第45話 7-6.


 一般企業でいうところの、所謂『昼休み』はYSICでは時間帯が指定されている訳ではない。

与えられた任務は殆ど民間営利企業のそれと大差はないが、妙なところは軍隊的な慣習を残していて、11時頃から3交替で行われる。

 常に『配置』にはその『部隊』の2/3が残っていなければならない、との不文律があるのだ。

 ちなみに、夜間や休日に関してはこの限りではなく、各部署数名づつの当直が配置につき、YSIC全体でセンター長と高級幹部(一尉以上)を除くワッチ(当直先任士官)が統括するのが慣わしだ。

 職員食堂は朝6時から夜11時までの営業、ランチタイムは11時から14時まで、だからこの時間帯になるとオフィスの空気が少しだけ、緩む。

 その日、アマンダ率いる7係5班に所属するグロリア・ゲティスバーグは、5班長のデミオから申し付けられたレポートの作成に追われていた。

「ご飯いこー」

「お腹ペコペコー」

「どしたん、ハマってるみたいね? グロリア」

 顔を上げると、普段から何かとツルんでいる同じ7係の悪友、アグネス、フローラ、アヴィの3人が立っていた。

「あー、ごめん、今日は行けそうにないや。班長ボスに言われてるのよ、1500時ヒトゴーマルマルまでに提出せよ、って」

 肩を竦めて見せると、アヴィ達3人は残念そうな表情を浮かべて口々に呟いた。

「そっかー、残念」

「ロアがいないんじゃ、フローラつまんないー」

「こーら、無理言うんじゃないよ」

「なになに? なんか企んでるんじゃないでしょうね? 」

 悪友達の表情や口ぶりに陰謀の匂いを嗅ぎ取り、思わず立ち上がったグロリアに、アヴィは人差し指を口に当てウインクして見せた。

「先週着任した新センター長と雪のんの件、よ」

 アヴィに耳元で囁かれて、グロリアも合点がいく。

 確かに、新センター長着任前の雪姉ちゃんの様子はおかしかったし、着任当日の『尋常ならざるご対面』は、皆の、とりわけ若い女性の妄想を激しく掻き立てるものがあった。

「ぐううううっ! 私も行きたいよーっ! 」

 身悶えするグロリアの肩をポンポンと叩き、アグネスが溜息交じりに言った。

「同情するわ、ロア。だけどねえ。アンタんとこの親分……」

 アグネスの視線を追うと、5班長のデミオがこちらを睨んでいた。

「アンタを連れ出すと、ちょっとシャレにならないみたい」

 3人の背中を溜息で見送った後、グロリアはディスプレイに顔を向けながらも、改めて陽介とアマンダの関係を考える。

 いったい、あのふたりの間に何があったのだろうか。

 クールでダンディ、しかも美人で魅力的で、だけど姉御肌で面倒見がよく実は優しいアマンダを、グロリア達は皆『雪姉ちゃん』と呼んで~アヴィだけは何故か『雪のん』と呼ぶ~慕っていたし、彼女の魅力を含む性格はよく理解しているつもりでいた。

 だけど。

 野生の黒豹のようなアマンダを、あんなグダグダで泣き虫で甘えん坊の黒猫に変えてしまった~それはそれで、胸がキュンとするほど可愛かった~陽介というA幹は、確かに人物は好さそうだけれど、男性としてそれほど魅力があるようには、はっきり言って見えなかったし、見えないということは、昔、陽介とアマンダの間で、あの様な『衝撃的でドラマティックな再会』シーンを演じさせるほどの『深い過去』があったに違いない、とグロリアは考えている。

 けれど、その過去が判らない。

 だいたい、陽介は艦隊マークネイバル、アマンダは陸上マークアーミーと兵科からして違うのだ、そんなふたりがいったい、何処でどんな縁で出逢い、どんなドラマを繰り広げたのだろうか?

 それが、判らない。

 それを、知りたい。

 だから。

 そこのところを是非、早急にアヴィ達と話し合いたいと思っていたのだ。

 もっとはっきり言うと、溜め込んで膨らんだ妄想を、吐き出したかった。

 今は、第1陣がそろそろ席を立ち始めている時間帯だ。

 たぶんアヴィ達のあの様子だと、話に熱中してしまって交替時間を守らずに第3陣あたりと一緒に帰ってきそうだ。

 そんなことを考えながら、チラ、と未だ自席に残って仕事を続けているアマンダの方を見た。

「係長、お先に食事、行かせて頂きます」

 部下達の挨拶に、アマンダは端末から目を離さず、低く「んー……」と呻くように応える。

 全員慣れているから、脱帽敬礼を軽くして、そのまま誘い合わせて食堂へ降りて行く。

 戻ってきたら「係長、お先に頂きました」、「んー……」。

 機嫌が良いと、顔は端末に向いたままで質問が飛ぶ。

「今日の日替わり」

 今日の日替わりランチは何か? 美味かったかどうかと訊ねているのである。

「和は鯖味噌煮定食、洋は豚ピカタランチ、中は野菜タンメンセット。効果判定は中・和・洋! 」

「ん」

 攻撃効果判定は美味いと評判の順。

 土地柄、大抵の場合、トップは中華である。

 そうこうするうち第1陣が戻り始め、第2陣が席を立ち始める。

 以下、同じような情景がアマンダと部下達の間で繰り広げられる。

 普段通りの光景だった。

 アマンダは、センター内の食堂を利用する限り、部下達より先に食事に立つことは滅多にない。

 第2陣が戻り始める頃、グロリアはふと、気付いた。

 アマンダの注意力や集中力が、いつもと違って散漫なように思えたのだ。

 グロリアは、こうなったら仕事など放り投げ、腰を落ち着けてじっくりとアマンダを観察することにした。

 観察して、判った。

 いつもなら、スッと細められた切れ長の目、鋭い視線は、気の弱い人間ならそれだけで腰を抜かしてしまうほどの迫力なのに、どうも、今、グロリアの目に映るアマンダは様子が違って見える。

 取り敢えず、顔は書類やらAFLディスプレイへ向いてはいるのだが、良く見てみると、瞳は完全に別の世界にイっちゃってるのだ。

 そして時折、我に帰ると今度は、チラッ、チラッと背後へ視線を飛ばす。

 視線を飛ばす間隔がやがて、次第に短くなり、第3陣があらかた食事へ出払った頃には、背後へ顔を向けている時間の方が長くなる。

 背後にあるのは、センター長室。

 室内で仕事をしている陽介が、ガラス張りだから見えるのである。

「ひょっとして、雪姉ちゃん……? 」

 グロリアの予想は、第3陣が戻り始める頃、正しいことが証明された。

 ディスプレイと手元のバインダの間を往復していた陽介の顔が、漸く部屋の壁掛け時計に向かう。

 陽介は首を左右に2、3度振りながら部屋から出てきて、アマンダの横に立った。

「メシ、まだか? 」

 彼が椅子から立ち上がった直後から、アマンダは仕事に集中するフリを始め、それは彼が横に立っても継続中だ。

 そして、彼の言葉に、如何にも物憂げに答える。

「……ん」

「行くか? 」

 刹那、アマンダの瞳が揺れた。

 そしてゆっくり椅子を立つ。

「しゃあねえなあ」

 そんな彼女の邪険な反応も気に留めない様子で、陽介は嬉しそうに微笑んで、歩き始めた。

 アマンダは、不貞腐れたようにそっぽを向いて、彼の後に続いた。

”あー、もう辛抱たまんないっ! ”

 グロリアは椅子を蹴って席を立つと、デミオに向かって「食事、行ってきます! 」と叫び、返事も聞かずにふたりの後を追った。

 その日から2週間、グロリアは、陽介とアマンダ、ふたりが揃ってオフィスに在席している日は、『ウォッチング』と『尾行』に勤しんだ。

 グロリアの観察から再構成された『彼と彼女の標準的な昼食風景』は、凡そ、次のようなものだった。


 オフィスを出ると、アマンダは陽介の背中に呟くように語り掛ける。

「カツ玉とじ、チキンカツ、肉野菜炒め」

 部下から集めた『日替わりランチ』情報を公開しているのだ。

「お前、どうする? 」

 アマンダに問われて、陽介はんんー、といつも唸る。

「旨そうだから、カツ玉とじにでもするか」

 言いながら、アマンダを振り返ると。

「アタシ、五目ヤキソバ定食」

 陽介が問い返す前に、答える。

 見ていると、彼等のメニュー選択には、ある法則があることが判明した。

 アマンダは、部下達からの情報収集に熱心だが、しかし、それを陽介に報告するだけで自ら選ぶことはない。

 報告を受けた陽介は、二度に一度はその中から選ぶ。

 選ばないときは、大抵『五目ヤキソバ定食』だ。

 そして、アマンダは彼が五目ヤキソバ定食を選らばない日は、まるで自分が身代わりになるかのように、五目ヤキソバ定食を選ぶ。

 つまり、この2人は毎日、どちらかが必ず五目ヤキソバ定食を食べるのだ。

 オーダーして料理を受け取ると、彼等は漸く落ち着きを見せ始めた食堂の隅、喫煙コーナーに向かい合わせで座り、黙って食べ、黙ってTVを眺め、時折言葉を交わしながら~大抵は陽介が話しかけ、アマンダがボソボソ答えているようだった~煙草を2本づつ燻らせ、40分ほどで去る。

 オフィスへ戻ると真っ直ぐ、揃ってセンター長室へ入り、朝の始業前同様陽介の淹れたコーヒーを2人で飲む。

 ここでは、アマンダも結構喋っている様に見える。無論、食堂と較べて、だが。

 そして、休憩からきっちり1時間で、アマンダは自席へ戻る。


 そしてグロリアは、2週間振りに悪友達と昼食に行き、これまで収集した情報を自慢げにアヴィ達に公開した。

「アンタ、最近付き合い悪くなったと思ってたら、そんなことしてたんだ、アホねぇ」

 アヴィが呆れたように言った。

「だ、だって! 」

 グロリアが抗議の声をあげると、アヴィはそれを掌で押し留めて、手に持ったカレーのスプーンを隣のアグネスの顔の前に差し出した。

「お嬢さん、インタビューにご協力ください。向井センター長とアマンダさんの関係について、どう思われますか? 」

 マイクに見立てたスプーンでも快く協力してくれた、陽介とアマンダに近しいYSIC所属の職員のインタビュー内容は、以下の通りであった。


証言1:7係1班、アグネス・リン三等艦曹、香港出身24歳。

「ん? アレ? アレはどう見ても雪姉ちゃんがセンター長を誘ってんのよ。そりゃあ表面上は逆だけどね? でも、彼にそう仕向けてるのなんて、誰が見たってバレバレ。昼食時間に突入したら、雪姉ちゃんったらどんどん集中力が落ちてきちゃってさ? でも自分からは誘わない、でもソワソワしちゃって、そのうち、オリガミ? それをガラスに投げつけちゃったり。子供よねえ」


証言2:7係1班、フローラ・アルジャン三等艦曹、フランス出身23歳。

「雪姉ちゃんってば、可愛いんだよー? フローラ、いつも見ててドキドキしちゃうの! センター長がお誘いに来た瞬間なんかさ。もう、見ててこっちがキュンってなっちゃう! ほっぺが、りんごさんみたいになって。フローラまで真っ赤になるの。そんでね? センター長と一緒に食堂へ行く時なんかもさ? 彼の後ろを歩きながら、ちっちゃな声で日替わりランチ情報、練習してるんだよ? きゃはっ! 」


証言3:7係3班、アヴィ・ネイサン三等空曹、カナダ出身24歳。(インタビュアーは、アグネス)

「ほら、雪のんってば昔から食事は必ずひとりで食べてたじゃない? それが彼が着任した翌日から、まるで10年前から一緒にいましたー、てな顔して、差し向かいで食べてんだもん。そりゃ度肝抜かれたわよー。彼が話しかけても素っ気無い風装って、けど彼が横向いた途端、顔真っ赤にして慌ててご飯粒とか零したり、むせて鼻からヌードル出したり。まるで腐ったラブコメよね」


証言4:7係5班、グロリア・ゲティスバーク三等陸曹、アメリカ出身24歳。(アヴィが差し出すスプーンが嬉しくて、ノリノリで答えてしまっていた)

「え? ああ、あの2人。『食堂の異次元空間』ね? ……あ、私がそう呼んでるの。ふたり、向かい合わせに座って。初デートみたいにぎこちないの。あ、もちろん雪姉ちゃんが。並んで座ればいいのにね? まあ、雪姉ちゃんって照れ屋さんだし、出来るだけ目立たないように、って事なんでしょうけど、却って目立ちますよね、アレじゃ。だって……、こう、目がイっちゃってますもん。たまぁに焦点があったな、って思ったら絶対彼の横顔。決まって横顔。……何故って? そりゃあ、正面切ってセンター長とみつめ合う勇気なんて、雪姉ちゃんにはありません。ええ。断言できますわ」


証言5:食堂のおばちゃん(匿名)、出入り業者、横浜出身の華僑、年齢はNG。

「そりゃもう、雪ちゃんったらアンタ甲斐甲斐しくってねぇ。昼に限らず朝だって、傍で見ててイジラシイくらい。必ず先に立って席を確保して上げて、お冷やらお茶やらお箸やら珈琲やら、箸より重いもの持たせやしない! って感じ。……私ゃねえ。センター長さんがいらっしゃるまでのあの娘を思い出すともう、涙が出てきちゃって。いつも前のめりで、肩肘張って、誰彼構わず睨みつけて、いつだって独りで。笑顔も隙も、これっぽっちも見せないの。……でもねえ。いい娘なんですよ。ええ、判ります。この商売、この歳までやってるとね。ご飯はいつも残さない、お皿も丼も、まるで舐めたみたいに綺麗で。テーブルもキチンと拭いていくし、食前食後にゃ手ぇ合わせて。だから私ゃ嬉しいの。いいひとが現われてくれて。早く結婚して、可愛らしい赤ちゃん(以下略)」


証言6:8係長、ジャニス・ウィーバー一等艦尉、アメリカ出身27歳。

「ちょっと、余計なコトして話をこじらせないで下さいね! 私の日本での、UNDASNでの一番のお楽しみなんですから! こう言うのはね。ちょっと離れたところからこっそり眺めてワクワクドキドキニヤニヤしながら楽しむのが一番なんです。密かに愉しみながら、時々アマンダをいじってアクセントにする、これが一番賢い楽しみ方なんです! 」


証言7:総務会計係長、志保・ジャクリーン・明石一等艦尉、アメリカ出身28歳。

「防衛機密です」


「どうかな? ロア」

 スプーンを置いてそう訊ねるアヴィに、グロリアはガックリと肩を落とした。

「私の2週間の努力が……。一体、何の為に私……」

 フローラが、横から手を伸ばし、頭をなでなでしながら慰めてくれた。

「よしよし、可哀想なロア、泣かないで。頑張ったのは認めてあげるから、私が勲章をあげましょうね? 」

「優しいね、フローラ」

 思わず顔を上げたグロリアに、フローラは鷹揚に頷き、自分の食べたオムライスに飾り付けられていたパセリを、すっと胸ポケットにさしてくれた。


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