第54話 9-2.


 千代田区霞が関二丁目、人々からは桜田門と呼ばれる交差点角地に聳える警視庁、そのすぐ裏手にある中央合同庁舎2号館に入っている警察庁の総合受付に申し出ると、四季はすぐに公安局参事官室へ通された。

「おっひさー」

「おう」

 部屋の主、坂崎正明はデスクのパソコンから目を離さず、忙しなく指を動かしながら言った。

「3分待ってくれ。……あ、そこの隅、コーヒー飲み放題だ。俺、ブラックな」

「なんだよ、こんなベッピンが訪ねてきたってのに随分な塩対応だなあ、おい」

 一瞬、正明の視線が揺れたように感じたのは錯覚だろうか? 

 四季は知らぬ振りでコーヒーサーバーへ歩み寄り、伏せて置いてあったカップに2杯、煮詰まったコーヒーを入れてソファへ足を向けた。

「あ、四季、すまん。ソファは後だ、先にこっちへ」

 彼が顎で指し示したのは、デスク横に置かれた予備椅子だった。

 思わず、声が低くなる。

「ほんっと、帰るぞ? あんまりの対応だと。ついでに次の食事はお前が作ることになる」

 仕事とはいえ、ふたりきりで逢えるのを楽しみにしていたのは、実は自分だけだった、みたいな寂寥感。

「そう尖がるな。いやまあ、料理はいつでも作る気ではいるけど、お前がなかなか許可してくれないからな。お、すまんな」

 正明は目の前に置かれたカップを持ち上げ、嬉しそうに香りを楽しみ~その泥のような『液体』で香りが判るのか、ビールの次にコーヒー命のドイツ人の血を引く四季には大いに疑問だった~、漸く顔を彼女へ向けた。

「忙しいところ悪かったな」

「ふん、ようやく秘書からお客様へ格上げのようだな」

 四季はそう言ってから、おもむろに笑顔を浮かべた。

「忙しいのはお互い様だよ、正明。……大丈夫、今日は2時間の余裕がある」

 彼は先程とは打って変わった穏やかな笑みを浮かべ、じっと四季の顔をみつめてきた。

 その視線に籠る、ある種の熱を感じて、そしてその熱と同じ類の熱が、自分の胸の奥にも宿っていることが感じられて、四季は漸く、満足感とやすらぎを覚えることができた。

 2人の間を遮るのは、ただ頼りない湯気を立てているカップの中の煮詰まったコーヒー、それだけ。

 双方共、元来口数の多い人柄ではないことは判っていたが、この瞬間の沈黙は、何故か心地良ささえ感じさせる。

 互いに手を、相手に向かって伸ばし、互いがその手を求め合い取り合い指を絡めて、肩を並べて日々を歩いて往ける、些細な、他愛ない、けれど何物にも代え難い、幸せ。

 四季はふと、正明もまたそう考えてくれているのだろうか、もし同じように想ってくれるのなら嬉しいのだが、と考え、確かめてみたい欲求が湧き上がり、知らず知らずのうちに、彼がデスクの上に置いていた手に、己が掌を重ねていた。

「あ……」

「そ……」

 2人が口を開いたのは、殆ど同時だった。

 驚いて互いに口を噤み、無言のまま視線で互いを促す。

「あの、さ……」

 思い切って四季がそう言った瞬間、参事官室のドアがノックされた。

「失礼……、いたしましゅ……」

 お茶を運んできた若い女性事務官が、肩が触れ合う程の距離で仲良く椅子を並べ、互いの手を重ねあっている上司と客の様子に驚いて、言い慣れている筈の台詞を噛んだのを聞き、四季は顔を真っ赤にしながら椅子をガタガタと10cm程彼から遠ざけ、正明は正明で視線をPCに移し、意味もなくカーソルを動かして画面上に円を描きながら、棒読みのセリフを口にした。

「ありがとう、お茶は応接セットへ置いてください。それと、次からは返事を聞いてから入室するように」

 事務官がお辞儀をするのももどかしそうに、まるで子供みたいにペコリと頭を下げてそそくさと退室した途端、2人は同時に深い吐息をついた。

「おーまーえー」

 恨めしげに四季が言う。

「お前がこんなとこ座らせるもんだから、妙に緊張しちまったじゃねえか」

「こっちのセリフだ、お前から手を重ねてきたんじゃないか」

 正明もまた不服そうにそう言い返してから、思いついたようにニヤ、と意地悪げな笑みを浮かべた。

「この間の夜を思い出しちまったか? 」

「ば、馬鹿っ! 」

 今度こそ四季は、茹蛸のように顔を真っ赤にして身を乗り出して叫んだ。

 彼は予想外に四季がむきになって怒鳴るのに目をパチクリさせていたが、やがて顔を赤くして~四季ほどではなかったが~視線を逸らして、すまんと小声で呟いた。

 図らずして先刻感じた疑問の答えが得られたように思え、四季は思わず頬を緩める。

 同時に今の状態は、ふたりの想いがどうであれ、職場で行われるにはさすがに不適切だろうと、要らぬ理性が鎌首を擡げてきたので、コホン、とわざとらしい咳払いで室内の空気を換気することにした。

「で? ……そろそろ本題、聞こうか」

「そうだな」

 正明もまた、救われたような、そして貴重な時間が終わりを告げたことを惜しむような、複雑な表情を浮かべ、口調を切り替えた。

「ええと……。電話でも言った通り、横浜のUNDASN売春疑惑の件だ」

「うん。なんか動きがあったのか? 」

「俺の知り合いが神奈川県警本部にいてね。警備部の参事官で所管外なんだが、少し動いてもらった。横浜市内の桜木町や伊勢佐木といった歓楽街周辺の所轄の生活安全課にまずは内偵から、という条件でな」

 生活安全課は、薬物や銃刀法、それにストーカー対策や性犯罪、風俗関係の取締りと防犯を活動主体としていることは、四季も知っていた。

 日本国内で勤務するUNDASN将兵、特に女性隊員の巻き込まれたトラブルに絡んで、四季も何度か交渉を持った事がある。

「もちろん、本格的な捜査の段階ではないし、本格的な捜査に着手可能な情報もなし、従って投入できる人員も限られている。結果は思わしくなかった」

 四季は無言のまま頷いて見せ、先を促す。

「で、関東管区警察局、神奈川県公安委員会経由で、正式に組織犯罪対策課や地域課を使って、もう少し突っ込んだ探りを入れてみた」

 この噂話に毛が生えたような段階で、正明がそこまで突っ込んでくれたことが嬉しかった。

 もちろん、UNDASN絡みということで、先年の東京壊滅計画の悪夢を日本側が想起してくれたこともあるだろうが。

「結果は? 」

 四季は心持ち身を乗り出したが。

「思わしくない……。というより、何も出なかった」

「うーん……」

 四季は再び身体を背凭れに預け、後頭部で手を組んで唸った。

「……て事は、ガセ? ……と言うか、やっぱり都市伝説の類ってところなのかなぁ? 」

 正明は四季の反応を見て、少し表情を緩めたのを不思議に思いながらも、言葉を継いだ。

「じゃあ、マスコミはこのまま放置する方向がベターかな……」

「そう思うだろ? 」

 その言い方に引っ掛かって四季が眉根を寄せると、彼はデスク上のPCの画面を指差した。

「……インターネットの掲示板? 」

「そう。その中でも、アングラ系というのかな、ときたまマスコミを賑わせる、所謂『巨大掲示板』ってやつだ」

 指されたそのサイトは、四季もテレビや新聞等で聞いたことのあるものだった。

 四季達が仕事で使用するUNDASN固定端末や携帯端末は、UNDASNの持つ広大な軍事ネットワークに接続され、普段の業務は充分それで事足りるのだが、もちろん、UNDASNのゲートウェイを経由して、パブリックなインターネットへの接続も可能だ。

 殊、四季達在外公館メンバーの職掌柄、政府関係者や民間企業等との遣り取りが増えると、そのインフラがインターネット網となるのは仕方のない事だし、事実、国際部に配属されてからは途端にインターネットの利用率が上がったこともあり、最近では興味もあってプライベートでもインターネットを利用する機会が増えている事もまた確かだった。

 当然、その場合は自宅に置いてある、近所の家電量販店で買ったコンシューマー向けモデルを使うのだが、実際任務上でも民間ネットワークに接続しなければならない事例も増えつつあり、その為に武官事務所内には軍用ネットワークとは別系統のインターネット専用端末も数台設置されているのが実情だ。

 今、正明が指し示している巨大掲示板も、そんな中で知った知識だった。

「この掲示板は、主にサブカルチャー系のカテゴリに幾つか分類されていて、利用者はその匿名性を利用して様々な話題を提供する『スレッド』を開設し、同好の士や、時にはアンチが集ってそこでチャットする仕組みだな」

 そのスレッドで盛り上がった話題が書籍化されたり映像化されたりすると、『ネット発』とか『ネット上で話題騒然』とかのキャッチコピーで宣伝されて流行を作り出す。

 また、モバイル端末からもアクセスできる手軽さとリアルタイム性を活した同時進行ドキュメントが楽しめたり、また、時にはそのスレッドに犯罪予告が書き込まれたり、と、近頃インターネット掲示板自体が話題を提供する媒体となっている事を、四季はぼんやり思い浮かべた。

 このような流れは、実は21世紀頃から徐々に育ってきたらしいのだが、ミクニーとの戦争勃発で、既存インフラが破壊され、その後も長く戦争に直接関係するインフラが優先して再構築されて民間は後回し、という状況が続いたこともあり、漸く21世紀の再現が行われ始めたのも第一次ミクニー戦役停戦後からのことらしい。

 実際は、SNS等が主流になっていることが多いらしいが、携帯電話等のモバイル端末自体が職業柄持ち込み制限される職場に所属する四季には、コンピュータ端末での掲示板という媒体の方が馴染みが深いのが実情だった。

「例えば、映画やテレビ、アニメや漫画、ライトノベルやゲームと言った『オタク』的なカテゴリから国会中継みたいな政治分野も存在するし、株や外貨取引等の経済分野、自動車や飛行機と言った乗り物、釣りやスポーツ、文芸等の趣味の分野、リアルタイム性を活かした、地震や気象、交通情報と言ったものまで様々なカテゴリがあるんだが……」

 四季は、だんだんと正明の言いたい事が判ってきた。

「その中に、『軍事・兵器』と『風俗』、『街角情報』と言う分類があるんだ」

「なあ、正明? 」

「ん? 」

 話の途中で口を挟む行為が、四季にしては珍しいことだと正明は判っているのだろう、彼はいぶかしげな表情を向けた。

「お前、いつの間にネット廃人になったの? 」

「なってないっ! 」

 崩れた姿勢を瞬時に立て直しながら律儀にツッコミを入れる正明に、四季はコロコロ笑いながら手を振って見せた。

「嘘うそ! 冗談。あはは! 言って見たかっただけだよぉ。ごめん、続けて」

「……ったく」

 ブツブツ言いながらも正明は気を取り直して話を続けた。

「まあ、書かれている内容の方は、無責任な噂話程度の事柄ばかりなんだが、な? 横浜の件が都市伝説だとしたら、逆に、案外ネタが拾えるかと思ってな。試しに検索してみた」

「……で、ビンゴ? 」

 正明はこくりと頷き、続けて口をヘの字に歪める。

「しかも、面白いことが書いてあった」


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