第58話 9-6.
それにしても、動物園という外出先のチョイスが、これほどまでに素晴らしい時間を提供してくれるチョイスになるとは、陽介は思ってもみなかった。
なにしろ、動物園はどうだろう、という誘い自体、その場での思い付きだったのだから。
とにかくアマンダを誘って何処かへ、そればかり考えて、いざ何処へ? となった時、貧相な経験しか持っていない陽介が一番に思い付いたのが、動物園か水族館。
まだ肌寒い日も多いから、水族館はナシだな、と、その程度だ。
怒らせるかもと思いつつ提案した動物園案にオーケーを貰った時は、そのギャップに驚きよりも不安が先立ったのは嘘ではないし、そして今朝、ミハラン当時の雄姿を髣髴とさせる姿を目の当たりにした時も、まさかコイツ動物達を狩るつもりじゃないだろうなと、半ば真剣に心配したものだ。
けれど今、完璧なミリタリールックの~当然だ、純正のユニフォームを着た、正真正銘の凄腕レンジャーだもの~美女が、幼稚園児と一緒になって跳び跳ね、手を叩き、象にあわせて身体を左右に動かして、全身で楽しんでいる姿の、なんと心癒されることか。
アマンダの姿と、春の陽射しの暖かさが相俟って、まるで夢の中の出来事のように思え、陽介は知らぬうちにボンヤリしてしまっていた。
耳に届いた拍手の音と賑やかな笑い声に、陽介の意識は漸く現実へ引き戻された。
声の方に顔を向けると、サービス精神旺盛な1頭が後ろ足だけで立ち上がり、長い鼻を頭の上へ振り上げて見せたのに、アマンダと彼女率いる(? )幼稚園児達が喝采を贈ったのだった。
「あはははっ! すげぇっ! すげぇすげぇ! 」
笑いながら手を叩き、ぴょんぴょん跳ねて喜んでいるアマンダを見て、陽介はポケットに何気なく突っ込んできた小物を思い出し、サッと抜き取る。
横浜勤務になってからアマンダに言われて買った、個人持ち、民生用のカメラ付携帯端末だった。
業務上通常の遣り取りは、インターネットや一般公衆外線も登録アドレスなら収容できるUNDASN支給(且つ携帯義務付)の携帯端末で事足りる。
が、殊、陽介達調達担当者の仕事相手である民間企業の社員達との緊急の遣り取りは、彼等が所持しているUNDASN公式未登録の携帯電話やメール、モバイルPCで行われる事もしばしばあるから、市販のケータイ買っておいた方がいいぜ、とのアマンダの忠告により購入したものだ。
なにせ、電話やメール、メッセージ機能はともかく、カメラ機能など使ったことはないのだ、頭の中の操作マニュアルを急いで引っ繰り返し、レンズをアマンダに翳した。
ふと、オフィスの抽斗の中に仕舞い込んである手帳に挟んだ1枚の写真~今時ホログラムではない、印画紙焼付けの逸品だ~が脳裏に浮かんだ。
「アマンダ! 」
「おう! 」
笑顔のまま振り向いたアマンダは、陽介が片手に翳した携帯の意味に気付いて、瞬間的に頬を染める。
嫌がるかな?
一瞬、そう思った。
「ピース! 」
ままよ、と思いベタな声を掛けると、予想外に彼女ははにかみながらも、素直に右手でピースサインを出した見せた。
電子音とともに画像に固定された、象をバックに微笑んでみせるアマンダ。
そしてデスクの抽斗の中、ミハランを離れる少し前、長距離偵察に出た時に、
二枚の写真を脳裏で較べ、どちらもアマンダらしいんだよなぁと、陽介は満足げに頷いて見せた。
結局、アマンダが1時間以上も象のトラップに引っ掛かっていたこともあり、パンダと象だけで昼食を採ることになった。
「ここらで店開きするか」
象舎から少し離れた、サル山近くにある無料休憩スペースでは、既に何組かの親子連れがシートを敷いてお弁当を広げたり、カップルが広場の近くの売店で買ったジャンクフードに舌鼓を打っている。
「あいよー」
さっきまでの興奮が冷め遣らぬのか、いつも通りのアマンダの返事も、今日は弾んで聞こえるのが、陽介の耳には新鮮で心地良かった。
アマンダはずっと肩に掛けていた装備バッグのサイドジッパーを開いて、色気も何もない実用一点張り、UNDASN陸上マークなら誰もがお馴染み、OD色のバケットシートを広げ、端っこに座るとちゃっちゃと手際良く、バッグの中のものを広げ始めた。
「さーて、アマンダ姐さん特製の戦闘配食だぜ」
俵型の海苔巻きおむすび、青葱の緑が映える玉子焼き、UNDASN支給の真空絶対零度でも中身は摂氏5度を保持できる優れモノのタッパーに入った野菜炒めにエビフライ、一口カツ、鶉卵と鳥腿肉の串焼き、鶏の唐揚げ、プチトマトの赤が鮮やかなグリーンサラダ、小芋煮転がし、トドメはタコさんウインナー。
「……おまえ」
何人グループだと突っ込みたくなるほどの大量な、しかし、全部食って腹からはみだしても悔いなしと誓えるほどの食欲を煽りまくる素敵な香りに、周囲の人々も目を点にして注目するほど。
「ん? どした? 」
これまたUNDASN支給の保冷カバーで未だ汗をかいているエビスのロング缶を取り出しながら、アマンダが声を掛けてくる。
「すごいな、これ。お前ひとりで……? 」
思わずゴクリと生唾を飲み込む陽介に気付いているのかいないのか、アマンダは早速ビールのプルトップをプシュッといい音を立てて開けながらニ、と笑って見せた。
「今朝、
それからふ、と顔を曇らせる。
「あ……、れ? 食欲ねえのか? 疲れちまったか? 」
「や、違うちがう! 」
陽介は慌てて両手を顔の前で振る。
「すごい美味そうで、さ。なんか……、圧倒された」
やっぱり予想の斜め上を行きやがった、との言葉は腹に飲み込む。
アマンダは陽介の答えに満足そうな表情を浮かべ、ゴキュ、ゴキュ、と美味そうな音を立てて、ものの20秒程で1缶一気に飲み干して、カキュンとアルミ缶を潰して見せた。
「言っただろ? テメエに任してたら、こうはいかねえってんだ。さ、食おうぜ? な? 」
陽介にもビールを1缶放り投げておいて、アマンダは割り箸をパキンと割り、手元のタッパーの蓋に、おむすびやらおかずをひょいひょいと取り分けて陽介に差し出した。
「ん」
「ああ、ありがとう、いただきます」
受け取って、改めて手元を見つめる。
俵むすびが、唐揚が、玉子焼きが、野菜炒めが、タコさんウインナーが、まるで宝石のように煌いて見える。
顔を上げると、普段、梃でも開かない口をアーンと大きく開いて、おむすびを放り込むアマンダの姿が、まるで夢のように、柔らかく早春の陽射しに溶けていった。
不意に、判ったような気がした。
アマンダが天使の歌声の持ち主であることは、今の彼女を見る限り、まったくピッタリなのだ。
強面、迫力のあるクールビューティだってアマンダであることには違いないし、パンダが怖いと背中に隠れる彼女も、象を見て楽し気にぴょんぴょん跳ねる彼女も、どちらだってアマンダには違いない。
要は、陽介にとってアマンダという女性は。
何時だって、傍にいる自分を楽しませてくれ、安らぎを与えてくれ、時には驚かせてくれる。
陽介をほんわりと優しい気持ちにさせてくれる、何物にも代え難い、大切な存在だということなのだ。
ゆっくりと玉子焼きを口に運び、後は、気がつくと手元は空になっていた。
「美味い」
聞こえたのか、アマンダは普段通りの微かな笑み~唇の端と同じ側の眉を僅かに上げる~を浮かべ、無言のままひょいひょいと箸を動かして、食べ物を補充してくれた。
「残すなよー。帰りは楽してえからよ」
「……だな」
唐揚げを口に放り込みながら、陽介は空を見上げる。
そう言えば、と陽介は、不意に思い出した。
あの日スーパーで耳にした曲は。
確か、『早春賦』とかいうタイトルではなかったか。
思えば、今この季節にピッタリの曲に、そして柔らかな表情を浮かべるアマンダに、とても似合っているように思えた。
アマンダと春の暖かい光溢れる緑の芝生の上で、こうして平和に~文字通り、命を危険に曝すことなく~のんびりと、美味い弁当を楽しめる、この幸せ。
「……こう言うのを、幸せって言うんだろうなぁ」
「……うん」
思わず呟いた独り言に、アマンダの返事が返ってきて、陽介は慌てて箸を落としかけてしまう。
聞かれるように言った覚えはないものの、例え聞かれていたとしてもそんな素直な同意が返るとは思ってもみなかったのだ。
「お前とミハランの砂漠でのたくってる時はよ。……ま、あれはあれで面白かったし、退屈はしなかったけど、さ。まさか、こんな日が来るなんて思っても見なかったな……」
見ると、箸を止め、伸ばした脚の膝の上に取り皿代わりのタッパーを置いて、アマンダは両手で上半身を支えて同じように空を見上げていた。
「生きてるだけで丸儲け、みてえな地獄から戻れただけでもラッキーだってのにさ」
いつも予想の斜め上を行くと思っていた、そして事実、何度も新鮮な驚きを与えられた彼女が、陽介と同じ想いを抱いていると知って、それがまた陽介の『予想の斜め上』だったことが、やっぱり彼には、そしてこの上もなく嬉しかった。
「誘って良かった」
「誘ってくれてありがと、な」
殆ど同時に開いた口が震わせた空気は、この上もない優しさと暖かさを互いに交換して行く。
「親父さんの話も確認できたし、な? 」
「だな」
今度こそ、ニコ、とはっきりと微笑んでアマンダは大きな唐揚げを一口で始末した。
「さあ、食っちまおうぜ? まだまだ見てえの、いるんだ」
「パンダと象で午前中終わっちまったからな」
「う、うるせえっ! 」
あははははと笑いながら、陽介はぼんやり思う。
弁当が美味いのは、ミハランと違って砂が紛れ込まないせいもさることながら、アマンダが作ったから、そしてそれ以上に、アマンダが隣で微笑んでいるからじゃないかな、と。
キリンの首が長いと指差して怒りカバのくしゃみで濡れちまったと手を叩いて喜びラクダが反芻するのを見て何を食ってんだろと首を捻りゴリラが走るのを見て落ち着きがないと呆れトラがゆっくりと歩くのをエラそうだと文句をつけライオンが欠伸するのをナマケモノめと罵りチンパンジーが芸をするのをこの調子モノめと蔑みワニが泳ぐのを見てクロールしてみろとからかいカンガルーの子供が親の袋から顔を出しているのを羨ましそうにみつめイラッシャイと言いまくる九官鳥にテメエブッコロスと教え込みきょろきょろと周囲を睥睨するダチョウにしっかり偵察しろと気合を入れ草を食むヤギに手紙食わねーのかと気を遣い羽根を広げるクジャクにカッコつけてんじゃねーよとインネンをつけ夕方漸く起き出したコアラに優雅なご身分だなぁオイと皮肉を言って、大いに楽しんだ2人~アマンダは動物相手に、陽介はそんなアマンダを見て~は、漸く閉園時間ギリギリに外へ出た。
「あー、腹減った! 」
気持ち良さそうにそう言って、ゲートを出た直ぐの喫煙コーナーでアマンダはバンダナに挟んだラッキーストライクを1本取り出し美味そうに火を吸い付けた。
そう言えば、今日アマンダは、初めての煙草だな、と陽介はふと気付き、自分もポケットから久々の1本に火をつける。
「よく遊んだなぁ」
「だなあ。でも、アタシ、こんなにたくさん動物見るの初めてだったよ」
アマンダの子供っぽい感想も、彼女の口から聞けば深い意味がありそうに思えるから不思議だ。
「第1次ミクニー戦役で、結構地球の生態系も破壊されてしまい、当時のレッドデータ・アニマルも随分絶滅したらしいからな。あれ以降、
「そこらへんは、今のアタシらの任務にも関係してっからな」
医療本部や科学本部で使用するラットやハムスター等の実験動物はアマンダの7係が調達担当だし、食用家畜の激減による食糧危機から各国がこぞって整備した食管法は、今も7係の糧食担当者には重い鎖となって業務遂行の足を引っ張っている。
「さて、晩飯でも食って帰ろうか」
「奢り、だろ? 」
「何度も言わせんな! なんかムカつく」
途端にアマンダは口を尖らせる。
「なんだよ、態度でけえなぁオイ? アタシのお陰で随分と楽しんだクセによお? 」
「……お前なぁ」
陽介は短い溜息を吐いて気を取り直し、煙草を灰皿に捻り潰した。
「好きなとこ、連れてってやるさ。今度は俺のターンだ」
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