第56話 9-4.
「へえぇっ! アンタ達武官事務所の連中、澄ました顔して何やってんだろって思ってたら、裏ではそんなB級スパイ映画みたいなことやってたんだ、そりゃあ忙しい筈だわ」
四季が昨日の坂崎との『逢瀬』を思い返しつつ、それは隠して要点のみ掻い摘んで話すと、瑛花は呆れたような表情を浮かべて溜息交じりにそう言った。
その言葉に、四季は思わず苦笑を浮かべてしまう。
「先輩だって今や立派な兵科将校なんだろ? 何を今更、シャバの素人さんみたいなこと言って感心してるんだよ」
へへへっまぁ言われてみればそうか、と暢気に笑っている瑛花は、結局こうやっていつも私の余計な力を上手い具合に抜いてくれるんだよな、と四季は秘かに感謝する。
「CIAはその昔、暗殺だとか敵対国の反政府勢力支援だとか、脳味噌筋肉のスパイ組織だって聞いたことあるんだけど、今は拳の方は
経済の専門家である彼女にとっては、CIAの暗躍は頭の痛い問題であることは確かだし、近い将来、地球上の全国家が『惑星地球連邦』の名の下に統一されたその時に、真っ先に問題になるのはタックス・ヘイブンや為替相場の問題なのだから、四季達国際部にとっても避け得ない問題ではあるのだけれど。
けれど瑛花は、悩まし気にそう言ったと思えば、一転、パァッと顔を綻ばせて言葉を継いだ。
「でも、アンタがそんなスパイ活動を裏でやってるとは思わなかったわ! ねえ、簡単そうな仕事があったら、ちょっと私にも手伝わせてみない? 格闘技だったらアンタより強い自信はあるし、邪魔はしないからさ? 」
瑛花は少し鋭く見える大きな瞳を~多分に艶っぽいアイメイクのせいもあったが、それが厭味にならないのが凄い、と四季は普段から感心していた~好奇心を光源にして、まるで少女みたいにキラキラ輝かせながら、楽しそうに言ってのけた。
「いやいや、情報部じゃあるまいし、私や武官事務所メンバーがみんな揃ってそんな創作物のスパイみたいな活動している訳じゃないよ。私達は
四季の言葉に、瑛花はあからさまにがっくりと肩を落として見せた。
「ああ、まあ、考えてみれば、それもそうか。アハハハッ」
「先輩、私達にとっちゃ笑い事じゃないんだけど」
この艶やかな超絶美人の先輩は、妙なところで子供っぽいところがあるよなぁと閉口しつつ、四季は努めてクールに言い返しはしたものの、やっぱり魅力的な瑛花の美しさに口角が上がるのを抑えられなかった。
けれど瑛花は四季の言葉は華麗にスルーして、首を捻りながら、独り言のように呟いた。
「でも、ほんとにそんな裏があるのかしら? 案外、円高で懐が寒くなった軍人さんの小遣い稼ぎ、とかじゃないのかなあ」
「いやまあ、それならそれでいい……、良くはないけど、探りを入れるメリットはどっちにしたってあるって事だよ」
四季はひょいと肩を竦めて見せ、言葉を継いだ。
「だから今日、東芝鶴見工場から足を延ばして、YSICへ行って、話を聞いてこようかと思って」
「ああ、そゆこと……」
そう言ってから瑛花は、あ、と口を開いた。
「思い出したわ」
「なにを? 」
「あんたの子分、ええと、アマ……、アマンナ? 」
「アマンダ・ガラレス・雪野・沢村」
「それ! 」
瑛花はニヤ、とどことなく子供っぽい笑みを浮かべた。
「今日、休みだよ。YSIC7係長、沢村一等陸尉」
「え? 」
思わず四季は、間の抜けた声をあげてしまう。
不思議だった。
いや、瑛花が職掌柄、アマンダの休暇を知っているのは不思議ではない。
一尉以上の高級幹部の勤怠は、建前上はアジア統括センター長である瑛花が承認しているのだし、実際は現場で決済されている事であっても、ワークフローで自動的に書類は瑛花へ回るのだ。
だから不思議なのは、瑛花の浮かべる笑顔の意味だった。
「そ、そうなの? 」
「そ」
瑛花は自慢げに頷くと、一層笑顔を輝かせた。
「し、か、も! 」
「な、何? 」
瑛花の笑顔に反比例して、四季の表情はますます訝しげになっていく。
「ウフフフン」
意味ありげな笑い声を漏らしながら、瑛花はサッと腰を上げ、四季の隣へ素早く移動すると肩に手を回しグイ、と自分のほうへ四季の身体を抱き寄せた。
「な、なんだよ? 」
今私きっと顔真っ赤だろうなと思いながら、口ではそう抗議するが、何故だか身体に力が入らず、瑛花に逆らえない。
と、瑛花は四季の美しい首筋に、フーッ、と息を吹きかけた。
「ひゃっ! 」
これホントに自分の声かと思う可愛い叫び声をあげて、四季はその場で飛び上がってしまった。
「な、ななななな? 」
瑛花は文字通り腹を抱えてゲラゲラ笑い転げている。
「あははははっ! まあ可愛らしい声だこと! 」
「も、もう! 怒るぞ、先輩っ! 」
漸く意味のある言葉となった四季の抗議も、生憎今の瑛花には効果がないようだった。
「あは、あっはははははっ! ひゃー可笑しい、アンタ、ほっんとにイヂリ甲斐があるわぁ」
涙を流しながら瑛花は暫く笑っていたが、やがて苦しそうな息遣いで言った。
「あー、ごめんごめん。そうそう、言いたかったのはね」
「なんだよ、もう」
お冠の四季にもメゲず、相変わらずの色っぽい笑顔のままで、瑛花は『爆弾』をいとも簡単に放り投げた。
「もうひとりのアンタの元子分って言う、YSICセンター長の向井君も一緒に休んでんのよ、コレが」
四季は瑛花の言う意味が判らず、と言うより言葉と笑みの関連性を見つけられず、思わず彼女の顔をみつめてしまう。
「もう、四季ったら、なにブッてんのよ! 」
イライラしたように瑛花はそう叫ぶと、再び顔を近付けてボソ、と言った。
「今日は3月14日。さて、何の日でしょう? 」
「3月……、14日……」
そう呟いて、四季は漸く気がついた。
「ああっ! 」
「わあっ! ビックリ! 」
瑛花が仰け反るのをサラリとスルーして、四季は続けて言った。
「ホワイトデーだ、今日は」
うん、うん、と瑛花は厳かに頷く。
「でも」
四季は小首を傾げて小声で疑問を口にする。
「偶然かも知れないじゃん? 2人が同時に休む事だって……」
瑛花はヤレヤレというように肩を竦めて見せた。
「2人はだって、ミハラン……、だったっけ? 最前線で同じ釜の飯を食った間柄なんでしょう? そこでコンビを組んでた相方と地球で再会したのよ? 」
「でもでも! ……それだけで、付き合ってるって判断するのもなぁ。確かにふたりはいいコンビだったよ? でも私にはそれが恋愛にまで発展するとは」
確かに男と女の関係だ、2人の間に流れる空気までは判らないし、どんな心の動きがあるのかは、想像などできる筈もない。
ただ、どうにも上手くイメージが出来ないのだ。
アマンダが人知れず陽介に恋心を抱いているらしいことは、ミハラン在勤当時から感じていたが、それにしてもあの『照れ屋で硬派』の彼女が、バレンタインやホワイトデーと言った彼女の価値観的には『軟弱極まりない』イベントで告白するとは思えなかったし、それにも増して陽介はと言うと、唐変木を朴念仁で塗り固めたような鈍感男なのだから論外に思える。
そういう意味の反論をたどたどしくも口にした四季を、瑛花は可哀想な生き物を見るような瞳と長い溜息で迎えてくれた。
「そこまで言うんなら、オネエサンが可愛いネンネの四季ちゃんに解説してあげましょう」
優越感を隠そうともしない憐みの眼差しと薄ら笑いを浮かべて、瑛花は言った。
「そりゃあ四季の言う通り、ミハランじゃ仕事上での良い
まるで見てきたような口振りで一気に滔々と捲くし立てた瑛花は、そこで言葉を区切り、「どお? 」とでも言いたげな視線を向けた。
思わず、顔を背けてしまった。
瑛花に言われずとも、本当は四季にだって判っていたのだ。
だが、今回の事件で、アマンダにこれから協力を要請しようとしている自分が、まるで仲睦まじい2人に水を差す、とんだ野暮天のように思え、そうじゃないんだと言い訳したいが為に、瑛花の説に虚しい反論を試みているだけなのだ。
加えて、今回正明が提示してくれた仮説を前提に考えた場合。
当初、『UNDASN売春』という不名誉なスキャンダルの拡散防止、出来れば真相を掴んで噂自体を明確に否定したい、その程度の『軽さ』を前提に、売春だったらきっと絡んでいるだろう反社勢力の事前情報収集の為に、その道に詳しいだろうアマンダを頼ろうとした。
それにしたって、ちょっとした、裏世界のルールや情勢を、事情通に解説してほしい、その程度しか考えていなかったのだ。
けれど、それが正明の仮説だと、そんな生易しい事態では済まない『重さ』を伴っていることになる。
即ち、USAという巨大な覇権国家の巨大な正規軍、ひょっとしたら武装テロ組織、もしくは他国のクーデター計画中かもしれない正規軍が、その相手となるのだ。
いくら昔馴染みだからと
そしてその仮説が正しかった場合、事実の解明の為には、やはり舞台となっていると思われる横浜の夜の街角を探る必要がある。
そしてそれはやっぱり、アマンダのような裏世界に詳しい人間が適任であり、事態の重要性を鑑みると『裏世界について話を聞かせて』では済まない恐れもまた、充分にある。
と、言うことは。
いったい自分は、ようやっと穏やかで、幸せな生活を得たかもしれない、あの淋しげで優しい、美しい女性に、何をさせようとしているのだろう?
そしてそれは、四季の職務上、本当にしなければならないことのだろうか?
いや、二つ目の疑問に関しては、答えは『しなければならない』一択なのだ。
四季は怒ったような拗ねたような気持ちを抱えて、顔を逸らしたまま、ボソ、と言った。
「私は、オコチャマだから、判んねえよ」
四季のブルーな胸の内を敏感に察したのか、瑛花もまた、困ったような微妙な笑顔を浮かべて小さな溜息を吐いた。
窓の外は、3月中旬、春の到来を告げるような青空が広がっている。
デート日和だな、と四季は、ぼんやり考えながら、またひとつ、小さな溜息を零した。
私、自分が幸せだからって、調子に乗ってしまってるのかな。
自分のB級映画並みの小さな企みが、彼と彼女の暮らしに、どうか波風を立てませんように、と胸の中で、祈った。
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