第13話 2-8.
統括センター長室を並んで出た2人は、軽く手を挙げあって互いに背中を向け、エレベータホールと応接室に別れて歩き始めた。
が、数歩歩いたところで四季はクル、と振り返り、瑛花を呼び止めた。
「ひとつ言い忘れた」
振り向いた瑛花に、四季は歩み寄り、顔を耳元に近付けて口を開いた。
「例の件だけど」
瑛花の美しい顔に翳が浮かぶ。
「ああ、前に言ってた、横浜横須賀辺りの反社勢力の件か。アンタの彼氏も気にしてるって言う」
「か、彼氏じゃねえよ、高校のクラスメイトだって! 」
顔を赤くしてムキになって否定しても、瑛花は面白いおもちゃを眺めるような表情のままだ。
「はいはい、判ってますって。ええと、確か警察庁公安畑のエリート官僚さん、だったっけ? どうしたの? 」
「前にも話したけど、横須賀や横田の米軍から、関東の反社会勢力へ闇武器が流出してるって話」
「NATO解散に伴う余剰武器の闇流出ね。2年前の自衛隊クーデターでも流れてたらしいわね」
瑛花は、ふん、と鼻で笑って続けた。
「そんな得体の知れない危ない武器なんて使わずに、アメリカあたりの軍需産業から買えばいいのにね。あっちのコングロマリットは今や不景気、お先も真っ暗で青息吐息なんだから、安売りしてくれるでしょうに」
「あはは、アメリカから買ってくれるんなら、私達UNDASNも手間が省けていいけどね。日本の警察が検挙してくれるだろうから。日米安保期限切れ破棄も間近で、日米地位協定は一足先に終わっちゃったから、米軍経由の密輸も出来ないし」
「だから米軍から闇武器買うのね」
「米軍側にしても、早くヤバい証拠品は手放したいんだよ、自分達の安全のためにもね」
うん、と頷いてから、瑛花は首を傾げて見せた。
「それは以前にも聞いたけど」
今度は四季が頷く番だった。
「もうひとつ最近、反社会勢力側が絡んでいそうな動きが、最近浮上し始めたんだ」
瑛花の傾げた首が、元に戻った。
「ああ、アレでしょ? UNDASNらしい軍服女性が横浜市内で売春してるって噂」
これだけの会話で素早く正解に辿り着く瑛花の勘の鋭さに、四季は目を丸くした。
「先輩、ネットのSNSやオッサン向けの怪しい週刊誌ばっかり見てるんじゃねえよな? 」
「ちゃんと経済紙も読んでるわよ」
あははとふたりで小さく笑いあって、四季は笑顔を収めた。
「ネットの噂だけだったらともかく、どうやらマスコミが嗅ぎ回りだしたらしい」
近頃、京浜地区では『UNDASNの制服を着た美人が横浜市内で売春している』と言う噂が囁かれているらしいと、四季が正明から耳打ちされたのは、1ヶ月ほど前だった。
横浜市内に置かれたUNDASN拠点は、横浜調達情報センターと横浜人員募集センターしかない。
後は横浜近辺では、駐日武官事務所の川崎監督官事務所、航空総群厚木基地くらいだが、何れにせよUNDASNの高給取りが金目当てで売春とは到底信じ難いし、一種の都市伝説のようなものだろうと四季は最初黙殺していた。
が、つい1週間程前、裏でマスコミが動き回り始め、神奈川県警も殊UNDASN絡みとなれば腰が退けてしまうらしく、警察庁外事あたりでも頭を抱えている、そう聞かされたのは、昨夜、四季の自宅、ベッドで『彼氏』から聞かされたピロートークでのことだった。
もちろん、こんなシチュエーションで話す話題じゃねえだろうと、四季は相手にデコピンを食らわせたのだが。
昨夜を思い出して顔を赤くする四季に気付かず、瑛花は天井を見上げて渋面を作った。
「……ブンヤか。確かにそっちは厄介ねぇ。消せるなら今のうちに消したいところね」
ミクニー戦が優勢のうちに推移し、その戦線が太陽系から遠のくにつれて、地球では反戦、厭戦の声が高まりつつあるのは前述の通りだ。
今、UNとUNDASNは、第2次ミクニー戦役の継続と最終的な完全勝利を得る為にも、そして来るべき地球連邦樹立の為にも、厳しくなりつつある風当たりを少しでも和らげる必要がある。
特に日本は、UN、そしてUNDASNにとっては最重要スポンサーである~日本の経済界にとっても、UNDASNは最重要顧客でもあるのだが~。
早い段階で、どの勢力にも寄らない『国連主導主義』を標榜し、第1次ミクニー戦役では経済面技術面物量面で指導的役割を果たして米中EUを凌ぐ国際的地位を手に入れた日本の世論も、不況や国際情勢の不安定化による世情不安を背景に、UNやUNDASNへの批判が高まりつつある。
それら世論に加速力を与えたのは、フォックス派に唆された自衛隊や政府、官僚を中心とした2年前のクーデター未遂事件だ。
前述の通り、この国の世論は、与野党に渡って加担していたクーデター計画だったこともあり、政権交代にまで余波は広がらなかったものの、表面的にクーデター阻止に積極性を見せなかったUNDASNへの一種の不信感を強める作用を齎した。
それが『親UN』を掲げる与党政府のアキレス腱となっていた。
もちろんUNにとっては、日本の政治情勢の不安定化は、『少なくとも今は』困る。
日本政府がUNとの関係見直しを含む政策転換を図るようなことがあってはならないし、現時点でそれを担保してくれる現政権与党の安定化の為には、UNはどんな努力も厭わない。
けれどそんな努力を無に帰すような事件が、最近、この国では多発し始めたのだ。
昨年10月、四季が日本に着任した時は、UNDASN708師団の下士官が起こした未成年婦女暴行事件の嵐の真っ只中で、着任直後より政府与党と野党連合への対応に苦労させられたし、その余波は未だ収まってはいない。
続いて今年に入ってマスコミが素っ破抜いた、UNDASNへの武器装備供与を巡っての、現職閣僚と軍需企業の贈収賄疑惑が更に世論を攪拌し、現在四季はUNDASNの身の潔白のアピールと政府や企業との対応で、椅子を暖める暇もないのが本音なのだ。
今回にしてもたかが噂と馬鹿には出来ない、これが明るみに出ればきっと世論と野党は、ここ半年の不始末を巨大なバンカークラスターに仕立て上げ、会期延長国会で攻勢に出ることは間違いないだろう。
こんな下らぬ噂話で、今や国連の屋台骨を支える日本の『親UN政権』を煩わせるのは、どう見ても得策ではない。
これが1ヶ月ほど前、四季が瑛花に語った話だ。
「確かに与党としては苦しい状況になるだろうけど、なるようにしかならないんじゃないの? 与野党交代になったとしても、新政権が反UNに掌を返す、なんてことには直ぐにはならないでしょう? 」
瑛花の言葉は確かにその通りだが、野党は選挙対策として国民への甘い『飴』を用意しているのが四季には気に懸かる。
「野党が政権取ったら、対UN経済よりもパン・パシフィック経済圏構想による民需拡大を最優先に据えそうじゃない? そうなるとこの国がUNDASNが一番頼りにしている超々長大重工産業をコアとする産業構造が痛手を受けちまう」
クーデター計画頓挫の混乱の中、経産省が政権維持の目的で必死になってアピールし続けた、対UNDASNをコアとする経済活性化政策に対して、野党が掲げたのが『いつまでも対ミクニー戦装備でこの国の経済を回すのではなく、国民生活向上による生活安定の為に、軍需産業よりも平和産業振興を図るべき』として、民生品産業の優遇税制措置を公約として掲げているのだ。
一般市民が現在の『国家総力戦体制』に閉口しているのは前述の通りであり、軍需に関わらない日本の第二次産業群、所謂平和株もまた、軍需産業優遇の各種法的措置や株式市況に不満を持っていて、それが不況脱出の鍵になり得ないことは理解しつつも、それでも国民は自分達の文化的生活の質向上に繋がるのならばと、じわじわと野党への支持を上げつつある。
「ま、その内この国の国民も理解するわよ。民生品市場の拡大の余地がある国なんて、日本以外に何ヶ国あるのか、ってね。国内需要だけで日本経済は回らないことは、小学生だって知ってるでしょう」
「だけど反戦、厭戦の声を高めるには、効果的であることもまた、事実だよ、先輩」
四季の言葉に、瑛花は肩を竦めて答えて見せて、無言のまま続きを促した。
「で、この前言った、
「ああ。元レンジャーでYSICの問題児。アンタのドロ亀時代の子分ね? 」
今度は四季が渋面を作る番だった。
「別に問題児じゃねえだろ? ま、確かに調本じゃ異端児かも知れないけど」
「私はマブダチじゃないからよく知らないよぉ。でも、現地からは色々聞えてくるけど……。ま、いいわ。で? 」
「前は、神奈川周辺の反社会勢力についてのレクチャーをお願いしたいって程度だったんだけど、ちょっと動いてもらうことになるかも」
四季にしてみれば、苦渋の選択だった。
確かに、駐在国内の諜報は武官事務所の重要任務のひとつだ。
けれど、今回は些か勝手が違う。
武官事務所の面子に対組織暴力警察や風俗警察もどきの真似事は期待出来ない、何せ武官事務所のメンバーの8割までが日本人ではないのだ。
かと言って統幕の警務部や、まして情報部を頼むほどの事案でもない。
日本の警察はと言えば、元々UNDASNという治外法権を持つ『他国の正規軍』が絡む事件に、端から及び腰である。
そこで四季が白羽の矢を立てたのが、今瑛花が口にした『YSICの問題児』だった。
彼女は、UNDASNに志願する前は、横浜を中心に名の知れた不良グループのトップであり、付近の反社会勢力、つまりは地元の暴力団ともイーブンの勢力争いをやってのけていた凄腕の事情通なのである。
もちろん、その頃から10年以上の時間が流れてはいるが、横浜の裏社会を知り尽くしていた彼女の力を借りることが出来るのならば、裏社会を知らぬ四季達UNDASNメンバーにとっては百人力とも言えるだろう。
ただ、どうしても最後には、四季は躊躇いを感じてしまうのだ。
いくら横浜の裏事情に詳しいだろうとは言えども、今はあんなに柔らかく笑えるようになった『農夫型』の彼女に、無神経に土足で過去に踏み込んでしまうような真似が、許されるのか?
彼女が横浜で生きてきた過去を、今、どう思っているのか、忘れ去りたい過去なのか、疾うに思い出に成り果てた記憶なのか、それは判らない。
判らないけれど、それでも、今、横浜で働きながら、柔らかに微笑みを浮かべる『暮らし』を手に入れた彼女には、きっと、必要のない事柄でしかないんだろうから。
それでも私は、と四季は自己嫌悪を胸に抱え込む。
ごめんね、雪姉。
任務最優先とは言わないけれど。
それがUNDASNにとって必要だと言うのならば、やっぱり私は雪姉を頼ろうと、雪姉に甘えようと、そう思ってるんだ。
黙り込んでしまった四季に、瑛花は短い吐息を落とした後に、笑って頷いた。
「いいわよ。どうせマスコミ対策はアンタんとこにお世話になんなきゃならないんだし、
瑛花はチラ、と応接室の方を見てから言う。
「ダンケ。……で、悪いんだけど」
「判ってるって、情報拡散はNG、でしょ? 私とアンタ、それに問題児とその上司以外は知らないわよ。……って、そうか。あんた、上司ン方も顔馴染みだったっけか。レンジャー時代の元部下だっけ? 」
四季は頷きながら答える。
「向井君には私が折りを見て話すよ。彼は嫌がるかも知れないけど、危ない真似をさせるつもりはないから。……ごめん。無理ばっかで」
瑛花は、ニコっと笑って四季の肩を叩いた。
「そこら辺りのコントロールは任せるわよ、アンタに。だから気にせず、自分の仕事をキチンとやんなさい」
鼻の奥が、ツンとなった。
一人っ子の四季は、ぼんやり思う。
お姉ちゃんがいるって、こんな感じなのかな、と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます