5. 荒野に花を咲かせたい ~最前線回想(3)~

第29話 5-1.


 トラブルを乗り越えて暫く走って漸く兵站本部に到着すると、久々の輸送艦入港、これまで辛抱せざるを得なかった様々な物資の補給が受けられるという、旅団各部隊の期待の大きさと喜びが、可視化されたような賑やかさだった。

 広い補給廠の敷地はありとあらゆる車両、標準積載量1トン半のHMVは勿論、4トン半の中型トラック、8トンの大型トラック、11トンのロングボディの超大型や、重量物トレーラ、超重量物用特種トレーラまで駐車されているし、車両の周りで荷物を積み込む兵士達やリフトを操作する兵士達、人々はみな賑やかに笑い、声高に掛け声をかけあっていて、まるで祭りの準備を思わせる熱気が、兵站本部全体を包み込んでいた。

 そんな空気に逆らうように、陽介とアマンダのふたりは、言葉も交わすことなく、静かに補給司令部へと向かった。

 要件を申し出て通された会議コーナーに現れた見知らぬ兵站部長は、陽介がレナードと四季の交わしたプロトコールを見せると、ネゴするまでもなく了解したと一言返事をして、簡単に重MAT2式の引き渡し書類にサインしてくれた。

 補給科曹長の案内で倉庫のバンニング・プラットフォームにHMVを横付けし、相変わらず無言のままのアマンダとふたり、MAT本体と付属品のケース2個づつ、MAT弾頭装薬のケース8箱を検品しつつ積み込むと、『戦利品』のHMVは前席2席を除いて一杯になった。

 おそらく2トン半はあるだろう、帰路、ポンコツHMVが故障しないことを祈るばかりだ。

「よし、と。これで全部だな」

 汗を拭う陽介の横で、アマンダは煙草を燻らせていたが~そもそも禁煙の筈なのだが、倉庫内は~、やがて咥え煙草のまま、陽介に背を向け、無言のまま歩き始めた。

「おい? どこ行くんだ? 」

 嫌な予感を覚え、陽介は慌てて後姿に声を掛ける。

「……アタシ、帰る」

 足を止め、しかし振り返らずにアマンダはボソ、と答えた。

「帰る……、って、どうやって? 」

 荷物を積んだHMVとアマンダを交互に見比べながら、陽介は問い返す。

 アマンダは盛大な溜息を吐きながら振り返り、面倒臭そうな表情で、それでも律儀に答えた。

「アタシが何しようと勝手だろうがっ! 餓鬼じゃねえんだ、どうしたって帰れらあっ! 」

 ずっと黙りこくって、挙句の果てに突然の離反。

 アマンダが何を考えているのか、何をしようとしているのかが、陽介には判らなかった。

 判らなかったから、まずは引き止めなければ。

 引き止めて、時間を稼ぎ、その上でアマンダの真意を確かめなければ。

 陽介は、ただ、それだけを考えて、去っていくアマンダの背中に声をかけた。

「だ、だいたい帰って、どうするつもりなんだよ? 一体全体、何がしたいんだ、お前」

「帰って、それから……。えと」

 言葉を切って、アマンダはまるで少女の様に首を傾げて視線を虚空に彷徨わせていた。

 自分でもどうしたいのか、判っていないかったのだろうか?

 そんな躊躇いを感じさせる数瞬を経て、アマンダは顔だけ陽介に向けて、小さな声で、答えを舌に上した。

「帰って、辞める。軍を辞める」

「や、辞めるって、お前……」

 戦争中なのだ。

 平時の軍隊ならばともかく、今辞めますと言ったとしても、はいそうですかと簡単に辞めさせてくれないことなど、火を見るより明らかだ。

 だいたい、今彼と彼女が言葉を交わしているこの惑星は、地球ではない。

 地球から何光年も離れた別の太陽系、しかもこの星は、通信も交通も途絶されているに等しい、孤立した星だ。

 例え運よく、予備役引き入れ申請が受理されたとしても、お世話になりました次の職を探します、みたいに簡単に、地球へ帰ることなど出来ないのだ。

 いくらでも湧いてくる現実的な否定、けれど陽介はそれら全てを放置して飛び越えて、彼が今、彼女に対して一番聞きたいことを投げ掛けた。

「なんで、突然、辞めるなんて」

 今度こそアマンダは、身体ごと陽介に向き直り、けれど視線は自身の半長靴に向けたまま。

「イヤになったから」

「何に? 」

 問い掛けへの答えは、爆発したような叫び声。

「全部だよ、全部っ! 」

 広大な倉庫の高い天井にわんわん響く悲鳴のような叫びを上げたアマンダは、陽介に真っ直ぐと視線をぶつけてきた。

「こんなクソみてえな、砂と岩ばっかりの星の上、死に掛けのボケた太陽の熱線の下、鉛玉の交換会で命の遣り取り、それに見合うだけのゼニじゃねえって言ってんだ! チョイと鬱憤晴らそうって周囲のアホ共痛めつけてやりゃあ、さっきみたいに脳味噌沸かした面倒臭ぇチンピラに絡まれて、その上、姐にまで目を付」

 そこでいきなり口を噤んで、アマンダは視線を陽介から逸らして声のトーンを少しだけ落として言葉を継いだ。

「鏡原みてえな澄まし顔の高慢ちきなお嬢様が、判ってますってツラでご機嫌取りに来やがるし、挙句の果てにゃあ、テメエみてえな世間知らずの綺麗事ばかり抜かしやがるウゼェ坊ちゃんの世話までさせられて、小遣い稼ぎもままならねえ! こんなクソ溜めみてえな星、いるだけ時間の無駄だってんだよ!」

 言葉を切ると、アマンダは大きく、静かな吐息を長く落として、付け足すように、ボソリと呟いた。

「だから、アタシ、辞める」

 言うだけ言って、サッと踵を返したアマンダの背中が、ふ、と一回り小さくなったように見えた。

 言葉遣いも相俟って、まるでその姿は、迷子の幼女のようで。

「? 」

 何故だろう、俺はいつだったか、こんな背中を見た覚えがある。

 再び脳裏に甦る、『出処不明』の哀しい風景。

 あれはいつだっただろう、遠い昔、アマンダではない誰か。

 刹那、陽介の胸一杯に、重くて苦い塊が生まれ、急激に膨らみ始めた。

 駄目だ。

 見逃すな。

 俺は、もう『あれ』を繰り返してはいけないんだ。

 彼女を独りで、行かせるな。

 『あの時』のように、『彼女』と同じように、アマンダを『泣かせ』てはいけない。

「待て、アマンダ! 」

 意外と素直に、アマンダは歩みを止めてゆっくり振り返った。

「……なんだよ」

 往路の苛立ちや腹立ちの混ざった刺々しさも、カラマーニに見せた腹の底からの怒りも、四季や自分を差し出せと強要された時の儚さや不安さも、何も感じられない、しかし落ち込んでいることだけははっきりと判る、まるで魂の抜け殻みたいな、弱々しい口調。

「まだ、何か言いてぇことがあんのかよ? 」

 これが、そうか。

 チャンス、かも知れない、と陽介は思った。

 しかも、最後の。

 逃すな。

 もう二度と、見逃してはいけない。

 SOSを。

「思ってもいないこと、ダラダラ言ってんじゃないぞ? アマンダ姐さんらしくもない」

「……はぁ? 」

 一瞬で、小さく見えていたアマンダが、普段通りの迫力ある姿に戻ったように思えた。

「今、判ったよ」

「……なにが」

「お前がどうしようもない、餓鬼だってことが、だ」

「……なんだと? 」

 アマンダの唇に咥えられた煙草の長い灰が、ポロ、と落ちて、ガラリと口調の変わった声が聞えてきた。

「……お前、これ以上アタシを怒らせんな」

 アマンダは煙草を地面に投げ捨て、刺すような視線を陽介に叩きつけてきた。

 よし、相手は話に乗ってきた。

 彼女はさっき、流暢に喧嘩相手を挑発していたが、挑発にすぐ乗ってくるのも彼女らしいと言えば、言えた。

 陽介は努めて冷静な口調を崩さないよう、静かに問うた。

「墜落現場の件、俺に言われたことが、そんなに悔しかったか? 」

 一瞬、苦しげに唇を歪ませ、慌てたように視線を外したアマンダの表情を、陽介は見逃さなかった。

 これこそがアマンダの地雷であり、こちらからの突破口の筈だ。

 陽介は、ゆっくりアマンダに歩み寄る。

 視線を逸らさず。

 手を伸ばせば届く距離で足を止め、背筋を伸ばした。

 ここから先、カタがつくまで、けっして目を逸らすまい、と決めた。

「アマンダ。もう一度、言う」

 ビク、とアマンダの肩が震えた、ような気がした。

 初めて逢った日の『雄姿』を見た後では、とても同一人物とは信じられない、華奢な、薄い肩だった。

 一旦は逸らした彼女の切れ長の瞳が、ゆっくりと自分に向けられるのを待って、陽介は言葉を継いだ。

「俺は、あの日のお前の話、納得なんかしちゃいない。そして、これから先、お前に二度とあんな真似はさせたくない。……いや、させない」

 陽介は、ゆっくりと語りかける。

 宣戦布告のつもりだった。

 宣戦したからには、先制攻撃。

「俺は、お前があんな下種な行為をするのが、下らない理屈を捏ねるのが許せない。だから俺はお前に二度と、あんなことを言わせないし、あんな真似はさせない」

 噛み締めるようにゆっくりと、一語、一語、区切りながら言った。

 言葉を区切る都度、アマンダのカフェオレ色の美しい肌から、血の気が引いていき、切れ長の鋭い瞳は驚愕に大きく開かれていく。

 陽介は、痛みを感じるほどに鋭く突き刺さってくる視線に抗うように、最後の言葉を腹の底から搾り出した。

「俺の前で、いや、俺がいてもいなくても、二度とあんな見っとも無い真似はするなっ! 」

 陽介を見つめて大きく開かれていた黒い瞳が、すっと細くなった。

 そこに浮かんでいた様々な心の乱れが、たったひとつを残して全て消え去った。

「……アタシ、はっきり言ったよな? 」

 アマンダは掠れる声でそういうと、ゆっくりと右手を左脇のホルスターへ伸ばした。

 今度こそ彼女の黒い瞳は、ゆっくりと陽介の瞳と真っ向から対峙した。

 その瞳は、以前彼女が『殺す』と言った時と、同じだった。

 一度目、初めて出逢った時の、知り合ったばかりの他人さえ殺させはしない、守り抜くという決意、怒り、勇気、それを支える根源的な優しさを包み込んだ、『殺す』ではなく。

 二度目、ふたりの間に亀裂が走ったあの日、クレーターの底、暗い哀しみと絶望、耐え切れぬ痛みを、喉から迸りそうになる絶叫を、苦しみながら飲み込んだ挙句の、『殺す』。

 二度目と同じだ。

 怒りや焦り、不安、動揺、そう言った『動的』なものとは対極にある、哀しみ、切なさ、諦めと言った、沈んだ、静かな感情。

 彼女の瞳にたったひとつ残った感情は、それさえも通り越していた。

 絶望。

 助けて欲しいと身悶えするほど叫びたくて、しかしけっして誰も助けてはくれない、助かる筈がないと判っている。

 かと言って諦め切れない、死ぬまで続く、永遠とも感じられる気が違うような苦しみを抱えた者だけが持つ絶望の瞳には、一切の煌きがなかった。

 闇より深い、まるでブラックホールのような黒い瞳。

 見る者の、胸を締め付けるような、そしてそれすら否定する、心に開いたブラックホール。

「死ね」

 全てを拒絶する今の彼女の瞳なら、自分ひとり殺るのに、何の躊躇いも感じないだろうし、その後自分がどうなるのかすら、考えていないだろう。

 殺意を握り締めた右手が、真っ直ぐ陽介に伸びる。

 初めて出逢った、あの日。

 あの日、強烈な陽射しに煌めいていた、真珠のような美しい爪がそこにあった。

 あの日、照れまくりながら握手に答えたアマンダの手を思い出した。

 マズルがピタリ、と陽介の眉間の前、10cmで静止した。

 異様な雰囲気に気付いて2人を注視していた周囲の人々が、彼女のCzを見て声も立てずに離れて行く。

 2人を中心に半径20mには誰もいない。

 久々の輸送艦入港、物資の大量補給で賑わっていた広大な補給廠から、一瞬のうちに全ての人間が消滅したような、まるでこの星の大地の75%を占める砂漠が突然倉庫内に出現したような、不思議な空間が瞬時に出来上がった。

 それはまるで、この事件が始まった、あのクレーターの底のように陽介には感じられた。

 アマンダの親指がゆっくりとハンマーを起こす。

 ダブルカーラムなのに、随分と持ち易そうなグリップだな、と場違いの感想が沸いてきた。

「名誉の戦死だって報告してやる。上手くいきゃ二階級特進、目出度く三等艦佐ドノだ」

 目を逸らすな、俺。

「遺族年金だって倍額だぜ」

 陽介は、憎しみを込めて~アマンダにではなく、アマンダを支配する絶望に向けて、だ~ゆっくりと、しかしはっきりと、答えた。

「気に入らないことがあればすぐに銃を持ち出して殺す、死ねと喚く、そんな短絡的な暴力の裏にはやっぱり金の話か? お前、どこまで腐ってるんだ、いい加減にしろ、アマンダ」

 ふ、とアマンダの瞳が、哀しみに揺れた。

 ……ような気がした。

 絶望以外の一切の感情をシャットアウトしていたそれは、今や、心の底で渦巻く全ての感情を制御しきれず、堰き止めようとして適わずに、外界へ溢れ出させていた。

 トリガーにかかった人差し指が白くなるのが、見てとれた。

 以前、アマンダに聞かされたことがある。

 彼女のCzのトリガー・プルは8ポンド、3.6kgと、少し重めらしい。

『アタシは気が短けぇからよ。ちょっとくらい重めでねえと、すぐに撃っちまう』

 そう言って笑いながら、クイッと曲げて見せた右手人差し指の爪が、まるで真珠みたいに綺麗に輝いていたことを陽介は思い出した。

 その細く長い指で落とされる、重いトリガーに、どんな想いが籠められているのだろうかと、陽介はちらりと思いながら、一歩足を前に向かって踏み出した。


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