12月6日【飛び石の道】
フキコさんのおうちには、本当にいたるところに、かけらが落ちています。このおうちに来た最初の日に、どうして気が付かなかったのか、不思議に思ってしまうほどです。
なっちゃんは、一階にある小部屋のひとつを、見付けたかけらを置いておく部屋にしようと思いました。リビングの向かいの小部屋は、寒がりミトラたちのための暖房部屋にしましたので、そのお隣の小部屋を使います。
簡単に掃除をして、物置の一画に積んであった、木の丸椅子を部屋中に置きました。ある丸椅子には、冬のかけらを並べました。その隣の丸椅子には、暖房の部屋の、オイルヒーターの前に落ちていたかけらを並べました。
寒がりのミトラたちいわく、それは「ヒーターの前にしゃがみこんだときの、鼻先がちりちりするような熱のかけら」だそうです。透明と橙色のそのかけらは、たしかに熱を持っています。
それから、また別の丸椅子には、小部屋を掃除している時に見付けた、ごく薄い灰色のかけらを並べました。それは「ずっと使われていなかった部屋の、埃とさびしさのかけら」だそうです。
色々なかけらがあるんだな。と、なっちゃんはすっかり楽しくなってしまって、おうちのあちこちを掃除しながら、かけらを拾い集めました。
窓ガラスのすぐそばに落ちていた、どこまでも透き通った無色のかけらは「ガラスごしにしみ出してくる寒さのかけら」ですし、ベッドの枕元に落ちていた、オパールのような遊色の美しいかけらは、きっとなっちゃんの夢のかけらです。
階段の途中には、黒の中にもっと暗い黒が渦巻いているかけらが落ちていました。それは「夜に階段の上から一階を見下ろしたときの、吸い込まれそうなおそろしさのかけら」です。
お風呂場に落ちていた、乳白色に少しの琥珀色の混ざったかけらは、「寒い日にお湯に浸かったときの、指先がじんとする気持ちよさのかけら」です。
集めたかけらは、全てかけらの部屋に並べます。そしてなっちゃんは、そのかけらたちを、小棚市場での取引に使っても良いものと、使わずに取っておきたいものとに分けました。
フキコさんも、こうやって、かけらを集めて暮らしていたのかな。ふと、なっちゃんは思います。
毎日、かけらを集めて、小棚市場で必要なものを買って、そうして暮らしていたのでしょうか。それでは、どうしてフキコさんは、このおうちを去ってしまったのでしょう。どうしてフキコさんは、なっちゃんに、このおうちの鍵をくれたのでしょう。
なっちゃんは、ズボンのポケットからキーリングを取り出しました。このおうちのあらゆるドアは、全てこの真鍮の鍵で開くので、なっちゃんはいつでも鍵を持ち歩いているのです。
『なっちゃん、それどうして、ふたつしかないの』
なっちゃんが鍵を見ていますと、猫のようだけれど足がたくさんあるミトラが、なっちゃんに尋ねました。
『かぎはみっつ。ぜんぶでみっつだよ』
「みっつ? 入り口の門の鍵と、おうちの鍵と、あとひとつは?」
『うらにわのかぎだよ』
そういえば、このおうちには裏庭があります。おうちの勝手口から外に出て、テラコッタ風の敷石を数歩も歩けば、なっちゃんの腰ほどの高さしかない、裏庭の門にたどり着きます。
けれどその門は、たしか真鍮の鍵で開いたはずです。なっちゃんは、とっくに裏庭も探検したのですから、間違いありません。
『ちがうよ。そっちのうらにわじゃないよ。いっしょに行ってみる?』
猫のミトラが、たくさんある足を器用に動かして、すいすい歩き始めましたので、なっちゃんは急いでその後を追いかけました。
リビングを通り抜け、キッチンを通り抜けて、勝手口から外に出ます。裏庭の門は、もうすぐそこに見えています。
『もんを開けて、開けて』
猫のミトラが急かしましたので、なっちゃんは真鍮の鍵を手に取って、門を開きました。その先は、勝手口から見えていたのと同じ、少し寂しげな冬の裏庭です。春になれば、もう少しにぎやかになるのかもしれませんが、今は花壇も植木も、ただ寒さにじっと耐えているだけです。
『あれえ』と、猫のミトラは首をかしげました。
『おかしいなあ。ここじゃない』
「でも、裏庭はここだけだよ」
『ここだけど、ここじゃないの。いったん、戻ろう』
猫のミトラが回れ右をしましたので、なっちゃんも一度、裏庭の門を出まして、勝手口まで戻ります。
『よし、もういっかい行ってみよう』
そうすることに、なにか意味があるのでしょうか。なっちゃんは疑問に思いましたが、猫のミトラに急かされるままに、また飛び石を踏んで、裏庭の門の前に立ちました。そして、門を開きます。その向こうには、当然……
……裏庭が、あるはずでした。けれど、ありません。門の向こうには、テラコッタ風の飛び石が、長くどこまでも続いているのです。
「あれ?」
おかしいな、と思いながらも、なっちゃんは飛び石の道を進みました。すると、わずかにカーブした道の先に、また裏庭の門があったのです。
『なっちゃん。もんを開けて、開けて』
真鍮の鍵で、門を開けます。そうしますと門の先には、やっぱり弓なりにカーブした、飛び石の道があるのです。
それから、なっちゃんは実に三度も、裏庭の門を通り抜けました。だけれども、どこにたどり着くこともありません。
もしかして、永遠の飛び石の道に、閉じ込められたんじゃないかしら。不安になって、なっちゃんが後ろを振り返りますと、見慣れた勝手口はすぐ背後に、ちゃんとあるのでした。
『うーん、だめみたい』
「駄目みたいだね」
いよいよ体も冷えてきて、とうとうなっちゃんと猫のミトラは降参しました。
『やっぱり、うらにわのかぎじゃないと、ほんとうのうらにわには行けないんだね』
猫のミトラはそう言って、『うらにわにわ、だって。ふふふ』と、自分の言ったことがおかしくて笑いました。
なっちゃんもつられて少しだけ笑いましたけれど、それよりも、本当の裏庭というものが気になって仕方がありません。三つ目の鍵がなければ、本当の裏庭には行けないのでしょうか。
なっちゃんが考えていますと、例のごとく鳥のミトラが、『ゆうびんでえす』と飛んできます。フキコさんからの手紙です。フキコさんは、どこかでなっちゃんの様子を窺っているのでしょうか。
そういえば、フキコさんは、なんだかいつも難しい言い回しをする人だったような気がします。まだ子供だったなっちゃんが、「それはどういう意味?」と尋ねますと「さて、どういう意味でしょう」と、いたずらっぽく笑うのです。そうして、なっちゃんがふてくされますと「では、ヒントです」と、答えへの足がかりをくれるのでした。
それならば、このオリーブ色のお手紙は、フキコさんからのヒントなのでしょう。
一筆箋には、こうありました。
『なくしものはたいてい、忘れたところに埋もれている』
今日のヒントは、少し不親切だな。なっちゃんは、フキコさんにからかわれていた、小さな子供のころのように、ぷうと頬をふくらませました。
どうせ答えの方に導いてくれるなら、答えをそのまま書いてくれたって良いのに。そっちの方が分かりやすいし、悩まなくたってすむのに。
だけど、フキコさんはそうしてくれないのでした。そういえば、フキコさんは、ちょっとだけ意地悪で、子供よりも子供っぽいところがありました。
『なっちゃん、ふくらんだ』
猫のミトラが驚いて、丸い目をもっとまんまるにして、なっちゃんの顔をまじまじと見ました。
『なっちゃんのおかお、ふくらむんだ』
「時々ね」
『どんなとき?』
「フキコさんが意地悪なとき」
なっちゃんが言いますと、猫のミトラは『ああ』と頷いて『フキコさん、ちょっといじわるいもんね』と言いました。
やっぱり、ミトラたちにも、そう思われてたんだ。
おかしくて、なっちゃんのほっぺたの膨らみは、「ふふふ」という笑い声に変わって、しぼんでいきました。
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