9. 幸せな、ひまわり

第53話 9-1.


 日曜朝の特撮番組に登場する定番の、悪の秘密組織の女幹部もかくや、と思わせる傲然とした態度でソファにそっくり返っている瑛花えいかの姿は、けれどどんなに態度が悪かろうがどんな酷い悪態を吐いていようが、その艶めかしい色香はこれっぽっちも損なわれることなく、いや、普段以上に彼女を魅力的に見せているように、四季には思えた。

「馬鹿言ってんじゃないわよ貴方ほんっとに判って喋ってるぅ? 収穫量世界第三位のアメリカ南東部を去年11月に襲った巨大ハリケーン3連チャンに加えて収穫量世界第二位のインドの旱魃に第四位のトルコの大地震のお陰で今年全世界的に冬春トマトの生産量が20%も落ち込むってのはお釈迦様もマリア様もアッラーもハナから判ってるお約束なのよお約束! トマトソースやケチャップ用のはウチの備蓄も含めて中国やエジプトから吐き出させてハインツやユニリーバ、デルモンテとカゴメへ渡すことで漸く契約量キープさせてんだからサラダのトマトくらい我慢しろって言いなさい! それともなに? 系外3方面の陸上群の大砲ってばトマト撃ってるとか言うんじゃないでしょうね? バレンシアの祭りラ・トマティーナのつもりなら私もまぜろ、そう言っときなさい! ……ああ結構、私の名前出していいわよ! 私の名前聞いてまだ文句のあるヤツ、新宿駅西口で待っててやるわ! 」

 力任せに叩きつけるようにして受話器を置き、肩を竦めて見せる瑛花の横で、四季は我慢出来ずに腹を捩じらせ、ソファの上を笑い転げていた。

 渋谷、宮益坂にあるUNDASN駐日武官事務所、武官室の応接セットで、調達実施本部の女王と謳われる瑛花は、その美しい顔を怒りで真っ赤に染めていた。

 女王を迎え入れたこの部屋の主、首席武官である四季もまた、やはり顔を真っ赤に染めている。

 但し、笑いを堪え兼ねて、だ。

「あははははっ! ちょ、瑛ちゃん先輩、そりゃ酷えよ、あは、あは、あははっ! 3陸群の野戦特科、怒るぜぇ? あはは、トマト砲は良かったな、あははは! だ、だいたい、ドット星の連中に喧嘩売って、新宿西口に呼び出すか? あは、あははは、は、腹痛えっ! 」

「こら四季、あんた笑いすぎ」

 仏頂面で四季の向かいのソファに腰を下ろしている瑛花は、その長く美しい脚を素早く、そして美しく組み替えた。

 四季はそんな瑛花を、漸く笑いの発作を収めて、目尻に浮かんだ涙を指で拭いながら、そして仏頂面ですら美しいとは面妖な、と感心してつつ、言った。

「まあでも、3方面サード・フロントの連中の気持ちは判るよ。あそこの主戦場はドット・フロントだ。平均気温は夏季日中でも摂氏7度を越えないし、地軸が公転面に対して25度近く傾いてるってんで、北半球と南半球は極端な白夜と暗昼、そうなりゃあもう、食べることくらいしか、楽しみなんてないもんなあ」

 四季の言葉に瑛花も頷いた。

「そりゃあ、ね。戦争なんて旨いモン食ってるほうが勝ちって言うのは、遠くはWWⅡ以来の伝統みたいなもんだものね。それくらい私だって判ってるわよ。だけど、この地球上の全トマト、UNDASNが25%も買い占めてそれでもまだ足らないって状況を、もうちょい考えて欲しいもんだわ。結構、EU辺りからの風当たりが強いのよ。ウチの本部の方だって、アンタら国際部からは結構突っ込まれてるらしいし」

「『金さえ払えば、トイレットペーパーからクレムリンまで』の瑛花お姉さまでも、トマトの不作までは手が回らない、ってか? 」

 揶揄うようにそう言った後、四季はふと表情を和らげて言葉を継いだ。

「ごめん、茶化すようなこと言っちまって。……でも判ってるよ、先輩。先輩は手の届く範囲以上に頑張ってる。何処の誰がどんな文句言ったって、少なくとも私がちゃんと、先輩のことは判ってる。……それで堪忍してくれねえかな? ね? 」

 瑛花は嬉しさと照れ、困惑が入り混じったような複雑な表情を見せて、ちょっと視線を落とし、呟くように言った。

「……なにさ、カッコつけちゃって。後輩のくせに生意気なのよ」

 四季はニコ、と笑ってひとつ頷いて見せ、それから雰囲気を変えようと大きめの声を出した。

「ところで先輩、武官事務所ウチなんかで油売ってていいの? 忙しいんだろ? 」

「んー」

 瑛花は少し冷めたコーヒーを啜りながら手をヒラヒラと振って見せた。

「さっきまで、センターに東郷のオヤジが来ててさぁ」

「東郷って、4月から経済同友会の会長に就任する? 」

「ん。丸紅の会長の」

 『さっきまで』のことを思い出したのか、瑛花は嫌悪感を露わにした表情を浮かべて言葉を継いだ。

「パーティーとかで数回会った事はあったんだけどさ。まあ殆ど初対面みたいなもんなのよ。……それがあの狒狒爺ひひじじい、応接室に入って10分も経たないうちにお供の連中全員部屋から追い出して、私の横に座り直してジロジロと。下心隠す気なんてこれっぽっちもありゃしない。挙句、『今夜、どうかね? 旨い肴を出す料亭があるんだが、ふたりだけで』と来たもんだ! 経済界のトップがあれじゃあ、国際労働機関ILOがこの国にハラスメント対策後進国の烙印を押したのも超納得だわ」

 そこまで一気に言ってから、瑛花はハァッと盛大な溜息をついた。

「たまたま入った別件の電話をネタにして早々に切り上げて、アンタんトコロに避難してきたってワケよ。ありがたく思いなさいな」

「ありがたがれって、相変わらず傲慢だなぁ、まぁ先輩らしいっちゃあ、らしいけどさ」

「なによ、なんか用事でもあんの? 」

1600時ヒトロクマルマル出発で鶴見に行かなきゃ」

 四季は腕時計に視線を落としながら答えた。

「横浜? 」

「うん。東芝の鶴見工場。先週、波動エンジンの新工場が落成しただろ? その表敬訪問」

 瑛花はああそういえば、と口の中で呟いて、コロッと笑顔を見せて話題をかえた。

「横浜と言えば、例の……。ほら、横浜センターのあんたの子分の件、どうなったの、その後? 」

「子分じゃねえってば」

 唇を尖がらせてそう言い返してすぐ、四季は少し表情を引き締めた。

「そろそろ協力をお願いしようと思ってたんだけど……。それが、ね。昨日のことなんだけどさ」


「武官。先程の会議中、警察庁の坂崎参事官からお電話があったそうです」

 UNDASN厚木航空基地の本部棟を出たところで、駐日実施部隊との連絡・調整を主任務とする武官事務所内務3班長、クラウディア・ベルゼッティ一等艦尉が美しいウェーブのかかったブロンドのセミロングヘアを泳がせながら四季を振り返った。

「坂崎? 急ぎか? 」

「ノー、マム。急ぎではないけれど、電話ではなく、お会いして直接お話したいことがあると言うことらしいですよ?」

「なんか急ぎの案件、あったけ? 」

 思わず、数日前の逢瀬の夜を思い出して、頬が熱を帯びた。

 けれど、その時にも彼は、仕事の話を振ってはこなかった。

 まあ、以前ピロートークで仕事の話をしようとしたときにダメ出しをしたのは自分なのだが。

「武官。どうして頬を赤らめていらっしゃるんです?」

 額に突き刺さるような痛みと共に聞こえてきたクラウディアの声に、思わず我に返った。

 美しいながらも、まるでアイドルのような可憐さを感じさせるクラウディアの顔が今は、まるで齧歯類の小動物みたいに頬が膨らんでいた。

 クラウディアは、初めて東京に着任した2年前からの頼り甲斐のある部下だが、強いて難点を挙げるとするならば、四季のことを、好き過ぎるという点だ。

 自分が同性からも好意を寄せられる存在だということはなんとなく子供の頃から自覚していたが、これまで、このイタリア娘ほどに真っ直ぐ愛を突き付けてきた人物は殆どおらず、だから素直に嬉しいとは思うものの、その想いの純粋さが時にこうして重く圧し掛かってくる。

 おそらくクラウディアは、坂崎正明という武官事務所でも名も顔も知られた重要人物と四季の間に横たわる、ある種の感情の香りに、きっと気付いているのだろう。

 だから四季は、慌てて何でもないよという風に表情を取り繕わなければならなかった。

「まあいい、こっちから連絡してみようか」

 普段プライベートで使っている携帯に手を伸ばしかけて、慌ててその手をクラウディアに差し出した。

 危ない危ない、ついつい気が緩んじまうなぁ。

 クラウディアから渡された軍用の携帯端末を操作し、NTT外線にアタッチして登録済の正明の携帯をダイヤルすると、呼び出し音1回で本人が出た。

「あ、坂崎? 私、鏡原。元気だったか? 」

『この間もお泊りしただろうが』

「あー……。いや、まあそのなんだ、挨拶じゃねえか、挨拶」

 隣で眉根を寄せているクラウディアをチラリと見て、四季は彼女から顔を逸らした。

 音声のみだが、彼の憮然とした表情が見えるような声、けれどプライベートで逢う彼は、いつも優しい微笑を湛えて、四季を抱き締めてくれる。

 彼との仲は、UNDASNの誰にも、そして東京で住まい、未だに頻繁に連絡を寄こしてくれる友人達にも報せてはいない。勘付かれてはいるかもしれないが。

 日本での四季の立場、そして正明自身の立場を考えれば止むを得ないと、それは彼も納得してくれているのだが、四季個人としてはそんな秘匿された関係が、そして秘匿しているという事実が、何やら後ろめたく思えてしまって、少し、哀しい。

 今日もまた、あの日と同じ胸の痛みを覚えながら、それを悟られまいと四季は軽口を叩いた。

「尖がるなよ、ちったあ嬉しそうな声、出せないかね? 」

『あいにく、そんな機能は装備してないんだ。……それより会えるか? 』

「せっかちが過ぎると女性から嫌われるぜ? ……つか、お前、今どこ? 私は今、厚木基地なんだけど」

『桜田門。厚木なら帰り、寄れるか? 』

 四季は左腕の時計を見ながら答える。

「今出たトコだから、混んでなけりゃ30分で着く。最長2時間くらい時間取れるよ」

 いったん言葉を切って、少し声を落とした。

「……もちろん、仕事の話だよな? 」

『ああ、横浜の件……、なんだがこれが少し妙な……』

 彼にしては珍しく語尾があやふやに萎んでいくのを聞いて、四季は訝しげな表情を浮かべた。

 その途端、迷いを振り切るような大きな声が響く。

『いや、会ってから話す。じゃ、後で』

 こりゃあ真面目な話、結構重要な情報だろうな。

 四季は通信を切り、表情を引き締めてリアシートに身体を入れながら言った。

「内3班長、予定変更、警察庁に寄る。先に事務所へ戻ってくれ。オフィスへは、帰所予定ETA1730時ヒトナナサンマルに変更」

「アイマム。外2班長(外務2班、内閣府、総務省、法務省、国家公安委員会、警察庁担当)を向かわせますか? 」

「いや、いい。……私一人で」

 仕事絡みではあるけれど、彼との密かな逢瀬を、誰にも邪魔されたくはなかった。


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