第61話 10-3.
「とは言ったものの、なあ……」
とっぷり陽は落ちて、その代わりでもないだろうが毒々しくけばけばしいネオンが瞬く不夜城、横浜一の盛り場と言われる伊勢佐木町界隈の歓楽街を歩きながら、アマンダは詰まらなさそうに独りごちる。
「こうも素早く目をつけられるたぁ、ちょいと計算違いだ」
数日ほどは街中を流さなければ、暴力団の監視網には引っ掛からないだろう、ひょっとしたら数週間は夜の巡視を重ねる必要があるかもしれない、アマンダはそう考えていたのだが。
初日の今日、歩き始めて30分ほどで、アマンダは尾行者の存在に気付いたのだった。
酔客の笑い声や喚き声、呼び込みのフレーズや賑やかなBGM、横浜の夜らしいと言えば言える喧騒の中、臨戦態勢で臨んでいたアマンダの鍛えられた聴覚は、
「ひとり……、だけか」
四季の話、そして自分の知識から類推するとこの状況はどうやら、
彼等も普段ならその場で取り押さえるのだろうが、こうして泳がせているのは、暴力団にとってもやはり軍隊、軍人というものは手出しがし難いものなのか。
それとも、それこそ警察のやり方を真似ている訳ではなかろうが、『現行犯逮捕』でもする気かもしれない。
「てことは、尾行者を締め上げりゃ、もうちょい詳しい情報がもらえるかも、だ」
だが、それには背後から追ってくる、おそらくはチンピラ程度では、役不足に思えた。
尾行者は役割的には準構成員、もしくは普段から飯を奢るなどして手懐けている街の不良かも、いずれにせよ、下っ端には違いないだろう。
せめて金バッチの『正社員』クラスでなければ持っている情報量も大したことはない筈で、叶うならば幹部クラスが出てきてくれたらありがたいのだが。
アマンダが考えるに、下っ端がこうしてターゲットを泳がせている、ということは、こちらが『営業状態~つまりは、どこか街角を選んで足を止め、流れる人々を見定める態勢~』に入ったことを見極めて、それこそ兄貴分に当たる組員にご注進、と考えるのが妥当かもしれない。
もう少し歩いて、人目を避けやすいような裏路地で、釣り針を垂らしてみるか。
いつまでも金魚の糞を引っ付けて、夜通し歩き回る訳にも行くまい。
そう決めてアマンダは、暫く歩いて表通りから外れ、怪しげな飲み屋や風俗店がタコ部屋みたいに詰まった雑居ビルの並ぶ裏通りに足を踏み入れた。
「ここら辺りでいいか……」
アマンダはビルとビルの合間、ゴミ置き場になっている幅2m程の路地へ、ス、と身体を入れた。
壁に凭れようとして、入居している店舗の換気扇から流れ出す煙草の脂や料理の油分でドロドロに汚れているのに気付き、慌てて一歩、壁から離れる。
改めて壁を背にして立ち、煙草に火を付けながらさっきまで歩いていた通りをチラリと見ると、
視界から彼が消えると途端に、安物の合成皮革らしい靴底の刻むリズムが早くなった。
「……アニキへご注進ってとこだな」
計画通り、こいつはラクチンだ。
アマンダはニヤ、と不敵な笑みを浮かべると、ふ、と煙を吹いた。
口の中が苦い。
滲み出るアドレナリンが、随分懐かしく感じられた。
そうして煙草を3本灰にして、30分も経った頃だった。
「姉さん、暇そうだねえ」
人を小馬鹿にしたような濁声に、アマンダは姿勢を崩さず、瞳だけを声の方に向けた。
白いスーツを羽織り、薔薇の花をあしらった演歌歌手みたいに派手なネクタイを締めた、がっしりと肩幅の広い、しかし背はアマンダより頭ひとつほど低い男が、ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべながら、路地の入口に立っていた。
「おい! なんとか言わねえかこのアマ! 」
白スーツの男の背後に立つ、こちらはアマンダと同じくらいの背丈のパンチパーマの男がドスの効いた声で怒鳴る。
アマンダは短くなった4本目の煙草を指先で弄びながら、ゆっくりと顔をそちらへ向け、ニィ、と唇の端で笑った。
「いくら暇でも、アタシは客を選ぶ主義なんだけど、ネェ? 」
「なんだとテメエッ! 」
「ナメてんのかよぉっ! 」
「痛い目に遭いてぇのかっ、アァッ! 」
襟に金バッジを付けた白スーツが従えているチンピラは合計4名、全員が肩を揺すりながら、口々に喚き立てている。
白スーツは未だ余裕たっぷりと言った表情で、アマンダを頭の先から爪先まで舐めるように眺めていた。
さっと全員に視線を飛ばし、戦力係数を測る。
判ってはいたことだが、地元のヤクザ連中だ、然程注意する必要もないだろう。
「確かに姉さん、アンタほどの別嬪なら、客を選んだって不思議じゃねえなあ……。だけどな、生憎俺達は客じゃねえんだ」
「ふーん。そうかい」
アマンダは興味なさそうに答えると、もう1本、煙草を箱から振り出して口に咥えた。
「俺達はこの辺仕切ってる港青光興業のモンだ。最近、ちょいと不思議な噂を耳にしてな? 若いモンに見回らせていたとこよ」
向こうから目当ての情報の断片を投げてくれたことで、アマンダはそろそろ下らない茶番も切り上げ処だと判断して、少しだけ声のボリュームを上げた。
「『UNDASNの軍服着た日本人っぽくない女が、商売してる』って噂じゃなかったかねえ、そいつは? 」
白スーツは笑いを消して、声を低めた。
「……話が早ぇな。単刀直入に行こう。姉さん、アンタがその噂の軍人さんかい? 」
アマンダの答えを待たず、白スーツが右手を軽く上げると、背後のチンピラ達は彼の横を摺り抜け、背中に壁を背負ったアマンダを取り囲むようにして並んだ。
4人ともジャンパーやジャケットを羽織ってはいるが、シルエットや腰つきから銃を持っているようには思えない。
が、全員が全員、上着のポケットや懐に手を入れたところを見ると、
「姉さん、大したもんだ。どうにも度胸が据わってる。俺ぁ、噂話を聞いた時にゃあ、ただのコスプレで客を釣るトーシローかと思ってたんだが、どうしてどうして……。アンタ、本物の軍人さんだね? 」
チンピラの包囲の外から白スーツが言った言葉にも、アマンダは無言のままでいた。
やはり、あの金バッチからしか、役に立ちそうな情報は聞き出せそうにはないようだ。
アマンダの態度に自尊心を傷つけられたのか、白スーツの声が一層迫力を増した。
「なあ、姉さん。こっちも港青光の代紋背負ってここら一帯仕切ってるんだ、軍人だろうがなんだろうが、商売したいってんなら俺達に頭のひとつも下げて、それなりの身炊料を払ってもらわにゃあ、他の女達にも示しがつかねえ。……今夜はそこんところ、姉さんの腹ン中をじっくりとお聞きしたいと、そう思っ」
「ア、アニキッ! お、遅くなりやしたっ! 」
白スーツの言葉を遮るようにして、突然、キンキンと耳が痛いくらいに高い男声が路地に響き渡った。
「く、車を回そうと思って行ってみたら、ちゅ、ちゅ、駐禁のポリがいやがって、て、手間取っちまい、や、やした」
「馬鹿野郎、拓也! 」
拓也と呼ばれたチンピラにアマンダがそっと目をやると、そこにいたのは自分を尾行していた人物だった。
道理で包囲網の中にはいなかった筈だ。
「ま、松田、さん」
拓也と呼ばれたチンピラは、怒鳴られて目を白黒させている。
「いつになったらテメエは空気ってのを読めるようになるんだこの阿呆がっ! 今、黒田の兄貴がお話中だっ! 」
「へ、へいっ! す、すんませんっ! 」
慌ててペコペコ頭を下げる拓也に、全員が蔑むような視線を送っていた。
アマンダの予想通り、尾行というしんどい役目を負わされた彼のヒエラルキーは、最下層の使い走りだったようだ。
白スーツがやれやれと言った仕草でアマンダに背中を見せたのに気付き、松田と呼ばれたパンチパーマ男は、身体ごと拓也に向き直った。
「何遍教えりゃ気が済むんだこのタコが! 若いうちゃもっと立場を弁えて、気を配れっつってんだろーがっ! 」
多分、拓也と呼ばれる若者は、松田が口を利いてやって組に入れたのだろう、黒田の機嫌を損ねてチューターである自分までもがトバッチリを食らう前にと考えて、慌てて拓也を自分が叱る事で、アピールしようとする意図は、暴走族あがりのアマンダにはよく理解できた。
自分が今所属している軍隊という組織も、然程組織内秩序というやつは暴力団とあまり変わりがないのかもしれない、そう考えると可笑しくなって、アマンダは思わずクスリと笑ってしまった。
まあ、けれど。
そろそろ、こちらのターンが巡ってきたようだ。
頭を下げ続けながら、拓也は内心では不満タラタラだった。
暴走族あがりでブラブラしていた拓也を、港青光興業に引っ張ってくれたのは族の頭を通じて顔見知りだった松田だったが、度胸ひとつで将来は金バッジ、金も女も思うまま、と勝手な思い込みで交わした杯が、今はまるで丁稚奉公同然の使い走りばかり、しかも失敗が積み重なって追い出されそうだと来れば、自業自得という言葉は遥か記憶の彼方に置き忘れたままにしておき、小指惜しさに『いっそ何処かへ逃げようか』とも思う今日この頃。
『軍服を着たもぐりの売春婦を捜せ』との若頭補佐の黒田の命令通り、女を発見したことで取り敢えず失地回復、と思ったのも束の間、つまらない失敗でまたまた頭を下げねばならない事態に陥っているこの状況が、馬鹿馬鹿しく思えてくる。
”くそっ、女を発見したのは俺だぞっ! それをちょっと声を掛けるタイミングが悪かったってだけで、皆の前でこんなに怒ること、ねえじゃねえかっ! ”
拓也の思いを他所に、松田はまだ怒鳴り続けている。
「帰ったら、テメエ身体で礼儀って奴を覚えさせてやる、覚悟しとけこの馬鹿っ! 」
迫力ある怒声に思わず身体を縮めた、その刹那。
ハスキーな声が、闇の澱みの奥から聞えてきた。
「馬鹿はテメエだ」
そのハスキーボイスは、何故か拓也の耳には飛び切り甘く感じられた。
目当ての売春婦は外国人だと聞かされていたのだが、完璧な日本人の日本語に聞こえた。
ひょっとしたら100%外国人じゃなくてハーフなのかも知れない。
ハーフの女ってのは、聞くところによると、完全な日本人や外人とは違って、そのイイとこ取りだから、途轍もなく美人が多いらしい。
そんな真偽不明の話が、不意に頭に沸き起こった。
「なんだと? 」
松田がそう怒鳴り返して、拓也から声の方へと振り返ろうとした瞬間。
闇の中、何かがキラ、と光ったように拓也は思えた。
後から考えると、それは瞳が輝いたのだと思う。
「アタシに背を向ける奴は、馬鹿だっつってんだよ」
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