第55話 9-3.
彼が言う『面白いこと』、それはおそらく言葉の通りではないだろう、そしてそれは彼の警察官僚としての~本来は法務官僚なのだが~これまでの付き合いから考えて、かなり信頼度が高い新情報だろうと、四季は彼の横顔に期待を込めた視線をそっと送った。
正明は四季の視線に気付いていない様子で、慣れた手つきでマウスを操作し、
掲示板に書き込まれた膨大なレスの中で、注目すべき発言のみを正明が予めカット&ペーストしておいてくれたらしく、サービス満点の彼の肌理細やかな心遣いに感謝しつつ部面を読み進むうちに、四季は、自分の顔が、かなり微妙な表情を浮かべているだろうことを確信し、遂にディスプレイから顔を上げ、彼の方を見ると、彼もまたじっとこちらを見つめていた。
「それは、風俗関係や街角情報と言われるローカルニュースだ」
「……確かに、眉唾の話半分として見ても、都市伝説にしては、ヤケにリアルだな」
四季の言葉に、彼はゆっくり頷いた。
「その書き込まれた情報を総合すると、日本人や東洋人っぽくない、ブルネットの凄い美人が、桜木町や伊勢佐木辺りの夜の街角に、昨年の年末くらいから出没している……。ここまでが共通する情報。そこから先は、服装がどうだっただの、相手しただのされなかっただの、定期的に現れるだの不定期だの毎日だの日本語が話せるだの英語オンリーだの……、まあ、ヨタ話の類だな」
そこで言葉を区切り、彼はマウスを操作して文書の最後尾まで一気にスクロールさせた。
「そしてもうひとつ、気になる書き込みがこれだ」
四季はカーソルの指し示す箇所を、声に出して読んでみた。
「……『589の内容だと、UNDASNの第2乙ではなく米海軍のワーキングカーキのような気がする』、『467の証言は米海軍のドレスブルーだな。470の指摘どおり、UNDASNのドレスブルーなら、左胸に階級章がある筈だし、両腕にはインシグニアや階級バッチがゴテゴテあるハズ』、『米海軍とUNDASNのは夏服除くと一見、見分けがつきにくいからな』……」
四季は再び画面から顔を上げ、思わず気が抜けたような声を上げた。
「気が付かなかった。……って言うより、気に留めたこともなかった」
「まあ、所謂『ミリオタ』……、ミリタリー系オタクでないと気付かないだろうな。お前だって、プロの軍人だがオタクじゃないし、米海軍と接触しても階級や所属に目は行っても、制服自体に興味はないだろ? 」
正明もまた曖昧な表情を浮かべながら、再びマウスを操作して、今度はデスクトップ上のフォルダを開く。
「これが、米海軍の制服だ。ネットで拾った」
画面に映ったそれは、米海軍の制服を着たモデルらしい白人女性の写真だった。
「こっちが、お前さん達の制服」
正明は2つのウインドウを並べて表示させた。
「確かに……。似てるな」
四季は2種類の写真を見比べながら呟く。
「この冬用、ドレス・ブルーは、確かにそっくりだな。まあ、
そう言って四季が上げた腕には4本の金筋に小さなベクトルマークが3個、三角形に並んでいた。
「まあ、米軍は女性がリボンタイ、ウチは男女ともネクタイって違いはあるね。……ワーキングカーキと呼ばれる作業時の略装も、パッと見は似てるな。米海軍は開襟シャツタイプだけど、ウチのはノーマルカラーだ。夏だけははっきり違う。アメさんは上下ともに白、こっちは白カッターにネクタイ、ボトムは冬と同色の黒に近い紺だからね。一目で判る違いは制帽。ウチは男女同じデザインだけど、米海軍は男女でシルエットからして違う」
そこまで言って四季は、正明に向き直った。
「今は冬。ドレスブルーや、ワーキングカーキに外套でも羽織って制帽脱いでれば、それこそ素人目には米軍だかUNDASNだか判らないだろうな。ましてや、夜の街角ともなると」
「……つまり、ただでさえ真偽不明の都市伝説まがいの噂話であることに加えて、その噂の対象者自体の所属も実は不明確だった、ということだ」
正明は棒読みのように一気にそこまで喋ると、じっと四季を見つめた。
「しかし正明、だからと言ってウチとしてはやはりこう言ったマイナスの話題はマズイぜ? 第一、元々の噂話自体『UNDASNの将校が横浜で売春行為』ってことだったろ? 米海軍かも、とかそう言う反証は、後から出てきたもんだし、それだって一部の軍事マニアだからこそ出せた反証であって」
四季の言葉を正明は手をかざして止めた。
彼らしからぬ行為に、四季は唇をへの字に歪める。
それに気付いてかどうか、彼は知らぬ振りをして言葉を紡いだ。
「だから、さ。……『UNDASN将校の売春行為』って噂の内容自体が、そう装いたかったんじゃないか、って言ってるんだよ」
予想もしていなかった正明の提示した仮説に、四季は思わず言葉を飲み込んでしまった。
「……何かのカモフラージュだってことか? それともスキャンダルのでっち上げか? 誰が? 何の為に? 」
漸く、喉に上がってきた疑問を畳み掛けるように投げてから、四季はふ、と思い当たる。
「や、待て。ひょっとして……」
「そう。もし、この軍事オタク達のいう通り、目撃されたのが米海軍だったとしたら、だ」
正明はゆっくり頷いてみせる。
「お前さんの日本への再赴任理由だよ」
「前回のフォックス派テロのカバーストーリー、自衛隊クーデター計画。NATO失効による余剰兵器の闇流出をCIAに唆された在日米軍が物流コントロールしていた……」
国連を主体とする、地球統一、いわゆる『地球連邦樹立』が10年以内に成立する事が決定してから、地球上の様々な安全保障体制は急激に崩れ始めている。
いくら『緩やかな連邦化』を謳おうと、長きに渡る各国固有の歴史と風土、文化、宗教や政体、民族問題、たった一ヶ国だけでも内戦や紛争、陰謀が渦巻くと言うのに、そんな国々200数ヶ国を統一しようと言うのだ、この先10年間どれほどの難問が山積みになっているのか、果たしてそれは解決できるのか、誰も答えなど出せていない状況だ。
ローカルな問題だけ抽出してみても、例えば各国中央政府は、将来的に『地方政府』に格下げとなる訳だし、現在の各国正規軍の扱いは、未だ正式決定はしていないものの、解体またはそれに近い弱体化が図られるのは間違いないだろう。
自国の利益とステータス、安全を保障するための各国正規軍でさえ、そんな儚い状況の中、地球統一によって集団安全保障体制は、完全に不要だと看做されてしまっているのだ、既存の軍事同盟の命運は殆ど尽きていると言っても過言ではない。
ANZUS(豪新米同盟)やAUKUS(豪英米同盟)、リオ条約(米州相互援助同盟)、上海協力機構は既に廃棄されていて、日米安保条約も期限切れ失効が決定しているし、世界最大級の軍事同盟、NATOも同じくだ。
NATOは数年後には解体されることが決定しているのだが~旧ソビエト構成国によるCSTO(集団安全保障条約機構)との同時解体というのがその条件だ~、その余剰武器弾薬の管理については、NATOの中核をなす米軍自体が地球連邦化を歓迎していない事もあって問題点は多く、逆にそこへつけこむフォックス派を筆頭とする反UNのテロリストやブラックマーケットの存在は、ICPOが躍起になってルート解明と壊滅に挑戦し続けているに関わらず、依然として万全なコントロールが出来ていないのが現状だった。
その幾つかある闇流通ルートの内、太い1本と言われていたのが在日米軍だった。
米国防総省の反UN勢力を煽り続けているのはCIAで、その背後にいるのは軍需産業を基幹とする米国の巨大コングロマリットであり、彼等は日本での反UN政権樹立の失敗~即ちクーデター失敗~を受け、残る証拠隠滅に汲々としている。
在日米軍が貯め込んだ闇流出武器弾薬は、日米安保失効に先立って破棄された日米地位協定の守護がない状態だから国外への持ち出しは困難で、日本国内で捌くしかない。
その『顧客』を求めて、彼等は『営業活動』に奔走している。
日本の治安機関の監視網を搔い潜りながら。
「と言う事は……」
呟くようにそう言うと、四季は鋭い視線を正明に投げかけた。
「米海軍の本物の将校が、横浜市内で『誰か』に対して、それら『犯罪行為』に関する情報の授受を行っている。そしてそのカモフラージュの為にUNDASN士官売春の噂を流してる、って事か? 」
「全ては推測に過ぎない」
正明はそう言ってから、声を落とした。
「だが、そう考えるとこの都市伝説は一気にリアリティが増す」
「公式な情報伝達手段では問題がある、もしくは公式な伝達手段を持たない相手……」
独り言のように四季は呟き、やはり声を落とした。
「相手は反UNを標榜するテロ組織、もしくはそれらに与する政府関係者またはJSDF関係者……、2年前のクーデターの残党と考えるのが妥当、か……」
「クーデターの残党狩りは、俺達公安の主戦場だな、だからそっちは外して考えてもいいだろう。今のところ、防衛省含めて自衛隊にその動きはない。クーデター失敗に伴う粛清、馘首の嵐で、防衛省や統幕、陸幕海幕には警察庁、公安から人員を大量に送り込んだから、コントロール出来ている、筈」
地球統一を既定方針として活動するUNに敵対する国家や組織は多いし、表面上UN陣営の国家の中でも利害の対立から反主流と抗争を繰り広げているケースも多いのが実態だ。
事実上、ミクニーという異星人と生存を賭けた大戦争を闘っていてさえ、地球は一枚岩にはなり得なかった、哀しいがそう言うことだ。
四季は余計な考えを一旦頭の隅へ追いやり、温くなったコーヒーを眉を顰めて一口啜ると、言葉を継いだ。
「だが、なんでわざわざ制服着用でそんなことをするんだ? 」
秘密情報の授受なら私服で事足りる筈だ。
「……そこはこじつけに近いんだけどな」
正明はそう前置きした。
「これは、俺の知り合いの公安関係者に聞いたんだが、在日米軍は今、人手不足らしい。半島からは米軍は殆ど引き上げ、大陸への最後のマージナルラインであるこの列島も、目前に迫った日米安保の期限切れ自然失効を前に、撤退準備に大童の状態だ。スパイ天国と言われた開けっ広げの先進国ニッポンに山ほどいたCIA関係者や米軍情報関係者は、国連主導主義を取る現ホワイトハウスに睨まれて真っ先に引き上げさせられたらしいし、加えてクーデター未遂による大量の幹部軍人の左遷、退役も影響している」
そこまで言って正明は、苦笑いを浮かべる。
「っと、こいつはお前さんの専門分野だったな」
四季もまたほっと力を抜いて笑みを浮かべる。
「いやいや、いい線突いてるよ、正明。どうだ? 外務省にでも出向すりゃ」
「よしてくれよ。ああいう何をするにもまずインフォーマル、ってのが俺に合わないことくらい知ってるだろう? 俺は以前のオーストラリア大使館への書記官赴任でもうこりごりだ」
アハハハと2人で笑いあってから、四季は口調を戻して言った。
「つまり、その売春婦に仕立てられてる女性士官ってのは、何も知らずにクーリエを引き受けさせられてるってことか? 」
「だろうな……。そしてもうひとつ、制服で動くメリットがある」
正明の言葉に、四季は今度は間髪入れずに答えることができた。
「万が一の場合、外交特権が主張できる。それに加えて、敢えて噂を立てる事で陽動の役目を果たす、真の動きのカモフラージュって訳だ」
「ご名答」
満足そうに目を細め、正明は自分のマグカップを持ち上げた。
「連中の狙いが、カモフラージュだけじゃなく、UNDASNの足止めにあるとすれば、ここ最近のUNDASN兵員の日本国内での一連の不始末も、ひょっとしたら米軍が裏で糸を引いているのかもしれないな」
正明の推測は、もちろん何の証拠もないけれど、立て続けに引き起こされてUNDASN不信の国内世論形成に影響を与え、その後始末に駐日武官である四季が駈けずり回っている現状を考えれば、頷きたくもなってしまう。
「で、どうする? 動いてみるか? 」
正明の問い掛けに、四季は現実に引き戻された。
過去の不始末の真因を探るのは、今からだと遅きに失する。
今からやるとすれば、未だ『都市伝説』の域を出ていない『UNDASN売春』を片付けるしかないだろう。
答えは決まっていた。
だが、敢えて四季は彼に問うた。
「……どうすればいいと思う? 」
正明に甘えたかった。
……からかも知れない、と後になって四季は思う。
ちっぽけなことかも知れないが、彼が自分と同じ考えだとしたら、それはとても、嬉しいから。
正明は予想外だったのだろう、四季の反応に、一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに口を開いた。
「動くべき、だろうな。ひとつ、ひとつ……、小さなことでも確実に手を打つことが、やがて奴等の動きを大きく制限する為のハーケンになる」
「うん、判った」
四季の思うとおりの答えを返してくれた目の前の『同窓生』が、『任務』以外の心の空白までも優しく埋めてくれたような気がした。
『恋人』として。
「ありがと、正明」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます