第43話 7-4.


「なあ」

 陽介が端末から顔を上げると、アマンダがドアに凭れて立っていた。

「どうした? 」

 ノックの音も気付かなかったな、と少し反省する。

 朝一番で開いた報告書の内容に引っ掛かってしまい、漸く片付いたと思ったら時計は既に10時を回っていた。

「ん……」

 アマンダは小さく呻くと、しかし視線を自分の足元に落としてその先を言わない。

 いくら無口だとは言え、特に仕事の事になれば、要件がある限り遠慮なく、きちんと説明するのがアマンダだ。

「……どうしたんだよ、気持ち悪いなあ」

 わざとおどけてそう言ってやると、彼女は途端に反応する。

「うっせ、馬鹿! 気持ち悪いってなんだよ」

 言ってしまってから陽介の作戦に引っ掛かった事に気付いたようで、アマンダは忌々しそうな表情を一瞬浮かべて、いつもの『指定席』に座って煙草に火をつけた。

「なあ、本1500時ヒトゴーマルマルくらいから空いてっか? 2、3時間くらいなんだけどよ……」

「ああ、午後からは外出も会議も来客もなし、だけど」

 アマンダは、ほっとしたような表情を浮かべた。

 珍しいな、と陽介が言おうとすると、先に口を開いた。

「ちょいと厄介事があってよ。悪いんだが、後詰めを頼めねえかなぁ? 」

「厄介事? 」

 陽介は、素早くついさっきまで読んでいた報告書や連絡文書を脳内で検索する。

「7係で何かあったかな? 」

「や、昨夜連絡があったんだよ、統幕経由で外幕の補給担当から。だから、まだレポートあげてねえ」

「どんなトラブルなんだ? 」

 陽介が表情を引き締めた途端、デスクの内線が鳴り、止む無くハンドセットを持ち上げた。

「向井だ……。うん……、ああ、今……。え? ……ん、そうか、繋げ」

 陽介が送話口を押さえて視線をアマンダに戻すと、彼女は灰皿に煙草を押し付けて立ち上がりながら言った。

「相手はニチレイだ。アタシも、もうちょい手を打ってみる。詳細は道々話さあ。すまねえ、1500時ヒトゴーマルマルスタートで頼むわ」

「了解だ」

 気にはなったが、来客や会議、急なミーティングや資料作成に追われ、ひと段落ついたなと時計を見ると既に1445ヒトヨンヨンゴー時を指していた。

「そろそろ行くか、沢村一尉」

 陽介は外出の身支度を済ませ、部屋を出てアマンダのデスクの横に立ち声をかけた。

「あいよー」

 アマンダは携帯端末に何かの統計資料らしいファイルを手早くダウンロードし、アタッシュに端末を放り込んで椅子から立ち上がった。

「ちょい、着替えてくる」

「ん。通用口で待ってる」

 通用口に立って、遅いな、と思いながら腕時計を見て呟いた途端、背中で声がした。

「すまねえ、待たせたな」

 別に警戒していた訳ではないにしろ、人が近寄ってきた気配を全く感じなかった陽介は、驚いて思わず声を上げそうになるのをどうにか踏み止まった。

「お前、俺にストーキングしてんじゃ……」

 苦笑しながら振り向いた途端、言葉が出なくなった。

 初めて見る、アマンダの第1種軍装ドレスブルーだった。


 話は横道に逸れるが、UNDASNも軍隊だ、軍隊ということは制服があり~制服を着用せずに武器を持てば、それはテロリストと看做されても仕方がない~、任務の内容や配置に応じて百数十種類に及ぶ制服が用意されていて、それらは服装令と呼ばれる規約で管理されている。

 まず、第1種軍装。

 これがUNDASN所属将兵の基本の軍装であり、これで戦闘地域を除く配置で日常業務から儀礼式典まで、オールマイティにこなせる、となっている。一般に、ドレスブルーと称されるのがこれだ。

 昔ながらの典型的な海軍制服と言えばよいだろうか。限りなく黒に近い紺のダブルのスーツにネクタイ、金ボタン、袖には階級に応じて本数や太さが異なる金色の飾り線。上着の右胸には階級章、左胸には略綬とイーグルウィング・バッジ(士官・下士官・兵でデザインが違う)。幕僚もしくは参謀だと、右肩から右胸に掛けて、幕僚飾緒を吊る。所謂『縄付き』というやつで、この縄は所属部署によって色が違う。

 男女の差異は、女性が左膝上にスリットの入ったタイトスカートと5cmヒールのパンプスになる。

 今、陽介とアマンダが着用しているのがこの服装であり、ふたりの違いはズボンかスカートか、そして袖口を飾る金刺繍のラインが、陽介は佐官を表す4本、アマンダは尉官を表す3本、それだけだ。

 ちなみに、この第一種軍装の肩に、階級章つきの肩章をつけると『第一種甲軍装』となって、野外での式典~国連事務総長や各国首長級による閲兵式等~で着用する略礼装となる。


 次に第2種軍装、これは第1種軍装着用条件下だが勤務地が暑熱地や夏季の場合の防暑軍装の扱いである。

 基本は第1種軍装の上着を脱いだ状態で、即ち肩章付きの長袖白ワイシャツにネクタイでボトムは第一種に同じ。略綬や飾緒、インシグニア類は全てシャツにつける。ドレスホワイトと称される。


 第2乙種軍装、これは通常、ワーキングカーキと呼ばれ、第1種と並んで一般人には馴染み深い軍装かもしれない。

 カーキ色のシャツに同色のボトムでノーネクタイ。略綬や飾緒等を省いた、通称通り『通常作業用』の服装で、アマンダを始め、YSIC勤務の殆どの将兵が普段着用しているのがこのワーキングカーキ姿だ。

 ちなみに男女差異は、男性がボトムがシャツと同色のズボンなのに対して、女性はシャツと同色のサイドスリットの膝丈タイトスカート、同色のショートブーツ、もしくは黒のローファー。また、帽子も、同色のカバーをつけた制帽か(これは男女とも同じ意匠だ)、ライナーと呼ばれる略帽と決まっているが、アマンダがライナーを被っている姿を、陽介始め誰も見たことがないと言う。


 いわゆるBDU、陸上戦闘用の第3種軍装は、陽介が思い浮かべるミハラン星でのアマンダの常装だ。

 基本はデジタルのウッド・カモだが、作戦行動地域によって各種のカモ・パターンが存在していて、この発展型としては第3特種軍装と呼ばれる特殊部隊用の黒一色のもの、所謂ブラックファティーグも存在している。

 後は、宇宙服にもなる艦内作業用第4種軍装、パイロットスーツに使用される第5種軍装~第4も第5も、どちらも宇宙空間での活動が可能な宇宙服仕様だ~、その他通常防寒・雨天兼用コート~古来より軍人は軍服姿では雨天でも傘はささない~やレスキュージャンパー、寒冷地用防寒コート等、ざっと大まかに数え上げると、百種類以上の軍装が存在している。


 そして、それら数多ある軍装の頂点に輝くのが~少し、大袈裟かもしれない~、室内儀典用の最高位礼装である、零種軍装、ドレス・ゼロ。

 公務ならば、例え国家元首クラスとの会談時等でも、第一種軍装で決して礼を失する事などないのだが、特例として、最高クラスの儀典~各国政府、国家元首の主催する晩餐会やパーティ、園遊会や受勲式典、国葬や戴冠式等~に招聘され出席する際に着用する、シビリアンで言えば、イブニングやモーニング、パーティドレスに相当する服装が、零種軍装である。

 しかしまあ、一般的な部局、部隊への配置なら例え将官でも零種など10年に一度着る機会があるかないかで、中には持っていない者も多く、もちろん陽介もアマンダも持っていない~何せ、自腹購入で、一式揃えると給料一か月分が吹っ飛ぶ高額なのだ~。


 ちなみに、制服だけでなく、下着も決められていて、特に女性は胸部を保護するソルジャー・ブラ、女性用ボクサーパンツやスパッツが存在しており、女性制服が殆どスカートなのは、これらが『見られても良い下着』であること、そしていざと言う時、素早くサッと戦闘服に着替えやすく、ズボンに比べて丁寧なアイロン掛けが不要だから、という理由らしい~とにかく軍隊の制服というものは、平時戦時、そして礼装から戦闘服を問わず、着用時は触れば皮膚が切れるくらいにピンと角を立てたアイロンがけを強要されるものなのだ~。


 と言う訳で、今、陽介の目の前には、これまで想像すらしたことのなかったドレスブルー姿のアマンダが佇んでいた。

 ミハラン時代は第3種にボディアーマー姿、横浜で再会してからもワーキングカーキ姿ばかり見てきて、陽介の頭の中では何故か、アマンダはドレスブルーなど着ないと思い込んでいた程だった、が、しかし。

 今、陽介は、彼女の醸し出す雰囲気の凛々しさ、気高さ、美しさに思わず息を飲み、圧倒されてしまっていた。

 その美しい肢体は、ブレザーを着たからといって決して隠された訳ではなく、第2乙の時に感じた、野生動物のようなしなやかさに加え、更に艶っぽさが加味されたように見えた。

 ダブルのブレザーの金ボタンが一層、彼女の美しい身体のラインを模るように引き立たせ、ネクタイを締めた首はその細さを印象付ける。

 なにより、ドレスブルーの俗称通り、限りなく黒に近い紺色の上下は、彼女の精悍な褐色の肌を包んで、肌理細やかな美しいそれを一層煌かせるレフ板の役目を果たしているようだった。

 唯一、目深に被った制帽とその下で窮屈そうにうねっている黒髪に隠れた顔色だけが、彼女の『照れ』を如実に示しているのが、如何にも彼女らしいと言えば言えた。

「んだよ? アタシの顔がそんな珍しいか? 」

 ぶっきらぼうなアマンダの言葉に、陽介は我に返る。

「いや。いやいや。そうじゃなくて……」

 陽介はゆっくり息を吐きながら、掠れた声で言った。

「思わず見違えた。……凄く似合ってる。綺麗だよ」

「ば、馬鹿! 」

 アマンダは慌てたように早口でそう言うと、肩で陽介を押し退けるようにして屋外へ出た。

 誉められ下手なのだろうな、と何となく、思う。

 それはそれでアマンダらしいけど、と思いながら陽介はクスクス笑いながら続いて外へ出ると、アマンダは通用口を出た直ぐ向かいに設置された清涼飲料の自販機の前で、缶入りスポーツドリンクを腰に手を当て天を仰いで飲み干している真っ最中だった。

 それは見事な、オヤジ・スタイルである。

「あはははっ! 」

 思わず、馬鹿みたいに笑ってしまった。

 缶を口に当てたまま、顔を陽介に向けてギロリと睨みながら、アマンダは最後まで一気に飲み干し、飲み終わると手の甲でグイ、と横殴りに口を拭いた。

「……んだよ? さっきからウルセエなぁ、テメエ」

「そっちの方がお前らしいよ、あははは! 」

 アマンダは一瞬キョトン、としたが、すぐにニヤと笑って見せ、肩越しに背後へ、空き缶をポイと無造作に投げ捨て、小声で言った。

「何言ってやがんでぇ、ったく下らねえ……。ほれ、行くぜ」

 カラン、と音を立てて、空き缶は見事にゴミ箱に吸い込まれた。

「ああ、そうだな」

 答えながらも、第2乙軍装の時に履いているアンクルブーツの時には隠されていた、ミドルヒールの足首と脹脛の美しいラインに見惚れていた陽介は、「早く来い、もうタク停めたぜ! 」と叫ぶアマンダの大声に我に返って、小走りに表通りへ出た。


 ニチレイ横浜事業所は、桜木町にあった。

「今日は、アタシが担当してる、加工食品第2部長と横浜営業部長に紹介すっからよ」

「それはいいが……、で? トラブルってのは? 」

 10階建て、ガラス張りの美しいビルの前で、アマンダは振り返り首を振った。

「去年の暮れに調達した外幕艦総向けの冷凍プレーンハンバーグ10万食、一部のロットで医療本部医本が認めてねえ保存料が入ってるって話さね」

「なんだって、認めてない保存料? 人体に害のある? 」

「んにゃ、違ぇよ。別に本星で食う分にゃ問題ねえが、真空無重力状態で長期保存すると変質すっかも知んねえってシロモンらしいぜ? 」

「じゃ、返品か? 」

「瑕疵担保期間が過ぎてんだよなあ、これが。外幕補給担当のボンクラども、今頃慌ててアタシらに泣きついても迷惑だっつうの。……けどまあ、ほっとけねえしよ」

 混乱した表情の陽介の肩をポン、と叩き、アマンダはニヤ、と唇の端だけで笑って見せた。

「ま、不良ハンバーグをお引取り願い、将来を見据えた長い目で考え直して頂こうってこった。ま、そこらはアタシがやるから」

 アマンダは笑みを収めて囁くように、しかしドスの効いた声で言葉を継いだ。

「お前は余計なコト、横から言わねえように、な? 」

「じゃあ、俺は? 何をすればいい? 」

 問うとアマンダは、肩を竦めてニヤリと笑って見せた。

「簡単な話さ。イザって時、ケツ持ってくれりゃあいい。……ま、十中八九、そんな事にはならねえと思うけどよ」

 アマンダは制帽を被り直し、ガラスのドアをくぐった。

 彼女の仕出かしの尻拭いケツフキ、あの頃は鏡原大隊長が嬉々としてやっていたなぁと、陽介は思い出し、今度は俺か、出来るだろうかと苦笑を浮かべて彼女の後を追った。


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