12月7日【コマドリ】
小棚市場でシュトーレンを買ってから、なっちゃんは毎朝、熱い紅茶と一緒に、薄く切ったシュトーレンを一枚いただくことにしています。
シュトーレンというのは、ナッツや果物が練り込んである、とても大きくてずっしりとした、パンのようなものです。表面には、たっぷりの粉砂糖が雪のようにまぶしてあって、冬にふさわしい食べ物なのです。
今日の朝食も、紅茶とシュトーレン。それから、チーズをひとかけ、いただきます。
硬いチーズをこりこりかじりながら、なっちゃんは、これをとろかしたら美味しいだろうな、と思いました。とろんととろけたチーズをパンで受けとめて、ひとくちにがぶりとかぶりつくのです。昔、アニメでそんなシーンを見て、憧れたものです。
チーズをとろかすには、どうすればよいでしょう。パンの上に乗せて、オーブンに入れる? それも良いですけれど、もうひとつ、素敵な方法があります。
そんなわけで、なっちゃんは、リビングの暖炉を掃除することにしました。暖炉の熱でとかしたチーズが、いっとう美味しいに違いないと思ったのです。
それに、寒がりミトラたちに、暖炉に火を入れるよう頼まれていたことを、思い出したためでもありました。
なっちゃんは、そのことをすっかり忘れていましたし、寒がりミトラたちも、暖房の部屋のオイルヒーターが充分に暖かいので、やっぱりすっかり忘れていたのです。
それにしても、暖炉の掃除というのはどうすれば良いのか、なっちゃんは少しも知りません。ですので、とりあえず準備だけやってしまうことにしました。
準備というのは、お掃除にふさわしい格好になるということです。動きやすい服に、汚れてもいい前掛けに、丈夫な長靴、手袋、頭と口元を覆う布巾。ほうき、はたき、雑巾にバケツも揃えます。
「準備、バッチリ」
『ばっちりだね』
バッチリは良いのですが、でも、どうすれば良いのかは、相変わらず分かりません。
なっちゃんが困っていると、キッチンの方で、ことことことん、と音がしました。今日は、水曜日です。小棚市場が開いた音に違いありません。虫たちの楽しげな歌声も聞こえてきて、なっちゃんは、彼らに相談してみることにしました。
「こんにちは」
すりガラスの扉を開きますと、淡い金色の市場が現れます。虫たちは「こんにちは」と挨拶をして、「なにかご入用ですか?」と触角を揺らします。
なっちゃんは、冬のかけらと早朝の光のかけらを支払って、チーズとパンを買いました。それから「ちょっとご相談があるんですが」と、暖炉掃除のことを話しました。
虫たちは「ふんふん」と何やら考えて、「それなら知り合いに、煙突掃除の上手なのがおりますよ」と言いました。
「どれ、ちょっと今、呼んでみましょうか」
虫たちは、銀のティースプーンの上にちょこちょこっと登って、羽ばたき始めました。プーン、プーンと、かすかな羽音がします。どうやらそれが、合図だったようです。しばらくしますと、リビングの出窓の方から、コツコツコツ、とノックの音がしました。
「来たようです」と虫たちが言いましたので、なっちゃんは出窓の方へ行ってみます。
するとそこには、顔と胸が鮮やかなオレンジ色をしている小鳥が、出窓の桟にちょこんととまっており、くちばしでガラスをノックしているのでした。
なっちゃんが出窓を開けますと、小鳥は何度か首を傾げて、そして室内へと入ってきました。
「こんにちは」と、なっちゃんが挨拶をしますと、小鳥は気取った声で「ごきげんよう」と言いました。
「こちらに、ハムシさんがたはいらっしゃる? あたし、ちょうど散歩に出掛けていて、この近くを通りかかったら羽音が聞こえたもんだから、降りてきたのだけど」
なっちゃんが、小鳥をキッチンの方へと案内しますと、虫たちはオレンジ色のお尻を震わせて、「やあ、コマドリさん」と挨拶をしました。小鳥もオレンジ色の胸を膨らませて、「ごきげんよう、ハムシさん」と、挨拶を返しました。
「この人間さんがね、煙突を掃除したいそうだ。コマドリさんは、煙突の掃除がお上手だから、どうだろう、手助けしてやってもらえないだろうか」
そこですかさず「もちろん、お礼は差し上げます」と、なっちゃんが言いましたので、コマドリの真っ黒な瞳が、ちらっと光りました。
「クルミはある?」
「ありますよ」
「ジンジャークッキーは?」
「焼けば、あります」
「では、とびきり上等のかけらはあるの?」
「上等かどうかは、分かりませんが」
なっちゃんは、コマドリを肩に乗せて、かけらの部屋へ案内しました。かけらの部屋には、真冬の低い日差しが、窓から長く差し込んでいます。そうして、丸椅子の上に並べられたかけらたちは、それぞれの持つ様々な色で、反射して光っているのでした。
「あら、素敵ね」
コマドリは、さっと飛び立って、丸椅子のふちにちょんととまりました。夜の静けさのかけらが並べられている椅子です。コマドリはかけらをじっくり眺めて、また飛び上がり、別の丸椅子にとまります。
かくしてコマドリのお眼鏡にかなったのは、冬のひなたのかけらでした。
「これを、あるだけいただける? ハムシさんたちに預けてくれると良いわ。あとで、届けてもらうから」
なっちゃんはもちろん了承して、冬のひなたのかけらを、小棚の中の赤いマグカップに入れました。これで、交渉成立です。
暖炉の、マントルピースの上にとまって、コマドリはなっちゃんの姿を、上から下まできょろりと見ました。そして「格好は、問題なし」と言いました。
「煙突の中は、煤でたいへん汚れていますから。滅多な格好では入れないのだけれど、あなたは合格。掃除をするものとして、心がけがなっているわ」
なっちゃんの心がけを褒めたあと、コマドリは、ぱっと羽を広げたかと思いますと、暖炉の中に飛び込んでいってしまいました。そして、いくらもたたないうちに、シュッという柔らかな羽の音と共に戻ってきました。くちばしの先が、黒く煤で汚れています。
「こっちへいらっしゃい」
コマドリが言いましたので、なっちゃんは、暖炉のすぐそばまで寄りました。
「目をつぶって」
コマドリが言いましたので、なっちゃんは、目をつぶりました。
コマドリのくちばしが、なっちゃんのおでこをなでました。つやつやとした感触が、心地よく、おでこの上を行ったり来たりします。
くちばしについていた煤を、つけているんだ。なっちゃんには、すぐ分かりました。
「もう目を開けても良いわよ」
コマドリのお許しが出ましたので、なっちゃんが目を開けますと、そこは一面、真っ黒でした。
もしかして、煤が目に入ったのかもしれない。そう思って、目をごしごしこすりましたが、目の前は真っ黒なままです。
「目をこすってはだめよ」
コマドリの声が、上の方から聞こえました。驚いて見上げますと、そこには、象よりも大きいかと思われるコマドリが、おかしそうに笑いながら、なっちゃんを見ているのでした。
「さあ、煙突掃除を始めましょう」
なっちゃんは、いつのまにやらコマドリよりも小さくなって、煙突の煤の中に立っているのです。どっちを向いても黒、黒、真っ黒。足元には、雪のように煤が積もって、ざくざくします。
長靴を履いていてよかった。と、なっちゃんは思ったのでした。
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