第22話 4-2.


 旅団司令部HQから最前線に近い野戦特科AL前線本部FOB火力調整所FSCCに向けて、物資輸送の為に飛び立った汎用輸送VTOL、RC60Jが消息を絶った。

 現在、航空団の戦闘捜索救難CSARが展開中だが、エンルート上では未だ発見できず、地上からも捜索を支援して欲しい。

 6日後に作戦発起予定の敵前哨監視点OP掃討作戦を控えての事前威力偵察を命ぜられ、指揮通信車CCV1両に高機動車HMV2両、装甲兵員輸送車APC4両に分乗して出発しようとしていた陽介とアマンダ達の小隊に、そんな追加命令が届いたのは、陽介が四季のレンジャー大隊に落ち着いて3週間ほど経った頃だった。

「悪いね、雪姉。無理することはないから、当初命令を優先させてくれていいよ」

 すまなさそうに言う四季に、アマンダは気にするなと言う風に片手を上げて出発したのだが、陽介はその際の彼女達、ふたりの柔らかい表情を思い出し、キャンプ出発後、ふと、訊ねてみた。

「大隊長とは古い付き合いなのか? 」

 ミハランの砂漠を焼く、老衰死寸前の陽気な太陽のお蔭で、CCVの中はいくらエアコンを効かせても外気より蒸し暑い。

 臨時でアマンダ達の小隊の指揮を四季から仰せ付かった陽介と、事実上の小隊長で小隊長勤務一曹~つまりその小隊ではCPOにあたる~のアマンダは、役得とばかりにサウナのような車内から這い出て、屋根の上、回転機銃座に凭れ掛かって風に吹かれていた。

「……なんで? 」

 ふと思い付いて投げ掛けた、何でもないような質問のつもりだったのだが、アマンダはジロリと陽介を威圧を込めて睨んで見せた。

「なんでって、別に……」

 口の中でごにょごにょ誤魔化しかけたけれど、やがて陽介は向き直り、自分のラッキーストライクから1本振り出してアマンダに差し出しながら言った。

「大隊長は『雪姉ゆきねえ』って呼んでるし、お前も『ねえ』って呼んでるだろ? よっぽど親しいのか、昔からの顔馴染みか、と思ってさ」

 アマンダは暫くじっと陽介の顔を睨みつけていたが、やがて諦めたように短い吐息を吐いて、煙草を1本抜き取り口に咥えた。

「この部隊プラトーンの小隊長やれ、って言われた時も、大隊長、『雪姉のこと、ほんと宜しく頼むよ』って言ってたし」

「姐が? ……ふん。初めてウチに来た時には、なんか気に食わねえ、ツンと取り澄ましたようなお嬢様タイプの奴に見えたんだけどな」

 陽介は、立ち昇っては風に散る紫煙を目で追いながら、耳に心地良いハスキーボイスを楽しむ。

「……まあ、ウチの大隊でアタシと互角に遣り合えるのは、姐だけだったしよ。……おツムも勿論良いし、見た目と違って結構くだけたところもあるし、なんか、妙に懐かれてな……」

「……大切なひと、か」

「? 」

 陽介が呟いた言葉に、アマンダはぴくりと眉を上げて、視線で問うてきた。

「あ……。いや、そん時に大隊長がそう仰ってたよ。『私にとって、大切なひとなんだ』って……」

 表情を変化させることもなく、アマンダはゆっくりと火を吸い付ける。

「……へっ。姐らしいぜ。少女漫画じゃねっつうの」

 不貞腐れたようにそう言うと、ふうっ、と紫煙を吐き出した。

 けれど、その鋭かった視線は、今はよほど柔らかくなっているのが判った。

 これも『筋金入りのツンデレ』らしいアマンダの韜晦なんだろうな、と思った。


 陽介に返した言葉とはうらはらに、アマンダの胸の中では、四季の柔らかな、儚げな笑顔が甘酸っぱく蘇っていた。

 振り返って見て、自分はどうだろうか。

 言葉を選ばず、単純に答えを出すとしたら、『育ちが違う』、その一言に尽きるのだろうと思う。

 褐色の肌。

 同年齢の子供たちとは比べ物にならない、立派な体格。

 色気さえ感じられる、豊かで美しいウェーブヘア。

 人とは違う外見に加え、小学校1年の時の事故による入院~両親はこの事故で亡くなった~により、1年生を2度した事も災いした。

「やーい! お前の父ちゃん不良外人! 」

「親なしの貧乏人! 」

「ヘンな名前、お前白くないのにユキなんて! 」

「落第ボウズ! 」

 子供とは、なんと残酷な生き物なんだろう。

 改めて、呆れる思い。

 そんな子供達の背景にあったのは、恐らくはその親である大人達の、生活への不安感があったのだろう。

 市場で不足気味の生活物資を求める一般市民の不満の声、軍需企業以外の経済活動が戦時統制経済の影響で不況は長く続き、将来の見通しがグレーとなる漠然とした不安感を煽り、加えて海外から職を求めて流入する外国人労働者に職を奪われるのではないかという確執や、それに混じって反UNテロ組織や犯罪組織が治安悪化に拍車をかける、そんな社会状況に困惑する親たちの顔色を、子供達は敏感に感じ取っていたのかも知れない。

 そんな環境で生きざるを得ないのだ、抵抗する術を持たないアマンダが、歪められるのに然程時間はかからなかった。

 そして、お定まり、お約束の不登校、不良化。ケンカと社会への反抗に明け暮れる日々。

 たったひとりの身寄り、母方の祖母が年金と内職で得た僅かな収入で、毎日食べるだけが精一杯の日々。

 いくらグレても、食べないわけにはいかず、祖母一人に生活全部を背負わせる訳にはいかないと、恵まれた体格を活かしてガテン系のバイトに励み~接客や事務仕事なんぞは端から性に合わないのは判っていたことだし、何より肉体労働の報酬の高さが魅力だった~、その憂さ晴らしの為、夜はかっぱらったオートバイで暴走を繰り返す。

 知らぬうちにヨコハマ中のレディースを腕っ節ひとつで束ねて、『総長』と呼ばれる事が、徹底的に痛めつけられ押さえつけられた子供時代、荒くれの大人達にはした金でコキ遣われ追い回され、セクハラまがいの扱いに時には涙を飲んで辛抱し時にはキレて殴り倒しを繰り返しつつ過ごした苛烈な思春期、そんな忘れ去りたい日々を、漸く克服し脱出した証明だと見当違いの凱歌を上げたその刹那、影になり日向になり庇い守ってくれた祖母が病に倒れ、担ぎ込まれた病院で多額の費用が必要な手術が必要だと医者から告げられた時。

 所詮、自分は役立たずな餓鬼のままだったんだと、イヤと言う程、思い知った。

 そんな、未だ15歳だった彼女が桜木町駅前で、明日からの自分と、病院のベッドの上で小さくなってしまった祖母の行く末を思いあぐねて立ち竦んでいたある日、風で足元に吹き寄せられたチラシを、彼女は今も大切に保管している。

『UNDASN特別専種学校生徒課程、募集中』

 それが軍隊であることも、そして今が戦争中であることも知っていた。何処やらの名も知らぬ星で何百人戦死と流れるニュースを見た憶えもある。

 そんな頼りなげな、しかし恐ろしげな情報より何よりも、その時のアマンダの黒い瞳は小さな文字の並ぶチラシの、たった1箇所に捕らえられていた。

 給料賞与は、それまで経験してきたどんな割のいい職場~それらは大抵、過酷な勤務内容だったが~よりも良かった。

 いや、それも魅力には違いなかったが、実はどうでもいいことだった。日々、食い逸れさえしなければ、それで良かった。

 それよりも何よりも、彼女が惹かれたのは、そこに書かれた『採用時の待遇』だった。

 支度金として支給される『一時金』があれば。

 そして『福利厚生』欄に小さな字で記された『家族含めて利用可能なサービス』にある『UNDASN管理下医療施設(医療本部付属野戦病院及び防衛医科大学付属病院全施設)のUN健保組合保険適用と施療』が、祖母の治療に適用されるのならば。

 建設現場で作業員達の下卑た冗談や痴漢紛いの行為に悔し涙を飲んだり、小さな運送会社の創業社長に一服盛られて抱かせろと迫られるのを、痺れる四肢を必死で操って漸く逃げ出し、雨にぬかるむ公園で泥だらけのまま、恐怖に膝を抱えながら夜の寒さに震えて朝を待ち侘びた、そんな過酷な日々を振り返ってみれば、それは彼女にとって天国のような待遇だと言えた。

 身売りする覚悟で、その足でチラシに載った地図の場所~今にして思えば、そこは統幕人事局募集部アジア募集センターの横浜センターだった~へ駆け込んだ。

 その日のうちに入隊手続きを済ませ、担当してくれた中年の親切な一等陸曹が引き続き祖母の防衛医科大東京校付属病院への入院を手配してくれた。

 唯一の心残りは、祖母を自分の手で看病してやれない事だったが、幸い配属されたのが防衛学校横須賀校だったこともあり、週2回の休日には朝から晩まで東京ベイエリアの病室へ通った。

「雪ちゃんは、最近穏やかに笑えるようになったねえ。……私の自慢の孫だったよ、ずっと、昔から」

 それを最後の言葉にして、祖母の皺だらけの小さな手を握り締めて泣きじゃくるアマンダの黒髪を梳くように、優しく、優しく撫で続けながら静かに逝った彼女を、アマンダは思ったよりも穏やかな気持ちで見送ることが出来た。

 一方、UNDASNでの生活もまた、アマンダにとっては、これまでとはまた違う意味で過酷だった。

 16歳以下の兵員に対して、高校卒業資格と実施部隊構成員足る技能を与える事、それが特別専種生徒課程なのだが、暴走族だった経験を活かそうと選んだ陸上車輌操作担任コースで、実技は優秀な彼女も、流石に小中学校合わせて半分以上を不登校、中学などは殆ど顔を出していない事が祟り、座学教育では惨めな思いを味わった。

 それでも、元々頭の回転は早い方だったらしく、座学も何とか人並み以上の成績を取れるようになって、18歳で陸士長を拝命し太陽系外の最前線へ送られ、20歳で下士官になってすぐにレンジャー教程を志願、3ヶ月の死ぬほど辛い訓練期間を経て特A級レンジャー徽章を授与された日を、アマンダは今も明確に思い出すことが出来る。

 レンジャー隊員として、陸上マークを持つ者の頂点に立つ技能を得た事よりも、ようやく一人前の大人になれた実感が彼女の胸を満たしていたのだ。

 だが、反面、世界中で一番それを喜んでくれる筈の、そして世界で唯独り、アマンダに無償の愛を与え続けてくれていた祖母が既にこの世にいないと言う現実は、塞ぎようの無い穴として心に開いている事を同時に知り、喜び以上の悲しみと寂しさを憶えた事もまた、事実だった。

 それから数年、徐々に広がりつつある心に開いた穴に、いつかはそれに侵食されるかもしれないという恐怖と、いっそそうなれば哀しみも苦しみも後悔すらも感じなくても済むかもしれないという、一種の冥い期待を感じながら一曹に昇進していたアマンダはある日、新しく着任した上官によって運命が変わったことを知る。

 未だデリンジャー現象も然程激しくはない頃、アマンダ達103師団を基幹部隊とする上陸部隊がミハラン星の約50%を占領し、戦線整理の為進撃も一息ついたある日の事だ。

「鏡原四季ラングレー三等陸佐だ。大隊長に上番した。爾後、宜しくお願いする」

 日独クォーターだと言う年下の彼女の、混血という同じ境涯に生まれながら、こうまで人生は違ってくるのかと思い知らされる様なその美しさに、理不尽な反発と羨望、後悔と諦めを憶えつつ、それでも昔の凶暴さを押さえつけて、半ば無視する態度を取っていたアマンダだったが、ある日、その感情は一変した。

 これ以上地球人の横暴を許してなるものかと、物量を楯にして着実に迫るミクニーの機甲部隊の砲弾が雨霰のごとく降り注いで人々の肉体を引き裂いていく中、機動斥候に出たはいいものの、敵の激しい弾雨の中、偵察用オートバイが破壊されてしまい、戻るに戻れない状況に陥っていたアマンダは、慌てて掘った塹壕の中で首を竦めていたのだが、そんな砲撃の真っ最中に隣に飛び込んできた人物を見て、思わず叫んだ。

「だ、大隊長? 何してやがんだ、死にてえのかっ? 」

「んー? どうだろ? 」

 鉄帽テッパチとHMDゴーグルをポイと無造作にそこらへ放り投げ、零れ落ちる紅茶色の美しい髪をバンダナで掻きあげて、四季は笑って見せたのだった。

 呆れて口をパクパクさせているアマンダを尻目に、四季は手に持ったカラシニコフをポイと無造作に投げ捨て、背中に担いだRPG-707のセイフティを外しながら、バンダナに付けたインカムに叫んだ。

「タンゴリーダー、ディス・イズ・キロ2、ディス・イズ・キロ2、タンゴリーダー、カムイン! ……青い着色弾だ! そう! 青だよ青、馬鹿! ……ブルースモーク、10マイナー。……キロ2、10-4、アウト! 」

 そして塹壕の淵でRPG発射筒を支持して仰角を取り、翠の瞳をアマンダに向けた。

「つっても、無理矢理死ぬ気はないけどな。今は取り敢えず、お仕事だお仕事」

 そして無造作にヒョイと顔を出し、「後方の安全確認」とお呪いのように呟いて、カクンと軽くトリガーを落とした。

 スポンッ! と妙に軽い音を立てて、発煙弾頭が飛んでいく。

「……あんた」

 漸くアマンダが言った途端、四季が突然飛び掛ってきた。

「わっ! 」

 押し倒されたアマンダに、四季は覆い被さったまま言った。

「今のは弾着誘導の着色発煙弾だ。30秒後、基準砲の試射、続いて観測射、終われば師団特科火力の一斉効力射が来るぞ。……ここは貴女だけだよな? 」

「……そ、そうだ」

「よし。危ないから、頭引っ込めろ」

 アマンダは四季に押さえつけられたまま喚く。

「馬鹿、何言ってんだ、アンタも危ないだろうが! 」

 が、次の瞬間、アマンダは潤んだ翠の瞳に射抜かれたように、身動きはおろか口を開く事さえ出来なくなった。

 甲高いホイッスル音にも似た、聞き慣れた、けれど歩兵にとっては死ぬほど恐ろしい砲弾の風切り音が鼓膜を震わせる中、信じられないくらいに優しく甘い声が耳に届いたから。

「そうだな。……だから、私は貴女を守るんだ。誰も、私の目の前で死なせはしない。そう、決めたんだ」

 次の瞬間、身体が押し潰されるかと思うくらい、激しい炸裂音が轟いた。

 自分の心臓の鼓動すら判らなくなるほどの。

 だが、その耳を劈く爆音轟く中、アマンダは確かに聞いた。

「貴女の髪、ほんと綺麗で、素敵な香りだな。私もそんなブルネットとブラック・アイだったら、良かったのにな」

「え? 」

 何言ってんだ、このアマは。

 アタシだって、アンタみたいな綺麗な白い肌に生まれたかった。

 アタシだって、アンタみたいな素敵な赤い髪が欲しかった。

 アタシだって、アンタみたいな優しい翠の瞳が欲しかった。

 そうすれば、きっと今のアタシは、アンタみたいになれただろうに。

 お祖母ちゃんにも、もっと楽させてあげられただろうに。

 口に出そうとすると、大量の土砂が降って来て、アマンダは想いを飲み込み、眼を閉じた。

 四季の心臓の鼓動はその分厚く重いボディアーマーを通してさえ、温かく優しく、まるで子守歌のようにアマンダを包み込み、眠気さえ覚えてしまいそうになった。

 そのまま、何分経ったのだろうか。

 気付くと、アマンダは四季に抱きかかえられて、土砂の中から上半身を引き起こされていた。

「よっし、助かった! 」

 四季が塹壕から顔を出して双眼鏡で辺りを見渡しながらガッツポーズを取る姿に、アマンダは漸く我に返った。

「……ミースケ、全滅か? 」

 四季は嬉しそうに微笑んで頷いて見せた。

「貴女と私が生きてて良かった」

 急に言いようのない怒りが込み上げてきた。

「テメエッ! 」


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