第10話 2-5.


 東京、新宿の都庁前、中層ビル群。

 20世紀後半、この辺りにビルが建ち始めた頃、人々は『新宿新都心高層ビル群』と呼んだらしいが、24世紀の現在、新都心と言えば新宿駅の南側から原宿、青山、赤坂、六本木に向かって立ち並ぶ百数十階にも達する超々高層の200を越すビル群を指す。

 その『旧・新都心』に20世紀後半、日本の超高層のさきがけとして建設され、第1次ミクニー戦役の爆撃被害も免れて未だ現役オフィスビルとして絶賛営業中の『新宿三角ビル』と呼ばれる、地下4階地上52階建『新宿住友ビル』の21階から40階までの20フロアを、UNDASN調達実施本部の主要部局、アジア統合調達情報センターは占めていた。

 地球防衛艦隊統合幕僚本部が直轄する各専門業務執務行政機関~所謂『9本部』と謂われる、艦政・航空・施設兵装・電装通信・エネルギー・輸送・科学・医療、そして調達実施本部だ~のうち、地球本星上各国に世界的なネットワークを擁するのは、任務性質上、輸送本部、エネルギー本部と、この調達実施本部だけである~他の本部も世界各国に各種施設を持っているが、それらは基本的にスタンドアロンな性格を有しており、業務上ネットワークが必要、という意味ではこの3本部だけだ~。 

 特に調達実施本部は、UNDASN管下全ての機関が、その『崇高なる任務』である『地球防衛、人類の生命と文化文明の保護~ぶっちゃけ対ミクニー戦争の完遂勝利~』を達成する為に必要な全ての物資の調達を一手に賄う軍事行政機関であり、その対象物資は、武器兵器弾薬燃料は勿論、食料被服什器文房具事務用品や土地建物、あらゆる雑貨消耗品、果ては有償無償有形無形のサービスに至るまで、無限と言っても良い程の広範囲~人類がその生活レベルや文化ランクに関わらず、日々の営みに必要と思われる全ての品目が対象だ、軍隊という組織がどんなレベルのどんなサイズであるかに関わりなく『自己完結型組織』と呼ばれる所以でもある~に渡り、もちろんそれらの中にはUNDASN自体が開発製造を行うものもあるが、大部分は世界各国の民間企業から購入または役務依頼する事で賄われている。

 謂わば、世界最大の大量消費団体であるUNDASNの『お買い物係』、それが調達実施本部の唯一無二の任務だ。

 ここに所属する約1万名の将兵は、今日もUNDASN全部隊全将兵及び地球上の全市民の不満を抑えるためになけなしの札びらをばら撒き、財布が空になれば近所の神社のお守りよりも頼りない空手形、赤字国連債を片手に頭を下げつつ、消費財、生産財を問わずそれら世界中の全生産量の75%を掻き集め、支払不能と思える程の債務を膨らませつつある~デフォルトの危機はいつもUNの隣で、今も息を潜めている~。

 必死のパッチで。

 軍隊であるUNDASNは、国際連合の下部機関である国連防衛機構が一般国家で言う『シビリアン』として管理監督を行い、その活動は国際連合防衛理事会と総会により拘束を受ける歴とした国際機関であり、行政官庁に等しい~シビリアン・コントロールは建前ではなくUNが抱える潜在的リスクのヘッジには必須であるのは当然だが、如何せん防衛理事会と防衛機構のリソースだけで制御できない程の巨大組織であり、それを補佐する意味で統幕本部の政務局が『疑似シビリアン』として存在しているのだが、それが反UN勢力からは『軍事独裁』呼ばわりされる原因ともなっている~。

 事実、UNDASNの将兵3,500万人は全員『特別職国際公務員』として全世界共通の地位身分が保証されている。

 即ちその調達活動は、所謂『競争入札』で行われる事になる~もちろん、艦船航空機陸上兵器等武器弾薬や電装品、宇宙科学技術など高度に特化された技術を要する調達品目については指名入札となるが~。

 その調達情報の公開やネゴ、交渉、商談、納品検収や支払等を調達依頼部門に成り代わり行うのが調達実施本部であり、アジア統合調達情報センターはアジア地区の各国政府~第1次ミクニー戦による世界的な物資不足の影響で殆どの国が統制経済を継続実施中だ、日本を例にとると、WWⅡ半ばに布かれた『食管法』が改正の上復活して施行されている~及び所在民間企業事業所の窓口となる部門である。

 勢い、ここにはその任務性格上、UNDASNの兵科将校とほぼ同数の文官~国連若しくは国連防衛機構から出向している事務官僚~が勤務している。

 その点でも、他のUNDASN各機関に比べて、『軍隊』のイメージからは距離が感じられ、アジアセンターの場合はその立地も相俟って、まるで民間企業のオフィスの様にも見えるのだった。

 今、このビルの40階にある『アジア統合情報センター統括センター長室』の主は、数日前に日本国政府の経産省と特許庁から通達のあった、ある電装品基盤の基礎回路の特許権侵害容疑に伴う当該製品の回収依頼に頭を悩ませていた。

「……ううん。頭痛いなぁ、こりゃあ」

 一口に『回収』と言われても、問題の基盤は陸上装甲車輌搭載用対空対地レーダーの制御装置に使われており、実際に新機種への換装が始まって既に半年、換装作業は最前線で整備兵により手軽に行えるタイプだった事もあって、納入済13,500セットのうち、換装済み稼動中が12,800セット、更にその内9,300セットが冥王星以遠の太陽圏外で運用されているのだ、今更回収などできる筈もなかった。

「契約書には抜け道はなし、かぁ」 

 穴が開く程読み返した、114ページに渡る契約書文面が表示されている端末ディスプレイを、恨めし気な視線でお洒落な眼鏡越しに一瞥し、右手に持っていた万年筆で淡い栗色に輝く豊かなセミロング、優雅なウェーヴを描く髪~どういう加減かその美しい髪は、時折神秘的な紫色に輝いて見えるのだ~をポリポリと、さっきからしきりと掻いている。

 遅かれ早かれこんな事態が起きるのは判り切っていた事だ、だから第1次戦役勃発時に国際法上の緊急避難行為を適用して行った『関連する特許権著作権商標権の無期限収容』を、国際世論の圧力を緩めるためとは言え、何の前準備もなしに解除すべきではなかったと、彼女は深い溜息を吐く。

 彼女は、蘭崎瑛花らんざき えいか、33歳。

 一見20台半ばにしか見えない、ほぼ完璧と言って良い程の美人である。

 日本生まれの日本育ちだが、母親が日露ハーフで、国籍はロシア共和国だ。

 戸籍上の名前は、蘭崎・ナスターシャ・瑛花。「説明するのが面倒臭い」と言う理由だけで、普段彼女はミドル・ネーム抜きで名乗る事にしている……、らしい。

 背が高くファッションモデルも霞んでしまうほどの美しく均整の取れたプロポーションの持ち主なのだが、今はスラリと長い脚を絡める様に優雅に組んで、しかし不機嫌そうな表情で画面をみつめている。

 二佐の階級章のついた第1種軍装ドレスブルーの右襟に『艦隊マーク~月桂樹の冠に囲まれたアドミラリティ型アンカー~』が光っていることから兵科将校であると知れるが、どこからどう見ても軍人には見えない。

 いや、美人だから軍人らしくない、と言う意味ではない。

 言い方は悪いが、実はUNDASNには彼女以上の美人は山ほどいる。

 いやいや、これとてセクハラ発言と受け取られると困る。

 因みにUNDASN内のセクハラ問題は統幕政務局政務企画5課の出した『包括内務規約修正2358年度版』で管理され、相談窓口が総務局厚生部指導課に設置されており、ここに報告され徹底調査の上『有罪』となれば、懲罰委員会か統一軍事法廷送りか、何れにせよ確実にそいつの人生は粉砕される。

 そう言った直截的な外観の問題ではなく、彼女の醸し出す雰囲気~服こそ軍服だが、その装飾品やメイク等、主にファッション、と言って良いだろう~が、軍人らしくないのだ。

 ウェーブヘアから覗く形の良い両の耳朶には、ピアスが3つづつ。

 机上で組まれた両手の細い指先は綺麗に紅いマニュキュアが塗られており、指の根元にはデザイン・リングや高価そうな宝石が鏤められたファッション・リングが合計7個。

 右手首にはブレスレッド、左にはブレスレッドと細いチェーンの高級レディース・ウォッチ。

 まるで霧の中のネオンを思わせるような落ち着いた色合いの、しかし艶やかさでは真紅よりも鮮やかなパールの入ったルージュで彩られた形の良い薄い唇が微かに開かれ、この日、数十回目の細い吐息が洩れている。

 もしも今、密かに彼女の懐へストーキングできる人間がいたら、その甘い香りの吐息に脳髄まで痺れることだろう。

 なぜ、彼女はこれ程『ファッショナブル』なのか? 

 UNDASNは軍隊と言いながら、一般的な軍隊のような服装令や勤務令は存在しないのか? 

 そもそも、導入教育はどうなっている? 

 勿論、それはきちんと存在する。

 しかし、彼女は一般の兵科将校とは、違う人生を歩んできたのだ。

 彼女は元々、国連の高級職員だった。

 国連経済部会在職中、ハーヴァードの大学院に学び国際経済学で博士号を取得した、ドクターである。

 国連事務局から防衛機構に出向、更にそこからUNDASNへ出向した所謂文官だったのだが、暇潰しのつもりで受けた『一般兵科幹部転任資格試験』に優秀な成績で合格、そのUN官僚である現職に比して数倍の高給に目が眩み、兵科将校となった変り種……、とは本人の機嫌の良い時の談である。

 統幕人事局としても、慣例通りに文官からの出向時の階級を引き継ぎ、兵科将校としていきなり一等艦尉に任官したものの、彼女の行政官僚としての凄腕を活かすには調達実施本部が最適との評価を下し、また調本も出向中の瑛花の優秀さを知り尽くしていて、手放したくないと申し入れた事もあって、彼女は遂に『フネに乗らない艦隊マーク』、『戦闘経験ゼロの兵科将校』として、今に至っている。

 周囲の評価は『いつまで経っても、娑婆っ気の抜けない』、しかし、抜けない『娑婆っ気』こそが調達実施本部の調達実績を、ドルベース換算、調達量比較で4年連続右肩下がりに抑え込んだ勝因である事は確かで、支出累計で西欧辺りの中規模国家の国家予算1年分程も圧縮した実績を突き付けられると、誰もが脱帽せざるを得ない。

 20世紀の設立以来、国連は常に『心頭滅却すれば火もまた涼し』、つまり、貧乏所帯であることは前述の通りだ。

 その上、人類の絶滅を防ぐ為とはいえ、いつ終わるとも知れぬ『宇宙戦争』までおっ始めてしまった。

 土星貧乏、である。

 『輪を掛けて』貧乏になったのだ。

 それを、せめて普通の貧乏にまで押し上げる、瑛花はまさにUNDASN~というより、UNと言った方が良いだろう~にとって『金の生る木を持って舞い降りた女神』なのである。

 絶対、手放さない。

 調達実施本部長どころか、統幕本部長統合司令長官、国連事務総長までが手を握り合ってそう誓った……、らしい。

 20年後、瑛花は史上初の『戦場を知らないフル・アドミラル』として、その頃は成立している筈の『地球連邦』の財務長官か商務長官、なんとなれば大統領さえ夢ではない、とは世間の専らの下馬評であった。

 だが、そんな彼女も今日ばかりは不機嫌そうに、美しい顔を顰めたままである。

 と、その時、コンコンコンと遠慮勝ちにドアがノックされた。

 普段ならば顔も上げない筈なのに、今日は余程疲れていたのか、瑛花はス、と視線をドアに向けた。

「……開いてるわよ」

 『入れ』と言わないのは、いつもの事だ。

 しかしそれにしても、歌うような、甘い声だ。

 聞く場所でさえ聞けば、大半の男性はクラッとよろめいてしまうだろう。

 ノックした人物も、男性だったのか、暫くは返事もなかった。

「? 」

 仮にも、軍隊の一機関である。

 如何に部屋の主の返答が娑婆っ気まんまんの台詞を乗せた甘い声だったとしても、この20フロアで働く800人は全て瑛花の部下、つまり三佐以下~文官もUNDASNに籍を置けば全員仮の階級が与えられる、その際第1種軍装の右襟はUNマークのバッジとなる~の筈だ。

 本来ならば「○○一等艦尉、入ります! 」と言った『娑婆っ気の抜けた』反応が戻って然るべきだった。

「え、やだ、誰? な、なんだろ? 」

 気味悪くなった瑛花が椅子から、その形の良いヒップを浮かした途端。

 静かに、ゆっくりと、ドアが開いた。

「グーテンターク、瑛ちゃん先輩! 」

 瑛花よりも少し低い、だが優しげなアルトが耳に届いた。

 声に続いて、半ば開いたドアから覗いたのは、紅茶色の長く美しい髪を無造作にバレッタでアップにまとめた、瑛花に負けないほどの美人。

 抜けるような肌理細やかな白い肌、神秘的な翠色の瞳が悪戯っぽく笑っている。

 瑛花は彼女を認めた途端、子供みたいに頬を膨らませた、所謂むくれた表情を貼り付けて、ドサ、と椅子に腰を下ろした。

「瑛ちゃん言うな」

「じゃ、蘭ちゃん先輩」

「蘭ちゃんもNGだ、ランちゃん」

「あ、それ私もNGだぜ」

 彼女はエヘヘ、と子供の様に笑って見せて、軽やかに部屋の中に入ってきた。

 身長は瑛花よりも5cm程は高い、175cm。

 スタイルも抜群で、しかもモデルの様にスレンダーな瑛花に比べて、どちらかと言うとグラマー、とも呼べる肢体。

 瑛花と同じドレスブルーだが、彼女は一階級上、一等艦佐の階級章が光る。

 違うのは、右肩から右胸を飾る幕僚飾諸の色。

 瑛花は9本部詰めを表す赤、対して彼女は政務幕僚を表す銀色。

 だが、瑛花よりも彼女の方が第1種軍装は板に付いているように見受けられた。

 なにより、左胸、イーグルマークの上に並ぶ略綬は4段に及び、彼女の歴戦振りが偲ばれる。

 もちろん、美しい形の耳朶にチェーン・イヤリングが光る以外、装飾品の類は一切身に付けていない上に、化粧っ気すらない。

 それもその筈、彼女はUNDASN幹部学校出身の生え抜きの兵科将校である~兵科将校でも薄化粧は普通する、と言うか、華美ではない化粧はUNDASN服装令に『マナー』としてキチンとすべし、そう記載されており、その為の美容講習会まで開かれている~。

 右胸、階級章の上に輝く小さな二つの徽章は、彼女がA級レンジャーとA級スナイパーである事を示している。

 統合幕僚本部政務局国際部アジア室アジア2課駐日本国首席武官、一等艦佐。

 鏡原・四季かがみはら しき・エリザベート・ラングレー、31歳、ドイツ国籍。

 日英ハーフの父、ドイツ人だった亡き母の形見であるストロベリー・ブロンドの美しい髪と翠の瞳を、悪戯好きな少年のように輝かせながら瑛花に笑いかけた。


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