肆章:過剰遊戯

151.これが後遺症…というものなのだろうか。

これが後遺症…というものなのだろうか。

隣を歩く正臣の首筋を見て、思わず生唾を飲み込む。

日常に戻って早数週間、呪符に触らず"完全に人に戻る為"に、防人らしいことを殆ど出来ていない私は、内から沸き起こる嫌な衝動を抑えて生活することを強いられていた。


「どうかした?」

「いや、別に」


朝晩の冷え込みが徐々に目立つようになってきた10月3日の放課後。

私は正臣と共に小樽駅までやって来た。


「さて、何処に居るんだか」

「ボーっと突っ立っておけば、そのうち引き寄せられるさ」


帰宅ラッシュとまでは行かずとも、それなりの人影が見えてくる時間帯。

私達は駅の隅で暇を持て余しながら、目的の存在が"正臣に憑りつく"のを待っている。

呪符を扱うことも許されず、妖との接触も殆ど禁じられたに近い私にあてがわれた仕事。

それは、正臣を連れての"悪霊退治"だった。


「最近は殆ど無かったんだけどね」

「そう。私が入院してた時も無かったの?」

「あぁ、殆ど…沙絵さんに1回か2回呼ばれたかな…って位」

「へぇ…書き入れ時みたいな時期なのにね。お盆にお彼岸にってさ」

「"向こう側"に行ってない連中にそんなの関係ある?」

「確かに。言われて見りゃそうださね。あぁ、私が化けて出て来るかもしれなかったか」

「今なら笑えるけど、洒落になってないな」

「素直に成仏する性格じゃないしさ」

「いや、そこは素直に成仏してよ?」

「あぁ、正臣は憑りつきやすい体質なんだし、死んだら乗っ取ってみよっかな。その剣の腕、貰い!って」

「……冗談じゃなさそうなのが怖いんだけど」


正臣は私の冗談を聞いて僅かに表情を引きつらせる。

それを見て、含みのある微笑を彼に向けた私は、小さくため息を付いて周囲を見回した。

夕方と言える時間帯が終わり、段々と日没が早まっていることを意識してしまう時間帯。

この間までは夕暮れのオレンジ色に染めていた駅構内は、スッカリ夜の様相を見せていた。


行き交う人々は、サラリーマンと学生が半々と言った所。

彼らは端で突っ立っている私達を意識することなく通り過ぎていく。


「もう少し待って憑かないなら、今日は帰って明日にしよう」

「いや、大丈夫。近くに"居る"のは感じ取れてるから…後少しで気付くんじゃないかな」


暇を持て余して言った私に、正臣は確信めいた様子で言った。

それを聞いてポカンと口を開ける私。

私も霊感自体は強く、確かに"居る"のは分かるのだが…

正臣程自信をもって言えるかと言えば、そうじゃなかった。


「まさか、霊感強くなってる?」

「多分。偶に見かける凄い弱っちいのなら、俺に憑りつけず消滅するようになったな」

「へ、へぇ…ごめんね。巻き込んだせいだ」

「謝ることじゃないさ、お蔭で体調崩す事も無くなったんだし」

「正臣が人から離れてくのも色々と問題が…」

「イザとなれば、沙月が何んとかしてくれるって沙絵さんが言ってたな」

「無責任な事を…まぁ、悪霊をどうこうできた所でその程度は幾らでも居るから良いけど」


私がそう言って、改めて周囲を見回すと、人混みの奥にフワフワと浮いた不定形の靄の様なものが現れる。

お喋りはここまで…正臣を肘で突くと、彼は既に気付いていて、グッとサムアップして見せた。


どうやら、"悪霊"の気配を感じ取るのは、彼の方が一枚上手らしい。

私は上着のポケットに入れた"お祓い"用の呪符を手で掴み、その時を待つ。


「後少し」

「了解」


ふよふよと浮いたそれは、正臣を認識するなり、周囲の人間をすり抜けてこちらにやって来る。

すり抜けられた人々は、一瞬でも"悪霊に憑りつかれた"事を認知することなく歩き去り、悪霊は一直線にこちらにやって来た。


「!!」


それなりに大きな靄。

それが正臣に入り込み、正臣が一瞬顔を青褪めさせる。

私はそれに合わせて彼の背中に手を回し、手にしていた呪符を貼り付け、そっと念を込めた。


「一丁上りっと」


張りこまれた呪符は即座に効果を発揮し、正臣に入り込んだ悪霊は悲鳴にならない悲鳴を上げて蒸発していく。

殆どの人には見えない処理…正臣の体から蒸気が沸き起こり、一瞬の後に正臣は深い溜息をついて私の方に顔を向けた。


「大丈夫?」

「あぁ、OK」


正臣の様子を見て問題がないことを確認した私は、背中に貼り付けた呪符を剥がして、正臣の前に持ってきてヒラヒラと振って見せる。


「時間もアレだし、どっかで食べてかない?」


 ・

 ・


「その呪符なら触っていいの?」

「うん、これなら影響がないに等しいし。暫く悪霊退散係さ」


やって来たのは、駅近くにあったラーメン店、"渡部屋"。

隅のボックスで、味噌ラーメンを啜りながら、駅から続いていた雑談の続きに興じていた。


「正臣はさ、勘が鋭くなった以外に、何か変わったことあったりする?」

「さぁな。ボンヤリだったのが、"ああ、あれだ"ってなって…あぁ、何となく、向かってくる連中の気持ちも分かるようになって来た」


向かい側に座る正臣は、あっけらかんとした様子でそう言って麺を啜る。

お冷を飲んでいた私は、コップをテーブルに置くと、唖然とした顔を浮かべて正臣をジッと見据えていた。


「問題でも?」

「大あり。今度ウチで聴取ね。ここで話す事じゃないもの。他には?ある?」

「白状しておけって事?あぁ…他に…今の所は特に無いけど」

「歯切れが悪いね」

「ありそうでないんだ。ま、何かあったら隠すことはしない」

「お願い。でも、正臣がそこまで"適応"出来るだなんて思わなかった。もう少し、最初の頃みたいなのが続くのかなって思ってたんだけど…」


私はそう言ってスープを口に入れる。

少し濃い目の味噌味といった感じのスープ。

それを感じつつ正臣の方を見据えていると、彼は肩を竦めていた。


「近くに強い人間がいれば、それに引っ張られるんじゃない?」

「私のせいか」

「言い方が悪いな。だけど、そうなるのか」

「うーん…それも、無くはないってのがなぁ…んっ!」


正臣を見据えて話していた私は、突如首を絞められたような感覚を受けて言葉を詰まらせる。


「大丈夫か?」


咄嗟に正臣が身を乗り出したが、私はそれを手で制して、数度むせた後、落ち着いた。


「大丈夫。詰まった訳じゃないから…」


私は目を見開き、正臣の首筋をジッと見据えながらそう言うと、数回深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。

水を飲んで一気に乾いた口元を潤し、再び小さな溜息をついた私は、周囲を見回した後、正臣の方に身を乗り出して、気まずい表情を浮かべた。


「ごめんなさい。また…。本当にごめん…制服のボタン閉めてくれる?熱いだろうけど…」

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