4. そこは未だ荒野のままで ~最前線回想(2)~

第21話 4-1.


「考えてみれば、不思議な出逢いだったよな……」

 ベランダから見える、住宅街の家々から零れる柔らかな灯りをぼんやりと眺めながら、陽介は呟いた。

 アマンダと出逢ってから4ヶ月、第6方面統合司令部の予測通りワカン=マッツは地球側の手に落ち、その1ヶ月後にはミハランの残敵も降伏、その頃には夏至も近付き、デリンジャー現象も急激に減り始めて陽介は艦隊へ復帰、更に1ヵ月後にはアマンダが幹部候補選抜学生試験に合格して幹部教育の為地球へ、程なく四季も艦隊へと戻り、三人はバラバラになった。

 それから互いに出会う機会はなかったが、ミハランを出て1年後、人事通達公報にアドルフの名前とエネルギー本部総務局長である三等艦将、その他数名が、軍需物資横領の罪で統一軍事法廷にて有罪判決、控訴棄却、全員の階級剥奪と重禁固刑確定の記載を見て、四季の辣腕ぶりに驚いた記憶がある。

 陽介やアマンダ達、『当事者』に軍事法廷への証人召喚の声がかからなかった事から見て、法務部は立件の困難なミハランの事件よりも、他の事犯で有罪に持ち込んだらしい。

「あんな優秀なエリートコースまっしぐらなひとが、なんでドロガメなんてやってたのか、不思議ではあったよな」

 四季の部隊に引き取られて暫く経って、陽介は本人に聞いてみたことがある。

「いやぁ、まあ……。要は、若気の至り、って奴だよ。元々がUNDASNに志願したのだって、ちょっと地球でやりきれない、腹の立つことがあって半ばヤケになってのことなんだけどね。艦隊マークになって、それでも怒りが収まらずに、もっとキツいところへ、って幹部レンジャー資格にチャレンジしたんだ。すぐに後悔したけどね」

 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる四季に何も言えなくなっていると、隣に立っていたアマンダが、そっと陽介の肩に手を置いた。

「まあ、人生色々あるってことさ」

 そう言うアマンダにも、やっぱり色々あって、切羽詰まってUNDASNに志願した話は聞いていたから、そのまま黙って引き下がったことを思い出した。

「けどまあ、彼女があの部隊にいてくれた、そのお蔭で今は……」

 そう呟いた刹那、突然響いたガンガンガン、という騒音に、陽介は強制的に現実へ引き戻された。

「な、なんだ? 」

 確かに、毎晩アマンダは陽介の部屋のドアを(乱暴に)叩く。

 だが、今夜のそれは、とてもドアを叩いている音には聞えないほど大きく、たぶんマンション中に響き渡っているだろう。

「ア、アマンダか? 」

 陽介は慌ててベランダから玄関へ走り、ドアを開いた、その途端。

「痛っ! 」

「お、悪ぃ」

 陽介は玄関で右脚を抱えて蹲った。

 ドアを『攻撃』していたアマンダの蹴りが、陽介がそれを開けた途端、見事に弁慶の泣き所をヒットしたのだ。

「お前が悪いんだぞ、とっととドア開けねえから」

 アマンダはお気に入りの部屋着、無印良品のエンジ色のジャージ上下に洗い晒した布製ハイカットバッシュの踵を踏んで、脚を抱えて蹲り呻いている陽介を遠慮会釈なく跨ぎ越し、片足づつ器用に降ってバッシュを土間に落として部屋に上がり込んだ。

 陽介は涙ぐみながら漸く上半身を起こす。

 額に乗っていたアマンダの脱ぎ散らしたバッシュの片方が、ホテッと膝の上に転がった。

 思わず口を吐く、恨み節。

「おーまーえー。結構夜も遅いんだからさあ、ドア蹴るのはやめろ、蹴るのは」

「両手塞がってたんだから、仕方ねえだろうが」

 声は台所から聞えてきた。

「お前なに……」

 言いながら台所を覗き込んだ陽介は文句を途中で飲み込んだ。

 鼻が、我知らず勝手にヒクヒクと動く。

「いい匂いだな」

 アマンダは勝手知ったる他人の台所とばかりに、無断でコンロに火を入れ、そこに寸胴鍋を置き、続いて無洗米を量りジャーに入れている。

「昨日の晩によ、ちょいと思い立って作ったんだけどよ。一晩寝かせたから、美味いぜ? 」

 そこまで言ってからいきなりガバ、と陽介に顔を向け、額の中心を射抜く程の視線を投げかけながら、低い声で言った。

「まさかお前、もう食ったとか、言わねえだろうなあ? 」

「ま、まだだ。うん、まだ」

 本当にまだだったのだが、いつもの事ながらアマンダの迫力ある視線にドギマギしてしまい、どうしても言い訳のようになってしまうのが常だった。

「そか。じゃ、待ってな」

 そう言った瞬間のアマンダの笑顔は、つい数秒前と同一人物かと疑うほどに幼く、美人と言うより可愛らしく輝いて見え、違う意味だがやはりドギマギしてしまうのも何時ものことだった。

「ん。お前のカレーは天下一だからなあ」

 ミハランの砂漠で、何時の間にやら鍋や飯盒に忍び込む砂に閉口しながらも、本当に幸せを感じさせてくれる『野戦食』はレーションでも缶詰でもなく、アマンダの作るカレーだった。

「冷蔵庫にビール入ってる。勝手に持ってこいよ」

「あいよー」

 炊飯ジャーをセットしているアマンダの適当な返事を背中に聞きながら、陽介は奥の間に戻り、テレビのスイッチを入れた。

 リモコンを押す指が、知らぬうちに国際経済ニュース専門チャンネルに合わされるのは、アマンダが毎夜この部屋に来る理由に馴らされたから。

「テレビくらい買えばいいのに……」

 ボソ、と独り言を呟いた瞬間、視界の隅になにやら動く影を発見し、危うく顔面直撃の寸前で飛んできた物体をキャッチした。

「今、悪口言っただろ? 」

 アマンダが缶ビールを放って寄越したのだった。

「悪口じゃないって。……なんでテレビ買わないんだ、って言ったんだよ」

 アマンダはプルトップを開け、ゴロンとテレビの前に寝そべって腕枕をし、美味そうにビールをゴキュゴキュと飲んでから、思い出したように応えた。

「うるせえ。いいじゃねえか、テレビくらい。お前が持ってんだから」

「いやまあ、いいんだけどな」

 陽介も苦笑しながらビールのプルトップを開ける。

 噴き零れた泡を、慌てて口で迎えに行きながら思う。

 だからビールは投げるなとあれほど。

 けれど、まあ。

「お蔭で美味いカレーも作って貰えるし」

 言った途端、アマンダの肩がピク、と震える。

「? 」

 アマンダの手が器用に後ろへ、つまり陽介の方へ伸びる。

「なんだ? 」

「灰皿」

 渡してやると、アマンダはジャージのポケットからラッキーストライクを出して火を吸い付け、画面を流れるロシアでの小麦大凶作の映像を眺めながら、ボソ、と言った。

「別にテメエの為に作ってんじゃねえや」

 陽介が思わずアハハハと笑うと、アマンダは上半身を捻って陽介を睨みつける。

「何笑ってやがんだ、あぁっ? 」

「とんがるなよ、アマンダ」

 陽介は軽くいなして、畳の上を這い、アマンダの隣へ座る。

「な、なんだよ」

「俺もタバコ」

 ライターで火を吸い付ける陽介をアマンダは暫く睨みつけていたが、陽介の視線がテレビ画面から離れない為か、「ケッ」と詰まらなさそうに吐き出すと、再び視線を画面に戻した。

『……国連食料機構では、UNDA及びUNDASN調達実施本部との緊急会談を提案しており、近く開催されるものと見られます。次のニュースです。中央アフリカ電源開発公社の太陽光発電基地建設を巡る一連の汚職事件で、ICPOでは……』

 部屋に、ニュースを読み上げるアナウンサーの声だけが響く。

 時折動くのは、2人がモゾモゾと姿勢を変えるのと、プカリと吐き出す紫煙だけだ。

 アマンダが無口なのは今に始まった事ではない。

 最初は気詰りだったが、やがてそれにも慣れ、今こうして再び、地球で同じ配置になってみると、陽介はこの沈黙に慣れただけではなく、結構気に入っていたのだと気付いた。

 陽介が話しかければ、アマンダも言葉少なだが、答える。

 時には、アマンダの方から話しかけてくることもある。

 気儘で、自由な、これっぽっちのプレッシャーやストレスすら感じずに済む、貴重な時間。

 そこへ、安物臭い電子音がピピピと割り込んできた。

「おい、アマンダ」

「……ん? 」

「ジャーが呼んでる」

「……ん」

「米、炊けたってさ」

「……んー」

「アマンダ? 」

 アマンダは頭を支えていた腕をペタン、と伸ばし、コロンと畳の上に仰向けに転がって、上目遣いに陽介を見上げる。

「アタシさー。今日は疲れてんだよなー」

 ハスキーな声は普段通りだが、いつもの鋭角的ではない、だるん、とした口調に、陽介は少し驚いてアマンダを見下ろす。

「今日で14連勤だろー? 明日だって休めねえしよー。帰りの電車ん中じゃ馬鹿共相手に手間食うしよぉ。川崎に入港した汎用輸送艦宇奈月航海士セカンドオフィサーがまたボンクラでさー」

「な、なんだよ? 」

「要は、疲れちまったんだよなー」

「あー、判った判った! 」

 陽介は灰皿にタバコを捩じ込み、ヨッコラセと声に出しながら、立ち上がって台所へ向かった。

「アタシ、大盛りなー」

「あいよー」

 陽介の背中を、アマンダのクスクスという幼い笑い声が追い掛けてきた。

「煙草も返事も、アタシの悪いトコばっか似てきやがる」

「友達は選べって事だよなあ」

 陽介の言葉にアマンダの怒声が返ってきた。

「いいから、とっとと持ってきやがれ! 」

 こんなやりとりも、いつの間にか『日常』になった。

 そして陽介は、こんな日常が、堪らなく愛おしく、気に入っている。


 炬燵に入り、2人、カレーライスを黙々と食べる。

 結局、アマンダは大盛りを2杯も食べたし、陽介も3杯お替りした。

「ぷはあ。食い過ぎた……」

 言うなり仰向けに寝転がったアマンダをみて、陽介は思わず笑い声を上げる。

「行儀悪いなぁ。牛になるぞ」

「こ、子供みたいに言うな! 」

 陽介の言葉に途端に反応し、バネ仕掛けのように起き上がる。

「子供みたいじゃないか」

「もう、大人だ! 」

 続けて悪態をつこうとしたようだったが、二、三度口をパクパクさせただけで、チェッと低く呟き、煙草を咥える。

「いや、ほんとご馳走様でした。相変わらず、お前のカレーは絶品だなあ」

 途端にアマンダは、不貞腐れた表情からパアッ、と花が咲いたような笑顔に変わる~昔の彼女を知る人間が見たら、きっと腰を抜かすほどだろう~。

「だろ? あったりめえよー。あのロクな材料のない砂漠であの通りだ、新鮮な材料や隠し味とか使い放題の本星なら当然のこった」

 自慢げに胸を張ってみせる姿は本当に子供だ、と陽介は思うが、口には出さずに頷くだけにとどめる。

 彼女は、何故か昔から、大人だとか子供だかという言葉に、過敏に引っ掛かるから。

 けれど陽介は、彼女のこんな子供っぽさが、嫌いではない。

 いや、正直好きだ。

 魅力的だとさえ、思う。

 だから、何故、といつも不思議に思っている。

「まあ、最前線から離れてもう数年になっけど、腕は落ちてねえってこったな。いつでも復帰できるぜ? 」

「烹炊所要員としてか? 」

「馬鹿野郎、戦争に負けたいか? 」

「そりゃそうだ」

 陽介は立ち上がり、コタツの上の食器類を片付け始める。

「あ、アタシが……」

「いいから、座ってろ」

 陽介は手馴れた様子で食器をまとめながら言う。

「疲れてるんだろ? それに美味いカレー作って貰ったお礼だよ」

 アマンダは居心地悪そうにそっぽを向く。

「だから、違うっつってんだろうがよ! ただ、ちょいと食い過ぎたからよー、こう、食後の運動をってさぁ……」

 徐々に声が小さくなるアマンダを放置して、陽介はさっさと台所に引っ込んだ。


「……くそ」

 台所から聞える水道の音を聞きながら、アマンダは小さく呟きゴトン、と額をコタツの天板に当てる。

 炬燵で温もって、手作りのカレーを食べて、テレビはニュースが終わりCMが賑やかな音楽を流していて、台所からは洗い物をする水の音……。

 幼い頃、祖母と二人暮らしだった昔。

 両親を亡くして淋しかったけれど、それに祖母のパートや内職だけで賄う暮らしはけっして満たされていたとは言えなかったけれど、しかし。

 子供だった自分が、子供だった自分に甘え、そしてとうとう、大人にならなければいけない事に気付かされ、そうなる事と引き換えに永遠に失ってしまった筈の、あの『心地良い眠気を誘う、やすらぎを感じられる日々』が、今、軍役にありながらも再び戻ってきた事に、アマンダは戸惑いを感じ、落ち着きを失くし、狼狽える自分がいることに気付いていた。

 そしてそれは、いつか必ず~しかも、近い将来~消え去ってしまう事を恐れる余りであることも。

 陽介は『A幹』、つまり幹部学校出身の純粋培養の兵科将校だ。

 しかもミハランを出てから防衛大学にも選抜された、将来の幕僚候補、将官候補生でもある。

 防大出身者は、短ければ半年、長くとも1年から2年のサイクルで、実施部隊と系内外、統合の三幕や9本部を行き来するのが通例だ。

 彼が場末とも言える現地調達センターにいる事自体、奇跡のようなものだろう。

 自分にしたって、ミハラン時代の上官である四季の計らいで、幹部候補となり、ドレスブルーなんて柄ではないが~実際、滅多に着ないのだが~、今ではとにかく士官だ。

 下士官選抜の特務士官だから、然程偉くはなれないだろうが~人事規定上の制限はないとは雖も~、それにしてもいつまでも横浜にいられる筈もないだろう。既に3年目なのだから。

”……せめて、恋人同士、とか”

 そこまで考えてアマンダは顔を真っ赤にして両手で頭を抱え、額を天板にガンガンと打ち付けた。

”……馬鹿だ、アタシ”

 脳内で、さっき陽介が何気なく投げかけた『友達』という単語が、憂鬱なタンゴを踊っていた。

 これも、この手放したくない夢のような現状~だから、いつかは文字通り『夢のように』消えてしまうのだろうか? ~にアてられた、麻疹のようなものだろう。

 自分のような、素行不良の兵隊やくざが、エリート幹部である陽介と。

 もしも隣に、今の自分ほど後ろ向きな奴がいたとしたら、躊躇うことなくブン殴るだろうと思える程に気弱な考えに辿り着くその刹那、陽介の声でアマンダは我に返った。

「おーい。まだビール飲むかあ? それともコーヒーにするかあ? 」

 助かった、と安堵の溜息を吐きつつ、そんな情けない自分がつくづく嫌になり、いつもの通り陽介に八つ当たりをしてしまう。

「腹一杯でビールな訳ねえだろうが! コーヒーだ、コーヒー! 」

「あいよー」

 アタシならブチ切れてるよなぁ、と他人事のように思いながら、アマンダは漸く頭を天板から持ち上げて、ラッキーストライクを咥える。

 考えてみれば、不思議な関係だとつくづく思う。

 自分のような、暴走族上がりの不良で、切羽詰ってUNDASNに志願した兵隊ヤクザのアバズレと、防大出身のエリートA幹が、こうして~例え一場の夢だとは言え~のんびりとしたヌルい日常を送っている事が。

「そもそも、最初はアタシら、お世辞にも上手くいってるとは言えなかったもんなあ……」

 流れる水の音に混ざって聞えてきた、コーヒーメーカーの不機嫌そうなドリップ音が何故か心地よく感じられ、ゆっくりと瞼を閉じたアマンダの意識は、柔らかで心地良い眠気と共に、陽介との関係が明確に変化した、ミハランでの『あの事件』に絡め取られていった。


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