第44話 7-5.
「ふぅーっ! 」
30分後、同じガラスドアを外へ出た陽介は、寒風吹き荒ぶ冬の街中で、額に掻いた汗を手の甲で拭いながら、大きな吐息をついた。
「ん? 」
彼の前を歩いていたアマンダは、右の眉を僅かばかり上げて振り向く。
「……おみそれいたしました」
敬礼してみせる陽介に、アマンダは口の中で「よせやい」と呟きながら背を向けて歩き出した。
顔が見えなくなる瞬間、彼女の頬が赤かったように思え、やっぱり照れてるんだなと可笑しく思いながらも「いやマジで」と小声で付け加えた。
覚悟していた尻拭いなんて、これっぽっちも必要なかった。
思い返しても、アマンダのネゴシエーション術は、壮絶だった。
ここでも彼女は、陽介の予想の『斜め上』を駆け抜けたのだ。
ビルに入る前、アマンダから『懸案事項』の内容を聞き、陽介は結構手間取りそうだと密かに緊張していたのだ。
しかし彼女はニチレイの担当者に陽介を紹介し、雑談など余裕たっぷりにした後、たったの20分足らずでこの『懸案事項』を解決してしまった。
やはりニチレイにとって、UNDASNは大切な大口顧客であるらしく、最上階の豪華な賓客用応接室に通された陽介達の前に現われたのは、加工食品部長と営業部長、取締役横浜事業所長の3人だった。横には担当営業マンとその上司である課長が控えている。
「やあ、どうも、沢村一尉。ご無沙汰しており申し訳ありません」
鷹揚な笑顔を浮かべて手を差し伸べる事業所長に、アマンダも目が醒める様な鮮やかな笑顔を浮かべて握手に応じた。
「こちらこそ、いつもお世話になりましてありがとうございます。磯野取締役まで、お忙しいでしょうにわざわざ」
「いやいや、沢村さんがいらっしゃると言うので、楽しみにしておったんです」
「磯野は、本社との会議が入っておったんですが、沢村さんがいらっしゃると報告した途端、キャンセルしましてね」
横から営業部長が割って入り、磯野と呼ばれた事業所長も満足げに頷く。
「沢村ファンとしては当然のことです。……ああ、どうぞどうぞ、お掛け下さい」
「いえ、その前に。10月1日付けで横浜センター長として着任しました、向井陽介三等艦佐を紹介させて頂きます。実は、私が本日御社へお邪魔するんだと言いますと、ニチレイ様と言えばUNDASNの影の主計幕僚とも言える超重要企業様じゃないか、良い機会だからご挨拶に伺いたいと申しまして。……事前連絡もせずに、ご迷惑ではありませんでしたでしょうか? 」
事業所長はアマンダの見え透いたお世辞にも、ニコニコ笑顔を浮かべる。
「迷惑などと、とんでもない! こちらこそUNDASN様には常日頃お世話になり……。や、もちろん商売だけでなく、我々人類を守って頂いているのですから、それをそんな風に言って頂いて、光栄の極みですよ。……ああ、初めまして。日頃は沢村一尉には本当にお世話になっております、私横浜事業所の責任者をやらせて頂いています、磯野と申します。今後とも宜しくお願いします」
陽介は緊張気味に名刺交換を行った。何度経験しても、慣れない。
「こう見えまして向井は、潜空艦が専門なんですのよ? そのせいですか、隠れるのばかりが得意で、このような協力企業の皆様の前に出るのは苦手だとか申しましてね」
「そうですか! いやあ、潜空艦と言えば、危険な艦種だと聞きますが、そうですか、それは本当にご苦労様でしたなあ」
「潜空艦と申しますのは『サイレント・サービス』とか呼ばれてるらしくって、私共も向井の前配置を耳にして、サイレントじゃ困る、どんどん喋って欲しいのに、なんて噂してまして……。あら、とんだ失言ですわ。後で怒られそう! 」
「わははは! 沢村さん、クビになりそうになったら、是非ご連絡下さい、優遇しますよ! 」
「まあ、嬉しい! でしたら、今すぐお願いしちゃうかしら? ね、センター長? 」
笑いながらチラリと流し眼を送ってきたアマンダの艶っぽさに、思わずドキリとしてしまったのは内緒だ。
「いや、これは冗談抜きですよ? 向井センター長、沢村さんの有能さは、我々には喉から手が出るほどのものでしてね。営業部長なんかも、新人や中堅営業マンを指導して欲しいなどと言い出す始末で」
緊張気味の彼をリラックスさせるように冗談を交えてお互いの橋渡しをしていたアマンダは、充分空気が温まったと見極めをつけたのだろう、華やかな笑顔のまま
「ところで小山部長? 例のUNDASN不認可保存料添加のプレーンハンバーグパテ100ロット100,000食の件なんですけれども、返品させて頂きますので来月末日を目処に貴社ご指定の保税倉庫へ私共がお届けいたします。つきましては、同量の代品を折り返しお引き受けしたいのですが、ご手配の程宜しくお願いします」
小山と呼ばれた部長の表情が、満面の笑顔から一気に困惑へと激変するさまは、見物だった。
「ら、来月末……、ですか? いや、ご返品については勿論……、というか、お手数をお掛けいたしますが宜しく……。ですが、代品の方は……」
いくら冷凍食品の世界トップメーカーとは言え、さすがに代品を3週間で100,000食用意するのは厳しい要求だろう。
要求する側のこちらまで、背中にどっと冷や汗が噴き出る思いで、しかし陽介は無言のまま『紳士』3人の様子を伺っていた。
営業部長が焦りを隠せないまま対応している横で、不審気な様子の取締役に加工食品部長がしきりに耳打ちをしている。
多分、この件を取締役には正式に報告していなかったと見える。
そんな彼等にはお構いなしに、アマンダはますます笑顔で、普段よりも声のトーンを高くして言葉を継いだ。
「ご苦労もおありでしょうとは存じますが、代品が手配できませんと、セーンボンク星系の第6航空艦隊が早晩餓えてしまいます。あの方面はなんですか、作戦部門が申しますには敵の攻勢一段と激しく一進一退の状況がこの先数ヶ月は続くとか……。セーンボンクが敵の手に落ちますと、太陽系への爆撃も半世紀ぶりに再開される怖れもあるとかで」
オホホホホ、と普段の彼女からは想像も出来ないお上品な笑い声を上げた後、目だけは笑っていない笑顔のままで声を落とした。
「と、言うわけですから、ご無理でもなんでも、ご用意お願い致します。お出来にならない場合は、私共も他社様からの手当ても考慮しなければいけませんので。もう既に数社へはお声をかけさせて頂いております」
さっきまでの笑顔は何だったんだと言いたくなるほど、厳しい表情を浮かべて黙ってやり取りを聞いていた取締役が、ここぞとばかりに口を開いた。
「……それは、国際機関公正取引条約違反では? 」
「緊急避難行為に該当する、と言うことで、国際条約部と法務部のコンプライアンス担当の判断が下っております」
取締役の鋭い指摘をアマンダはサラリと受け流した。
「いかがでしょうか? 」
表面上、アマンダは柔和な笑顔を崩すことなく、磯野はと言えば左右の部下をチラと見て、諦めたかのように笑顔を浮かべ、鷹揚に頷いた。
「判りました。なんとか致しましょう。正式なお答えは、明日中に小山からさせます」
「ありがとうございます」
座ったままアマンダは深々と頭を下げ、ゆっくり顔を上げると、今まで忘れていた、と言うような軽い口調で、再び爆弾を投げつけた。
「あ、そうそう。なお、代品は無償交換と言う事で宜しくお願いします。それと、返品及び代品受け取りに要した経費は、今回のお取引に関する第8回お支払から差し引いてお支払致します。差額明細は主計局より別途お手許へ……」
二発目の爆弾は、一発目が演習弾だったのかと勘違いさせるほどの特大の破壊力だった。
「そ、そんな! お待ち下さい! け、契約上では瑕疵担保期間は既に……」
営業部長が悲鳴のような声をあげ、テーブルを乗り越えんばかりの勢いで身を乗り出したのを避けようともせず、逆にアマンダはひょいとその美しい顔を彼の鼻先に突き出し、蕩けるような笑みを浮かべてみせた。
「UNDASNでは、科学本部を中心に軍産協同を積極的に推進しておりますのはご存じかと。科本の科学情報部15課が民間発新技術情報の収集分析を担当をしておりますが、その話によりますと、貴社では新しい冷凍保存技術を開発され特許出願中だとか」
今度こそ取締役の笑顔がフリーズする。加工食品部長などは顔色が無くなってしまっていた。
「沢村さん」
掠れた声で呼びかけた磯野に構わず、アマンダは声を低くして言葉を続けた。
「来年度の系外幕僚部向け糧食調達計画では、戦線の拡大と太陽系外の居住人口の急増に鑑み、長期保存に重点を置いた調達要件を加味する予定で、現在
磯野は、アマンダの言葉の持つ意味を瞬時にして悟った様子で、蒼白だった顔にサッと赤みが増していた。
「判りました。返品と代品に関するお支払に関しては、仰る通りに致しましょう」
アマンダは、いっそう、その妖艶な笑みを深め、前のめりだった姿勢を元に戻すと、目の前の民間人の顔を満足げに、等分に見つめて、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。貴社の国連及びUNDASNへのご尽力は、ひいては地球文明圏と銀河系恒久平和に寄与する素晴らしい企業努力の表れとして、調達実施本部、いえ、国連本部でもきっと賞賛されますわ」
そして立ち上がり、手を差し伸べた。
「私も、貴社のような素晴らしい企業を担当させて頂いて、鼻が高いと言うものです」
「こちらこそ、末永くお付き合いの程を宜しくお願いします。蘭崎様にもよしなにお伝え下さい」
立ち上がってアマンダの手を握り、会心とも言える笑みを浮かべる磯野の言葉に、アマンダは漸く、笑顔を消した。
「それでは、貴重なお時間を拝借いたしまして、ありがとうございました」
振り返ると、調達任務が初めての陽介ですら、彼女の『作戦』が国際条約違反スレスレである事が判る~国際独占禁止商取引条約はともかく、国際機関公正取引条約には確実に抵触しているだろう~、際どいものだった。
いや、よくよく考えてみれば、コンプライアンス抵触スレスレの交渉の進め方こそ、アマンダらしいと言えるのかもしれないと、陽介は思わず苦笑を浮かべてしまう。
それでお互いHAPPYならいいんじゃねえの、とアマンダのリアクションが聞えてきそうだった。
オフィスでの電話対応と同様、結果的には一時的な損を相手に強いながら、来期には確実に彼等のUNDASN取引実績は前年対比大幅増間違いなし、相手の望むUNDASNとの積極的な関係強化を叶える結果を出現させたのだ。
頭が良くて、手際が良いだけじゃない。
本当の腕利き調達というのは、まさにアマンダの為にある言葉だと、しみじみ納得させられた。
「何やってんだ? 置いてくぜ? 」
振り向いたアマンダは、さっき応接室で見せた、煌めく笑顔は何だったんだと問いたくなるような、普段通りのダルそうな、そして『不機嫌な猫科の猛獣』のような表情に戻っていた。
「ああ」
けれど、営業用ではあったかも知れないが、確かに彼女の笑顔は、美しかった。
その笑顔を普段から見たいものだなと考えながら、陽介は小走りでアマンダの背中を追いかけた。
視線を感じて陽介は、ゆっくりと現実に呼び戻される。
思い出の中の『不機嫌な猫科の猛獣』が、今は外線通話中のハンドセットを肩に挟みながら、物問いたげな視線を投げかけているガラス越しのアマンダの表情とオーバーラップした。
きっと、今も台詞だけは百点満点の愛想を振り撒いてるのだろう。
思わずクスリと笑いを洩らした陽介を見て、アマンダは手の中で今も折っていたのだろう、メモ用紙製の折鶴を指で摘んで振って見せた。
その微かな笑顔が、妙に可愛らしくて、陽介は、やっぱりアイツ、もっと笑えばいいのに、と思った。
既にアマンダは、机に向き直り陽介に背中を向けている。
電話が済むか、昼食時にはその折鶴を陽介に放り投げてくる筈だ。
それも何時の間にか出来上がったふたりのルールであり、その成果物である小さな鶴は、今では彼の机の抽斗に200羽近くも、思い出と一緒に降り積もっていた。
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