第11話 2-6.
四季は、入室後の瑛花とのいつものジャブの打ち合いを終わらせて、満足そうに微笑んだ。
「だいたい、ロシアとドイツは、日露戦争を最後にWWⅡの昔から敵同士と相場が決まってんだぜ? 気安く呼んでほしくないよなあ」
自分の事は棚に上げて、理屈もなにもあったものではない。
「勝手な事を……。じゃあ、どう呼べっての? 」
呆れを溜息に乗せて吐き出した瑛花に、四季はくすくす笑いながら応接セットのソファに、勧めてもいない内に勝手に座った。
「いつも通り『シキ』でいいじゃん」
ポケットから煙草を出して卓上ライターで火を吸いつけている傍若無人な後輩の姿に、瑛花は渋い表情を漸く収め、代わりに苦笑を浮かべて自分の席を立った。
『幹部将校は、基本的に出身国での勤務を認めない~現地政府との癒着や派閥の形成を良しとしない、幹部の異動が1年から2年と短期で行われるのも同様の理由だ~』UNDASNで、日本育ちの2人がこうして顔を合わせるのは、国籍が違うからであり、その点、瑛花と四季は、実は仲が良い。
殊、調達実施本部は所在地の政府や自治体、地元民間企業との取引が任務であり、例外的に出身国勤務が多い部門なのだが、瑛花は、同配置の日本人の誰より、四季との付き合いは長く、そして誰より気が合った。何より、美しい彼女は、瑛花にとっては素敵な目の保養になる。
「で? ……何の用なの、今日は? 」
フレームレス眼鏡を無造作に指で弾き飛ばすように外すと、銀の眼鏡チェーンが音もなく、第1種軍装のブレザーの上からもはっきりと判る形の良い胸の前に垂れた。
「奢れ、って話なら今日は駄目よ? あ、割り勘も駄目。四季、アンタはザルなんだから」
「渋いねえ先輩。可愛い後輩が忙しい合間を縫って顔出してんだからさあ。イキナリそれはないだろ? 」
瑛花は苦笑を浮かべながら部屋の隅にある小さな水屋へ進み、マグカップにコーヒーサーバの珈琲を注ぎながら答えた。
「自分で『可愛い』とか言わない! 」
瑛花は来客用のマグカップ~実際は、四季以外それを使う機会は皆無に近かった~を無造作に四季の前に置き、自分は向かいに腰を下ろして愛用の猫のイラスト付きマグを唇に運ぶ。
「なんだ、先輩。今日は機嫌悪そうだな」
瑛花の機嫌の悪い事が嬉しいかのように、四季はニコニコしながら言った。
「あんた、私をからかいにきただけ、ってんなら……」
瑛花はニヤリ、と凶悪な笑みを唇の端に浮かべ、両手の指をバキボキベキバキ、と派手に鳴らして見せた。
「おお恐! 師匠には逆らえねー、降参降参」
四季はおどけて両手で頭を庇う振りをし、エヘヘ、と甘えるように笑う。
瑛花は元々文官出身である、と先に紹介したが、その実、彼女は合気道の腕前は達人の域にあった。
四季の方は、A級スナイパー徽章、A級レンジャー徽章を持ち、マーシャルアーツや柔道合気道では教官資格まで持っている、艦隊マークには珍しい猛者だが、それでも合気道に関しては瑛花に一日の長があり、そんな彼女を四季が『師匠』と呼んで暫く『師事』した事が、そもそも二人の友達付き合いの始まりだった。
その昔、一等艦尉時代に防衛大学東京校に入学した四季が、運動不足解消にと覗いた合気道部の道場で、兵科将校に転科して士官教育の為同じく防衛大に通っていた瑛花が師範を務めていたのが出逢いである。
「アンタは私とは逆に、機嫌良さそうね? 」
瑛花は、ずずー、と色気のない音を立ててコーヒーを飲む。
「そりゃそうだよ。今日は、先輩に恩を売れるんだから」
四季は言いながら、2本目の煙草に火を付けながら言った。
「今日、大塚さんに会ってきたぜ」
瑛花の動きが止まる。
「大塚さんって……、まさか」
「そ、経産大臣」
四季は瑛花にウインクをして見せ、得意そうに紫煙を天井へ吹き上げた。
四季の笑顔が、悪戯っぽいそれから、優しげな笑顔へと変わる。
「今日、国際経済懇談会があってさ。会議終了後、大塚さんに声掛けた。特許権侵害の件引っ込めてくれたら、第17次中型戦闘艦艇改修計画の日本分担枠最大5%拡げる用意がある、って言ったら、涎を垂らさんばかりに飛びついたよ。大塚さんは元々通産族で、三菱、日立、石播や富士、川崎あたりの重工系にパイプ太いからって持ちかけたんだけど、案の定だった」
瑛花の表情が見る見る笑顔に変わっていく。
「その代わり、瑛ちゃん先輩から
瑛花が応接セットのテーブル越しに、四季の首っ玉に飛びついたのだ。
「あーん! 四季、ほんっとに良くやってくれたわー! さすが、持つべきものは良い弟子よねえ、ああもう、なんて言って感謝すればいいのかーっ! 」
首っ玉に抱きつかれて、四季の白い肌は一瞬で真っ赤に染まるが、やがて四季は、瑛花の柔らかな髪を両手で梳くように撫で、声を落とした。
「……ほら、先輩。恥ずかしいよ、もう」
「なによ、四季。私の最大級の感謝、受けられないっての? 」
「お礼はすべからく具体的に、ってね? 艦隊マークの伝統だぜ? 」
瑛花は途端に四季から身体を引き離し、笑顔を消してボソッと言った。
「……奢りは、駄目だからね? 」
「……ケチ」
「娑婆っ気抜けないからねえ、私は」
暫く睨みあっていた二人だったが、やがてどちらからともなく、プッ、と吹き出し、やがて明るい笑い声が部屋に響いた。
「や、でもほんとに助かったわ。さっき試算してたんだけど、取替え費と代替品の発送費用、送り返す費用が馬鹿になんないのよ」
お互い2杯目の珈琲を啜りながら、瑛花が再び顔を顰めてみせる。
「そんなの、費用こっち持ちなの? 」
驚いた声を上げる四季に、瑛花の顔はますます渋くなる。
「そうなのよねぇ。契約書精査して判ったんだけど、瑕疵責任とかは勿論メーカーとディーラー、この場合はNECと三井物産なんだけど、相手持ち。でもこんな行政命令なんて何処にも書いてないのよねえ」
「先輩にしちゃ、デカい穴だねえ」
クスクス笑う四季を睨みつけて、瑛花は溜息交じりに言う。
「私じゃないって! ……とは言うものの、権利保護関係は結構プロトコールには追加されてるんだけど、結局、『犯さず犯されず』がメインになってて、今回みたいな事例は正直、想定外。それに、去年の10月に実施した第1次収容特許権返却事業の対象が重要度Fランクって結構なんにでも応用の利く軽いモノ主流だったから、これからもこんなトラブル、増えそうだわ」
「Fランクって言えば、民生品にも流用可能な技術が多いものね、民間経済の活性化にはもってこい、って訳か」
ふんふんと首を振っていた四季は、瑛花の表情に気付いて、眉根を寄せて声を落とした。
「……らしくねえな、先輩。……大丈夫? 私なんか、手伝おうか? 」
知らず知らずのうちに瑛花は、9年前、初めて防衛大学で出会った頃の四季を思い出していた。
その綺麗な翠色の瞳に浮かぶ不安定な心の揺れが、四季がその日まで生きてきた時間を際立たせていた。
その明るい口調やコミュニケーションのスキルの裏に、得体の知れない翳が潜んでいるように思えた、あの頃。
普段の、男言葉を使う親しい者にだけ見せる表情、任務上見せるキレモノのクール・ビューティぶりからはとても想像できない、触れれば、それだけで儚く散ってしまいそうな四季に、瑛花は思わず両手を差し伸べてしまいそうになる衝動にかられて、どうにか自分の行動を押さえ込むのに苦労したものだが。
あれから、9年。
四季は階級を3つ、自分は2つ昇らせて、それぞれ今は違う立場に身を置くようになって。
今の四季からは、昔感じたような不安定さ、胸の内に潜む昏い闇は殆ど感じ取ることが出来ない。
それが、彼女が問題を解決することができたからなのか、それとも完全に問題を消化出来ずとも、経た月日が上手くそれらを希釈したからなのか。
瑛花にはその答えは判らなかったけれど、それでもこうして、哀しそうな瞳で相手を思い遣り、手を差し伸べようとする彼女を見ると、思わず『そんなこと気にしなくていいの、アンタはアンタの幸せだけを真っ直ぐに見ていなさい』と言ってあげたくなるのだ。
それはきっと、過去に積み重ねた四季の哀しみがやっぱり胸の底に残っていて、それが薄っすらと透けて見えるからなのだろう。
無理矢理、普段通りのクールな表情を浮かべて~成功したのかどうかは良く判らなかった~、瑛花は、唇の端だけで薄く笑って見せた。
「……アンタの手を借りるほど、落ちぶれてないわよ。似合わない心配なんかしなさんな」
弱々しい微笑みを見せて俯いた四季の紅茶色の美しい髪を眺め、瑛花がひっそりと吐息をついた刹那、デスクのインターフォンが鳴った。
どうやら瑛花に来客らしい。
この東京で、何の見栄も警戒心も持たずに素顔を見せられる数少ない相手、瑛花と過ごす時間は、それが任務であれ私事であれ、四季にとって掛け替えのない安らぎの時間ではあったが、生憎、お互いに多忙すぎるのが残念でならなかった。
「はい……。うん。……ああ、来た? ……ああ、うん、いいのいいの。第2応接へ通して。……ん? ……ああ、いいってば。待たせときゃいいって、あの狒々親父! 」
少し腰を浮かせてハンドセットを置こうとしている瑛花に、四季は言った。
「来客? ……じゃ、先輩、私」
「え? 帰るの? 」
瑛花は笑みを消して慌てたように両手を顔の前で振って見せる。
「すぐ済むわよ? ほら、あんたも知ってんでしょ、立石電機の執行役員、ソフトウェア事業部長。どうせまた、決済条件の見直し交渉と」
そこで言葉を区切り、右足を四季の目の前、応接テーブルに載せ、スカートの裾を指でつまんで、まるでダンスの振り付けのようにスススとたくし上げてその脚線美を見せつけた。
「私の魅力的なアンヨがお目当てなのよ。ちょいとあしらえばヘロヘロになって退散するからさ」
四季は、同性ながらその見事な脚線美に目を奪われ、自分が生唾を嚥下する音で思わず我に返る。
「わ、あっ、そ、い、いや」
誤魔化すつもりで慌てて開いた唇からは、もはや誤魔化しようも無い意味不明の言葉が洩れて、四季は軽いパニックに襲われながら両手を伸ばして瑛花のスカートの裾を下ろそうとした。
「もっ、もう! せ、先輩、やめろよっ! 」
四季のリアクションに中てられたか、瑛花まで頬を赤くしながらスカートの皺を伸ばし、照れ隠しのように口早に言った。
「ええと、その……。マジで待ってなさいよ、四季。さっきの嘘。奢るからさ。久々に行こ? 」
四季は柔らかな笑みを未だ赤い頬に浮かべ、こくんと頷いてみせた。
「や、今からもうひとつ、会議があるんだ。……ごめんね、先輩? 」
瑛花は肩を竦めて、苦笑を浮かべた。
「はいはい。仕事じゃ仕方ない、いいわよ。じゃ、また今度、ね? ……そこまで一緒に行こう」
「うん……、って、ちょ、先輩? 」
四季は瑛花がドレスブルーの上着を脱ぎ始めたのを見て驚いて声を上げる。
「ん? 」
「『ん? 』じゃねーよ。来客なんだろ? なんで上着脱ぐの? いくら相手が狒々親父だからって客は客なんだから失礼じゃ」
瑛花はウフフ、とワザとらしく笑いながら四季にウインクを送ると、肩を抱くようにして歩きながら答えた。
「狒々親父、だからよ。アイツは私の身体のラインを見たいんだから、さ」
ドレスブルーの下、肩章つきの白いシャツを通して、鮮やかなエメラルド・グリーンの下着がやけに艶っぽく透けて見えていた。
例えばここに第三者がいて、彼女の言葉を聞いたとすると、瑛花は『女』を武器にしてビジネスを片付けていくとんでもない人間、と思うかもしれない。
一般営利企業のビジネスウーマンでもしないような『枕営業』、ましてやいくら転科組~UNDASN内部では、文官や専科将校から兵科将校への転科幹部を『L幹』と呼んでいた、ちなみに幹部学校卒の純粋培養幹部は『A幹』、下士官から幹部採用になった特務士官を『Y幹』と呼ぶ~とは言え、歴としたUNDASN高級幹部とは思えない発言だ、不謹慎極まる、と。
だが、四季は苦笑と溜息だけで制帽を被り直し、肩に置かれた瑛花の掌の温かさを感じながら促されて歩き出した。
瑛花の本当の想いを知っている四季には、かえって彼女の言葉が熱く胸に突き刺さるのだ。
瑛花本人の口からそれを聞いたのは、初めて出会って数ヶ月、合気道の稽古を終えて防衛大学の近くの居酒屋へ繰り出した夜の事だった。
合気道では敵なしの瑛花も、ドイツ人の血を引く『ビールは水と一緒』とばかりの四季のウワバミぶりに~ロシア国籍とはいえ瑛花はウォッカはからきし、専ら日本のラガービール党~、普段自分の事は徹底的に韜晦して見せるスタイルが崩れて、問わず語りに話し始めた夜の出来事を思い出したのだった。
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