第47話 7-8.


 駅前広場のベンチに座って煙草を1本~もちろん喫煙禁止区域だが、関係なしだ~、灰にした頃には、漸く胸の動悸も落ち着いてきた様に思えて、アマンダは短い吐息を零した。

 見る間に冷たい風に吹き散らされていく白い吐息を目で追っていると、陽介が小走りに店から出てきたのが見えて、もう一度吐息を落とす。

「はい、おまちどお」

「あいよ」

 ポケットから札を掴み出した手は、陽介に押し留められた。

「いいよ、今日は奢りだ」

「いいって。払うよ」

「今日のパーティで大活躍したろ? 俺からの第1級戦功賞詞だよ」

 後は有無をも言わさず、陽介は紙袋を押し付けてきて、自分はさっさと横に座り、袋からホットコーヒーのカップを取り出している。

「おい、冷めないうちに食えよ」

「……ん」

 申し訳ない気持ちが三、嬉しい気持ちが七、何れにせよ微妙な表情を浮かべているだろうなと思いつつ、アマンダは札をポケットに押し込み、普段通り両手を合わせた後、中からサラダを出して食べ始めた。

 余程腹が減っていたらしく、アマンダは自分でも驚くほどのスピードでサラダを平らげ、バーガーの包みを開く。

 途端に立ち昇る温かい湯気と香りは、忽ち冬の寒風に吹き散らされて、しかし確実に伝わる陽介の優しい気遣いと、それを喜んで享受している今の自分に、アマンダは思わず鼻の奥がツン、と痛くなるのを感じて、慌ててガブリとハンバーガーにかぶりついた。

「あははは! お前、そんな腹減ってたのか? 」

「ふ、ふぐはひ! 」

 弾けた笑い声を上げる陽介に、何となく腹が立って、アマンダはハンバーガーから口を離さないまま、プイッと横を向く。

 が、陽介はアマンダに構う事無く、煙草を咥えて火を吸い付けた。

「ほれ、食い難いだろ? 持っててやるよ」

「ふぁ! 」

 膝の上で抱えたままだったバーガーショップの紙袋を、陽介はひょいと取り上げる。

「それで足りるか? もう1個、買って来てやろうか? 」

「……ん。……や、いいよ、もう」

 漸くそれだけ答えた後、アマンダは少しだけ肩から力を抜き、2口目は最初より控えめに口に入れた。

 咀嚼しながら顔を上げると、先程よりネオンは一層煌びやかに瞬き、すっかり日の暮れた駅前広場はしかし、更に賑やかさを増したように思える。

 腕を組み、嬌声を上げて歩く若いカップル。

 落ち着いた雰囲気の、しかし腕を絡め男の肩に頭を凭れ掛けてゆっくりと歩くスーツ姿のカップル。

 一見訳アリ風の恰幅のいい初老の男性とキャリアウーマン風のカップル。

 子供を真ん中に挟み、外食で夕餉をすまそうとしている風の若い夫婦。

 これから合コンなのだろうか、妙にハイテンションな男性と、猫を被っているけれど、ファッションは如何にも気合が入っているように見える女性の団体。

 もちろん、そんな笑顔の人間ばかりではなく、寒そうに身体を縮めて足早に歩くサラリーマンや、不機嫌そうな表情で携帯電話に喋りながら歩く女性、何を思い悩んでいるのか立ち止まり首を捻っている若いビジネスマン、様々な表情の人々がひっきりなしに行き交うこの巨大ターミナルの前で、けれど、何故かアマンダの瞳には幸せそうな家族やカップルだけが、視界に飛び込んでくるのが不思議だった。

 それじゃあ、今、ベンチに並んで腰を下ろしている自分と陽介、ふたりの男女は、周囲の人々からはどう見られているのだろうか?

 どちらも第1種軍装ドレスブルーだ、澄まし顔して歩いていれば、単なる同僚にしか見えないだろう。

 だが、ハンバーガーを食べながら、ベンチに並んで座っている姿となれば、どうだろうか?

 ひょっとして、職場恋愛で付き合っている恋人同士に見えるのか?

 自分で考えておきながら、その余りの唐突さに、アマンダはひとり頬を染めて手に持ったハンバーガーに視線を落としてしまう。

 YSICの食堂や、オフィス周辺の飯屋で昼食を採っていた時には考えもしなかった疑問が、シチュエーションが少し変わっただけで、こんなにも心を騒めかせる。

 チラ、と横目で陽介を見ると、美味そうに煙草をふかしているだけだ。

 その暢気そうな態度に、悔しさを覚えてしまう。

 陽介の朴念仁ぶりに~たったそれだけの事で朴念仁呼ばわりも酷な話だが~少しばかり腹を立て、3口目を齧りつく。

 が、そんな感情とは別に、明らかにこの状況を喜び、楽しんでいる自分が居る事にも、アマンダは気付いていた。

 心の裏を覗き込めば、それに気付いていたからこそ、気持ちがこんなにも騒めくのかも知れない。

 どんな場所であろうとも、あれ程陽介との食事に拘っていたのは、とっくにそれに気付いていたからなのだろう。

 どうやら自分は、陽介の隣というポジションが、知らぬうちに癖になってしまっていたようだ。

 いや、今更だ。

 最前線だということを忘れてしまいそうになるほどに、ミハランの砂漠にいた時から、陽介の隣が、心地良かったのだ。

 けれど、と改めて考える。

 それじゃあ、陽介はどうなのだろう? 

 陽介は、自分のことを、どう思っているのだろう?

 再会してからたった数ヶ月なのに、もう何十回、何百回と考えて答えを未だに出せていない疑問が、再び首を擡げる。

 どう思ってるのかと問う、それ以前の問題だ、自分は肝心の自分の想いを、何一つ、陽介には告げてはいない。

 それを秘しておいて、どう思うなどと、やっぱり問う資格は自分にはないのかも知れないとも思う。

 振り返れば、自分だって陽介の全てを知っている訳ではないのだ。

 けれど、それでも心にはやっぱり漣がたち、想いは乱される、毎日。

 初心な餓鬼じゃあるまいし、自分で自分に呆れてしまう。

 『お互いよく理解しあって』等と奇麗事を言うつもりはない。

 だが、もしも自分の想いを陽介が知ったとしたら、彼は一体、どんな反応を見せるのだろうか? 

 最悪の予想、などとペシミストを気取る必要もなく、だからこそ自分は自分を受け容れてくれる『宝物』を手に入れ、満足していたのだ。

 それで幸せだと思える自分が、確かに、いたのだ。

 だが、それと同じ程に、いやそれ以上に幸せだと感じ、喜びに打ち震えている自分が、今、ここにいて、それはどこをどう引っ繰り返してみたって、同じ自分でしかない。

 なあ、陽介?

 お前も、アタシと一緒にいる今が、幸せだと思ってくれてるのか?

 唐突に、自分の意思とは関係なく、唇が開き、言葉が流れ出す。

「あ……」

「ん? 」

 振り向いた陽介に顔を向け、アマンダは一瞬、唇を噛んだ。

 待て、早まるな。

 言うんじゃない。

「あ、あのよ……」

 刹那主義、上等じゃないか。

「そう言やぁ、お前」

 今のままでも充分、幸せなんだろう? 

 それを自分の手でぶち壊してしまうつもりか? ”

 そうさ。

 壊してやる。

 自虐的な黒い笑みを浮かべるもうひとりの自分が、背中をドン、と押した。

「アタシみてえなのとよ……。こんな小洒落た店の前で、こんな風なコトしてて、見つかったら恥ずかしいだろ? いいぜ、先に行っても」

 言ってしまった。

 幸せな一時を、自ら終わらせる、言葉を。

 けれど陽介は、相変わらず柔らかい表情のまま、頷いてみせた。

「こんな風なコト、って……。別に、ヤバい事してる訳でもないだろ? そりゃ、まだ勤務時間中だけどさ」

「当たり前だ、馬鹿! ヤバい事とか言うなっ! ……じゃなくてよっ」

 引き攣る頬、重い心とは裏腹に、唇は軽やかに動く。

「……マジな話。前にも言ったけど、これでもアタシはハマ中のレディース束ねてた暴走族のアタマだったんだぜ? サツは勿論、ヤー公からも始終目ぇつけられてた不良だ。ドレスブルーを羽織ったからって、性根は今も変わんねえ。……けど、お前は幹候出、おまけに防大まで出たエリートじゃねえか。アタシみてえなのと仲良くしたって、損はあっても得はねえさ。だいたいアタ」

 突然、陽介の手が伸びてハンバーガーの包みを持ったアマンダの手を掴み、無理矢理口に押し当てた。

「よくまあ、喋るなあ、お前。ちょっとは黙って食えないか? 普段、押しても引いても喋らないくせに」

 そして、アハハと明るい笑い声を上げ、2本目の煙草を咥える。

「……確かに、ウチの連中なんかも、俺とお前の仲、勘繰ってる奴が結構、いるみたいだな」

 ゆっくり火を吸い付けると、顔を正面に向け、少し声のトーンを落とした。

「ただ、俺はね、アマンダ。……正直、艦を降りて地上勤務、しかも地球で本部幕僚だって言われた時には、正直、戸惑ったさ。……丁度、雪潮降りてミハランで地上勤務しろって言われた時みたいに、さ。実際、地球へ戻ると、もっと戸惑った。防大に通ってる時とは、また違うんだな。あれは1年って言う期限付きだったし、卒業後はすぐ最前線に戻るって決まってたから。だけど今度は、さ。違うんだよ。任務だって言われてやってきたのが娑婆の真ん中、爆音も銃声も聞えない、平和で安全、穏やかな後方で、立って座って寝て起きて、息して笑ってるって言う事実に、さ……」

 胸の奥が痛い。

 ああ、この男も、同じだ。

 昔のアタシと、同ンなじだ……。

「……これだって、大事な任務だろ? 」

 思わず口をついて出た言葉に、陽介は微笑んだ。

「優しいな、お前」

「ば、馬鹿! 」

 思わずそっぽを向いてバーガーにかぶりついた。

 刹那、陽介の優しげな声が響いた。

「そんな、戸惑いまくってる俺だから、猶更なおさらお前の傍が、心地良いのかも知れないな」

 バーガーに齧り付いたまま、アマンダはゆっくりと陽介に顔を向けた。

「上手く言えないけど、なんか……。この新しい、未知の配置で、お前が俺の部下だって知った時。理由なんてないんだけど、心の底から、ほっとしたんだ。……よくよく考えてみたら、これだって、ミハランの時と同じかも、ってな。『ああ、ここだって、俺が居て良い場所なんだ』って思えたんだ」

 吸殻を空になった紙コップに投げ込み、陽介は言葉を継いだ。

「だからって訳じゃないけど、相棒のお前とは、周囲から何と言われたっていい、どう見られたっていいって、そんな気分でいられるんだ。要はお前は、俺の存在許可証……、そんな風に思ってる。お前はここでも、俺の大事な相棒さ」

 アマンダは口からバーガーを離し、モグモグと口を動かした。

「……けっ! 誉めたってナンも出ねえぞ! 」

「それより、お前はどうなんだ? ここまでは俺の勝手な思い込みだったけど、お前、ひょっとして嫌なのか? 」

「べ、別に……」

 ゴクン、と無理矢理飲み込んで横を向く。

「……なんか、お前が妙にリラックスしってからよ。……なんとなく、気に入らなかったんだよ」

「天邪鬼だなあ」

「わ、悪かったな! どうせアタ……! 」

 ムカッとして振り向いたアマンダの顔に、ス、と陽介の手が伸びてきて、思わず言葉を飲み込んだ。

 指が、唇の輪郭を撫ぜ、口の端についたケチャップを掬い取り、陽介はそのまま自分の口へ運んだ。

「! 」

 漸く冷ました頬が、今度はそのケチャップよりも赤く染まっただろうと、アマンダはふと思った。

 それでもやっぱり陽介は、そんな自分に気付かぬ様子で、明るく言った。

「まあ、お前の天邪鬼っぷりは今に始まったこっちゃないし、……な? 雪姉? 」

 思わずコクンと頷いてしまい、アマンダはそのまま顔を上げず、猛烈な勢いで残りのハンバーガーを口に押し込み始めた。

 畜生、畜生!

 なんか、悔しい。

 悔しいけれど、それ以上に嬉しかった。

 本当に、心が蕩けてしまいそうな程、嬉しかった。

 本当の幸せが永久に訪れなくてもいい、刹那の幸せでもいい。

 刹那なら尚、時間を止めたいと真剣に願う。

 けれど、唇は、熱い想いと裏腹に、再び動いた。

「……待たせたな。帰ろうぜ」

 それを言わせたのが、誰なのか。

”アタシの心だ……”

「そうだな。冷えてきた」

 もっとこうしていたい。

 泣きたくなるほど、祈るような気持ちで望んだ願いは、10%は陽介の、そして90%は自分のせいで、あっけなく消える。

 だけど、それでもアマンダは幸せだった。

 今なら、陽介の言葉を抱き締めて生きてゆける、とさえ思った。

 手許に残った、冷めたコーンスープさえ、温かく感じられた。

 飲み干すのが、勿体ないなと思いながらも、飲み干したら、胸の奥がほんのりと、温かくなったように感じられた。

 この日以来、アマンダはファストフード店も、以前よりは抵抗なく利用できるようになった。

 相変わらず、店員を「ねえちゃん」と大声で呼び、周囲の失笑を誘ってはいるが。


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