第26話 4-6.


 偵察任務を終えてキャンプへ戻った翌日、アマンダは重迫中隊の連中を相手に、久し振りに大乱闘を演じた。

 原因は、些細な事だ。

 アマンダと擦れ違う際、肩が当たったとかあたらないとか、その程度、不良学生みたいな下らない事なのだが、けれど。

 陽介との一件が、アマンダの精神状態に影響を与えていたのは、確かなようだった。

 たったひとり、小さなバタフライナイフを持ったアマンダに、重迫中隊屈指の荒くれ者1ダースが戦闘能力と継戦意欲を殺がれ、残った1ダースがパニックに襲われてM1600に7.62m/m実包を詰め込んで持ち出す程の大騒ぎに発展した。

 警務隊がHMVで駆けつける寸前、相手は怪我人含めて蜘蛛の子を散らしたように消え去り、たった一人残されたアマンダが久々の重営倉入りを覚悟して天を仰いだその瞬間。

 偵察用バイクを駆って現場に乗り付けた四季が、アマンダを抱えるようにしてリアシートに乗せて現場から走り去ったことで、なんとか間一髪で逮捕を免れることが出来た。

 下士官兵同士の喧嘩は、その原因や結果がどうあれ、けっしてMPにバレる事はない。

 『チクる』行為ほどチキンな真似はないというのが、下士官兵の間での、暗黙のルールだった。

 だから現行犯でない限りもう心配はいらない筈、けれどアマンダの心を覆う昏い翳は、これっぽっちも晴れはしなかった。

「どうしたんだよ、雪姉。最近、めっきり穏やかになってたのに……」

 大隊長専用のコンテナの私室にとりあえずアマンダを匿った四季は、コーヒーをポットごと部屋に持ち込んでいて、アルマイトのカップを渡しながら、意外と明るい声でそう言った。

「……っせえ」

 小声で言い返した言葉を、四季は笑顔でサラリと受け流してくれた。

「いいよ、煙草。吸殻はそこの缶に入れといて」

 アマンダはコクンと頷くと、煙草を咥えて火を吸いつけた。

「まあ、雪姉は強いから、そっちは心配してねえんだけどさ。……でも、雪姉だってもう小隊長勤務一曹で、40名近い部下がいるんだし、それに先週、幹部候補選抜の第1次選考、合格したばっかじゃねえか。……自分の立場をきちんと考えて、大人の行動をしないと、さ」

 ”大人”という言葉に思わず肩がビクッと震えるのを、四季は見て見ぬ振りをしてくれるようだった。

「士官になれば給料も上がるし、それなりに待遇も違う。……もちろん仕事も変るけど、どっちにせよ、こんなしょうもないケンカで棒に振るのは惜しいよ。違う? 雪姉」

 アマンダはコーヒーを一口啜ると、ボソ、と独り言のように答える。

「……そう、かも知んねえな。姐、すまなかった。手間かけた」

 四季は、困ったような微笑を浮かべ、それでもゆっくり頷くと自分もコーヒーを一口啜り、口を開く。

「……何かあったのか? 向井君と」

「うっせえ、アイツは関係ねえ! 」

 思わず出てしまった鋭い口調に、四季は微笑を消してアマンダを睨み据える。

 そっと唇を噛み締め、顔を背けるように俯いて、アマンダは言葉を継いだ。

「ねえけど……。まあ、色々と、な」

 四季は再び淋しげな微笑を浮かべ、マグカップを玩びながら、静かに言った。

「……雪姉、なんだか、拘り過ぎじゃないの? 」

 四季の言葉が胸に刺さった。

 その痛みに思わず顔をカップから上げたアマンダに、四季は遠慮することなく、追い討ちをかけた。

「雪姉の一人相撲って気も、するけどなあ」

 判ってたさ! 

 そんなこと、ハナから判ってたんだ。

 震える手を、止める事ができなかった。

 四季に言われるまでもなく、そんなことは最初から判り切っていた。

 だから、悩み、苦しみ、自分自身を引き裂くほどの思いで、訣別を切り出したのだ。

 けれど今、改めて四季に指摘された刹那の、この惨めさは、哀しみは、絶望は、なんだ?

 あれほど苦しんで、決めた筈だったのに。

 けれど今、ここで悔やんでも悔やみきれない深い後悔を抱いて潰れてしまう訳にはいかなかった。

 潰れずに、手の届かない夢など早々に切り捨てて、自分は大人として生きていかねばならないのだから。

 せめて。

 せめて、そうしなければ。

 何のために、自分は、自分の傷痕を抉るような苦しい真似までして見せたのか、判らないじゃないか。

 何のために、自分は、金に目が眩んだ亡者のフリをして己を貶めて見せたのか、判らないじゃないか。

 アマンダは、カップを粗末な折り畳みデスクの上に置き、煙草を咥えて四季に顔を向けた。

「なあ、姐? 」

 顔は向けたけれど、目を合わせることが出来なかった。

「……ん? 」

 優しげに微笑み、小首を傾げて見せる年下の上官の気遣いに思わず気後れしてしまうが、負けるな、頑張れ、今度こそ最後の一言を、そう必死で自分を奮い立たせて、アマンダは漸く重い口を開いた。

「アイツは……、向井二尉はやっぱ、ウチじゃあ無理なんじゃねえかなぁ? 」

 微笑を浮かべたまま、じっとみつめる四季の涼やかな翠の瞳が哀しみに染まっていくようで、見つめているのが苦しくなって、思わずアマンダは顔を伏せ、それでもなんとか言葉を継ぐことに成功する。

「まあ、姐は別格として、普通のカッパ野郎には、やっぱ陸上部隊、しかも前線の戦闘部隊勤務は無理だと思うんだ」

 火をつけたきり、ただゆっくりと長く伸びていく煙草の灰が、音もなく床に落ちた。

「妙なトラウマ植え付けちまう前によ? ……後方へ下げてやった方がいいんじゃねえのかな」

 四季はゆっくりと瞼を閉じ、哀しげな翠の瞳をアマンダから隠した。

 が、アマンダには四季の震える綺麗な睫毛が、一層、彼女の哀しみを強調しているように思えた。

「それに……」

 だが、言わねば。

 言わなければ、胸の底に溜まる苦しみ、哀しみ、切なさが、一層膨れ上がって、二進も三進も行かなくなってしまう。

 アマンダは鉛が詰まったように重い頭を上げ、祈りを捧げているかのような四季の端正な顔立ちを正面から見据えて、言った。

「アタシも素人さんのお守りは、いい加減疲れたし、さ……」

 アマンダが必死の思いで搾り出した言葉だったけれど、四季はまるで塑像のように動かなかった。

 哀しい余韻が薄暗い室内に木霊する。

 数時間にも思える数分が過ぎ、漸く四季は瞼を開き、再び淋しげな微笑を浮かべて、静かに言った。

「考えとくよ、雪姉」


 アマンダ達の行った事前威力偵察報告の分析結果に基づき、綿密に練り直されたミクニー前哨監視網掃討作戦は、翌々日の旅団特科群による精密制圧砲撃に始まり、機甲2個連隊と普通科3個連隊による2日間に渡る正面攻撃で前哨監視線OPLを突破、その後の掃討で作戦は地球側の完全勝利に終わった。

 これにより敵OPLはそれまでの主戦闘地域前線FEBAにまで後退、残敵は全てミハラン星唯一の大陸にある中央部山岳地帯へ逃げ込み、我が旅団はここを完全包囲することに成功。

 現状の苦しい補給能力を考えて、今後は無理押しせずに電波状態が回復する半年後まで持久戦に入る事となった。

 とは言っても、四季率いるミハラン唯一のレンジャー大隊は今回のような正攻法では出番は少なく、正面戦線フロントラインをぐるりと迂回、敵後方に位置する重砲陣地を背後から襲撃するつもりで吶喊したが、そこは味方砲撃のクレーターと残骸しか残っていなくて拍子抜けしたまま作戦は終了、戦線押上げの命令が出ても、レンジャー大隊は暫くは後方警戒に当たれとの命令が出されていて、事実上の開店休業状態が訪れていた。

「小隊長、大隊長がお呼びです。第2ブリーフィング棟まで」

 朝食後、すっかり馴染んだ一服を吹かしながら、もう10日も前になるアマンダとの遣り取りをぼんやり思い返していた陽介は、了解と答えて立ち上がった。

 あれ以来、アマンダとの間はなんとなく~いや、かなりはっきりと~ギクシャクしていた。

 虚ろな笑い、彷徨う視線、フェイドアウトする語尾。

 その場の雰囲気任せの上っ面だけをなぞる様な、暫く経てば何を話したのか記憶も怪しくなっている、どうでもいい、言霊のいない会話。

 お互い部下の手前もあり、普段通りに会話はしていても、気まずさは隠し切れない。

 せめて任務でもあれば、とも思うのだが、事情は前述の通りだ。

 気疲れだけが降り積もってゆく、遣る瀬無い日常を重ねるのにもそろそろ嫌気がさしはじめた今、四季からの呼び出しは、正直、ありがたかった。


 と、彼女の顔を見るまではそう、思っていた。

「……お使い、ですか? 」

「そう。お使い」

 四季はニコ、と蕩ける様に笑って見せた。

「貴方がウチへ来るまで詰めてた撤退ヤード、あそこは今、旅団の兵站本部になってるんだけどな。そこへ行ってチョイとゴネてきて欲しいんだ」

 見れば見るほど、まるで美の女神の創造物のように美しいひとだと思う。

 が、今はその美しさ故に、彼女が何やら厄介な企みをしているように思えてならなかった。

「聞いてるか? 向井君」

 四季の声に、我に返る。

「失礼しました。……ええと、ゴネるってことは、通常の物資補給の受領ではない、と言う事ですね? 」

「ヤー」

 四季はコクンと頷くと、折り畳み椅子に腰を下ろし、陽介にも自分の隣の椅子を勧めながら言葉を継いだ。

「貴方が来る前の話なんだけどね。まだ、ここら辺がミクニーの特科主力陣地だった頃、ウチの大隊が強襲空挺でこれを奪取するって作戦があってさ。……ま、ミッション自体は難なくコンプリートしたんだけど……」

 そこで突然、四季の表情に困惑の色が浮かぶ。

「空中投下でって頼んどいた38式対舟艇対戦車誘導弾重MAT3式と弾薬、輸送航空隊のディスパッチの馬鹿の連絡ミスで空挺傘で落とされちゃってさ。見事にオシャカ」

 肩を竦めて見せる四季だったが、陽介には彼女の話す言葉の意味が判らなかった。

「重MATと弾薬1式で約1トン、3式で3トンって相場なんだよ。空からの物料投下にはコンテナ投下とプラットフォーム投下があって、プラットフォーム投下ってのは車両とかの重量物に使われる。MATと弾薬なんてのは元からパッケージングされてるからコンテナ投下になるんだ。その方が、地上での開梱や組み立ても素早くできるし。パラシュートにも大きく2種類あって、空挺部隊の降下兵が使うパラシュート、空挺傘って言うんだけれど、これは人間用で、重量物投下には吊り下げ能力が高い専用の物料傘を使うのが正しい。物料傘1号ってヤツなら1セットで約1.8トンの吊り下げ能力があるから、今回のような話なら物料傘1号を2セットつけて投下するんだ。パラシュートの開くタイミングにもいくつか種類があってさ。HALOってのは高高度降下低高度開傘(High-Altitude/Low-Open)。空挺隊員の降下、精密資材以外の補給物資を投下する時に使う。即ち、輸送機プラットフォームはスタンドオフ、つまり安全圏内、降下スピードが速くて敵に見つかり難い。これに対して、武器や車両、アビオニクスと言った機械類はHAHO、高高度降下高高度開傘(High-Altitude/High-Open)でゆっくりと、緩やかに降ろす。それを輸送航空隊は間違えて、人間用の空挺傘ふたつで3トンのMATを空中に放り出し、折角の補充火力は地面でペシャンコになった、って訳」

「……ありがとうございます、了解しました」

「で、今日までウチは重MATなしでなんとかやりくりして来たんだけど、こっから先は塹壕攻略戦だろ? やっぱ、ねえと心細いし、実際不便なんだよな」

 なんでこの人は、男言葉なんだろう、と陽介は内心首を捻る。

 この部隊に来た当初から陽介はそれが不思議だった。

 アマンダのように、シャバでもカタギとは言い難い暮らしをしてきたのならともかく、どう見たって四季はそうは見えない。

 しかし、アマンダと仲が良いこと考えると、案外、裏スケ番だったとかかも知れないな。

 そこまで考えて、陽介は苦しげな表情を浮かべながら自分を殺すと言い切った美しい黒豹のような女性を思い浮かべて、己の考察を全否定した。

 こんな物言いは、興味本位にせよそうでないにせよ、アマンダに対して失礼すぎる。

 それで、思い切ってアマンダに直接、訊ねてみたことがある。

『なんでも餓鬼の頃、日本人離れした容姿で周囲からイジメられたらしいぜ? 黙ってられるかって反抗心を立ち上げて、格闘技を習って物理で捻じ伏せる日々だった、なんて笑ってたよ。そん時にあんな言葉遣いになったとか、なんとか』

 答えを聞いてなるほど、と思うと同時に、人間ってのはどんな人だって、振り返れば色々と辛くて苦しい、悲しくて腹立たしい過去ってのがひとつやふたつあるもんだな、そう言えば自分だって……、とそこまで考えて自分自身の『悲しくて腹立たしい過去』を思い出せなかったのが、なんだか不思議だった覚えがある。

 陽介の胸中に関わらず、四季の話は続いていた。

「で、貴方も知ってる前任のレナードさんにちょいと手を回して次の補給時には是非とも重MAT入手を、ってお願いしてたんだけど、彼、撤退しちまったろ? 引継ぎ出来てねえみたいでさ」

 どうもあの偵察行の日以来、自分は集中力を欠いていると、陽介は密かに反省した。

「どうやら、今日未明、久し振りに入港した輸送艦で重MAT2セット、到着したみてえなんだけど、新しい兵站部長が渡してくれねえんだよ。前任から聞いてないって」

「それをなんとか入手せよ……、と言う事ですね? 」

 陽介の言葉に、四季はほっとしたように表情を緩めた。

「悪いね。このテのセンシティヴな交渉、こればっかりはウチの荒くれ者達には頼めなくってね。貴方はネズミ輸送ン時に撤退ヤードに詰めてたし、交渉事にも慣れてるだろうと思って」

「了解です、大隊長。今から行ってきます」

「うん、頼むよ。ああ、これ、レナードさんとの覚書。まあ、法的な強制力は勿論ないけど、なんかの足しにはなるだろ」

 立ち上がって敬礼を交わし、回れ右をしてドアに歩き始めた陽介に、四季の声が飛んできた。

「ああ、そうそう。雪姉も連れてって」

 軽く言われたその言葉が背中に刺さり、陽介の足がぴたりと止まった。

「アマ……、沢村一曹とですか? 」

 振り返れば四季は、腰に手を当て、小首を傾げていた。

「そう。2人で」

 きっと嫌そうな顔をしているだろう陽介に、四季はニコリといい笑顔を見せた。

「だって貴方、分解梱包済みの重MATの検品なんて、出来ねえだろ? 」

「……そりゃ、そうですが」

 ボソボソと口の中で答える陽介に、四季はいい笑顔のまま、止めを刺した。

「以上だ。二尉、戻ってよろしい」

「イエスマム! 」

 やけくそのように返事して、慣れない陸式敬礼をする陽介に艦隊式で答礼した四季が、ウインクしながら唇を動かした。

『頑張って』

 そう読めたような、気がした。


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