第22話 つまり、タイムリープはできないってこと
この夏休みに入って一体どれだけのことを試してみただろうか。
ほとんど無駄としか思えない行動の連続ではあったが、僕はそのすべてに付き合うことにした。僕みたいに親に感謝することもなくただただ甘えているだけの裕福な環境にある僕にとって、それくらいのことしかしてあげられることはなかった。
それからしばらくの間、どうすれば過去にメルを送ることができるのかという挑戦の毎日だった。普通にメールを送ってはダメだという事は周知の事実でだからこそありとあらゆる、考えうる限りの方法でメールを送信し続けた。
ある日はとにかく自転車に乗って東へ東へと全速力でペダルをこぎ、スピードに乗ったところでの送信。
ある日は近所の高圧電線のすぐ近く、立ち入り禁止区域に侵入しての送信。そのほか痛々しい方法をいくつか試してみた。そしてそれらの作戦がどういう結果になったかという事はあえて言うまでのことではない。
8月5日。幸いにもこの日鳩山のばあちゃんが用意してくれた昼飯はサンドイッチだった。お皿の上に載ったサンドイッチにかぶせてあったラップフィルムでそのままサンドイッチを包み、手提げバックに詰め込んで出発した。
夏の昼下がりの空いた電車の車両の中は、僕らの二人以外には虫かごを持った幼い兄弟と母親らしきひとしかいなかった。手提げから二人分のサンドイッチを取り出し二人でわけた。六枚切りの食パンで作られたサンドイッチをほおばった。一つはポテトサラダとハムのサンドイッチで一つはたまごサラダのサンドイッチ、鳩山はポテトサラダが嫌いらしく、僕の玉子サンドと交換した。僕はポテトサラダをだけを、鳩山は玉子サンドだけをそれぞれ一つだけ食べてもう一つは鞄にしまった。
正午をしばらく過ぎてから出発したので目的地はそう遠くないとタカをくくっていたのだが、電車とバスを乗り継ぎ、目的地に到着したころはもう、夕刻前くらいだった。
市街地からしばらく離れた場所でほとんど人気がない。寂れたような場所にたたずむボロイ四階建てのアパートの前だった。白だったであろう壁はうす汚れて灰色がかっているし、ところどころにはヒビが入っている。何よりもすぐ隣には新幹線の高架があり、新幹線が通過すると大きな音と小さな揺れ、そりに通過する際になんだか得体のしれない空気の圧迫感を感じて不愉快な気持ちになる。
あきらかに家賃の安そうなアパートで幽霊が出てもおかしくはないように感じる。
鳩山が以前母親と二人で住んでいたアパートだ。その場所からメールをすれば、過去の母親に届きやすいのではないかと考えたのだろう。
シングルマザーの母親と二人暮らし、働きながら鳩山を育て、ある朝事故に合い、そのまま帰ってこなくなってしまった。別れというのは、ある日突然やってくる。
その母親の両親のもとに引き取られ、今の中学に転校してきたのが今から一年ほど前。
建物中央にあるコンクリートの階段で四階へと向かう。階段の隅の方には隙間がいくつもあり、新幹線の通過する振動でいつ崩れても不思議がないように思える。当然のことながらこの建物に関してエレベーターなどというものなど存在しない。
四階の一番端の部屋。そこがかつて鳩山母子が住んでいた部屋だった。四階という高さはちょうど新幹線の高架と同じ高さでこの隅の部屋からすればすぐ目の前を新幹線が通ることになる。振動も騒音もそれなりのものになるだろう。新幹線マニアでもなければ決して住みたいとは思わない条件だ。
鳩山はためらうことなくインターホンを鳴らした。鳩山母子が退去したこの条件の悪い部屋に入居した者がいるらしかった。鉄道マニアかもしれない。
鳩山は何度かインターホンを鳴らした。誰も出てこない。
「留守みたいだな。まあ、仕方ないじゃないか」
「いや、いるよ。ほら、ここ」玄関の隅に設置された電気メーターを指差す。「結構な速度で回ってるからエアコン遣ってるよ。たぶん居留守だろう」
蒸し暑い夏の夕方だ。中に人がいるならエアコンぐらい使うだろう。
「生意気だよ。この部屋でエアコン遣うなんて……」
まるで感情を無くしたみたいに、イントネーションを欠いた口ぶりで鳩山が言った。それから目線を足元の隅の方に落とし指差した。そこには建物に設置を義務付けられている小さな消火器が置いてある。
「居留守を使ってる時にはね。郵便受けに消火器を突っ込んで噴射すれば中の人が飛び出てくるんだよ……」
冗談を言っている風には聞こえなかった。僕は鳩山の肩をぐっとつかみ「何バカなこと言ってんだよ」といさめた。
「ごめん……。冗談だよ。ただ……ただね、昔のことを思いだしたんだ。お母さんがお金を返せなくなったときにね、怖い人たちがやってきて部屋じゅう消火器の中身のピンクの粉だらけにされた日のこと……。あの後……掃除すごく大変だったんだ。お母さん、ずっと泣いていた。ぼくにごめんね、ごめんねってずっと謝り続けるんだ」
全身の血の気が引いて背筋になまあたたかい汗がつたった。鳩山のこれまでの生活の一部を垣間見て同情し、それと同時に自分がそうでなかったことに安堵した。自分はこれまでどれほどに恵まれた生活を送ってきたのだろう。
僕は何の言葉も発せずに、手を置いていた鳩山の肩をより強く握った。
「わかってる。わかってるよ。ゆーちゃん。ぼくはもう大丈夫なんだ。ごめんよ。ただ昔のことを少し思い出しただけなんだ」
僕たちはしばらくその部屋の前でしばらく過ごした。鳩山は目をつむったまま時々念じるようにメールを発信した。おそらくは昔のことをイメージしながら自分のメールアドレスにメールを送り続けているようだ。送信するたび、ほんの数秒でメールを着信する。言うまでも無く自分の送ったメールをそのまま着信し続けているだけだった。
時計の針はもう五時を回っていた。ここに来るまでの時間を考えたならそろそろ帰路につかなければならない時間になってきた。僕には帰りが遅くなると心配する両親がいる。
「なあ、ぽっぽ、そろそろ……」
そう言いかけたところで玄関のドアが開いた。中からボサボサの髪の毛の、おそらくは今の今まで寝ていたであろう青年が顔をのぞかせた。白いTシャツの襟はよれていて目は半分眠っている。いかにも貧乏でずぼらな印象を受けるがみようによっては美青年に見えなくもない。
「きみたち、ここでなにしてるの?」
青年は僕たち二人を部屋に招き入れてくれた。1Kの汚くて狭い部屋だ。苦学生ならともかく、親子二人で住むにはあまりにも狭すぎる部屋だ。
青年は貧乏ながらも医大に通うという医者の卵だった。昨晩から大学病院での実習が朝まで続き、今の今まで眠っていたのだそうだ。
自分のも含め、医大生は自分のと僕たちのぶん、三杯のインスタントコーヒーを淹れてくれた。
「わるいね、砂糖やミルクは持っていないので……」
僕と鳩山は平気だった。背伸びをしたがる年頃の僕たちは最近ブラックのコーヒーが飲めるようになったばかりだった。
鳩山は医大生に対し随分と心を開いたようで(その部屋がかつて自分の住んでいた場所であり、その場所でこの医大生が現在生活をしているという事が理由の一つとしてあったかもしれない)これまでのいきさつを丁寧に説明した。
「いつでもここを訪ねてきてくれていいんだよ」医大生の言葉に鳩山は
「立派なお医者さんになってください。それで、一人でも多くの命を救ってあげてください」とだけ返した。それが二人の交わした最後の言葉だった。
部屋を出て、帰路に就く途中も鳩山は何度かメールを送り続け、そしてその数秒後に帰ってきた。
何度目かのメールを送った直後、鳩山のスマホはいつもと違う音を鳴らした。
それは、鳩山のじいちゃんからのメールだった。
『ばあちゃんがたおれた すぐもどてこい』
少し慌てた文章だ。
帰り道で鳩山は残りの玉子サンドを食べ、「腹が減ってないから」と僕の渡したポテトサラダのサンドイッチも食べた。
「生きてるから腹が減るんだ……」と鳩山はつぶやいた。
その日の夕方鳩山のばあちゃんは息を引き取った。脳卒中だったらしい。
その二日後に葬式があった。多くの慰問客が来て、僕も参加した。
じいちゃんはだいぶ憔悴しているみたいでほとんど鳩山が仕切っていた。僕も手伝えることは手伝ったが、鳩山に比べればほとんど何もしていないようなものだ。
鳩山は強かった。
自分だってつらいだろうに涙ひとつこぼさずに頑張った。
悲しくないはずなんてないだろうに……
ひととおりが片付き、僕たちは縁側に座った。
鳩山がいつものように母親あてにメールを打ち……、しばらく待ってもメールは帰ってこなかった。
メールは、相手に届いたらしいのだ。
そのことに対して鳩山はあえて何も言わなかった。
そして縁側に、黒い猫が一匹迷い込んできた。
鳩山はその黒猫に近づき、脇を抱えて抱き上げた。
「なんだ、お前も一人ぼっちなのか?」
黒猫は「うにゃあ」と唸る。
黒猫を抱きしめ「お前は温かいなあ」とつぶやく。顔をうずめてしばらくそのままだった。
黒猫はペトロニウスという変な名前を付けられ鳩山家の新しい家族になった。
あれからいくらかの時間が経過し、僕はあの出来事の理由を知った。
携帯会社のキャリアメールというのは解約後一年はそのアドレスを誰も使えない状態になるらしいが、その封印期間は一年後失効し、誰かが同じアドレスを登録するとまた使えるようになるらしいのだ。
つまり、あの時の鳩山のメールは新たにそのアドレスを使い始めた誰かに届いたというだけで、天国の母親のもとへ届いたというファンタジィな話ではない。
もちろん僕だって、そのことをわざわざ鳩山に伝えるほどどうしようもない人間という訳ではない。
了
僕らは『読み』を間違える 1.5巻 ~つまり、タイムリープはできないということ~ 水鏡月 聖 @mikazuki-hiziri
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