第27話 4-7.


 レンジャー大隊管理下で一番ポンコツな高機動車HMVの、今にも漫画みたいに煙を吐いて分解しそうに思える五月蝿いエンジン音が、砂漠に響く。

 ハンドルを握る陽介の額に滲む汗は、最大パワーにしているのにちっとも効かないエアコンと、ミハランの黒色矮星化目前の巨大な老齢の太陽のせいばかりではなかった。

 陽介がチラ、と右側のナビシートを盗み見ると、アマンダは半長靴を履いた両脚を何の遠慮会釈なしにダッシュボードの上にドスンと置き、黒のノースリーブのタンクトップに包まれた美しい曲線を描く上半身をスプリングのヘタッたシートに踏ん反り返らせて、スパスパとヤケのように煙草を吹かしていた。

 今日はボディアーマーも着けておらず、タンクトップの上から直にショルダーホルスターをつけ、左脇には今日はイングラムM11ではなくCz75を吊っているのが、妙に似合っていて、格好良く思える。

 だが、機嫌は相当悪いらしく、額には漫画みたいに血管が浮いているかのようだった。

 キャンプを出てから1時間、彼女はずっと無言だ。

 唯々、まるで大昔の蒸気機関車みたいに、立て続けに煙草を吸い続けて、辺り構わず煙を吐き出している。

 彼女が、昔から愛用しているらしい使い込まれたオイルライターを使う度、その金属音がまるで陽介を攻撃しているかのように思えて、肩がビクリと震えてしまうのが、自分でも情けない。

 まったく、大隊長。

 お使いだとか言いながら、全然そんな軽いものじゃない。

 精神が秒刻みでやすりで削られていくみたいな、酷い疲労感を感じる道行みちゆきだ。

 ただ、四季にしてみれば、それでも頑張ってアマンダと解り合ってほしいと言う、飽くまで善意だけで計画された『お使い』のつもりなのだろうと、それは理解できるだけに、大っぴらに文句を言えないでいた。

 だったら、このままビビッて黙りこくっている訳には行かないだろう。

 四季の想いに報いるためにも、そして何より、陽介自身がアマンダと再び笑い合いたいとそう願っているのだから。

 思い直して、愛想笑いを浮かべ~我ながら情けなかったが~口を開こうとするが、彼女の苛立たしげな、重い吐息が頻繁に耳に届く都度、思いは萎える。

 口を閉じて横目でそっと様子を伺うと、まるで親の仇がそこにいるような恐ろしい目つきで、じっと、窓の外を流れる褐色の景色を睨みつけていた。

 陽介は、そっと短い吐息を落とした。

 もうそろそろ、限界だ。

 この場の重い空気に耐えかねた。

 もちろん、それもあるけれど。

 それよりも。

 ギクシャクした関係のまま、隣で煙草をふかしている恐ろしくガラの悪い女性とこのまま別れるのが何故か残念でならなかった。

 あの時、自分がアマンダを諌めたこと自体、間違っているとは今でも思っていないし、話した内容も奇麗事だけではないと言い切れる。

 そして、アマンダがそれに対して投げ返した言葉に、返す言葉が見つからなかったのもまた、事実だった。

 だが、それは仕方ない。

 言葉が足りなかったのか、それこそ自分自身に彼女を納得させるだけの経験がなかったのか、それとも、どう足掻いたって交わる事のない、もっと深いところの何かを、自分達は埋めることができなかったのか。

 何れにせよ、彼女は彼女なりの人生の価値観を信じて生きていくのだと宣言し、陽介のそれを否定し切ってみせたのだ。

 だから、それは仕方ない。

 どんなことでも『話せば判る』、そんなお気楽なことなど世の中にはないのだから。

 引っ掛かっているのは、だから『そこ』ではなかった。

 あの事故現場での最後の一言、それを言い放った時の彼女の表情が、忘れられなかった。

『殺す』

 同じような台詞をそれより以前に聞いた。

『アタシがきっと、殺してやる』

 初めて出逢った日のことだ。

 あの日のアマンダの瞳は、迫力はあったが、それは精悍、とも言える美しい、燃え上がるような瞳だった。

 何度も助け助けられを繰り返し、知らぬうちに『仲間』になった人間を、思い遣り、気遣い、守ろうと決意した、ある意味『優しい瞳』だったと、思えるのだ。

 だが、二度目に聞いたその時、あの墜落現場で耳にした台詞こそ、出逢いの日のそれと良く似た言葉だったけれど、それが包含している意味は全く違う。

 アマンダの瞳はあの時、確かに、『助け』を求めていた。

 そこまで考えて、陽介は改めて、そうだったのかと一人頷く。

 そうだ。

 あれは、確かに言葉は乱暴だったけれども、『威嚇』では決してなかった。

 足掻き苦しみのた打ち回った末に、助けてくれと泣き喚きたい本心を必死に押し隠した果て、堰き止めた想いが溢れ出したような、哀しい瞳だった。

 その落差こそが、未だに陽介をアマンダに拘らせ続ける原動力になっているのだ。

 だから、もう一度。

 何か、チャンスさえあれば。

 チャンスさえあれば、アマンダともう一度、話し合い、そしてそれが出来たならばひょっとして自分の言葉は、想いは、彼女の心に届かないかもしれないけれど、それでも、彼女が胸に抱いている『なにか』を知ることが出来るかもしれない。

 思えばこの『任務』も、四季が陽介に与えてくれたチャンス、それだけではなく、アマンダにも救われるチャンスを与えたかったのかも知れない。

 けれど、陽介はそれを未だに活かせないでいる。

 アマンダの態度が、2人きりになった途端、完全拒否を明確に打ち出していたからだ。

 時機ではない、と言うことなのだろうか。

 それじゃあ、その時機とやらは、何時だと言うのか。

 思わず溜息を落とすと、隣でアマンダがチラリと視線を寄こしたのが見えて、少しだけ気が楽になった。

 向こうも、何とかしたいと思ってくれているのだろうか。

 もしもそうなら、いいのだけれど。


 あと1時間かそこらで兵站本部に到着するという砂漠の真ん中で、トラブルはふたりを待っていた。

 トラブルを最初に発見したのは、ステアリングを握っていた陽介だ。

「ん? 」

 一応、『103師団基幹1号軍道』という名称がついてる簡易舗装道路とは言うものの、突っ切っているのが砂漠の真ん中で、通行量が少ない日なら1日で舗装はすぐに砂に埋まってしまい、道路沿い1km毎に立っている自動警戒装置のアンテナがなければ迷子続出間違いなし、というクオリティだ。

 ここは砂漠だと言い切っても誰も責めはしないだろう、砂の海の半ば飲まれているその軍道の先、ぼんやりしていると見落としてしまいそうな黒っぽい点、どうやら車両らしき影が、陽介の操るHMVの進行方向、1kmほど先に停まっているのが発見できたのは、奇跡にも近いだろう。

「故障かな? 」

 別にアマンダのリアクションを期待していた訳ではない。

 だから、アマンダの声が耳に届いた時は驚いた。

「通過しな」

「え? 」

 間抜けな陽介の声に苛立ったように、しかしアマンダは真っ直ぐ黒っぽい点を睨みつけながらもう一度、言った。

「通過しな、って言った」

「だけど……」

 口篭る陽介など初めからいないかのように、アマンダはただじっと見る見る近付く『それ』をみつめている。

 500mを切った辺りで、漸く陽介はそれが友軍のHMVだと判った。

「やっぱり故障か何かしてるんじゃな」

 そこまで言った瞬間、ピカッと何かがHMVの辺りで光った。

「えっ? 」

 思わずフューエルペダルから離れそうになった右足が、上から何かに踏み付けられた。

 足元を見ると、隣からアマンダの脚が伸びていた。

「なっ? 」

 何をするんだ、と言う言葉を呑み込んでしまうほどの急激な横Gがかかる。

 アマンダが横からハンドルを奪い、思い切り左へ切ったから、と知ったのは、耳を劈く爆発音に続いて、自分達の乗るHMVが停まってからだった。

「痛ぇっ……」

 上下逆様になった車内で、思い切り天井に頭をぶつけた陽介が割れたフロントガラスから外を覗くと、吹き飛ばされた砂がまるで雨のようにザーザーと降っていた。

「一体、何が……」

 呟くように言って、陽介は漸く我に返る。

「そうだ、アマンダ! 無事かっ? 」

「でけえ声で喚いてんじゃねえよボンクラ」

 吐き捨てるような物言いにムッとしながらも隣を見ると、ナビシートでやはり逆立ちしたアマンダが、ショルダーホルスターからCzを抜き出してセイフティを外していた。

「俺達、攻撃されたのか……? 」

 陽介の問いに、アマンダはニヤ、と触れれば切れそうな鋭い笑みを浮かべた。

「野郎、遊んでやがる。36式対戦車誘導弾中MATのシーカー切って、ウチらを嬲り殺し……、ってとこか」

「『野郎』って……、誰だ? 友軍だろう、あいつら? 」

 アマンダはそれには答えず、チラと一瞬陽介に視線を飛ばし、直ぐにフロントガラスの向こう、近付いてくる『野郎』のHMVを眺めて言った。

「ケッ、こないだのリベンジって訳だろうが、ちょいとアマンダ姐さんをナメてるようだ。……いいか? 何があってもお前は出てくんな。幹部にゃ、関係のねえ話だ」

 今度こそ怒りに火がつき、陽介は怒鳴り声を上げた。

「関係ないだとっ? 車吹っ飛ばされて、こんな目にあって関係ないってお前……ッ! 」

 アマンダは陽介の声には一切反応することなく、くるりと器用に身体を丸めて捻り、割れたフロントガラスの隙間を縫って外に転がり出た。

 アマンダの紐を締めていないジャングルブーツが砂を踏み拉くと同時に、その向こう10m程で制動をかけたHMVのゴツいタイヤが見えた。


 HMVのナビシートから降り立った、顔立ちからすると30歳前後に見えるのに頭髪がめっきり淋しくなった白人男性は、アマンダから一瞬たりとも目を離さずに煙草を口に咥えた。

 続いて降り立った背の低い小太りの赤ら顔が、後ろからサッとライターを差し出す。

 吸い付けた煙草の煙がポッ、ポッと吐き出されるのが合図だったかのように、HMVの中からライフルやサブマシンガンを構えた男がバラバラと5名、降り立ってアマンダを取り囲む半円を作った。

 これがアマンダの言う『野郎』か。

 陽介は砂に塗れた顔を、略帽で拭いながら、まずは彼女の言う通り黙って観察することにした。

 槍衾ならぬ『銃衾』を敷くガラの悪そうな連中を、虫でも見るような眼で睥睨し、ゆっくりとした動作で煙草を咥え火を吸い付けて、アマンダはニヤ、と凄みのある笑みを浮かべ、痺れるような甘いハスキーボイスを披露した。

「よお、カラマーニ。相変わらず、虚勢張りまくりでご苦労なこったなぁ、ええ? 」

「このアマッ! 」

 カラマーニと呼ばれた若禿の背後に立つ黒人三曹が激昂して一歩踏み出すのを、カラマーニは腕一本で制止し、妙に甲高い声で言った。

「よしな、ジャイブス」

 そしてアマンダに爬虫類にも似た笑顔を向けて、からかうような口調で言った。

「お前も知らねえ訳じゃねえだろう? こちらは、103師団にその人ありと謂われた、泣く子も黙るアマンダ姐さんだ。てめえなんざ束になってかかっても10秒かからずあの世行きだぜぇ? 」

 アマンダは煙草の煙を吐き出しながら、さも愉快そうに、答える。

「いつの間に他人を褒める芸当なんざ覚えたんだ? 低脳のクセによ? 」

「相変わらずだな、姐さんよ」

 カラマーニは軽く受け流し、気持ちの悪い笑顔をアマンダの肩越しへ飛ばした。

「二尉ドノ、失礼しました。まあ、もうちょいと穏やかな方法もあったんでしょうが、こっちにも事情がありましてね。つい、手荒で手っ取り早い方を選んじまいました」

 HMVから這い出してきた陽介を、アマンダはチラと見やって、ケッと吐き捨てた。

「まあ、いくらなんでも幹部に手ェ出すなんて乱暴はしません。ほんのちょっと、目ぇ瞑っておいて下さいや」

 突然、笑い声が起きた。

 アマンダだった。

「アッハッハッ! 笑わせるぜ、ブタ野郎。テメエのどこ突ッ付きゃあそんな気遣いが転がり出てくんだ? 冗談は退役してからにしな」

 そして、口に咥えた煙草をプッとカラマーニに吹き飛ばし、嘲う。

「何なら、アタシが退役させてやろうかぁ? こないだのテメエの馬鹿従弟みてえによ」

 途端にカラマーニの顔から、ニヤケた笑いが消える。

「アマンダ、てめえ……」

 話が見えてきた。

 陽介はカラマーニに顔を向けたまま、チラ、とアマンダを横目で見る。

 『馬鹿従弟』というのは、噂で聞いた『アマンダvs重迫中隊の荒くれ者2ダース大乱闘』の怪我人の中にいたのだろう。

 目の前の若禿は、だからその敵討ちにやってきた。

 当たらずと雖も遠からず、だろう。

 この調子だと、アマンダという人間は、どこでどれだけ怨みをかってるか判らんなあと、陽介は呆れの混じった吐息を零してしまう。

 溜息混じりにそんな事を考えていて、ふと、ある考えが閃いた。

 陽介はそっと尻ポケットに手を差し込み、カラマーニ達に気付かれないよう、『ソレ』を尻から胸ポケットへと、そっと移し替えた。

 完全に隠す訳ではなく、その細長いリモコンにも似た『ソレ』の先端が少しだけ、ポケットから覗くように。

 幸い、カラマーニも彼の取り巻きも、陽介には一顧もくれず、全ての視線と銃のマズルはアマンダにだけ向いている。

 陽介がそっと行動している間も、アマンダの挑発は続いていた。

 彼女の挑発は、滔々として流れる大河の如く~さすがに修飾が大袈裟すぎたか~堂に入った口上で、アマンダの過去を陽介へ理解させるには充分であり、それが陽介には、少しだけ哀しく思えた。


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