第32話

「あらためて、まずはご挨拶をさせていただく。我はマガツ国の皇子にして王位継承権者筆頭のアンドラーシュといいます。

 エリザベト・フォン・ハインツ令嬢。

 よくぞ来られた。

 ただ、貴嬢の来られたよしをうかがう前に、まずは我の心の言葉に少しばかり耳を傾けて欲しい。これを告げた後でなければ、いかなる言葉も我が心に入らぬゆえに。

 我は恐れるのだ。

 貴嬢が、婚約者たる王太子の代理として、和平交渉に来たのではないかと。何らかの方法で我が心の内を知るを得て、交渉を有利に進めようとしておるのではないかと。

 我はできうるなら、貴嬢の訴えには応じたい。しかし、とすれば、我は母国への想いと板挟みになり、苦しめられることになるのではないかと。

 愚かなる我はそのように恐れるのだ。

 再び請う。

 どうか心の内を告げるを、そして、魂の深く求めるところを訴えるを許して欲しい」


 そこで皇子は沈黙した。


(えっ。なになになに?

 私の返事待ち?


 皇子は精悍せいかんな顔つきの野趣やしゅをただよわせた男であった。王太子のような、現実ではありえぬ超絶イケメンではないけれど。私の基準では、十分イケメンだった。


 チイねえと比べても。二人の傾向はだいぶ異なるけれど――一方は美少女でも十分通じるたおやかな美しさを備え――他方がたずさえるは、まさに野生の獣の美しさ、荒々しき美しさと言って良かった。


 しかも相手はかなり若い。20代半ば?

 少なくとも私より一回り以上若い。

 

 その男が何を訴えるの?)


「ゆるしょう」


 おぼつかない震え声で何とか私は答えた。当然、許そうと言いたかったのである。ただそれでも、何とか通じたようで・・・。


 皇子は低い声で続ける。


「我が国とオーゼンシュタイン国が険悪になる前、貴嬢はまだ少女に過ぎなかったが、舞踏会で我はそなた・・・・・・。

 失礼した。心の内では愚かなる我は、常にそう呼んでおったのだ。どうか、ここから先は、そう呼ぶのを許して欲しい」


 皇子は再び沈黙した。


(えっ。またまた私の返事待ち?)


「ゆるしゅ」


(なんか、私の返事、ますます変。

 それに。なに。心臓が苦しいんだけど)


「舞踏会でそなたを見て、一目惚れしてしまったのだ。

 その後、何度か舞踏会で見かけ、そなたはますます美しくなっており、我は自らの心を封印せざるを得なかった。

 これほどの美しき乙女が、我の恋情に応えてくれるはずはないと。我はただそなたを目で追うだけであった。

 そなたと王太子の婚約を聞いた時、むしろ我はほっとしたくらいであった。これで我の恋情はおさまるだろうと。もう、これに苦しめられずにすむと。

 ただ我はすぐにも自らの浅はかさを知ることになる。我のそれはおさまるどころか、燃えさかった。

 最早、くべるまきなどないのに。最早、手に入らぬはずのそなたを求めて、我が心と体は懊悩おうのうした。

 我との婚姻の願い出が、他国の王や我が国の臣下よりあったが、すべて断った。そなたのみが、我が心のたけりをしずめうるは明らかであったから。

 激しき悔いのみが残った。

 そなたが、何ゆえにこの国へ来たのか知らぬ。そなたが、王太子と婚約しておるのも、無論承知しておる。

 ただ我が心願を告げるを許してくれ。

 我が本願を訴えるを許してくれ」


 「ゆ」とまで私が言ったとき、皇子の言葉が続いた。


(かぶったー)


「我がきさきとなってくれぬか?

 そして我が王位を継ぐを得たならば、そなたは王妃として、我のかたわらで共にこの国を治めて欲しいのだ」


 私はクラッとした。


 いや、そのままそこに崩れ落ちた。


 これまで勢い込んで来た緊張が解けたゆえだろうか?


 その体を皇子が支えてくれた。


 私は返答しなければと想うが、私の恋心は張り裂け、心拍はこれ以上は無理というほどにはね上がり、口は動いてくれぬ。


 ただ私の瞳は、その恋心を告げるを得たようであり、皇子は優しく私の唇に自らの唇を重ねた。

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