第28話 4-8.


「さすが血の繋がった従弟だよなあ。右の肘関節で折ってやったらヒイヒイ、スピッツみてえに泣いてやがった。あんまりウゼエから折れた箇所にナイフ刺したら、気絶しやがってよ。テメエに似て格好だけの奴だったぜ。あれでお前ら一家は、デンバーじゃあそれなりにブイブイ言わせてたんだってなぁ? 結構ヌルい街みたいで、お前らにゃあお似合いかも知れねえなって大納得してたところよ。まあでも何だ、これで奴も名誉の戦傷、勲章貰って年金傷痍分割増で無事退役って訳だ。こんな地獄でおっ死ぬよりゃあ、右腕1本不自由でも地球の方がオモシロオカシク暮らせるんじゃねえの? 感謝してくんねえと、そだろ? なんならテメエも同じ人生、歩ませてやっていいんだぜ? お前の分はサービスにしといてやらあ」

 アマンダの台詞を聞きながら、徐々に顔色が蒼白から真っ赤に変わっていくカラマーニの様子は、ギャラリーの陽介からすればなかなかに壮観だったが、それ以上に彼の背後にいる『子分』達がゆっくりと、しかし確実に後退さっていく様は更に見物だった。

「調子こいてんじゃあねえぞ、このアマ……」

 腹の底から振り絞るようにそう言って、カラマーニはゆっくりと右手を自分の胸ポケットに差し入れた。

「動くなよ、このタコ」

 アマンダが嘲るようにそう言い終わった時には既に、UNDASN標準仕様のサテン・ブラック仕上げのCz75がカラマーニの額に向けて構えられていた。

「ふっ」

 銃口を突き付けられて、けれどカラマーニは臆することなく鼻で軽く笑うと、そのまま手を尻から引き抜き、黒いメモリスティックのようなものを自分の顔の前に翳した。

「……てめえ」

 唸るように呟くアマンダに、今度はカラマーニが勝ち誇ったような表情を見せた。

「こいつぁ、ICレコーダーだ。今しがた調子よく喋ってくれた姐さんの『自供』がバッチリ録音されてるって訳よ。こいつをお畏れながらとMPに渡せば、いったいどうなるかねえ? まあ、軍法会議は免れねえな。下手すりゃ禁固5年から最大10年。この場でお前を嬲り殺しにしてもいいんだが、それじゃあ面白くもねえし、そちらの二尉ドノもいらっしゃることだ、俺達だってヤバいのは願い下げだしよ? 」

「そんなんでアタシを脅してるつもりか? 懲役怖さにアタシが悪ぅございましたと頭下げると思ってんのか? 」

 Czを握り直して低く尋ね返すアマンダに、彼はゲヘヘヘ、と下衆な笑い声で答えた。

「あの鉄火場であんたを庇ったラングレーだっけ? あの美人の大隊長さん。実は、俺ぁ前々からあの人と何とかお付き合い出来ねえもんかと悩んでるんだが」

「テメエッ! 」

 四季の名前を出された途端に激昂したアマンダは、彼との間にあった5mの間合いを一瞬で1メートルに縮め、マズルを直接額に押し当てる。

「そいつを寄越しやがれ! 」

「動くな! 」

 形勢逆転と見た子分達が、再び前へ出てアマンダを取り囲む。

「姐に指一本でもちょっかい出しやがった日にゃあ、カラマーニ、テメエの頭と胴体は哀れ泣き別れ、だぜ」

 ゆっくりとセイフティをオフにするアマンダの動きに応じ、ライフルを構えて取り囲む子分達もグイと銃口をアマンダの身体に突き付けた。

「そうかい、そいつはおっかねえ」

 カラマーニは、額の銃口なぞ蚊がとまった程にも感じないとばかりに、不敵に笑って見せた。

「なら、姐さん。大隊長さんは諦めて、その替わりと言っちゃあなんだが、アンタでもいいんだぜ? 」

 唇を捲れあがらせて好色そうな表情を見せるカラマーニの言葉に、ビク、とCzのマズルが震え、額から離れる。

 それまでの迫力満点、無敵とも思える、ある種の凛々しささえ感じさせるアマンダの後姿から、急速に力が失せていくのを陽介は冷静に読み取っていた。

 ひょっとして、アマンダは。

 デ・ジャ・ヴか? 

 いや、違う。

 こんな修羅場のようなシーンではない。

 アマンダの後ろ姿。

 未だにはっきりとは思い出せないけれど、四季の男言葉の秘密の理由を聞いたとき、思い出せなかった『自分の過去』に関係があるような。

 こんな後姿を、俺は以前、確かに見たことがある。

 俺はあの時、こんな儚げな背中を見せる『誰か』を、救えたのだったろうか?

 それとも?

 だが、今はそんなことに拘っている場合ではないのだろう。

 たった今まで、アマンダに加勢しようかどうしようか、実は迷っていた陽介だった。

 下士官兵同士の喧嘩に幹部の介入はタブー、それは勿論、陸上マークだけではなく、艦隊マークであっても同じだったから理解している。

 殺し合いにでも発展するのなら、そんなことは言ってはいられないが、そうなるまでは放置するのが賢い対応だろう、そうとさえ思っていた。

 もちろんアマンダの強さを知っているからでもあったし、それ以上にどうせアマンダ自身の呼び込んだ自業自得の事態なのだろう、もしそうなら痛い目にあうのも勉強のうち。

 だが。

 静観する時は過ぎ去った。

 アマンダの震える背中を見てしまったから。

 もう、見逃してはいけないのだ、俺は。

 ……『もう』? 

 俺はいったい? 

 俺はいったい、何を忘れているのだろう?

 再び脇に逸れようとした思考が、カラマーニの下品な笑い声で引き戻された。

「ゲハハハハッ! アンタのその柔らかそうなデケェオッパイも、捨て難いよなあ! 」

 頃合いだろう。

 決心し、数瞬のうちに頭の中で作戦を立て、ゆっくりと脚を前に踏み出した。

「おい、曹長」

 唐突に口を開いた陽介に、カラマーニは今までその存在を忘れていたかのように、酷く驚いた表情を浮かべて見せた。

「……なんです、旦那」

 部下達も訝しげな表情で陽介を一斉に注視するが、誰も銃口を向けようとはしない。

 戦力評価の結果だ、それは妥当な評価だろうし、けれどこんな時でも階級というのは、ある程度の抑止力を有しているらしい。

 思わず苦笑を浮かべた陽介の表情を見て、何を勘違いしたのかカラマーニのグレーの瞳に一瞬、不安の影がぎったように思えた。

 これ幸いと、苦笑を顔に貼り付けたまま、出来るだけ平板に喋ろうと陽介は考える。

「す、すっこんでろこの間抜けっ! 」

 アマンダの罵声~声が震えているのが丸判りだった~は無視して、彼女の隣に立つ。

「曹長。貴様、これがなんだか、判るか? 」

 胸ポケットに手を入れて引き摺りだした、家電品のリモコンのような、しかしUNDASN装備品規定に則ったサテン・ブラックの『ソレ』を見て、カラマーニの瞳が不安げに揺らぐ。

 いけそうだ。

 手応えを感じて、次に、チラとライフルに囲まれたアマンダを見ると彼女もまた不安げな光を湛えた瞳を真っ直ぐに自分に向けている。

 ふと、2回目に『殺す』と言った時のアマンダを思い出し、陽介はコクリ、と微かに頷いて見せた。

 驚いたように微かに唇を開いたアマンダの表情が、珍しくて陽介もまた、内心で驚いた。

「……なんです、そりゃ」

 カラマーニの口調から、さっきまでの不敵さは綺麗に消えていた。

「ドロガメの君に判る訳ないか。俺は元々艦隊マークなんだが、こいつは同じカッパでもサブマリナーでないとなかなかお目にはかかれない代物なんだ」

「だから……、なんなんです? 」

 声に苛立ちが上乗せされる。

「これは携帯型の艦内環境マルチアナライザーって代物だ。ご存知かどうか、潜空艦ってのは通常航行時には波動エンジンを使うが、いざ敵勢力圏突入フェンスインって時や接敵時には、探知され易い波動エンジンを切って、ラム推進エンジンに切り替える。その際、敵の攻撃の次に恐ろしいのは、このラム推進で吸入する空間の様々な物質なんだ。要は、異物を吸い込んでしまわないかって事だな。で、混入した異物の検知システムは、当然艦内要所要所に設置されているが、何せこの手のフネの艦内は狭い。そう言った、検知システムの作動範囲外の機器の隙間とかの異常を検査するのが、このハンディタイプのアナライザーって訳だ」

「旦那、潜空艦の講義は結構……」

「まあ聞けよ、曹長」

 陽介は押し被せる様にしてカラマーニの言葉を押し止める。

「で、この装置は、人間が直接目視出来ない狭い機器の隙間や配管の間を目視検査する為に」

 カラマーニの顔色が、サ、と変わった。

「ライブ、レコーディング両用の動画カメラがついている。……で、この赤いのが作動中のLEDでこっちの赤の点滅がレコーディング用のLED」

 そして、ニヤ、と笑って見せた。

「この親指の下にあるのが、生中継ライブ送信ボタン。本来の用途じゃあ、艦橋ブリッジやダメコンに送るんだが、今は俺の上官の携帯端末に設定されてる。その上官ってのは」

 少し芝居が過ぎるか、とも思ったが、ええいままよと充分に間を取った。

「ラングレー大隊長、俺達の上官だ」

 ダラン、とICレコーダを持ったカラマーニの手が力なくぶら下がる。

「ああ、言い忘れたがこれは音声は記録しない。検査用カメラだからな。つまりアマンダ、沢村一曹にとって都合の悪い会話は記録されず、君等に都合の悪い映像だけが録画されている訳だな」

 まるで独り言のように呟いて見せる。

「大隊長命令で兵站本部へ向かう途中の将校と下士官を、ライフルの銃列でお出迎えしている『ならずもの達』の映像が、軍法会議の陪審員に与える影響は絶大だろうなぁ」

 ニヤリ、と笑って見せると、カラマーニはフラフラッとよろめいて、取り巻きのプロレスラーみたいな大柄な男がその身体を支えた。

「と言う訳で曹長、君の感動モノのラングレー大隊長への愛の告白も、残念ながら彼女へは届いていない、あしからず」

 殆どは嘘ではなかった。

 これを持っていたのは、偶然だ。

 四季から『分解梱包済重MATの検品』と言われていたので、もしもの時は役に立つか、と私物バッグに放り込んであったものを尻ポケットに入れて隊を出発したのだ。

 ただ、大隊長へのライブ送信だけが、嘘だった。

「……どうするつもりで? 」

 どうやら、上手く事は運んだようだった。

 掠れる声で言ったカラマーニに、陽介は普段通りの口調で答えた。

「それ、寄越せ」

 暫く逡巡していたが、やがて諦めたようにICレコーダーを投げて寄越した。

 左手で受け取って胸ポケットに仕舞い、自分の右手のアナライザーを元のズボンのポケットへ戻す。

「他にないだろうな? 」

「ねえよ! 」

 不貞腐れた口調でぞんざいに答えるカラマーニを見て、陽介は気が変った。

 今日これまで、アマンダとの『ドライブ』で受けたストレスを、ここで発散させてもらおう。

「全員、銃をお前達のHMVへ放り込め」

 言われた通りにしたのを確認して、陽介は次の指示を出す。

「車のキーを寄越せ」

 当然だろう、陽介とアマンダのHMVは、彼等の中MAT攻撃のお蔭で今は甲羅干しの真っ最中だ。

「くそっ、持って行きやがれ」

「当然だ」

 陽介はカラマーニが投げ寄越したキーを受け取り、3つ目の指示を出す。

「全員裸になれ。脱いだ服やら靴、装備は全部HMVに放り込め」

「な、なんだとぉっ? 」

 炎天下、しかも太陽はそろそろ正中線にさしかかろうとしている。

 そんな最中に素っ裸でこの砂漠に放り出されるのは、死刑にも等しい。

 本当に、他にICレコーダー等録音録画の機器を持っていないか、武器を隠し持っていないか、本来なら身体検査をすべきだったが、もう面倒臭くなって、それなら裸に剥けば簡単だろう、そう考えただけのことだ。

「か、勘弁してくれぇっ! 」

 陽介は黙って腰のグロックをホルスターから引き抜き、彼等の足元に連続して5発撃ちこむ。

 この銃を実際に使ったのは何年振りだったろうかと、ふと思う。

「く、くそっ! 」

 カラマーニがヤケになったように服を脱ぎ始めると、取り巻き達も渋々それに従い始めた。

「遠慮せずに下着も脱げよ。ああ、こちらのご婦人レディへの気遣いは無用だ」

 横目でアマンダを見ると、思いの外平気な顔でCzを構えたままだった。

 全員が素っ裸になったのを見届けて、陽介は満足げに頷くと、表情を引き締めた。

「いいか? 今後、俺と沢村、それに大隊長を含む周囲には手を出すな」

「……イエッサ」

 カラマーニは忌々しげに答えるが、素っ裸なものだから全くサマになっていない。

「まあ、戦死KIA作戦行動中行方不明MIAになる心配はないだろうさ。幸いなことにここは基幹道路だし、オマケに今日は久々の輸送艦入港って事で通る車両も多いだろう。なんで全裸かは問われるだろうが、な」

 陽介は彼等のHMVのキーを掌で弄びながら、運転席に向かって歩き始めた。

「いくぞ、一曹」

「……おう」

 アマンダがカラマーニ達から視線と照星を放さずに、低く答えてゆっくりと後ろ向きのままナビシートに収まったのを確認し、陽介も運転席へ乗り込む。

 エンジンをスタートさせてゆっくりと走り始めると、カラマーニの憎々しげな叫びが聞こえてきた。

「くそっ! このクサレアマがあっ、地獄に落ちやがれ! 」

 その『クサレアマ』はひょいとナビシートの防弾ドアを開け放って顔を出し、カラマーニに向かって叫んだ。

「おう、ケツ穴野郎! 」

 アマンダは憎々しげにそう言うと、徐に彼等の持ち物だった中MATのキャニスターを車外へにゅっと突き出して、楽しげな叫び声をあげた。

「借りは返すぜぇっ」

 言うなりバシュッ、と発射音が、晴天の砂漠に響き渡った。

 着弾音の木霊が消えて砂の雨が降り止んだ後、バックミラーの中には砂の塔が6本、淋しげに立っているのが映っていた。


 バックミラーからカラマーニ達が消え去った頃には、暫くは奴等の間抜けな様を笑っていたアマンダだったが、それも暫くの間だけのことで、やがて笑顔は消え去った。

 ただ、それまで車中で見せていた、苛立ちを顕わにした険しい表情も同時に消えていて、感情が抜け落ちたような、美しい顔立ちだけに余計に見る者の不安を掻き立てるような無表情が、一層陽介の心に漣を立てた。

 話す機会があるとするなら、復路の車中だろうな、と考えつつも、陽介はやはり無言でフューエルペダルを踏み込むことしか出来なかった。


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