12月8日【煙突掃除】
煙突掃除は、それはもう大変つらいお仕事でした。なっちゃんが、コマドリよりも小さくなっているせいもあるかもしれません。
雪のように積もっている煤を、大きなシャベルですくい取り、猫車の上に乗せて、長い煙突の中を走ります。煤を煙突の外に投げ捨てたら、またすぐに折り返して、煤を積んで、捨てにいきます。
これを、何度も何度も、繰り返すのです。
なんという重労働でしょう。それに、煤はいくら捨てても捨てても、真っ暗闇の中からどんどん生まれてきているようで、きりがないのです。
なっちゃんは、すぐに体じゅう、煤だらけになってしまいました。
コマドリはと言うと、真っ暗闇の中をすいすい飛び回って、ときどき煤の中にくちばしをつっこんで、何かを咥えあげます。そして煙突の外に飛び去っていき、すぐに戻ってくるのです。
煙突の中は、コマドリのオレンジ色の胸のほか、灯りになるものはなにもありませんでしたから、コマドリが煙突の外に飛んでいっているときは、なっちゃんは手探りで掃除をするほかありませんでした。
それにしても、コマドリはいったい、煤の中から何を咥え去っているのでしょうか。なっちゃんが注意して見ていますと、それは本当に、様々なものでした。
古い本、洋服、ふちの欠けたティーカップ。くすんだ鏡、片方だけの靴、ひしゃげた紙の束。コマドリは、それはもう多様なものを、煤の中から拾い上げます。
不思議なことに、たとえばサッカーボールのような、とてもコマドリのくちばしには大きすぎるようなものも、コマドリがツンとつつけば、咥えて運びやすそうな大きさにおさまるのでした。
「さて、ちょっと休憩にしましょうか」
コマドリがようやく羽をたたみましたので、なっちゃんもシャベルと猫車を置いて、コマドリのすぐそばに座りました。お茶もお菓子もない休憩でしたが、ひどく疲れてしまったなっちゃんにとっては、ただ座っていられるだけでも、充分にありがたいのです。
「まだまだ全然、綺麗になりませんね」
なっちゃんが言いますと、コマドリは澄ました顔で「そりゃあそうよ」と言いました。
「コマドリさんは、疲れていませんか」
「私はこれがお仕事だから、慣れているから平気だわ」
それは見栄や強がりではなく、本当にコマドリは、少しも疲れていないようでした。あれほど忙しく飛び回っていたというのに、なんという働き者でしょう。
なっちゃんが、コマドリの働きぶりを褒めますと、胸のオレンジ色が、少し赤っぽく、秋の夕焼けの色になりました。
それからなっちゃんは、話のついでに、気になっていたことを訊いてみることにしました。
「コマドリさんは、煤の中から何を拾っているんですか」
煤の中から現れる、古い本や洋服やティーカップは、一体なんなのでしょう。コマドリは、そういったものを次々に見つけては咥えて飛んでいくのに、なっちゃんには、煤の中になにひとつ見つけられないのです。
「それはあなた、煤の中に埋もれているのだから、燃やされたものに決まっているわ」
コマドリは、当然のように言いました。
「もう必要なくなったもの。本当は欲しくなかったもの。手放したくなかったけれど、捨てなくちゃいけなくなったもの。そういうものよ。捨てられたものは、みんなまとめて燃やされて、同じ煤の海に埋もれるのよ」
「捨てられたもの……」
そういえば、さっきコマドリが咥えて持っていったもののうち、くしゃくしゃにひしゃげた紙の束に、見覚えがありました。
それは昔、なっちゃんがまだ、隣にぬいぐるみが寝ていなければ、真っ暗な部屋でおやすみ出来なかったくらい昔のことです。
なっちゃんは、フキコさんと文通をしていたのです。なっちゃんは、覚えたての文字で、覚えたての言葉で、フキコさんにお手紙を書いていました。
それはお手紙というよりも、子供の日記のようなものでした。拙い文字に、拙い文章。読むだけでも一苦労だったでしょうが、フキコさんが返事を送ってくれなかったことは、一度もありませんでした。
ああ、でもなっちゃんは、いつしかお手紙を出さなくなったのです。なっちゃんのお母さんが、お手紙を出すのはもうやめなさい、と言ったためでした。
フキコさんは、ちょっと変わった人でしたから、なっちゃんのお母さんは、フキコさんのことがあまり好きではなかったのです。なっちゃんは、お母さんがしかめっ面をするのが嫌でしたから、「わかった」と良い子のお返事をしたのでした。
それに正直に言いますと、なっちゃんだって学校やクラブ活動が忙しくて、お手紙を出すのが、ちょっと億劫になっていたのです。そして今ではもう、お手紙にどんなことを書いていたのか、フキコさんからはどんなお手紙が届いていたのか、少しも思い出せないのです。
「あれは、フキコさんからの手紙だ。私が、燃やしたんだ」
なっちゃんが呟きますと、コマドリはきょろっと首をかしげました。そして、慈愛に満ちた黒い目で、なっちゃんを見つめました。
「人間って、たいへんね。あたしたち鳥は、脚でつかめるものか、せいぜいくちばしでくわえられる程度のものしか持てないけれど、人間は、両手いっぱいに物を持てるのだものね。たくさん持てるぶん、たくさん捨てなければならないのね」
「それって、やっぱり良くないことでしょうか」
「たくさん持てるのは、羨ましいわ。私だって、人間のような大きな両手があれば、巣からこぼれた赤ちゃんだって、蛇に食べられる前に、拾ってあげられたかもしれないもの。でも、たくさん持つことができても、同じだけ捨てなければならないというのは、寂しいことかもしれないわね」
「だから私、寂しいんでしょうか」
「寂しいの?」
なっちゃんは、答えませんでした。よくかき混ぜたホイップクリームのようにツンと立っている、フキコさんの特徴的な文字が思い出されて、なっちゃんの心をちくちくつついて、つらいのです。
「もう、取り戻せませんか」
なっちゃんが尋ねますと、コマドリは目を閉じて、首を横に振りました。
「一度捨ててしまったものは、もう、取り戻せないわ。何をしても」
なっちゃんの顔に、コマドリの柔らかな羽毛が押し付けられました。オレンジ色の胸はふんわり温かくて、よく干したお布団のような心地です。
「全くおんなじものは、もう二度と手に入らないけれど、別のものを拾うことはできるわよ。そしてきっと、それはそれで、素晴らしく価値のあるものなんだわ」
コマドリは歌うように言葉を紡いで、なっちゃんをなぐさめます。なっちゃんは気の済むまで、コマドリのオレンジ色の胸に顔をうずめていました。
なっちゃんの気が済みましたら、ふたりは何事もなかったかのように、また煙突掃除に取り掛かりました。
なっちゃんは走り回って、猫車で煤を運びます。コマドリは飛び回って、煤の中から埋もれたものを掘り出します。
そうして、燃えかすだらけの煙突は少しずつ、少しずつ綺麗になっていくのでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます