、と」

 アマンダの代役というのが面白くなかったが、それでも『総務』と呼ばず苗字を呼んでくれたらしいことで許してやることにし、受話器を受け取った。

「代わりました、明石一尉です。お疲れ様です」

 会場へ入って商工会議所スタッフや他のパネラーと名刺交換をし始めて、ケースの中に20枚程しか入ってないのに気付いて慌てちまったんだ、と陽介は笑いながら言った。

「普段ならこれで充分なんだろうけど、今夜はセミナーの後、交流パーティがあるからね。結構枚数が要るかと思って」

「それでは、会場までお持ちすればよろしいですか? 会場はええと、確か」

「蓬莱町プリンスホテル別館。頼めるかい? 退勤時間だし、なにか用でもあるのなら……」

 遠慮する陽介の言葉に押し被せるように、大丈夫ですどうせ暇な独り暮らしですから今から自分がお持ちいたしますと答えて電話を切り、パーティが始まる2000時フタマルマルマルに間に合えば良いからと言う陽介の言葉に甘えて念入りに化粧を直した後、秘書の嗜みで己の机の抽斗に入れてあった陽介の予備の名刺100枚入り1箱を持ってオフィスを出、表通りでタクシーを捕まえた。

 陽介が名刺を箱から出して名刺入れへ移し変えている間に、これまでの経緯をぼんやりと思い返していた志保だったが、陽介の声で我に帰った。

「あ、申し訳ありません。何か仰いましたか? 」

「珍しいな、君がぼんやりしてるなんて」

 陽介は笑いながらそう言うと、言葉を継いだ。

「良かったら、君もどうだい? パーティに参加していけば」

「え? わた……、自分がですか? 」

 思いがけぬ陽介の誘いに、志保は間抜けな声を出してしまう。

「うん。大きな声じゃ言えないけど、どうせ社長や会長、理事参事なんておエライさんばっかりの相手だろ? 退屈に決まってる。知った人がいてくれるだけで助かる」

「でも、私みたいなのが……、お邪魔じゃないですか? 」

 探るような視線と口調になってしまった自分が嫌になったけれど、陽介はそんなことに気を取られる事もなく真顔で答えてくれた。

「とんでもない。いや、もちろん用事があれば別だけど」 

「ないない、用事なんて! ……あ、いえ、す、すいません」

 思わず普段の『娑婆っ気たっぷり』な口調が出たのに気付いて顔を赤らめる志保に、陽介はアハハハと明るく笑って流してくれた。

「じゃあ頼むよ、明石君」

「アイアイサー! 」

 初めて陽介に職名ではなく名前で呼ばれたことが嬉しくて、志保は思わずにっこりと微笑む。

”今夜は、何か良い事ありそうな……。化粧直しして来て正解だったわ! ……なんちゃって! ”

 その予感は、数時間後、的中した。

 半分くらいだが。

 結果からすれば、良い事ではなかったし、化粧直しなど必要なくて、そしてそれ以前に志保の想像~希望、と言ったほうが良いか~とは、かなり違う『なにか』ではあったが。


「やべ……」

 現着と同時に、蓬莱町プリンス別館のロビーに飛び込みトイレは済ませたし、その後は出来るだけ水分補給を抑えようと缶コーヒー1本でチビチビ騙してきたつもりだったが、ついさっき、最後のひとくちを飲み干した途端、下腹部に違和感を覚えた。

「ヤワな身体になっちまったもんだ」

 レンジャー時代は、可能な限り配置を離れず目立つような動きはするなかれと教育され訓練されてきたし、実際最前線に出てから、特に狙撃徽章を取ってからはスナイパーやマークスマンを任されたこともあり、尿毒症寸前まで辛抱を強いられることも珍しいことではなかったのだ。

2120時フタヒトフタマル……」

 すぐ目の前が蓬莱町プリンス別館の裏口、5分もあれば往復できる。

「しゃあねえ、行くなら今のうちか」

 呟いて、定位置を離れて5m程の道路を横切ろうと歩き始めた瞬間、背後から声を掛けられた。

「おーっ! 今日は2人で商売か、こりゃツいてる! 」

 ピンと来た。

 ゆっくりと声の方を振り向くと、身長はアマンダと同じくらいだが横幅は倍ほどもある、やけに体格のいい、所謂いわゆる柔道体型の額が禿げ上がった中年サラリーマンが、笑顔で立っていた。

「おまけにこいつはベッピンさんだねぇ、さっきのネエちゃんよりもいいや」

 多少呂律は回っていないが、然程酔っているようにも思えない。

 いや、それよりもさっき感じた直感は、ますます強くなってくる。

 アマンダは急ぎ足で男に近寄り、その勢いに驚いたのか一歩後退さろうとしたところを逃がすまいと腕を掴んだ。

「おっさん。『さっきのネエちゃん』ってのは? どんなアマだ? どこにいた? いつ見たんだ? 」

「ちょ、ちょっ! 」

 男はアマンダの迫力に一気に酔いが醒めたのか、笑顔を消して焦った口調で言った。

「そ、そんないっぺんにき、訊かれても」

「じゃあ順番に思い出すんだ、そいつはどんな服着てた? 」

 不思議なことを訊くもんだというような表情で、男はアマンダを指差す。

「あんたと同ンじ格好だよ。んんと……、この赤い飾り紐はなかったっけかな? 」

 本部幕僚の証、朱色の幕僚飾緒のことだろう、米海軍は礼装以外で飾緒をつけない。

「外人か? 髪の色は? 肌は? 」

「茶……、いや、黒っぽかったかな? 顔立ちは白人に見えたけど」

 ビンゴだ。

「で? いつ、どこで見たんだ? 」

「ついさっきだよ、ええと、10分ほど前に」

 男はもともと人懐こいたちなのだろう、再び笑顔を浮かべて自分が歩いてきた方に向かって指を伸ばした。

「これ、真っ直ぐ関内駅ん方へ歩いて行ったら、病院の裏口に出るの、知らね? 」

 横浜ふれあい病院だ。

 時計を見ると2123時フタヒトフタサン、四季はたぶんまだ到着していないだろう、四季に頼んだ位置なら、見つけられるエリアの筈だった。

「病院の裏口にあるコンビニの角のところで、さ。前から噂は聞いてたからラッキー、コイツがそうかって思ったんだけど、生憎あいにく、なんだか気取ったスーツの男が一足早く話しかけてさあ。仕方ねえって諦めたんだけど……」

 何故か嬉しそうな口調でそう説明した男が、何気なく背後を振り向いた。

「おっ? 連中、交渉成立したようだな」

「! 」

 アマンダがそちらを見ると、ドレスブルーを着たブルネットの白人女性士官が、スーツ姿でサングラスをした背の高い痩せた男と腕を組み、こちらに歩いてくるのが目に飛び込んできた。

 拙い、このままでは道の真ん中でバッタリ、ご対面だ。

 アマンダは咄嗟に、男を盾にするように身体をずらし、囁いた。

「おい、相手してやる。黙ってついて来い」

「ほっ、ほんとかよ、ラッキー! 」

 アマンダは男の腕に自分の腕を絡め、顔を伏せるようにしてクルッと回れ右して早足で歩き始めた。

 さっきまで遮蔽物になってくれていた『小熊の幼稚園』の入り口に男を連れ込み、中には入らず視線避けの高いブロック塀の脇に素早く身を隠した。

「おい、入らないのか……」

 アマンダの不審な行動に声を上げた男の背後にくるりと回り、絡めた腕の関節をキめ、「痛っ! 」と唸る男のこめかみにCzのマズルを突き付けた。

「声出すんじゃねえ。暫くこのまま辛抱しな」

 絶対、逃がさない。

 当初の目的である女だけでなく、ラッキーなことに相手は男連れだ。

 四季の話によると、相手の男は流出武器受取のテロリストかヤクザか、とにかくただのエロリーマンではないことだけは、確かだろう。

 近づいてくる足跡を聞きながら、アマンダは壁際でじっと、その時を待った。

 今夜を限りで、探索行も終わる、そうなれば。

 そうなれば、もう、陽介に嘘を吐く必要もなくなる。

 四季の許可さえあれば、これまで騙し続けていたことも、洗い浚い告白して、ちゃんと謝罪をすることも出来るし、陽介のことだ、きっと理解してくれるだろうし、許してもくれる、筈。

 それが、任務外任務に苦労させられたこの数ヶ月の報酬だと言われても、きっとアタシは満足しちまう。

 そんな久々に明るい希望を胸に抱ける、それが『その時』になる筈だった。


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