3. ひまわりが芽吹く前 ~最前線回想(1)~

第14話 3-1.


 向井陽介むかい ようすけは、UNDASN調達実施本部が職員の宿舎として借り上げた民間マンション、~所謂『特借』、特別借り上げ宿舎と呼ばれる制度だ~3階自室のベランダに出て、唇の端に引っ掛かっていたラッキーストライクに火を吸い付けた。

 2月初旬にしては妙に温い風が、陽介の吐き出した白い煙を暗い夜空へ攫っていった。

 そう言えば、マンションのエントランスの掲示板に、ベランダでの喫煙は近所迷惑になるのでやめましょう、とか書かれた紙が張り出されていたのを思い出した。

 灰が落ちて洗濯物が汚れるとか、匂いが気になるとか、きっとそう言うことだろう。

 軍にいると然程気にはならなかったのだが、やはりシャバでは、喫煙者は相当肩身が狭い存在らしい。

「ふぅ……」

 煙草の箱をポケットへ仕舞おうとして、陽介の視線は手元の赤い丸にふと、とまる。

 悪いモン、覚えちまったなあ、としみじみ思う。

 酒は幹部学校ロサンゼルス校に入学した途端、先輩達に教え込まれたが、煙草にだけは手を付けずに過ごしてきたのだ。

 それなのに。

 それまでサブマリナーとしてのキャリアを積んできた自分が、どんな運命の悪戯か、ミハランの最前線で砂と汗にまみれて戦う羽目に陥ったあの日、気がつけば苦い煙を肺一杯に満たしていた。

「……ったく」

 溜息混じりに呟いた愚痴は、辺り近所を憚らぬ彼女の声で~だが、その甘くハスキーな声が彼は好きだった~掻き消される。

「よう、ご同業。……なに黄昏たそがれてんだぁ? 独身なのにホタル族ってかあ? 」

 鉄製の手摺から乗り出して声の方を見ると、マンション前の路上で見慣れた革のハーフコートが手を振っていた。

 暗い夜道に、陽介にとっても『ご同業』の姿が見る間に浮かび上がってきた。

 黒人の張りのあるそれでもない、ましてや夏になれば横浜や湘南辺りに溢れかえる日焼け族のそれでもない、淡く輝くような艶のある褐色の肌が~カフェオレ色と呼ぶのが一番しっくりくるだろうか~、濡れているかのようにキラキラと煌く深緑に近い豊かな黒髪が~それは昔、恒星間幹線航路エンルート上で見た銀河よりも煌びやかで~、風に弄ばれている。

「おかえり、アマンダ。休日出勤ご苦労さん」

 煙草を持った手を上げると、彼女は何故か怒ったような表情を見せてプイ、と視線を外し、返事もせずに自転車を押して歩き出した。

 陽介は、返事もしない彼女を気にすることなく、煙草を吹かす。

 彼女のそんな態度なんて、いつものことだ。

 すぐに、マンションの階段を勢い良く二段跳びで駆け上がる足音が聞こえ、隣の部屋の安物臭い鉄製ドアの開閉音が廊下に響き、更に数分後にはこの部屋のドアが乱暴に叩かれるだろう。

 そう、なっている。

 陽介が昨年10月、UNDASN調達実施本部横浜調達情報センターYSICのセンター長として赴任し、アマンダの隣の部屋で暮らすようになってから、そう、なっている。

「思い返せば、あいつも、変わったもんだなぁ」

 アマンダは横浜調達情報センターの調達7係長、アジアセンター管轄では評判の腕利き調達担当バイヤーであり、陽介がその上官として異動してきたのは、以前同じ惑星で戦った戦友という馴れ初めとはまったく関係のない、人事配置上の偶然だ。

 それでも地球から遠く離れた最前線の惑星で過ごした彼女との時間は忘れ難く、まさか横浜で奇跡のような再会を果たせるとは思ってもみなかったし、それが夢ではなく現実だと認識したときには、嬉しさで胸がいっぱいになったことを、陽介は今でもはっきりと覚えている。

 陽介は再び掌の上の赤い丸~この煙草が米軍を中心に売れ出した20世紀半ば頃から、デザインは変わっていないそうだ~に視線を落として箱を弄ぶうち、彼女との初めての出逢いの記憶を、知らず知らずのうちにリプレイし始めていた。


 第6作戦域と呼ばれる恒星系の惑星、ミハラン星は、岩山と砂漠の星だ。

 人類には辛い環境だが、それはつまり敵であり、異星人ながら人類と殆ど同等の生命維持環境を必要とする生体構造を持つミクニー星人にとっても同様で、何よりこの星系~年老いた恒星を中心に、内側からミハラン、ワカン=マッツ、セーンボンク、カーサの4惑星~で地球側が唯一テラフォーミング化した惑星~他の惑星は、ミクニー側のテラフォーミングだ~なのだから、贅沢を言える筈もなかった。

 UNDASNがこの第6作戦域攻略の橋頭堡として、黒色矮星化まで数千年と言われる老太陽の一番内側を回るこの星を選んだ事は、かなりの冒険であったには違いないが、裏を返せば、他の三つの惑星が既にミクニーに占領されていた為に、他に選択肢がなかったからでもある。

 我が物顔でこの恒星系の宙域を闊歩していたミクニーにとっては、ミハランの地球軍は相当煙たい存在だったことは間違いなく、陸上総群が普通科3個師団と基地航空群の3個混成航空団を揚陸し、拠点建設を始めた2週間後には、ミクニー軍が逆上陸を仕掛けてきた。

 それでも、隙を突いて突入した艦隊総群の系外第5艦隊、第3航空艦隊を基幹とする『勢子』部隊の果敢な吶喊の甲斐もあり、ミクニーは当初予定投入戦力の45%程度しかミハランに揚陸できなかったらしく、3ヶ月に及ぶ戦闘を経て地球軍は、ミハラン星表面積の半分を占める唯一の大陸の80%を制圧し、極点近くの4000m級高山が峰を連ねる山岳部へ推定20,000人のミクニー軍残敵を追い詰めることに成功する。

 この時点でUNDASNは、第6作戦域の第2段作戦発起~ワカン=マッツ星攻略だ~を急ぐべく、ミハランに戦備物資集積拠点の建設を決定、即日工事に着手した。

 951施設科師団主力による拠点建設は順調に進捗し、工事開始後2ヶ月、工程の35%を終えた時点で、ワカン=マッツ敵前上陸作戦を敢行、地球側優勢で推移する作戦を横目で睨みながら更に3ヵ月後、後1ヵ月で予定通り完工の目途がついた時、UNDASNはミハラン星の弱点~言い換えれば、何故ミクニーがこの星だけを放置していたのか、その理由~に気付かされた。

 地球時間で約2年をかけて公転軌道を1周するミハラン星にUNDASNが降り立って8ヶ月を経て、この星が『春分点』に到ったとき。

 太陽黒点の活動がその面では特に活発で、ミハランでの『1年』のうち約半年間は、ホイッスラー効果による電磁波の嵐をモロに受ける季節であることが初めて判明したのだ。

 この影響を受けると、周辺宙域は勿論、ミハラン大気圏内ですらレーダーや通信機は鉄屑同然と成り果てて、まともな近代戦など行うべくもない状態となってしまう。

 辛うじて、地表面での高出力極超短波UHFのバースト通信がノイズ混じりで使える唯一の通信手段だ。

 航空機は有視界方式VFR飛行のみ、特科に到っては400年ほども後戻りの目視光学観測砲撃しか行えない。

 勿論、この星系での作戦着手前には観測艦隊も投入して事前環境調査が行われてはいたのだが、当時敵艦隊が我が庭とばかりに遊弋するこの宙域で公転軌道全面においての入念な調査など無理な話だったし、それでもこの老太陽が度々強烈なデリンジャー現象を発生させることは判っていたが、公転軌道の最内縁を回るミハランの軌道半径が1.2パーセクも離れている為、その影響は少ないだろうとの調査結果に基く、ミハラン基地建設着手だったのだ。

 一時はミハラン放棄も考えた第6方面作戦域統合司令部だったが、幸い、現在攻略作戦実施中であるワカン=マッツの完全制圧は、主管部隊である912、951師団の『悲観的観測』でも地球時間で5ヶ月以内、希望的観測ならば3ヶ月以内で完了しそうな状況だった。

 『熟考の結果』、第6方面作戦域統合司令部はワカン=マッツ攻略の前倒しと、ミハランからワカン=マッツへの主要基地移転を決定。つまりワカン=マッツ攻略完了後はミハラン星上の主要基地は放棄されることになった訳だ。

 ワカン=マッツ攻略完了までの間は、ミハランには残敵掃討の為の陸上部隊、103師団から抽出された普通科や特科、機甲科、施設科で編成された旅団規模2個戦闘団と近接航空支援の為の戦爆航空隊と輸送航空隊を中心として臨時編成された混成航空団を残し、司令部はミハラン全星でのCQB(制限空間戦闘)を令した。

 もちろん、度々起こる激しいデリンジャー現象と磁気嵐の為に、彼我の大規模な艦隊勢力が事実上作戦行動不能である事も織り込み済だったし、もっと言えば、ミクニーはUNDASN側の第3、第4目標であるカーサ、セーンボンク両星宙域で先行して惹起している艦隊主力戦闘への手当てで精一杯で、ミハラン支援の艦隊派遣等行えない事も見越しての決定だった。

 だから、第6方面作戦域の基幹艦隊~第5、第11、第12艦隊、第3、第6、第10航空艦隊~に随伴していた支援艦隊である第2、第8潜空艦隊のうち、第8潜空艦隊が、ミハラン撤退、と言うよりも戦力移転作戦の護衛部隊に選ばれたのだ。

 即ち、第3潜空戦隊2番艦である陽介の乗艦、SS080雪潮を含む艦隊である。

 撤退輸送を直接行うのは、第6方面に割り当てられている輸送艦隊や揚陸艦隊だが、なにせ宙域の航行状態は最悪に近い。

 兵員や戦闘装備を運ぶ揚陸艦隊は、元々こうした場面でも突っ込んでいける防御力と反撃能力を持った艦隊だから、放っておいても問題はないのだが、設備や食料、燃料弾薬資源資材、後方人員を輸送する輸送艦隊の方は、かなりのリスクが予想された。

 これらを護衛する為に、第8潜空艦隊が最前線から引き抜かれる事になったのだ。

 何せ、潜空艦は波動エンジンを使わず、静粛性の高い通常エンジンで敵の電波的防御網を掻い潜って隠密接敵する『宇宙の忍者』であり、この宙域ではうってつけの存在と言えた。

 だから、それは良い。

「……だけど、なんで俺が」

 陽介は妙に小さく見える赤い太陽を見上げ、日照時間の平均気温が摂氏39度を超える猛暑に絞られた身体が流す、滝のような汗を着慣れぬ第三種軍装の袖で拭った。


 陽介が艦長に呼ばれたのは、このミハラン撤収作戦~いつのまにか艦隊の連中は、この作戦を『ネズミ輸送』と呼び始めた、敵と電磁波嵐の宙域を、まるでネズミが夜間に人目を盗んでチョロチョロと獲物を巣穴へ引き込むような、細い糸のような輸送任務だからだ~着手3日前だった。

 ネズミ輸送への出撃前、戦隊司令部より補給指示と特別休暇を同時に与えられた雪潮は、ワカン=マッツに開設された艦隊補給泊地へ入港、初日は物資搭載や燃料弾薬の補給作業に充て、残り2日は半舷上陸日と定めた。

 初日に休暇を取った陽介は2日目、本艦とポンツーンの間を行き交う艦載内火艇デベッド艇指揮官チャージを務めたのだが、艦長より呼び出されたのは最終定期を格納し終えて一息吐いた時だった。

「向井、参りました」

「すまんな、航務士」

 四畳半ほどの狭い艦長公室で陽介に椅子を勧め、雪潮艦長の上原雄太三等艦佐は四角張った顔を綻ばせた。

 『8潜にそのひとあり』と謂われた、サブマリナー一筋、下士官からの叩き上げで艦長にまでなった彼を、任官4年目二等艦尉2年目の若い陽介は尊敬していた。

「ありがとうございます。失礼します」

 椅子に座るとすぐ、上原はまるで捕食動物を目の前にした肉食動物のように、先程までの人の好さそうな笑顔を引っ込め、ニヤ、と不敵な笑みに切り替えた。

 ギクリとする間もなく、上原は口を開いた。

「すまんが、今回の撤収作戦完了まで、オカへあがってくれ」

「……は? 」

 思い返せばその時の陽介は、思い切り間抜けな顔をしていたに違いない、とつくづく思う。

「なんて顔しとるんだ、貴様」

 ガハハと笑い飛ばして、畳み掛けるように言葉を継いだ。

「先日の作戦説明の通り、今回の輸送艦隊の護衛任務は、我々潜空艦にしか出来ん。逆に言えば、我々の動きに輸送艦の方が合わせて貰わねば、成功はおぼつかん、と言う事だ」

 言葉を区切ると、じっと陽介の顔を睨むようにみつめる。已む無く陽介は「理解しているつもりです」と相槌を打つ。

「その為には、我々の動きに素早く合わせた輸送艦の入出航とバンニング作業をしてもらわねばならない」

 そこで、だ。

 と、上原はわざとらしく咳払いをした。

「貴様にはミハランの撤収ヤードに張り付いて、陸さんの輸送司令と我々の連絡士官リエゾンになってもらいたい」

 これは潜空艦の特性と我々8潜の動きをガッチリ把握している優秀なサブマリナーにしか務まらん任務だ、8潜全体の初級幹部から貴様ひとりが選ばれた光栄に思え作戦完了後は第2種戦闘功労章を申請してやるまあたまにオカに上がってノンビリするのもよかろうそうか嬉しいかそうだろうそうだろう正直な奴だとロクに反論も出来ないまま艦長室から送り出され、部下達にはいいですなあ航務士オカにあがったら遊び放題ただしミースケ~下士官兵達はミクニーのことをそう呼んでいた~のヘナチョコ弾にはあたらんように気をつけて下さいといいように揶揄われ、気が付くと何時の間に用意されていたのかミハラン迷彩を施した第3種軍装に最低限の陸戦装備で港に放り出されていた。

「作戦期間は70日、か……」

 立ち上る陽炎にゆらめく、敵軍ミクニーが籠る山脈を遠くに見て、長い2ヶ月になりそうだと陽介は長い溜息を吐いた。


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