第21話 天国へと送る手紙
後になって思い出しただけでも暑くてうなだれてしまいそうな夏休みのとある午後。
いつものように鳩山家の玄関わきの猫走りのような路地をすり抜けながらはなれに向かった。
鳩山はTシャツにパンツ一枚だけといういつもの格好で難しい本に囲まれながらチャーハン(というよりはやきめしと言った方が適切かもしれない)を食べながら麦茶を飲んでいた。
「ゆーちゃんのもあるよ」
鳩山の向けた目線の先にはラップを張った福神漬けの添えられたチャーハンと麦茶が用意されてあった。麦茶の中にチャーハン用のスプーンが漬かっている。
鳩山のばーちゃんが用意してくれたものだ。夏休みになってほとんど毎日のように通っていると、優しい鳩山のばーちゃんは毎日僕の分の食事も作ってくれるようになっていた。
ただ何となく気が引けていたのはいつも鳩山と僕はこのはなれで食事をしている事だった。
正直なことを言えば鳩山のばーちゃんの料理は僕の口には合わなかった。料理が下手というよりはとにかく醤油がたっぷり入っていて塩辛く感じた。もちろんここに来る前に自宅で食事も済ませてきているし、おなかも減っていないのだが、せっかく用意してくれているご飯を食べないというのは心苦しい。それに、そうしてしまうと鳩山は毎日一人でご飯を食べることになるだろう。鳩山はいつも離れで食事をしているらしく、ばーちゃんたちと一緒に食事をしているようではなかった。一緒に食べればいいのにと思ったこともあるが部外者である僕が余計なことを言うべきではないと控えていた。
やきめしを口の中に掻きこみ福神付けを最後にポリポリ鳴らせながら喋る。
「なあ、ぽっぽ。今日は何する? どうしたらタイムマシンが作れるかわかった?」
夏休みに入ってからというもの毎日のように繰り返した言葉。無論そんなことが解るわけないだろうと内心わかりきっていながら、それでも繰り返す言葉は決して鳩山を侮蔑してのことではない。ただ単に毎日の繰り返しのように特に考えもなく繰り返しているだけの言葉だ。
そして鳩山は時々ではあるがなかなか興味深い提案をすることもあった。
決して的を得ているとは言い難いが、それでもその日一日は退屈せずに済む。僕にとってはそれだけで十分だった。
「ゆーちゃんはいつもそればっかり。考えてるのはいつもぼくばっかりじゃないか。たまにはゆーちゃんもなんか考えてよ」
「……いっても、僕はそういう難しいことよくわかんないからな」
図書室で借りてきた文字だらけの本を片手に何やら険しい顔で考え事をしている鳩山を尻目に部屋の壁一面にある本棚の前に立ち、棚から数冊のマンガを取り出すと、いつもの定位置に戻りあぐらをかいてマンガを読み始めた。昨日の続きだ。
読み始めて数分で違和感に気づく。「あれ、こんな話になってたっけ?」昨日まで活躍していたはずの登場人物がいつの間にか死んでいた。改めてマンガの背表紙を見ると13巻、と書いてある。「しまったな、たしか昨日は11巻までしか読んでいなかった」気づいてまた立ち上がり棚から12巻をとりだして元の位置に戻ってページを開いた。
ちゃんと昨日からの続きになって安心した。死んでしまったキャラクターもまだ活躍中だ。多少のネタバレしてしまったことはなるべく忘れるように努力しながらしばらく読み進み、ようやく先程手にしていた13巻とのつながりが見えてきた。12巻を読み終わり、13巻をもう一度初めから読み返していた時になんとなく安心した。ようやく元の時間軸に戻ったような感じだった。
――お? 僕は今。ひょっとするとタイムリープに成功したのでは?
僕が読み進めていたマンガの中でいったん未来(13巻)に移動して、そこからまた過去(12巻)に遡行した。
その気になれば1巻や2巻、それどころか完結の18巻にだって簡単に移動できてしまうという事だった。
たとえば僕らの生活しているこの世界が小説の中の世界のようなものだとして、それを読んでいる一つ次元の上の世界の住人、いわゆる読者の目線になれば、僕らの世界の出来事やそのほかこの世界の過去や未来の物語を入れ替わり読んだとしたなら、おそらく読者は僕らの世界をタイムリープをしているということになるんじゃないだろうか?「タイムリープのやり方を発見だ」と、よっぽど叫んでやろうかとも思ったが、おそらく鳩山の求めているタイムリープはそういう事ではないんだろうし、何の解決にもならないその発言はやはり無意味なものであって、言葉として発する価値はなかった。
――漫画の中の世界をその外側から見ている僕の立場というのは、二次元世界であるマンガに対し、三次元の存在で、その立場からの時間跳躍というのはいとも簡単に行えることだ。つまりは僕たち三次元だか四次元で生活している存在よりひとつ高次元の存在から言えば時間跳躍なんていとも簡単なものなのだろう。
さらに言えばマンガの作者というのは物語の中において、実在もしなかった過去をつくってしまったり、未来を自由に書き換えたりすることができるのだ。それはつまりこの世界にも神様が存在するということではないだろうか? 僕らの住む世界の一つ上の次元の存在であればこの世界を想像したということだって考えられなくはないような気がしてきた。だってそれは僕らの住む次元より上は存在しないと言っているのと同じだ。十三あるのか十四あるのか知らないが、そのくらいまであるという話を聞いたことがある気がするのだが……
――つまりは。
「なあ、ぽっぽ。神様っているのかな?」
「なにそれ? 不完全性定理のこと?」
「なんだそれ? 不完全性定理?」
「だから、ゲーデルの提唱する定理で無矛盾であるかどうかを……」
「ああ、いい。いや、なんでもない。たぶんそれ以上聞いたらお前のことキライになりそうな気がする……」
「そうなの?」
「そうなの」
「じゃあ、やめとく」
「とこでさ、」
「なあに?」
「ぽっぽは過去にメールを送れるようなったとして、誰にどんなメールを送るんだ? やっぱ、ロト6の数字か?」
「それもいいね。でも、そこまでずるいこと考えているわけじゃないよ……。
いや、もっとずるいかな……」
「なんだよ?」
「かあさんに、あやまりたいんだよ。それに、ちゃんと育ててくれたお礼も……」
あまりにもまじめすぎる……そしてその正直すぎる言葉に僕は言葉をなくした。
「あの日さ、母さんと喧嘩したんだよ。そしてそのままふて寝して、仲直りもしていないのに母さんは事故にあって死んでしまったんだ……。
猫を、助けようとしたらしいよ。だからぼくは猫が嫌いなんだ。猫なんて何万匹死んだってかまわないんだよ。かあさんが生きていればそれでいいっていうのに、猫なんかのために……」
鳩山が母親に送っていたメールアドレスはキャリアメールというものだった。鳩山が使っていたのはスマホだが、母親はその当時でも随分と珍しいガラケーという旧世代の電話を使っていたらしい。新しい電話を使いこのすのが苦手だからと母親は言っていたらしいが果たしてどうだろう。鳩山の母親が自分の両親と同じくらいの年齢だと考えたならそれを使いこなすのがむつかしいとは考えにくい。あるいは相当に貧しかったらしいので鳩山には新しいものを買い与えたものの自分のものはおざなりになっていたと考えるほうがもっともらしい。
ともかく、その旧世代の電話機ではLINEをはじめとしたSNSが使えないらしく、メールはそのキャリアメールという電話会社が管理するアドレスを使っていたらしいのだ。
母親が亡くなって以来、鳩山は何かあるごとに母親のキャリアメールあてにメッセージを送っていたらしい。電子メールというその方法ならば天国に言ってしまった母親にメッセージを送れると思っていたのかもしれない。
科学的なことが好きで、現実主義的な鳩山の考えとしては理解しがたいが大切な人を失うとそういう思考が生まれるものなのだと僕も最近になって知った。
しかし、以前は使えていたそのアドレスも母親が亡くなって契約を解除するなり『送信できませんでした』というメッセージと共に帰ってくるようになった。
だから時間をさかのぼって過去の、母親の生きていた時代にメッセージを送ることが彼にとって唯一母親との連絡手段だったのだろう。
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