最終章 エリザベト

第1話


 私たちは、首都郊外にある広い野原にて待った。いずれも下馬してであった。お義母様かあさまは騎乗の人として現れた。それは分かるが、軽武装までしておる。


「お義母様かあさまも遠征に出るの?」


 かたわらのアンドラーシュが答える。


「いや。あれが女王カトンの正装なのだよ。我がマガツは武によって立つ国ゆえ」


 私は父上が『尚武』を口にした時の誇らしげな様を想い出す。


 私たち2人が先頭に立ち、1列後ろに、お二人と千人隊長たちがずらり並ぶ。その後ろに数万の軍勢が控えた。


 ただし、これでも全軍ではない。首都を経由しない方が近い地にある軍・勢力は、直接西の国境に赴いて待つなり、進軍途上の大中軍に合流を図なるなりせよ、との指示が出されておったのである。


 そもそもにして、マガツ全軍に――国境警備に当たる軍、また、よもやのために首都に残る軍を除いて――遠征従軍の命令が発されておった。

 加えて、臣従する全勢力には、参戦をうながす檄文が早馬にて発されておった。




 この場に集うを得た者たちは、将といわず兵といわず、いずれも軽武装に身を包んでおった。その全員が、片ひざ立ちにてひざまずく。


 お義母様かあさまは私たちから数メートル離れたところで、対面する形で、馬を止められた。その後ろに続いておったお義母様かあさま直属の千人隊長たちも、急ぎ下馬して、ひざまずく。


 騎上にあるは、ただ一人。そこで、お義母様かあさまは朗々と声を張った。


「皆の者。良く聞け。

 今、我が前に控えるは、ハインツ公爵の令嬢たるエリザベトである。彼女は、先日、二人のみを連れ、我が国に至った。

 助けを求めてである。我らは、義を知るゆえに、これを受けた。」


 ここでお義母様かあさまは一拍置き、息を整えられた。


「エリザベトは、皇子アンドラーシュの永年の想い人である。」


「そんなことを大声で言わなくてもいいのに」


 アンドラーシュの小声が聞こえた。


「皇子はエリザベトに求婚し、それは受け入れられた。よって、我がマガツ国とハインツ公国は軍事同盟を締結した」


(もちろん、ハインツ公爵家は正式に公国として独立を宣言した訳ではない。ただ、お義母様かあさまより独立国として扱うと先日私に一言ひとことあった。

 もちろん私に異論のあろうはずはない。臣従しての同盟ではなく、対等としてのそれに格上げしてくださるというのだから)


「良いか。皆の者。良く聞け。

 ハインツ公国の者たちは我が同胞はらからとなった。

 既に我がカンは、一足先に先鋒軍を率いて赴いておる。それはひとえに義を最も良く知るゆえ。我らはカンの行いをこそ、その導きとなすべきである」


(そう、お義父様とうさまは一足先に、父上への私の文をたずさえて、援軍に赴いてくださったのだ。私は、それを聞くを得た後、少しほっとすることができた。


 それについて、お義母様かあさまは『子の先鋒の将を務める親がどこにおろうか』との憎まれ口を叩いたとアンドラーシュから聞いたが、ことのほか上機嫌であったという。


 援軍が少しでも早くに赴いた方が良いことは、当然、お義母様かあさまならば、私以上に良く知るはず。ただアンドラーシュは本軍を率いねばならず、これは大軍であったので、相応に準備がかかる。

 そこでお義父様とうさまが、広く街道沿いの軍・勢力にはせ参じるよう呼びかけつつ、進軍しようとお義母様かあさまに願い出たと聞いた。それにお義父様とうさまは父上と旧知。ならば、昔話の1つでもしつつ、信頼関係を取り戻すには、最適の人物であった)


「こたび、エリザベトは何としても公国を救いたいとの想い強く、自ら軍を率いるを申し出た。ゆえに、ここに一軍を授けるものである。後に我が女王カトンくらいを継ぐ者である。

 決して、これを死なせるな」


 そこでお義母様かあさまは再び一拍置かれた。


「良いか。皆の者。

 義を知るなら、その心を震わせよ。

 ハインツの同胞はらからを死なせるな。

 そして、マガツの武人の誇りを示せ。

 必ず勝て。

 そして必ず生きて帰れ」


「うけたまわりました」


 との声が野天にこだました。


「アンドラーシュ。エリザベト。各々軍を率い、出軍せよ」


 私たちは再び拝命の返事をし、立つ。


 アンドラーシュは後列に控える千人隊長たちに、立つように命じ、出軍隊形を取るべく命じる。


 私はどうしてよいか分からず迷っておると、そこはゴリねえが取り仕切ってくれた。やはり千人隊長たちに出軍の隊形を取るべく命じる。


 すると、アンドラーシュが不意に身を寄せて来た。更にその力強い腕で、私の体を引き寄せると、顔を近づけて来る。


(だめよ。こんなところで。こんなときに。

 お義母様かあさまの目前だし、

 何より、っこいのがまたニヤケるから)


 ただその胸を押しのけることはしなかった。


「忘れるな。無事に戻り、その顔を見せよ」


 低い声でそう命じられ、私はその漆黒の瞳を見返す。


 アンドラーシュは、荒野を吹き抜けた風にその黒髪くろかみをなびかせながら、キスする際に落ちた帽子を拾う。何を想い出したのか――もちろん、私には心当たりがあるのだけど――最後に私へとクスリとした微笑を向けた。


 それから、きびすを返す。そしてこの短い時間を一緒に過ごして多少なじんだ人は、愛馬にまたがり、離れて行く。


 私は想わず、涙が頬を伝わるのを知る。


(私から言い出したことなのに)


 その感傷にひたっておると、お義母様かあさまは見逃してくれたが、やはりこいつが来た。そして、やはりニヤケ顔である。どうにも、こいつはエリザベトの色恋ごとが大好物らしい。


 そして次の如く言って、やはりニタリとする。


「エリザベト万人隊長。出軍の下知をお願いします」

 

 私はやはり先刻承知とばかりにニタリとし、


「副将のフリードリッヒに命じる。先陣に立ち、出軍させよ」

 

 加えて、にらみつけてやった。悪びれる様子もなく、チイねえはその場にひざまずくと、


「うけたまわりました」


 と答え、急ぎ馬上の人となる。


 やがて、向こうの方から、少女に聞きまごう良く通る声が高らかに響き渡った。


「エリザベト万人隊。出軍」


 その時には、私もまた騎乗の人となっておった。


「お嬢様。先は長うございます。お気持ちを緩やかにしてお進みください」


「ありがとう。レオポルト副将」


 そう。この隊は私の名を冠してエリザベト万人隊。私が隊長。お二人が副将。その下に千人隊長が10人つく編成である。


 長駆して敵の王都を討つということで、騎馬よりなる万人隊を、お義母様かあさまは授けてくださった。マガツ国のまつりごとと軍事を実質取り仕切るは、お義母様かあさまであった。


 ただここから早駆けしては、馬が足を痛めかねないこと。また兵糧や予備も含めた武器・防具をたずさえた輜重隊が後に続くこと――これは足が遅い。


 それゆえ、その必要が生じるまでは、まずはゆっくり進むとのことであった。交易に赴く隊商と変わらぬペースと、私はゴリねえに聞かされておった。


 もちろん、時日はその分の余裕を見込んでの出発であった。エリザベトの審問の日の刻限には間に合うようにとの。


 更には、替え馬用に一人当たり、馬を2、3頭たずさえておった。まさに、お馬さんが一杯であった。


 遠くに、アンドラーシュの低い声がとどろくのが聞こえた。


「大中軍。出軍せよ」

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