第12話 2-7.


 居酒屋のカウンターに肘をつき、仄かに頬を染めた瑛花の艶っぽい横顔に見蕩れていた四季は、普段とは違う柔らかな声に、どことなく淋しげな色が含まれていることに気づいて、手に持っていたビールのジョッキをそっと置いた。

『そりゃあ四季ぃ、いくらUNの高級官僚だからって、兵科将校に較べれば収入なんて月とスッポンよぉ。同年齢なら確実に3年で丸の内に土地付き一戸建ての注文建築、建てられるくらいの差よ。

『だから、高給に目が眩んだ、ってのもホント。半分は、ね。

『残りの半分? うーん。そうだなぁ。……ホントは、四季みたいなA幹に言う話じゃないんだけどね? ……でも、アンタならいいかな。

『私の母親は、私が小六の時死んだって、前、話したよね? 親父がUNDASNの三佐で、私が高一ン時戦死したって、話も。

『私はね。母が死んでから、留守勝ちだった親父に代わって必死で家を守ってきた。だって、親父が好きだった……、からね。褒めて欲しかった。抱き締めて欲しかった。10歳くらい歳の離れた弟や妹二人、よく守って頑張ったね、って褒めて欲しかったんだ……。

『あぁもう、酔ってなきゃ口に出来ないっ! ……なにやってんのよ、注いでよ! ……だあーいじょぶ、だいじょぶ! 

『だから、親父の戦死公報届いた時は、気が狂うんじゃないかって、怖かった。

『それでも、なんとか葬式済ませて……。チビ共3人、親戚に預けて……。でも、それからは、飲まず食わずで4日間、泣いて、泣いて……、泣き喚いて暮らしたわ……。

『5日目、様子を見に来た従弟が、気を失っている私を見つけて病院に運んでくれたの。

『枕元で、心配そうに目を潤ませながら、届いた親父の骨壷を小さな手で抱えて私の方を見てるチビ達を見て……。

『……我に返った。ああ、ちゃんと、しっかり生きなきゃ。だらだらと死んでる場合じゃない。金稼いで、チビ達に肩身の狭い想いをさせまい……。そう、思った。

『チビ達をちゃんと独り立ちさせてやれたら……。きっと、天国行って、親父は私を褒めてくれる、抱き締めて頭を撫でて、偉かった、よく頑張った、いい娘だって……、言って貰える。そう思った。

『ほんとは大学に行きたかったんだけど、諦めた。……幸い、おツムは良かったみたいでさ。高校辞めて、バイトしながら深夜勉強して、大検取って通信大学卒業して。速攻、国家公務員Ⅰ種と国際公務員高級職特Ⅰ種受けて、通った。……奇跡ってあるんだ、って。月並みだけど、そう、思った。

『で、給料の高いUNを選んだ。この国の中央省庁の官僚も魅力的だったけれど、まああの辺りって学閥とか五月蠅そうじゃない? それに私、クォーターだし、そこらも色々と面倒くさそうだったから。で、UN選んだんだけど、私の給料と親父の恩給と合わせて、チビ共には好きな事させてやれたわ。……太平洋挟んで、離れ離れはちょい、キツかったけどね。

『それでもなんとか、やってたわ。で、UNDASNの調実に出向になって……。半年目、くらいだったかな。

『偶然、親父が戦死したときの最後の乗艦、戦艦榛名に一緒に乗ってた、って人と偶然出会ったの。

『親父は、特務士官……、ええと、Y幹だっけ? だから年齢の割には階級が低くてさ。でも艦隊じゃ『ダメコン名人』って呼ばれてたらしいの。あれ、ダメージコントロールの略なんだって? 

『私ぁまた、『駄目なときには根性で乗り切れ』の略だと思ってたわ、アハハハ! 

『……だけど、親父が名人だってんなら、そんな名人が乗ってるフネが、なんで? なんで、親父は死んだんだろう? 

『そのひとが言うには、ね? 

『カミー星宙域で、親父達は敵艦載機の猛攻で対艦ミサイルを4発喰らい、推進器耐爆区画を破られた榛名は大破、戦線離脱、最終的に200名近い戦死者を出したんだって。

『ダメコンってのは、最終耐爆区画内にあるのよね? フネが凄いダメージを受けたときに、それに対処する為の部門なんでしょ? まあ、謂わば、一番頑丈な区画にある訳だ。

『そんなところにいた親父が……。

『その人が言うには、ダメコン自体に直撃弾はなかったんだけど、なぜか、気密が破れたらしくて……。ダメコンにいた親父と部下、25人は全員窒息死だったらしいの……。

『戦線離脱後、すぐに応急修理が行われたために、気密が破れた原因は結局判らずじまい。でも、気密保護システムのフェイルセイフサブシステムのバグの疑いもあったんだって。

『……苦しかっただろうな、親父。

『……窒息して死ぬ、ってどんな気持ちなんだろう? 

『……意識が途切れる瞬間、私のこと、弟や妹のこと、先に死んだ母さんのこと……。ちょっとは、思い出してくれたのかな? 

『私は思ったの。バグが本当か嘘か、そんなことはどうでもいい。フネに命を預けてた親父が死んだのは事実で、そんな噂の出るくらい怪しげなフネを何の疑いもなく検収した、調達実施本部調本艦政本部艦本のボンクラ兵科将校の責任はどうなるんだ、って。

『私、忘れられないんだ。……相撲取りみたいにガタイの良かった親父の骨壷の軽さ。それを漬物石抱いてるみたいに、涙を堪えて必死に抱き締めてたウチのチビ達の泣き顔。

『……これはね、四季。敵討ち。私なりの、敵討ちなんだ。

『せめて、私や、チビ達みたいな……、親父達みたいな人達をひとりでも少なくしたい……。これは私なりの『地球防衛』なの……。哀しんでる人を見るのは嫌なの。哀しいのは、もう、嫌なの……。

『だからさ、四季! あんたも死んじゃ駄目! 絶対、戦死なんか許さない、2階級特進なんか許さない! そんなことしたら、私がアンタを殺すからねっ! 


 そう言ったきり、突っ伏すようにカウンターに額を打ち付けてビールと涙と洟にまみれて寝息をたて始めた瑛花の赤い頬を、四季は今も鮮明に覚えている。

 口ではお道化て『兵科将校の方が給料高いからね』等と言って笑っているけれど、本当は違う。

 文官として、調本の兵科将校が民間企業のヤリ手営業達に好い様に振り回され騙されて、チャチな装備や型落ちの装備を法外な値段で買わされているのが、そして買った後も『契約は神』の言葉通り、法外なサポート料を理不尽なプロトコールで払わされ、且つ満足いくアフターサービスを受けられずにいる事が、そして実施部隊の将兵がそんな装備を実戦で使わされ、文字通り命を擦り減らしているのが。

 耐えられなかったのだ、この美しい、家族思いの苦労人は。

 嘗て地球人類滅亡の危機だった第1次ミクニー戦役において、全人類はまさしく命懸けで、脇目も振らず、全てを犠牲にして戦い、そして漸く敵を太陽系の外へ押し出した。

 20年の停戦期間を経て勃発した第2次戦役は、再び魔の手を太陽系に伸ばそうとしているミクニーを、今度こそ完膚なきまでに叩きのめし、永久にとは言わないまでも今後数世紀は地球人類の手に平和を取り戻す為、起きるべくして起こった戦いだ、少なくとも四季自身はそう思っているし、UNDASNの大部分の人間もまたそう考えている、筈だ。

 だが、直接的な生命の危機が去り、第1次戦役の被害と、ミクニー戦の為に極端に分野が偏って発展してしまった科学技術文明の影響をモロに受け、民需方面は3世紀遅れの文明度と言われつつも、平和で文化的な生活をなんとか取り戻した、大部分の『シチズン』はどうだろう? 

 やはり、戦争に倦み疲れているのだ、人々は。

 取り敢えず、敵を太陽系外に押し出す為の第1次戦役の時とは違い、第2次戦役の最終目標は疑うべくもなく『ミクニー本星占領』だ。

 そうしなければ、再び敵は太陽系に手を伸ばすだろう、少なくとも四季はそう考えているし、UNやUNDASNの殆どの幹部達もまた、同様に考えている。

 だが、そのために地球は、後何年戦わねばならない? 

 テレビで厭戦気分を煽り立てる評論家は『1世紀はかかる』と言い切った。

 統幕軍務局研究部の昨年度版の非公開シミュレーション解析結果が『25年から45年』と報告していることを、四季は知っている。

 半世紀。

 後、50年もの長い日々を、UNDASNは真空の、絶対零度の、漆黒の大宇宙で戦い続けられるのか? 

 地球は、UNDASNの銃後を、半世紀もの長きに渡り、支え続けてくれるのか? 

 今でさえ、UNDASNが1ヶ月で消費する様々を金額に換算すれば~この際、命の値段は置くとして~、欧州辺りの中規模国の年間国家予算の10倍を軽く超えるのだ。

 当然、UNDASNは国連の予算枠に縛られる。

 国連は、加盟各国の加盟分担金で賄われているし、勿論、UNDASNがその全額を貰える訳でもない。

 つまりは、各国が払う『税金』だ。

 それでも、UNDASNが消費する物資を生産できる国はまだマシだ。

 だが、そうでない国は? 

 地球上には、未だ第1次戦役の戦災被害から立ち直れずにいる国や地域がゴマンとあり、餓えや病気で、生後数ヶ月、成人もせぬうちに死んでく子供達がバタバタといるのだ。

 彼女は、瑛花という型破りの兵科将校の本音は、戦死した父の仇を討ちたいのではないのだろう。

 彼女の父がそうだったように、彼女なりに、彼女の得意分野で戦いたいのだ。

 そして。

 いつか天国で父に再会したとき、よくやった、いい娘だと、褒めてもらいたいのだ。

 たった。

 たった、それだけのことなのだろう。

 そして、彼女の軍人らしからぬ『娑婆っ気』のお蔭で、アジア調達情報センター管轄の調達実績は、物量比較で支出は右肩下がりを維持している。

 昨年度だけで彼女は、ミズーリ級戦艦なら5杯分、アイオワ級戦艦なら6杯分、カールビンソン級の空母なら4杯分、タイコンデロガ級重巡なら14杯分の戦費を圧縮することに成功しているのだ。

 強引にその圧縮できた金額を戦力に換算し、ここ1年のキルレシオで比較するなら、敵重巡戦隊10個戦隊を全滅させたに等しい戦果を挙げたとも言えるのである。

 違う観点から見るならば、瑛花が浮かせた調達費が、国連加盟分担金の返却に充てられたとしたら、餓えに苦しむ子供達全員を2年間腹一杯食わせてやれる、伝染病のワクチンだって全員に充分行き渡る、地球上の未就学児童全てを救えるだけの教育設備が建設できる。

 食いしん坊な暴虐の王、UNDASNという化け物のような組織、それを腹一杯食べさせつつも、その裏で起きている夢のような状況。

 それを、瑛花は成し遂げつつある。

 いや、既に『奇跡』を出現せしめつつあるのだ、瑛花は。

 彼女の持つ、知恵や知識、精神と恵まれた肉体、その全てをフルに活用しながら。

 兵科将校として、瑛花と同じく身体を、命を張って今日まで戦ってきた四季だったが、彼女の齎した奇跡のような戦績の前では、色褪せて見えるほどだと、真剣にそう思っている。

 四季が密かに零した吐息が聞こえたのか、瑛花が顔を覗き込みながら、小声で囁きかけた。

「……どうした、四季? 」

 四季は無言のまま、両手を瑛花の首に巻きつけ、安らぐ香りのする豊かな髪に顔を埋める。

「ちょ、し、四季? 」

 いきなりの四季のリアクションに慌て、身体を離そうとした瑛花の動きが、ふと、止まる。

「……なんでもねえよ。だけど先輩……、頑張って」

 瑛花は四季の涙声に何かを感じ取ってくれたらしく、ふっ、と短い吐息を落として、腕を彼女の背中に回し、優しくリズムをとるように、数回ポン、ポン、と叩いた。

「……うん、そうだね。頑張らないと、ね? 」

 可愛いアンタが応援してくれてるんだもんね。

 耳朶を擽る優しい囁きが、四季の涙を誘った。


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