第46話 7-7.
オフィス内では面倒臭いことこの上ないアマンダだったが、オフィスの外で食事する際は、少し、様子が違うように陽介には思える。
同僚や部下の前では持ち前の照れ性を炸裂させているが、人目の数はオフィス外の方が多いとはいえ、見ず知らずの他人の方がまだマシだ、どうやらそんな風に思っているらしく、彼女の執着はどちらかと言うと、外での食事の方に向かっているらしかった。
陽介が外出していると、監視衛星のスター・インテリジェンスをクラッキングしているのかと疑いたくなるタイミングの良さで、携帯端末がコール音を鳴らす。
十中八九、音声のみで画像送信はOFFである。
「陽介? アタシだ、アタシ。もう、出たのか? 」
陽介は苦笑してランドマークタワー内の伊藤忠商事のロゴが描かれたガラスドアを振り返る。
「グッドタイミングだな、アマンダ」
「ふーん……」
言葉で表わせば、如何にも気のない返事のようだが、携帯端末の向こう側で頬を赤く染め、冬だというのに額に汗をかき、酸欠の鯉みたいに口をパクパクさせている彼女の表情が目に浮かぶような『間』が、そこにある。
「アマンダ、昼飯、一緒にどうだ? 出てこられる? 」
こういう時は先手必勝、と陽介は経験から学んでいた。
妙に焦らしたり、アマンダに言わせようとすると、十中八九彼女は目的を果たせず、帰り掛けには臨界寸前の縮退炉のようになって、結果、癇癪の被害を蒙るのは自分なのだ。
逆に、次の予定が押していたりして食事を共に出来ない場合、素直にそう言うと、アマンダはあっさりと引き下がるし、その後、機嫌が悪くなる事もない。
「……え? 」
間の抜けた短い返事、その直後に、肺を一気に満たす程の大容量の空気流入音で、アマンダの喉がヒュー、と鳴る音が耳に届く。
”さすが俺、サブマリナーだな”
別にソナー員ではないのだが、潜空艦乗りは大抵、音に敏感になる。
「じゃっ、じゃあよっ! 」
爆発的な音量が鼓膜を震わせる。
振り返ると分厚いガラスドアの向こうの伊藤忠の受付嬢が、何事かとキョトキョト周囲を見回していた。
アマンダが今、何処で電話を架けているのかは判らないけれど、周囲は迷惑しているんだろうなぁと気の毒に思ってしまう。
普段は、少し低めのハスキーボイスが~『色っぽい』と皆は評するが、陽介には何故だか『ほっとする』甘く懐かしい声に聞えて好きなのだ~、今はテンパりまくって、まるで餓鬼大将が騒いでいるようにも思えた。
「今ランドマークタワーだろっ? MM線? JR? 地下鉄? タタタクシーィ? ゼータクなんだよテメエはよっ! いや、まあ、それはいいや。じゃ、10分後に開港記念館の前、な? な? な? 」
「判った判った、公衆端末の横のベンチだろ? 」
「いちいちいち、……あれ、多かったか? いちいち言わなくていいんだよ馬鹿! 遅れるなよ! 遅れたら殴るぞテメエ! 」
言うだけ言って通話は一方的に切れた。
携帯端末と
画像・音声通信は、UNDASNで電通本部で決められた発信符合・受信符合・共用符牒を遵守せねばならない筈なのだが、これでは敵前100m、塹壕の中で切羽詰って
「それに……」
陽介は溜息を吐きつつ、気弱げな微笑を浮かべた。
「早く着こうが遅刻しようが、結果は同じなんだよなぁ……」
タクシーを指定の場所で降り、3分前に到着したら、アマンダは既にベンチの前で立っていた。
「遅ぇんだよこのタコ! 」
「ちゃんと時間前だろうが」
ぼやきながら近付くと、アマンダは冬だと言うのに腕まくりして第2ボタンまで外したワーキングカーキに、薄っぺらなYSICのウィンドブレーカーを羽織った軽装だった。
額には薄ら汗が浮き、顔の周りで白い吐息が踊っている。
オフィスから駆けてきたのだろう。
「アタシが待たされたんだから、遅刻も同然だ、馬鹿っ! 」
通行人が振り向くほどの大声で悪態を吐いてから、まるで別人のようにアマンダはニコ、と笑って陽介に駆け寄り、彼の腕を取った。
「さ、行こうぜ? 」
陽介の腕に両腕を巻き付けるようにして、小走りに引っ張り始めるアマンダに、今度は彼の方が周囲の目を気にしつつ訊ねる。
「ど、どこへ? 」
「合同庁舎の裏によ、ちょいと小汚ねえけど美味いメシ屋があんだよ。煮物が美味くってよ、いっぺん、お前に食わせてやりたくってさあ」
大抵、アマンダが好んで行くのはこの手の『飯屋』だ。
そこは、まさか20世紀の昔から伝統を受け継いできた訳ではあるまいが、まるで絵に描いたような、定冠詞『The』を付けて呼びたくなるような『飯屋』で、醤油で煮しめたような暖簾を分けて引き戸を開いた奥には、主に中年以上の男性社会人達で思った以上に繁盛している様子だった。
店内には、安物のダイニングテーブルとイス、カウンターのガラスケースには惣菜が値段別に置かれ、客は好きなだけお盆~トレイとは呼びたくない、アルマイト製だ~に載せると、最後に薄暗い厨房に陣取る、どこぞに愛想を置き忘れてきたかのようなおばちゃんに、丼飯と汁物を頼む。
大中小の白飯と、味噌汁・豚汁・お吸い物、もしくはうどんかそばと言った麺類から選んで、そこで勘定を済ませて席につくスタイルだ。
見るからに古風な、そして怪しげな店だが、陽介はアマンダが紹介してくれる店だという事で、これっぽっちも疑ったりはしていなかった。
実際のところ、アマンダの舌は、殊、和風~特におふくろの味、家庭料理系~では信頼に値した。
彼女自身もこの手の料理は得意なようで~実際、美味かった~、だからよく判るのだろう。
「……ほんと、美味いな」
思わず、呟くように陽介が言うと、アマンダは嬉しそうに彼を見て、そして、決まってこう続ける。
「……そうか? まあ、美味いには違いねえけどよ」
続きは、二通り。
「そ、そんなに好きならよ……。アタシが今度、作ってやろうか? 」
「前にアタシが作った奴の方が、美味かった……、だろ? 」
共通点は、どちらも声が小さいこと。
陽介の答えも、二通りだ。
「そうだな。楽しみだ」
「勿論、お前の方が口に合うよ」
何の捻りもない答えだが、それは陽介の嘘偽りのない思いであり、アマンダにとっても、どうやらその答えは及第点のようだった。
これはアマンダが外出、陽介がオフィス内に居る場合でも大して変わらないし、月に数度ある、2人揃っての外出の際でも変わらない。
とにかくアマンダは、可能な限り陽介と昼食を採る、まるでそれを最優先目的として日々のスケジュールを決めているのではないか、陽介にはそうも思えるほどだった。
ただ、時折はこんな事もある。
松が取れて1週間、漸く正月気分も抜け始めた1月下旬の事だった。
横浜国際会議場で行われた、日本冷凍食品工業会の関東地区賀詞交換会の会場を出た陽介とアマンダは、立食形式のパーティ会場で摂取したアルコールを醒ませてからオフィスへ戻ろうと、ぶらぶら歩いて横浜駅に辿り着いたのは1600時頃だった。
「ふーっ! やっぱ、寒いなあ、この時間は」
公の宴席の場ということで、この日はドレスブルーに第一種防寒衣~ドレスブルーと同色のトレンチコートだ~、黒の革手袋と服装令に添った出で立ちのアマンダは、普段着ている私物の革ジャンではないからなのか、フルリと身体を震わせて白い息を吐いた。
微かに唇が震えているのが判って、陽介は苦笑を浮かべてアマンダに声をかけた。
「おい。お前、腹減ってるんじゃないのか? 」
アマンダは陽介を振り返ってはにかんで見せたその表情は、思いの外、幼げだった。
「判っか? 結構、腹痛ぇ」
照れ臭そうにそう言った後、恥ずかしくなったのか、珍しく言い訳めいた口調で言葉を継いだ。
「な、なんて言うのかなぁ。あの立ち食いパーティってのは、どうにも性に合わねえ。手ぇ2本しかねえってのに、酒持って皿持って箸持ってフォーク持ってあの人混みん中ウロウロと食いモン求めて彷徨うなんざ、人間業じゃねえよなぁ」
言いたい事は判るが、皿も箸もフォークもコップも、要は食器やカトラリー類は一度使ったらテーブルに放り出しておけば片付けてくれるのである。って言うか、立ち食い言うな。
陽介は思わずそう言いかけたけれど、我が身大事の思いで口には出さない。
そんな事を言いながらも、彼女はニコニコと取引先のお偉方には愛想と笑顔の大バーゲンで、愚痴や不満を億尾にも出さないアマンダは、やっぱり取引先のおじさま方からは絶大な人気を誇っていたのである。
けれど陽介には、今の無愛想ながら、微かに照れを頬に浮かばせながら振り返った笑顔の方が、何倍も美しく思えた。
「軽く、なんか食ってくか? 」
「ああ、」
軽くそう答えたところで、アマンダは途端に半眼を大きく見開いた。
またぞろ、何やら面倒臭いことを考えているな、とピンときた。
そして陽介の予想は当たっていたようだ。
何故ならアマンダは、顔を真っ赤にして両手を振り回しながら、喚いたから。
「や、だだだだ駄目だダメだ! こ、こんなところで! 」
「でも、腹減ってんだろ? 」
「は、腹は減っちゃいるけどよ! で、でも、そそそそれとこれとはべ、別だ! 」
「どれとどれ、だって? 」
「頭悪りぃのかよ、お前は! いや、だからよ! 」
ますます判らないので、陽介もいい加減面倒臭くなってきた。
「うるさい! 」
「うるせえたあ、なんだそりゃテメエ! やるかっ? 」
「望むところだ! 」
サッと身構えたアマンダの右手首を、陽介はガシ! と掴み、有無を言わせず引っ張って歩き始めた。
アマンダはぼけっとした表情で暫くはされるがままになっていたが、やがて我に返って、再び暴れ始めた。
「な、なんだよ! は、離せよ、馬鹿! 」
子供のようなアマンダの騒ぎっぷりに、周囲の通行人はクスクス、クスクスと笑いを堪えかねている。
それに気付いたアマンダは、途端に頬を真っ赤に染めて口を噤んだ。
「やっと大人しくなったな」
振り向いてニヤ、と笑う陽介に、アマンダは脹れっ面でソッポを向いた。
「へっ! ……腹が減って、声も出ねえや」
「腹に食い物入れたからって、店の中で暴れんじゃないぞ」
「アタシを子供扱いすんじゃねえっ! 」
また、周囲の通行人が笑い声を上げる。
「くっ! 」
アマンダが顔を真っ赤にして俯いたところで、陽介が立ち止まった。
そこは、ハンバーガー・ショップだった。
2人とも、例え別行動の場合でもファストフード店には滅多に入らないのだが、『軽く』と言ってすぐに目についたのが、この店のマークだった。
「いらっしゃいませ、マクダネルへようこそ。こちらでご注文お伺いいたします」
カウンターでゼロ円のスマイルを振り撒く学生アルバイトらしい女性の笑顔も、パーティ会場でのアマンダの愛想笑いには勝てないな、と陽介はふと、思った。
「店内で。ええと、俺はホットコーヒー、Mサイズ。お前は? 」
「え、えと……。こ、これ」
「どれ? 」
「こ、このベーコンエッグダブルチーズだ」
妙に頬を赤らめながらメニューを指差しボソボソ言うのが聞えなかったのか、店員がオーダーを尋ね返した。
途端にアマンダの赤く染まった頬が、茹蛸みたいに臨界点突破寸前のような赤に変わる。
「ねえちゃん、ベーコン、エッグ、ダ、ダブル、チーズバーガーの、サ、サラダセットだ! コーンポタージュで! 」
ツッカエながら、一言づつ区切りながらオーダーするアマンダの声は店内に大きく響き、周囲の客が一斉に、この辺りでは珍しいドレスブルーの奇妙なカップルに視線を浴びせてきた。
「あ、あぅ……」
もう、アマンダはこのまま頭が爆発しそうなくらい真っ赤になって、触ると火傷しそうな程だ。
見ているのも可哀想になり、陽介はアマンダに囁いた。
「ちょっと寒いけど、外で食うか? 」
アマンダはチラ、と上目遣いで陽介を見て、恥ずかしげにコクリと頷いた。
「ああ、君。悪いがテイクアウトに変えてくれ」
そしてアマンダの肩をポン、と叩いて言葉を継いだ。
「持っていくから、先に出てろよ」
「……ん」
小走りに店を出ていくアマンダが、とても可愛く思えて、思わず笑顔を浮かべてしまった。
そんな自分に気付かされたのは、生暖かい視線が店員から注がれていたからで、だから陽介も照れ臭くて、思わず顔を伏せてしまった。
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