第5話
マガツ国でのある朝のこと。
アンドラーシュは、共に朝食を取る中で、こう尋ねて来た。
「子供ができたら、名は何が良いと想う?」
私は考えた。いや、考える必要もなかった。
男の子ならアツシ。お父ちゃんの名だ。ああ。でもダメだ。お父ちゃんを想い出すと、すぐに涙が出てしまう。
カオルにしよう。お母ちゃんの名だ。お母ちゃんの名は便利だ。男の子にも女の子にも使える。
二人目が女の子なら、イズミ。親友の名だ。
二人目が男の子なら、彼に決めてもらえば良い。
そこで私はお母ちゃんの名を伝えた。男の子にも女の子にも付けられることも。
聞き慣れぬ名だからだろう。彼は不思議そうな顔をしてみせた。そしてその意味を尋ねて来る。
(お母ちゃんの名の漢字は『薫』。
少し難しい)
そこで私は少しばかり胸を張って、ここぞとばかりに答える。
「百の花が
(お母ちゃんの受け売りだ。『どうして、百花とつけたの?』と聞くと、いつもこう教えてくれた)
アンドラーシュは、「それはいい名だ」と言ってくれた。
ただ、自分の子につけようとする名とくれば、それで終わりとはならず、さらに詳しく知りたいと想うのが人情というもの。もちろん、それは私にも分かるのだが、
「ハインツでは多い名なの?
それとも、どこか他の地の名なの?」
と尋ねられて、私は少し困った。この乙女ゲームの世界に日本があるのだろうか?と考えたのだ。
でも、まあ、いいやと想った。
あってもなくても。
だって私はそこから来たんだもの。
それで、こう答えた。
「この世界の東の果てに、ジパングという黄金の島があるの。そこの人の名なんだよ」
「へぇー。君は物知りなんだね。そんな遠い国の名を知っているなんて」
アンドラーシュは感心しきりで、どうやら、それで納得してくれたようだった。
「もしかしたら、カオルはそこから来た人と将来会うかもしれない。そうしたら、その人はびっくりだろうね。こんな遠い国に聞きなじみのある名の人がおるなんて知ったら。
そしてカオルは、その遠い国に行きたいなんて言い出すかもしれないね」
「そうなったら、いいなあ」
そう言って、私はうるっとした。
(そして、イズミの子とカオルが友達になったりしたら・・・・・・)
私は涙があふれそうになって、ごまかすのに大変だった。
私はこの林に至るまでの夜を過ごす小天幕の中で――また小天幕だ、でも我慢するしかない――しばしば、このことを想い出しては、ひたっていた。だって、何気に私の名前までアンドラーシュに伝えるを得たんだもの。
そして、カオルに『何でカオルと付けたの?』と聞かれるのが、今からすごく楽しみなのだ。もちろん、私はお母ちゃんの受け売りで答える。
それから、もし、赤ちゃんができたら、2人はどうなるんだろうかと、色色と想像をたくましくしていた。
今もそうだった。といって、今は昼だけど。お二人はいないから、話す相手もいない。正直、他にすることもない。そうしていたら、私は1つのことに気付いたのだった。
どうも私は考え違いをしておったのではないかと、想えて来たのだ。私が転移したことが、転移する前の世界に影響するのは変だ。
赤ちゃんが生まれたとして、それが影響するのは、あくまで生まれた後の事柄。いくら、その影響が大きくても、それが時をさかのぼって影響するのはおかしい。
私の転移も同じ。私が転移した後の事柄に影響するのは分かる。とすれば、エリザベトの身持ちの良さは、私の転移前のことなので、私のモテ無さが影響したのではなく、そもそものエリザベトの性格なのでは?
他方で、私が転移しなかった場合と比べて、その後の事柄は変わったはずだ。小さなことだが、私はエリザベトと異なり、父上と毎食を共にした。そして王太子の親友たちの件も、私ゆえに防ぐを得た。
でもエリザベトは防ぎ得ただろうか?
何か私はとてもおぞましいことに気付いた気がする。今、私が経験していることの方が、ゲームの中の本当の話なのでは?
もちろん、私が転移した分、エリザベトの行動は変わった。ただ、王太子側の動きはそれほど変わっておらぬのではないか?
それでゲームの中のエリザベトは有効な手を打てず――その理由ははっきりしている。自らの恋心のためである――敗れたのではないのか。
私が遊んだ乙女ゲームではそうなっていなかった。ただ、これは、乙女ゲームのいびつな事実認識を考えれば、ありえぬことではないと想う。そもそも私に送られて来た訴状はまったくのデタラメだった。ただ、王太子側にすれば、つまり、その
なら、どうしてゲームの公式のストーリーというものが、いびつな事実認識に支えられたデタラメなものではないと言い切れるだろうか?
(ゲームの中のエリザベト。ねえ。本当は何があったの?)
ゲームの中のエリザベト。
私が転移したエリザベト。
この二人の関係は?
なんか、混乱してきた。
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