第64話 10-6.


 漸く野次馬達の人垣から離れ、表通りにハザードを出して路上駐車している黒塗りのセンチュリーの横に来た時、四季はくるっと後ろを振り返って、ニコリと笑顔をアマンダに向けた。

「よ、雪姉ゆきねえ

「遅ぇよ、ねえ

 アマンダは煙草に火を吸い付けてから、徐に両手を顔の前で合わせて、頭を下げた。

「つか、悪ぃ! 助かった」

 あはははと笑って、四季はアマンダの肩を抱いて言った。

「いいって、怒ってない、ってか、こっちが謝らなきゃなんないよ。それより雪姉、乗って。寒かっただろ? 」

 運転手の三曹がドアを閉め、運転席に乗り込むと、四季は「三曹、待機」と言って後部座席を仕切る防音の摺りガラスを閉めた。

「丁度良かったよ。雪姉と別れた後、川崎でヤボ用があったんだけど、気になってさ。終わってからちょっと流してたら、あの騒ぎだろ? ひょっとしたら、と思って」

「ヤーさんの方は全然ヤバくはなかったんだけど、サツを呼ばれちまって、言い訳どうしよって、そっちがヤバかった」

 肩を竦めるアマンダに微笑みかけてから、四季は表情を引き締め心持ち声を落とした。

「で? ……なにやら食い付きがいいみたいだね? 」

 アマンダもまた、笑みを消し、頷いた。

「初日からイキナリたあ運が良かったぜ。入れ食い、つうかなんつうか……」

「あいつら、ヤクザだよね? 」

「武蔵野帝都義侠会系列、港青光興業って連中だ。あ、武蔵野帝都義侠会って知ってるか? 東日本最大の暴力団。そこのナンバー3だか4だか中途半端な若頭補佐の組で、この界隈が縄張りだ。アタシがちょいと曰くありげに流したら、『アンタが噂の軍人か? 』だと。ビンゴだよ。港青光興業に仁義も切らずにひさぐたあいい度胸だ、ショバ代払え、ときたもんだ」

「……てことは、あいつらも『UNDASN売春』は噂程度しか知らず、実態は掴んでないって事か」

 そう呟くと、アマンダは頷いてみせた。

「それだけじゃねえ。莫大小街道一家とか大国恵比寿組とか、姐も聞いたことあるだろ? 」

 ある。

 新聞やテレビでよく耳にする、武蔵野帝都義侠会も含めて、日本の三大広域暴力団だ。

 確か、莫大小街道一家は福岡、大国恵比寿組は神戸の方だったか。

「そいつらも、2月初めから横浜市内で捜索してるらしい。言ってみりゃあ、横浜中のヤクザが血眼になって2ヶ月、未だに正体すら掴んでねえってことだ」

「正体すら……、か」

「黒人か白人かも判らない。UNDASNってのも横浜じゃ米軍は見かけねえからってだけだ。結局判ってるのは、ブルネットってことくらい」

「それだけに、なんかリアリティあるな」

 アマンダは四季の言葉に頷きながら、煙草で灰皿の縁をトントン、と叩く。

「次はカシを変えてみる。関内から中華街辺りは縄も入り組んでるからちょいと時間はかかるが、食い付きもいいだろうぜ」

 四季は眉根を寄せて、雪姉の顔を覗き込むようにして言った。

「……でも、気をつけてよ? いくら雪姉が強いったって丸腰だろ? 相手はヤクザだし、エモノも持ってるだろうからさ。今日みたいなイベントは願い下げだぜ? 」

「相変わらず心配性だな。大丈夫、心配ご無用ってヤツだ。なんせアタシはここら辺のヤー公との付き合いの方が、ミースケよりも長いんだ」

そして四季にウインクしてみせる。

「それでもまあ、明日明後日、って訳にゃいかねえから、当分はほとぼり冷まさなきゃあな」

「私も警察庁から手を回して貰って、暴力団の動きは出来るだけ封じて貰うようにするよ。オッケーだったら連絡するから、それまではじっとしていて。ね? 」

 四季はアマンダに釘を刺して置き、今度は現状と今後の作戦を整理するつもりで呟いた。

「だけど、ますます売春じゃなくて米軍の連絡役が疑われる展開だな。こうなってくると、その女性軍人だけじゃなく、連絡相手も一緒に抑えたいところだけど」

「そいつぁ、難しいかも、な」

 アマンダは灰皿に煙草を捻じ込みながら答える。

「その女の方、歌わせた方が早いぜ? 」

「だ、駄目ダメ! もし本物の軍人だったら、外交問題だよ! 」

 四季が慌てて両手を顔の前で振る。

「それに、その女性が陽動役だった場合、何処まで知ってるか、あんまり期待できないだろうしね」

 四季は苦笑交じりに言いながら、手元のインターフォンを押した。

「三曹、待たせたな。JR山手駅方面へやってくれ」

「あ、アタシ、駅にチャリ停めてっから。駅前な、駅前」


「じゃあ、雪姉。また連絡するよ、今夜はご苦労様、ありがと」

 窓を開けて手を振る四季に、アマンダは微笑んでみせる。

「ん。こっちこそ手間掛けた、な。助かったよ」

「雪姉……」

 踵を返しかけたアマンダは、四季の呼びかけに振り向いて足を止めた。

「ん? 」

 小首を傾げてみせるアマンダに、四季は囁くように言った。

「ほんと、雪姉……。いい顔、するようになったね」

 頬が朱に染まっていくのが、自分でも判った。

「じゃ、おやすみ」

 軽く敬礼する四季に、アマンダは頬を染めたまま、脊髄反射でキヲツケして答礼を返す。

 外交官ナンバーとUNDASN軍用車ナンバーの2枚をつけたセンチュリーのテールランプが見えなくなると、アマンダの口から、切なげな吐息が漏れた。


 ペダルを重く感じるのは、なにも普段、陽介にばかり漕がせているから、そのせいだけではない。

「……内緒、なんだよなぁ」

 別に四季の頼み事の内容それ自体、気が重くなるほどでもなく、どちらかと言うと本星異動後『ケツで椅子を磨く』仕事が一気に増えたアマンダにとっては、もってこいの気分転換とも言える。

 ただ、一点。

 『情報拡散の防止の為、上官である陽介には活動内容は勿論、活動している事も悟られないように』という、四季の持ち出した『付帯条件』が、ずっしりとアマンダの心に圧し掛かっていたのだ。

 確かに、四季の言う理由も充分過ぎるほど理解している。

 オチが売春だったら別にどうということもないが、もしも『最悪の結果』~武器不正流出とその結果引き起こされるテロ~を考えると、隠密行動は必然であろう。

 しかもそのテロの矛先は、十中八九、UNとUNDASNに向けられている筈だから。

 判っている。

 全て、判っている。

 判って、その上で納得している。

 納得していても尚、気が滅入ってしまっている今の自分を、どうしようもなく、アマンダは持て余している。

 どうにも、『陽介に黙っていなければならない』ことが、後ろめたくて心苦しくて、どうしようもないのだ。

 まるで、鉛を無理矢理呑み込んで、腹に溜め込んでいるような重さに、苦しめられている。

 四季も、そんな自分の気持ちを敏感に察したから、だからこそ一度出しかけた依頼を、引っ込めようとしたのだろう。

 勿論、陽介の知らない自分など、山のようにある。

 多分、陽介の知っている『アマンダ』は、陳腐な喩えではあるが、まさに氷山の一角だろう。

 気楽に考えれば、今度の事だって氷山の一角に紛れてしまって、時が過ぎれば忘れ去られてしまうようなことなのだ。

 だが、この瞬間から数分後には~ほら、その角を曲がればもう、『彼と自分が住む』マンションが見える~きっと、彼に嘘を吐いている自分がいる筈であり、それが耐えられないほど、苦しい。

 自分がいつもの習慣に倣って陽介の部屋に顔を出したら、彼はきっと、こう問うだろう。

『遅かったな。どこか、行ってたのか? 』

 アタシは、これも普段通りに、顔を逸らして無愛想に答えるのだ。

『や、ちょっとな。そこら辺りをブラブラして、本買ってきた』

 ……ほら、もう。

 しかも、コートのポケットには、駅前の閉まりかけの本屋に飛び込んで買った文庫本が入っている。

「……アタシ、嘘吐く気、満々だ」

 マンションの廊下、普段は気にもならない薄暗い照明が、今日はヤケに陰気に感じられた。

「おかえり、待ってたぞ。もう腹、ペコペコだ」

 情けない台詞を、飛び切りの笑顔で言いながら陽介が開いたドアの前で、アマンダは驚きを隠せずにいた。

「さっき、お前ン部屋のドアが開く音聞いたら、途端に腹が鳴るんだもんなぁ」

 アハハハ我ながら情けないなあどうしたんだ突っ立ってないで入れよと陽介は言いながら玄関脇のキッチンに向かった。

 あれ? 

 訊かないのか? 

 アタシがこんなに遅くなって、なんでだとか、どこ行ってたとか、聞かねえのかよ? 

 玄関で立ち竦むアマンダに気付き、漸く陽介は笑顔を収めた。

「なにやってんだ、寒いだろう? 今コーヒー淹れてるから。コタツ入ってろよ」

「あ? ……お、おう」

 アマンダが玄関ドアの鍵を閉めたのを合図に、陽介は再びキッチンへ引っ込み、声だけが奥の間のコタツへ向かうアマンダの背中を追い駆けてくる。

「今日の会議、もう最悪だったよ。何事かと思って聞いてると、統括センター長の罵声怒声で30分、だ」

 なんで? 

 なあ、陽介、なんで? 

 そりゃあアタシはアンタに、嘘なんざ吐きたくなかったさ。

 でも、それでも。

 アタシはアタシなりに覚悟を決めて、挫けそうになる自分を怒鳴りつけながら、鉛が詰まったみてえに重い脚引き摺って、ここに来たんだぜ? 

 色々言い訳だって、そりゃあお前に較べるとノーミソは軽いかも知んねえけど、それでもなんとかそれっぽい言い訳だって考えたんだ。

 なのに、なんだよ? 

 なにも聞かねえのかよ? 

 それはなんだ、つまり、その……。

「アタシが何処で何してようと、関係ねえって……、ことなのかな? 」

「おまたせ」

 陽介が能天気な声をあげ、両手にマグカップを持ちながらキッチンからやってきた。

「なんか、言ったか? 」

 陽介はそう尋ねながらマグカップを炬燵の天板に置こうとして、果たせなかった。

 アマンダが、拳で思い切り、天板を叩いたから。

 陽介はそのまま置いていたら確実に無駄になったであろうコーヒーを、今度はそっと炬燵の上に置くと、自分の拳から目を離せず、ぴくりとも動けないアマンダを見つめて、静かに言った。

「どうした? 荒れてんのか? 」

 アマンダは姿勢を崩さず、陽介の問いは無視して、掠れた声で言う。

「なんで、聞かねえんだ? アタシなんざ、何処で何やってようと、カンケーねえからか? 」

 ゆっくりと顔を上げたアマンダの視線を、陽介は身動ぎもせずに受け止めた。

 受け止めて、くれた。

「やっぱり、似合うな。そのイヤリング」

「……え? 」

 固く握りしめた拳が解けて、指が自然と、自分の耳朶に向かう。

「な、アマンダ。……お前、言いたくないんだろ? 」

 思わずこくんと頷くと、陽介はゆったりと微笑んで言葉を継いだ。

「なら言わなくていいさ。俺もお前も大人なんだし、任務でもないんだ。逐一行動を報告する必要もない。……だいたいお前は、これまでだって、訊ねても答えない事なんか山ほどあっただろ? 」

「でも……! 」

 思わず身を乗り出してしまうアマンダを目で押さえ、陽介は続けた。

「別に、お前のことなんか知るか、関係ない。そう言ってる訳じゃあない。ただ、お前って人間は、言わなきゃならない事なら訊ねなくても言う、言えないことは訊ねたって言わない。そういう奴だと思ってるし、そして、そんなお前の判断は、たぶん間違っちゃいない。そう信じてるんだ」

「陽介、でも」

 アマンダの呼び掛けに、陽介の顔に笑顔が戻った。

「何で信じられるんだって顔だな。……だってそうだろう? 普通なら、言いたくない、突っ込まれたくない事情があるんなら、俺んトコに顔なんか出さないだろ? 」

 陽介はアマンダ専用のマグをゆっくり彼女の前に押しやった。

「でも、現実にお前は、こうして俺の前に座ってる。何より、俺のプレゼントをそうやって、飾ってくれてる、身に着けてくれているじゃないか」

 陽介は自分のマグを持ち上げて、ズズ、と一口啜った。

「俺には、それで充分だ」

 アマンダは、ゆっくりと視線を手元のマグに落とした。

 クリープをティスプーンに山盛り2杯、いつもの自分のコーヒー色が、ゆっくりとカップの中で夢のように回っている。

 陽介は。

 コイツは、アタシを知ってくれている。

 ダメだ、泣いちまう。

 刹那、耳朶にぶらさがった『陽介のくれた幸せ』がチリン、と微かな音を立て、最後の自制心の残り香が、辛うじてアマンダに立ち上がらせる力を与えてくれた。

「おい……? 」

 マグカップを持って立ち上がったアマンダを不安げに見上げる陽介に、彼女は自宅の冷蔵庫に残っていた食材を詰め込んで持ってきたレジ袋を持ち上げて、ぶっきら棒に~そう装うのが一苦労だった~言った。

「晩飯は、昨日の食材の残りで特製オムライスだ。後、野菜スープもつけてやる」

 言い捨ててキッチンに飛び込んだ彼女の背中を、再び陽介の声が追い駆けた。

「待ってました! 俺、大盛りな」

「餓鬼かよ」

 勝手知ったる陽介の家の台所、とばかりに取り出したフライパン~これも、アマンダが持ち込んだものだ~をコンロにかけながら、顔を見られない台所に来たことで漸くリリースした、泣き笑いの表情を浮かべたまま怒鳴ったアマンダは、声が顔同様泣き笑いになっているのに遅まきながら気付いて、口惜しさに唇を噛み締めた。

 もちろん、泣き笑いの表情のままで。


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