第19話 3-6.


「走れ! 」

 アマンダの叫び声の後半は、凄まじい機銃の発射音で掻き消された。

 彼女が左肩に担いでいた分隊支援重機関銃、BAR-M1918A2の7.62m/mスプリングフィールド弾が、ガスオペレーションにより毎分650発の速さで発射され、陽介達とアドルフの間に着弾して猛烈な砂の煙幕を作り出した。

『合図で左へ走れ』

 漸くアマンダの言葉を思い出し、陽介は回れ右して震える足を左へ踏み出した。

畜生Verdammt! 」

 アドルフの叫びが微かに聞こえ、足元の熱い砂にバシバシと45口径がめり込む。

「早く走ら……、わあっ! 」

 お互い反対方向に走る筈が、何故アマンダの声がこんな近くに聞こえるんだと隣を見ると、彼女は出会った時の無表情をいともあっさり脱ぎ捨てて、焦った様子で走りながら叫んでいた。

「逆だ逆ゥッ! テメエこっちくんな、狙い撃ちされっぞ! 」

 彼女の指示した左右が、相手に向かっての方向だったのに気付いた陽介が、返事もせずに反対方向へ走り出そうとしたその瞬間、背後でアドルフの狂ったような叫び声が聞こえた。

撃てBrennen! ミサイルを早く! 」

「来るぞ! 」

 間髪入れずに叫ぶアマンダの声に、陽介が思わず背後を振り向いた瞬間、OSHR600のサイドハッチ上に張り出したハードポイントに各舷2発づつ吊り下げられているSLAMのキャニスタが猛烈な白煙を噴き出した。

 数瞬の後、視界の隅でオレンジ色の光が混じった黒煙が大音響と共に舞い上がり、コンテナとトレーラーヘッドがまるで紙細工のようにバラバラに砕け散り、天へ吹き飛ばされていくシーンが映った。

「クソがぁっ! 」

 低く叫ぶとアマンダは、右肩にスリングしていた33式携帯型3連装対戦車ミサイルTOWのキャニスターを、驚くべき事に右手1本で肩に担ぎ上げた。

「ま、待……」

 確かに本人の自白通り、アドルフは悪人だと判った。

 だが、彼の乗ってきたOSHR600の乗員までがそうだとは言い切れない。

 と言うより、秘密の拡散を防ぐと言う意味では、彼らは単にアドルフに利用されたと見るべきだろう。

 実際に彼等は陽介達に向かってミサイルを発射したが、それだってアドルフのことだ、『奴等は物資横領の脱走兵だ、抵抗する場合は殺せ』とでもあらかじめ言い含めていたのかもしれない。

 だがアマンダは恐るべき沸点の低さで、怒りに任せて陽介の制止を聞かずに対戦車ミサイルを発射してしまった。

 が、さすが強行偵察のプロフェッショナルたるVTOLパイロットだった。

 ミクニーの隠密接敵の攻撃を何度もかわしてきたのだろう、メインギアを引き摺るように尻を持ち上げ、前につんのめる様な姿勢で砂煙を巻き上げながら後退し、後退しつつディスポーザからフレアを連続発射して見せた。

 アマンダの赤外線熱源探知ホーミングのミサイルは、フレアに惹かれて明後日の方向へ飛び去ってしまう。

「しゃらくせえっ! 」

 アマンダが2発目を発射しようとするのを、陽介は飛びつくようにして止める。

「放せっ、何しやがる馬鹿! 」

「それより逃げるぞ、アレ! 」

 陽介の指差す方向を見て、アマンダはさすがに顔色を失くして叫んだ。

「ヤベェッ! 」

 先にアマンダが撃ったミサイルを避けつつ後退したVTOLは、最初に現れた丘の向こうに姿を隠していたが、代わりに姿を見せたのは、天に向けて立ち昇る矢だった。

「トップアタックで来るぞ! 」

 2本の矢~OSHR600のSLAM~は、500m程上空まで上昇した後急激にその先端を地上、つまり陽介達に向けて下降してくる。

 あのタイプのミサイルは、発射前ロックオンLOALから発射後誘導LOBL時のシーカー位置メモリ、中間誘導方式で終端誘導は赤外線ホーミングだった筈だ。

「伏せてろ! 」

 アマンダは叫ぶと腕を掴んでいる陽介を突き飛ばし、33式のキャニスターを構えて右へ1発、即座に90度左へ向けてもう1発放ち、その場に伏せる。

 タイミング的には終端誘導に切り替わった直後だったのだろう、アマンダの撃った2発の対戦車ミサイルがフレアの役目を果たし、OSHR600のSLAMは綺麗に急カーブを描いて目標~陽介達だ~から逸れて300mほど離れた砂丘に着弾、爆発した。

「今だ、逃げるぞ! 」

 アマンダが失弾したキャニスターボックスを放り投げ、OSHR600に背を向けて走り出した。

 陽介も砂から顔を上げてアマンダの後を追おうとした刹那、不気味な排気音が背後から追いかけてきた。

「! 」

 再び空へ舞い上がったOSHR600だった。

「しつこいっ! 」

 叫んだ瞬間、パシュッ、と言う、空気を切り裂くようなミサイル発射音が耳を貫いた。

 ミサイルはもう1発残っていたらしかった。

 最初にコンテナとトレーラーヘッドが吹っ飛んだのを見て、OSHR600がミサイルを2発とも使ったと思ったのだが、どうやら1発で片付けていたらしい。

「アマ……! 」

 陽介が呼びかけようとした時、アマンダは既に振り向いてM4A2のグレネードをポポン、と軽やかな音を立てて、2発発射していた。

 今度もミサイルはグレネードをホーミングして明後日の方へ飛んでいく。

 陽介がホッと胸を撫で下ろしたその瞬間、足元の砂がバシュバシュと音を立てて舞い踊った。

「なんだっ? 」

 見上げるとOSHR600は既に陽介の真後ろ、50m程の上空にまで迫っており、開け放たれたサイドハッチからはマシンガンを構えたアドルフがこちらへ銃口を向けていた。

「後ろ! アマンダ後ろ! 」

 今度こそ陽介が叫んだ瞬間、VTOLは陽介の頭上を過ぎ、先行していたアマンダの真上から機銃弾を文字通り雨霰とぶちまけていた。

「アマンダ! 」

 振り向きもせずに走り続けていたアマンダが、いきなり前のめりになって、頭から砂に突っ込んだ。

 ここぞとばかりに上半身を乗り出し、マシンガンをアマンダに向けたアドルフの姿を見て、陽介は考えるより早く、ホルスターからハンドガンを抜いていた。

 蒼空に響く4発の射撃音が妙に甲高く、VTOLの爆音に紛れることなく微かに耳に届く。

 と、信じられない光景が陽介の目に飛び込んできた。

 まさか当たるとは思っていなかった銃弾が、命中したのか兆弾したのか、とにかくアドルフが銃を機外へ取り落としたのだ。

 今だ、と思ったかどうか、陽介は覚えていない。

 気がついたら、砂にまみれてうつ伏せになっているアマンダの身体の上に、覆い被さっていた。

 VTOLのダウンウォッシュで舞い踊る、目も開けられない砂嵐の中、まるで散らばった書類を掻き集めるような仕草でアマンダの四肢を自分の身体の下に押し込みながら、200m程先へ行き過ぎた後、クルリと方向反転してこちらへ戻り始めたOSHR600の機影を、陽介は薄目を開けて睨みつけていた。

自分だけならともかく、通りすがりで拾っただけのアマンダまで巻き込んで、その上死なせる訳にはいかない、それだけが陽介の頭を支配していた。

 無闇矢鱈と手を動かして、漸くアマンダの手を離れて転がっていたアサルトライフルM4A2を掴むと、陽介は無駄とは知りつつ射撃姿勢を取る。

 せめて、彼女だけでも。

 思いつつトリガーに指をかけたその瞬間。

 照星の中で黒煙が広がり、続いて横滑りしたような不自然なマニューバを見せたOSHR600の機影が見え、遅れて爆発音が轟いた。

「え? 」

 途端にOSHR600は機首を廻らせ、高度を上げつつ陽介達から離れて、そのシルエットはみるみる小さくなっていった。

「え? 」

 一発も撃っていない筈なのに。

 疑問が首を擡げた刹那、今度は違う方向から響いてきたエンジン音に気付き、陽介は慌てて射撃姿勢を取り、頭をキョロキョロと巡らせその音の正体を探した。

「無事かっ? 」

エンジン音に紛れながらもはっきり聞こえた声は、甘いアルトだった。

「へ? 」

 さぞかし間抜けな声だったろうと、今更ながら思う。

 声の方に顔を向けると、見慣れた砂漠迷彩デザート・カモを施されたHMV、ウインチ付きの武骨なバンパーには『3rd-R.R./103thA.D.』の文字。

 103師団第3普通科連隊の高機動車だ。

 続いて視界に現れたのは半長靴。

「聞こえてるか? 怪我はないか、貴様? 」

 陽介は頭上から聞こえる、少し低めだが眠りを誘うような心地よい甘い声に吊られて、ゆっくりと顔を上げる。

 半長靴の踵にはアーミーナイフ、この星専用のデザートパターンのパンツに包まれた脚は、どこまで続くかと思う程に長く、ランニングタイプの黒いタンクトップの胸は、仰ぎ見る角度のせいではなく、確かに美しい形の連山で、優しい影を陽介の顔に翳してくれていた。

「助かったのか……? 」

 その人物は、安堵したのか、笑い交じりの吐息を零したようだった。

「危なかったようだな。もう奴等は反転、避退したよ」

 急に声が近くなる。

 しゃがんで話しかけるアルトの声の持ち主は、紅茶色の髪と翠の瞳が神秘的な、途轍もない美女だった。

 今日は果たして、眼福を授かる日だったのだろうか? 最悪、命日になるかもしれない日なのかと思っていたのだが。

 そんな下らないことを考えながらも、ともかく気になることをまずは訊ねよう。

「えと……、君は? 」

 美女はニコ、と微笑んで見せた。

「103師3普連、第1レンジャー大隊の鏡原。鏡原・四季・エリザベート・ラングレー。はじめまして、だな。よろしく」

「あ、えと」

 彼女が肩に担いでいた個人携帯対空ミサイルスティンガーBr.Ⅷをごろん、と地面に転がして差し伸べた右手を、陽介は少し躊躇ってからおずおずと握り返した。

「向井陽介二等艦尉。8SSFのSS080雪潮から輸送司令部へ派遣されてたんだ」

「へえ、サブマリナーなんだ。こりゃあ嬉しいね、私も元々は艦隊マークなんだよ」

 自分以外にも艦隊から派遣されていたリエゾンがいたとは今日まで知らなかったが、それにしても何故普通科連隊なんかに所属しているのだろうか?

 不思議に思って首を傾げた陽介から目を逸らし、鏡原と名乗った彼女は口調を変えて言った。

「雪姉も元気そうで良かった。もう、ホント心配したんだぜ? 」

 “ユキネエ”とは誰のことだ?

 再び首を捻った時、腹の下から聞き覚えのある声がした。

「遅ぇよ、ねえ

 不貞腐れたような口調が、突然怒り口調に変化する。

「重いんだよとっとと退きやがれこのマヌケッ! いつまで人の身体の上で暢気に自己紹介してやがんだっ! 」

「わああっ! 」

 いきなりアマンダが起き上がったせいで、陽介は無様に砂の上に跳ね飛ばされる。

「こらっ、雪姉! 」

 四季と名乗った女性の綺麗な形をした唇が、への字に結ばれる。

「命の恩人になんて事言うんだ。向井君は雪姉を庇ってくれたんだぜ? 」

 “ユキネエ”とはアマンダのことだった、らしい。

 そういえばアマンダなんとか雪野どうたらとか名乗っていたな、とぼんやり考えている目の前で、四季に向かって抗議している彼女の瞳が、妙に柔らかい輝きを放っている事に陽介は気付いた。

 それは、これまでクルクルと色々な表情を見せてきた彼女が、初めて見せる温かく柔らかな、まるで家族に向けるような表情だった。

「別に、こんなカッパに庇ってもらわなくたって、大丈夫だったって! 上から飛び乗られて、逆に怪我しちまったよ」

「子供じゃねえんだからさ、雪姉。素直にお礼言いな。ほら! 」

 苦笑を浮かべた四季の、翠の瞳の底を窺うように、アマンダは暫く上目遣いに見ていたが、小さく舌打ちするとチラッと陽介に視線を飛ばし、そっぽを向いてボソリと言った。

「あんがとよ」

「もう、雪姉ったら」

 四季は短い吐息を落とすと、陽介に向き直って苦笑を浮かべた。

「ごめんな、向井君。雪姉……、沢村一曹ってば、照れ屋さんなんだよ。私からも改めて、部下を助けて貰ってありがとう。恩に着る」

 ペコ、と頭を下げる四季と陽介の顔をチラチラと交互に見ているアマンダは、なんだか、さっきまでと別人のように幼く見えた。

 同時に、とある疑問が頭に浮かんだ。

 この鏡原と名乗る美女の口調、ひょっとして?

 今更ながらハッと我に返り、陽介は姿勢を正しつつ疑問を口にした。

「あの……。ひょっとして……」

 陽介の質問内容が判ったのか、アマンダが意地の悪そうな笑みを浮かべて言葉を投げかけてきた。

「三等陸佐、ウチらの大隊長兼A中隊長だ。テメエ、なんて口の利き方だ、ああ? 」

「お前もだろうがっ! 」

 陽介はおろか、四季にだってタメグチだったじゃないかと突っ込んだ後、我に返って陽介は立ち上がり艦隊式の敬礼をして見せた。

「し、失礼いたしました」

「そんなことはいいから」

 四季は笑いながら立ち上がり、ラフな陸式答礼を返してから表情を引き締めた。

「さ、それより早いトコここからオサラバしよう。ミクニーのSSL上でこんだけ派手にドンパチやらかしたんだ、いつもより早めに定期便が来るかも知れねえ」

 促され、四季の乗ってきたHMVの方へ向かおうとして、陽介はふと足を止め、VTOLの飛び去った空をみつめた。

 今更ながら襲い掛かってきた死の恐怖に、折角立ち上がった脚から力が抜けていきそうになった。

「俺を……、俺を殺そうとしやがった」

 助かったと実感できたからなのか、更に恐怖感が募る。

 陽介とて、数々の戦闘をくぐり抜けてきている、生命の危機にも何度も遭った。

 だが、『戦争』と言う名の殺し合いとは違う、純粋な『殺意~”向井陽介”と言う個人を永遠に抹消せんとする邪悪な意思~』が、今更ながら身体を震えさせた。

 しかも、自分に向けられた殺意の根源にあるものが、私利私欲の犯罪の証拠隠滅だったことが、悔しかったのも事実だった。

「なんで俺が……、くそっ! 」

 唸るように低く呟き、足元の砂を蹴っ飛ばした刹那、パンッと痛いくらいの勢いで肩に手が置かれた。

「アマンダ」

 振り向くと、アマンダが隣に立って、じっと陽介の横顔をみつめていた。

 鋭く感じられた切れ長の半ば閉じられた瞳が瞬間、『大丈夫か? 』と語りかけているような気がして、陽介は思わずこくんと頷いてしまう。

 アマンダもまた、無言のまま頷き返し、すぐにさっきまで陽介が見ていた方向に目をやり、低く、囁くように言った。

「心配すんな、あのクソ野郎のことは。……アタシがきっと、殺してやる」

 さっきまでの気遣うような瞳は、今は憎しみに燃えていた。

「絶対、お前に手出しなんざさせねえよ」

 言葉は激しかったが、それは彼女が自分を励まそうとしてくれているように陽介には感じられた。


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