第25話 4-5.
5分を過ぎたところで、陽介はサイドハッチから機内を覗き込んで、声をかけた。
「おい、もう5分過ぎたぞ? 」
半壊した積荷やら散乱したアビオニクス、へしゃげた構造材などでジャングルジムのように入り組んだ狭いスペースに胡坐を掻いて座っていたアマンダが、チラと振り返った。
彼女の最近の不機嫌さなど何処吹く風とばかりの、親しい人間には判る程度の微笑をそこに見つけて、却って陽介は不審に感じる。
5分前に感じた嫌な予感が、再び背中を駆け抜けた。
「……何してたんだ? 」
アマンダはそれには答えず「よいしょ」と気楽な掛け声をかけながら、さっきまでC4爆薬の入っていた雑嚢を持ち上げて見せた。
「やー、予想的中。よくぞ墜落原因がエンジン脱落だったもんだ。AAAで撃墜されてちゃ、無事にゃ手に入らなかったぜ」
「予想? ……無事? 」
意味が判らぬまま、アマンダの言葉を繰り返す陽介を押し退けるようにして機外へ出た彼女は、サイドハッチの縁にぺたんと腰をかけ、膝の上に置いた雑嚢の中を覗き込みながらご機嫌な様子で喋り始めた。
「考えてみりゃあ、今日は月末だもんなあ。旅団
月末という言葉でピンと来た。
同時に、頭から血の気が引いていく音が聞こえてきた。
「お前、まさか……」
陽介の掠れた声が届いていないのか、アマンダは『お宝』を数え始めた。
「特科がええと、1000人チョイか? で、25%軍票払いだとして……。12万UNCってところか、ま、悪くねえな」
軍票とは、UNDASN内でのみ流通する『通貨』、ローカルカレンシーであり、単位はUNCと書いてUNクレジットと読む。
全世界の国々からの将兵が集まるこの軍隊、文字通り『多国籍軍』であるUNDASNの将兵3,500万人の給与は毎月末に支払われるが、基本はドル決済だ。自国通貨への為替を希望する者には、前月平均ドル相場で換算して支払われる。
ここで問題になるのは、地球を離れた勤務地の将兵職員が
艦内や本星を含む太陽系内各惑星の陸上施設なら、レジでIDカードを読ませれば口座引き落としの月末清算だが~陸上施設ならリアルタイムで、艦船ならリアルバッチで、国連防衛機構財務局が管轄する『UNネットバンク』経由で取引銀行にアクセスできる~、それが出来ない太陽系外の陸上~占領未了で作戦途中、と言う事だ~では、どうしても現金決済となってしまう。
しかし、国際線の旅客機内でも制限があるように、多国籍軍の各国兵士が自国通貨で買い物をするのは事実上、不可能である。
それでは代わりにと登場したのが、UNクレジットの単位系で統一された軍票だった。
UNクレジットは各自の給与がドル建てであるように、ドルのレートと連動していて、太陽系外に転属となる将兵は、基本毎月手取り額の15%、大抵が20%から40%、独身の遊び盛りなら多い者で70%ほども軍票仕立てで給与支給を受けている。
彼女の言う『お宝』とは、それだった。
そしてまさに、今陽介の目の前でアマンダが雑嚢から取り出して数えているのは、まぎれもないUNCの『札束』だった。
「よーしよしよし、連番じゃねえな。ま、連番でもなにかと抜け道はあるんだけどよ。余計な手間は願い下げだ」
「おい、アマンダ」
「マネーロンダリングっつうのも、面倒臭ぇし、手数料まで取られるからなあ」
「お前……」
「でも、結構儲かんだよな。まあ、リスクが大きい分、当たり前か」
「おい」
「取り敢えず、ガス節約で行動制限かかってヒマそうな戦車大隊の連中だな」
「アマンダ」
「後は博打好きの揃ってる混成航空団のグランドクルーか」
「なあ」
「でも一遍に放出して、噂になって目を付けられてもなあ」
「おいってば! 」
「ちょいと我慢してこの星出るまで……、って、んだようるせえなあさっきからよ! 」
噛み付くように怒鳴るとアマンダは、心持ち顔を背け、不貞腐れたように声のトーンを落とした。
「……言ってみな」
陽介は暫く、アマンダの掌の軍票、そして彼女の横顔を交互にみつめ、やがて静かに言った。
「お前のやってることは犯罪だ。そうまでして金を手に入れたいのか」
アマンダはゆっくりと陽介に顔を向けた。
半眼の黒い瞳に、鈍い光が宿る。
「……だったらどうした? 」
「軍票は、ここで灰にしていこう」
陽介の言葉に、アマンダはそっと瞼を閉じた。
挑戦的な、そしてどこかしら自虐的な想いが、アマンダの瞼と口を開かせた。
「何寝惚けてんだ小隊長ドノよぉ! こいつぁ、正式な『マネー』じゃねえ。通貨代わりの紙切れさ。だけど、この血生臭ぇ星じゃあ、それなりの価値がある。こいつがありゃあ、PXだってどこだって欲しいモンが手に入る。宵越しのゼニを持つのを気にしねえんなら運良く地球へ帰れりゃ換金できる。お前も士官だったら知ってるだろ? 系外で今、どんだけ不正流通の軍票がダブついてっか。それほどの価値がコイツにゃあるんだ。この星に居残った馬鹿共は、他人より余計にコレが欲しくて、テメエのタマぁ的にして居残ってんだ。ましてやこのお宝はアタシらがみつけなけりゃあ、このままこの星の肥やしになるしかなかった代物で、強盗や窃盗でもなし、誰にも迷惑なんざかけちゃいねえ。アタシが有効利用してやろうって言ってるだけだ、そいつの何が悪い? 需要と供給の原則ってヤツぁ、こんなクソッタレな地獄でも立派に通用するんだぜ? 」
喋るうちにアドレナリンが口一杯に広がって、アマンダは本当に気分が悪くなってきた。
だが、そんな彼女を挑発をかわすかのように、目の前の陽介は妙に冷めた視線でじっとみつめているのが、何故だか、恐ろしく感じられた。
「軍規違反とか、風紀道徳だとか、そう言う事を言ってるつもりじゃないし、これでお前を軍法会議に送り込もう、なんて気持ちはサラサラないさ」
陽介の言葉は、静かな声だと言うのに、時折機体の残骸を巻く風の音にも負けず、はっきりと耳に届く。
それがアマンダの心を余計に波立てた。
よし、判った。
だったら、言ってやる。
それが結局、自分の傷痕を抉る行為である事も、そして『けっして嫌いではない、妙に眩しいパートナー』を傷つけ悲しませる行為である事も、充分過ぎるほど判っていた。
しかし、言わずにはいられなかった。
言わずにいれば、きっと彼は何事もなかったかのように、こんな些細な事なんかすぐに忘れて、いつも通りの『少しニブくて、だけど恥かしいくらい真っ正直で、眩しいほどに真っ直ぐな』彼に戻るだろう。
ついでに、ちょいと惜しいが彼の言う通りお宝を放棄すりゃ万々歳だ。
別に、言うほど金が欲しい訳ではない。
だが、彼の言葉を受け入れたとして、じゃあその先にあるものは、なんだ?
彼の耀きを、彼の放つ明るい光を浴びることで一層自分の翳を知らされ、いつかは彼の影に融けてしまって、嘗ては憬れた彼の立つ『日向』へ、遂に辿り着けぬまま朽ち果てていく、自分。
今更だ、判っていたのだ、そんなことは。
元々、こんなことをするつもりなんて、これっぽっちもなかった。
ただ、対空火器による撃墜じゃないとすれば、この残骸の状況から考えれば。
積み荷だっただろう軍票は、たぶん無事なんだろうな、ふと、そう考えて、とっさに思い付いただけなのだ。
その背中を押したのは、彼の存在に対する、微かな苛立ち。
彼の眩しさを妬み、振り返って自分の情けなさ、惨めさに哀しみを覚え、今日まで自分の歩いてきた道程の暗さ、過酷さに腹立ちすら覚えた。
そして、今、どんな偶然なのか、ふたり並び立っている、けれど自分と陽介の間には明確な境界線が厳然として引かれている現実に対する、絶望。
所詮、彼の立つ場所と自分の立っている場所は相容れぬ。
ふたりの立ち位置、ふたりの世界は、やっぱり、どうしようもなく違うのだ。
哀しいけれど。
ならば、今のうちに彼との間に明確な境界を引き、『生きていく場所』をはっきりさせ、お互いに傷つけ合わない安全距離を取るべきではないのか。
自分が一番望んでいなかった結末を、心静かに迎える為に、今は自ら望みを棄てるべきなのだ。
本気でそう望むならば、1秒でも早く、互いの傷が浅いうちに。
だから、この思い付いた状況を、利用しようと思った。
ふたりの関係を破滅させるには、これくらいのインパクトが必要だろう。
眩暈がする程に、反吐が出そうになるくらいに、じめじめと後ろ暗く、未来へ繋がるこれっぽっちの欠片すら見えてこない、姑息な犯罪。
眩しい日向に揺るぎなく真っ直ぐと立つ陽介と袂を分かつには、お誂え向きの下衆さじゃないだろうか。
そんなことを考えている間も、陽介は、その真っ直ぐな思いを、真っ直ぐにアマンダへと投げ続けている。
「軍票の不正流通なんて別に今更始まったことじゃなし、ましてやお前の言う通り、放っておけば何れはこの砂に飲まれてしまう紙屑だ。それをしゃっちょこばってメクジラ立てる程、俺だって野暮じゃないさ。ただ、俺個人としては、そんなコソ泥じみた真似をしてまで金が欲しいとは思わないし、そんなに眼の色変えて金に固執する奴は、正直どうかと思う。金が欲しいならそれなりの努力が必要で、それに対しては正当な報酬が支払われるべきだとも思うし、やっぱりそんな濡れ手で粟のアブク銭には、それなりのリスクがついて回るもんだとも思っている」
陽介は一旦言葉を区切り、アマンダの視線から逃れようとするかのように、顔を自分の足元に向けた。
「俺は、金儲け自体は別に貶めるようなものだとは思わないし、それが出来る人間は、俺が出来ない分だけ尊敬さえ、する。……だけど、こんな汚い真似を何の臆面もなく出来る人間を見ると、やっぱり顔を顰めざるを得ないし、だからこそ、お前にはそんな真似はして欲しくないと思ってる」
陽介は少しだけ声を大きくした。
「だからアマンダ……。そいつはここへ置いていこう。そして金輪際、こんな真似はするな」
アマンダはじっと陽介の顔を見据えて、無言で聞いていたが、やがて煙草を取り出して1本咥え、火をつけた。
「ん。今度はアタシのターンだな」
紫煙がゆっくりと立ち昇るのを、目で追う。
きっと今の自分は、とてつもなく悪人らしい、歪んだ表情を浮かべているのだろうな、とぼんやり思った。
「人間がさ。……生きていくのに必要なものなんて、実はそう多くもねえ。……金。それと、金を上手く稼いで上手く使える、大人の智恵。それだけだ。……だからアタシらは、賢く立ち回って、どんな手段だろうがしっかり金を稼げるような大人にならなきゃならねえ……。人間、金さえ持ってりゃあ、幸せかどうかは別として、心配要らねえってことさ」
自分から目を逸らしていてほしいのに、けれど陽介は真っ直ぐ目を逸らさず、そして反論する。
そんな彼が、やっぱり好きだな、と思う。
思うからこそ、今のうちに、とも思う。
「そうじゃないだろう? 金さえあれば大人だなんて、そんな馬鹿な……」
「じゃあ、アンタは一体、大人なのか? 金がなくても生きていけんのか? 愛さえあれば、とか、脳みそお花畑な世迷言を吐くつもりじゃねえだろうな? 」
即座にアマンダは切り返す。
そうだ、この調子だ。
隙を見せてはいけない。
陽介の真っ正直さは、ほんの少しの隙でも、鋭く刺さる。
「そうは言わない。だけど、金を持ってりゃ大人って訳でもないだろう? 人間ってのは、年齢を重ねて、色々と苦労して経験を積んで……」
「残念ながら」
アマンダは苛立って、言葉を被せてしまう。
これ以上陽介に喋らせると、さっき完了した筈の覚悟が崩れてしまいそうだったから。
陽介に立ち位置の違いを一層見せ付けられて、余計に惨めになりそうだったから。
それならば、自分の方から立ち位置の違いを先に見せつけ、判らせてやる。
けれど、その結果にどれほどの差もない事は、承知していた。
ただ、アマンダ自身が。
この瞬間が、耐えられそうになかっただけなのだ。
意気地がないと笑う奴は、笑え。
アタシはただ、言わなければいけない事を、言い切りたいだけなんだ。
自分自身を『絶望させる』為に。
「アタシがシャバに居た時は、苦労で積める経験は、屈辱と裏切りと暴力とセクハラ、それに借金だけだった。ソイツがお前の言う『貴重な経験』とやらだとは、アタシには到底思えねえ」
先手必勝だった筈なのに、視界が霞む、陽介の顔が潤んで見える。
畜生、暑さに
呼吸を整え、アマンダは苦い煙を大きく吸い込む。
心の底でもうやめてと泣く、もうひとりの自分を黙らせる為に。
「……逆に言えば、確かに貴重な経験だったさ。金さえありゃあ、そんな惨めったらしい真似をせずに済む。周りの大人を見習って、テキトーに騙して手を抜いて、楽できるところは楽をして……。なんでもいいから金を稼ぐ。お前の説に従えば、ソイツがたったひとつの、アタシが掴んだ経験則だった」
雨の公園で泥に塗れて、膝を抱えて泣いていた、あの夜の自分が見える。
「だから、脂ぎったニンニク臭えクソ親父にケツ触られたって、着替えを汗臭い男達に覗かれたって、歯ぁ食い縛って頑張った。金が欲しかったんだよ。だけどな、それだって所詮、世間知らずの餓鬼がたったひとり生きていくにゃあ、何の役にもたちゃしねえって判ったんだ」
いつも髪を優しく梳いてくれた指が、骨と皮だけに痩せ衰え、それさえも次第に力が抜けていく姿を見た時の、絶望感が蘇る。
「所詮は、はした金だったんだ。たったひとりのばあちゃんが病気で倒れた時、アタシにゃ病院へ連れて行く金も保険も、智恵すらなかった。思い知らされたよ、テメエがどうしようもない、クズみたいなクソ餓鬼だって……」
だからアタシは、身売りした。
UNDASNに。
だからこの職場で大人になって、上手に金を貯めてやる。
あの世にまで持っていけねえのは百も承知だ。
貯めた金の使い道なんざ、ある訳がねえし、今となったらもう金なんて、要らねえ。
ただ、アタシは。
アタシは、大人になりたいだけなんだ。
それだけなんだよ。
陽介。
頼むよ。
頼むから、後生だから、判ってくれよ。
「お前の言う苦労と経験とやらで、あの日のアタシを救ってくれるのか? 」
判って欲しいと願う心とは裏腹に、口をついて出る言葉の激しさにアマンダは我乍ら驚く。
「金がなくたって、あの日のアタシは、ばあちゃんを救ってやれたのか? 」
その激しさは、きっと、自分の胸にぽっかりと開いた、傷痕の疼き。
「金もねえ、なんの役にも立たねえ、無駄飯喰らいのクソ餓鬼だったアタシの泣き叫ぶ声を! お前は! 」
そして、彼との、訣別の痛み。
「泣き叫ぶアタシの元へ! テメエは来やしなかったじゃねえかっ! 」
木霊すら返らない、誰からも忘れられたようなクレーターの底で、アマンダは、この瞬間彼との間に敷かれた、見えない『マージナルライン』を恨みがましく睨みつけた。
自ら敷いた、境界線なのに。
「すまない……」
陽介の掠れた声が、数瞬の後、響いた。
「お前に、そんな話をさせるつもりじゃなかった……」
だけど、と陽介が口の中で呟くのを耳敏く捉え、アマンダはマージナルラインに電流を通す。
せっかく、血の滲む思いで敷いた境界線を、陽介は容易く乗り越え、手を差し伸べそうな気がしたから。
「話そうが黙ってようが、
2本目の煙草に火をつける。
「いいか? 二度とこの話はするな。この先二度と、蒸し返すんじゃねえぞ」
ここまでくれば、後一歩。
訣別まで、後一言。
覚悟を決めて、一口吸っただけの煙草を足元に落とす。
眼がショボショボするのは、こいつの煙のせいだろう。
まだ長い吸いさしを、半長靴で踏み躙る。
まるで、自分の想いを踏み潰しているような気がして、痛かった。
けれど、そう。
これでいい。
痛みを勢いに代え、訣別の言葉を。
「もう一度言う。二度とこの話はするな。もし、蒸し返すようなら……」
ごめん、陽介。
アンタは、遅かった。
アンタは、いつもアタシを助けようとしてくれたけど、でも。
やっぱり、遅かったんだよ。
悪いが、間に合わなかったよ。
「殺す」
アマンダは立ち上がり、『お宝』を雑嚢ごと機内へ放り込み、ゆっくりと歩き始めた。
背中に聞える陽介の息遣いが、今は遠く感じられて、焼け付く陽光にも何故か、寒さを感じた。
ポケットの中にある、C4起爆用の無線信管のスイッチが、まるで自分と陽介の関係を吹き飛ばすスイッチのように思えて、重かった。
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