148.普段暮らしている街が、こんなにも良い所だなんて思っていなかった。
普段暮らしている街が、こんなにも良い所だなんて思っていなかった。
退院して、外を自由に出て歩けるようになったら、見慣れた街でも妙に新鮮に感じる。
その新鮮さが残ったまま、好きな物を好きなだけ食べれたら、どれだけ気分が盛り上がるだろう?
「沙月様、頼みすぎでは…?」
私の隣に座った八沙が、心配そうな声で聞いてきた。
私は何も言わずに首を左右に振って答える。
9月下旬の土曜日の夜、快気祝いだと言って、父様が"めんま"の2階で宴会を開いてくれた。
面子は、何時もよりも少なく、家族とその周囲の妖だけ。
席だけ2階の隅を取っておいてもらい、後は好きに頼んでいく形。
「食欲の秋って言うでしょ?」
「言いますが、普段でも食べない量でしたよ」
「大丈夫、お昼抜いてきたから。問題ないの」
「えぇ…」
自信満々で言い切った私に、八沙は何とも言えない顔を向けていた。
今の私は、表に出る時の"黒髪"の姿。
八沙は私よりも背が小さい"弟分"の姿。
傍から見たら、弟に呆れられてる姉といった所だろうか。
「それよりも、八沙も、体は大丈夫なの?」
「はい、なんとか。僕も大分かかってしまいましたが」
注文を終えて、料理が出て来るまでには、ちょっと時間がかかりそうだ。
それまでの会話は、当然この間の話題になってしまう。
八沙の退院と復帰は、私よりも遅かった。
「何されたか覚えてる?」
「いえ、全く。宝石に変えられていたそうですが…僕だけ妙にかかったのは不思議ですね」
「怪我してたからじゃない?」
「でしょうかね」
「母様も怪我してたけど、八沙の方が酷かったっていうし」
そう言っていると、隣のテーブルを囲んだ母様方がこちらに顔を向ける。
私と八沙は、煙草を吸わない禁煙席だが、母様達は喫煙席だった。
「沙月、もう補習は無いの?」
「無いよ。昨日の放課後で終わり」
「そりゃよかった。これで、暫くは何も無いさね」
「うん。母様達は、大丈夫なの?」
1人分の間を開けての会話。
禁煙席と言えど、煙は十分、こちら側に漂っていた。
「とりあえず落ち着いたよ。あぁ、来週末に本家から何人か来るって言ってたな」
「私目当てか」
「まぁね。アタシ達は石になってたから何も見てないし知らないから」
「私も、殆ど覚えて無いけども」
「そうでしょうね。沙月様、妖でしたから」
母様と沙絵が、煙草を片手に私の方をじっと見てくる。
途切れた会話、沙絵はその間に、ハッと何かを思い出した様な素振りを見せた。
「そう言えば、八沙。明日、そっち行っても良い?」
「え?ウチか?構わないけど」
「沙月様を連れてきます。沙千様から言われてた事を思い出しました」
「母様から?あぁ、あれか」
「そうです」
「あれって何さ」
私のはかり知らぬ所で繰り広げられる空中戦。
私がジト目を沙絵に向けて尋ねると、沙絵は表情を変えずこちらを向いた。
「ちょっと、修行に付き合ってもらいます。私達のではなく、沙月様自身の…ですね」
「私の?運動不足解消?」
「違います。今後、何かある度にあの姿になっても困りますから」
「制御しろって?出来るの?そんなの」
「出来るらしいのさ。本家の連中が本だけ寄越して来たんだ」
驚く私に、沙絵と母様の言葉が刺さる。
微かに目を見開くと、母様はちょっと気まずそうな顔を向けた。
「また暫く呪符を触らせない様にって思ってたんだけど、今度ばかりは本家の指図さ」
「珍しい事もあるんですよね。状況が状況だからでしょうけど」
「なるほど、それでウチの道場を使いたい訳か」
「そういうこと」
母様たちの会話を聞いているうちに、料理が運ばれてくる。
そこまでで、ちょっとだけシリアスに振れた会話は終わりを告げた。
「まぁ、残りは家に帰ったら話しましょうか」
「そうね。今はコッチがメイン」
テーブルの方に目を向ければ、ズラリと並ぶ好物の数々。
私は頬を綻ばせると、割り箸を手に取った。
「あれ、まだ左手使っているんですか」
「なんか、こっちが癖になっちゃった」
1ヶ月前までは右利きだったのに、気づいたら左利きに。
人に戻ればというより、右腕が戻れば治るだろうと思っていたのだが、そうじゃなかった。
「なんか、咄嗟の時にも左手が出るようになってね」
「へぇ。不思議ですね」
「全く。一応、右も使えるから、両利きさ。これだけは、ちょっと得したかな」
そう言ってニヤリと笑うと、左手で大きな半身揚げを掴みあげる。
「じゃ、いただきます」
八沙に見せつけつつ、そう言ってそれにかぶりつく。
揚げたてだからか、口の中が火傷しそうな程に熱かった。
「沙月様、食べ物に関しては、なんかこう、前より馬鹿になってますよね」
暑さに涙目になって、それでも一口食べきって、冷たい水で口の中を冷やすと、八沙の呆れた目が突き刺さる。
私は笑みを浮かべたまま、首を傾げてお道化て見せた。
「馬鹿になりたいのさ。今は食べれるだけで幸せだもの。美味しいものを沢山食べたいの」
「はぁ…?」
「流動食続きだったし、何より、こういうのを食べたくも無かったんだ」
何時もよりも早いペースで食べながら、私は八沙に訳を話す。
それは、1人きりの病院で感じた、忘れたい感情。
「ねぇ、八沙ってさ。人を食べた事ある?」
それを話す前、八沙に尋ねてみると、八沙は目を見開いて固まった。
「いえ、流石に無いです。騙して煽って遊んでいた様なものですから」
「そう。でも、鬼とか、天狗って、人を食べてたって聞くよね」
「はい。鬼沙とかは…どうか知りませんが。沙月様、もしかして…」
八沙は言いたいことが想像できたらしい。
引きつらせた表情をこちらに向けると、私はコクリと頷いて見せる。
「あの格好だった時さ、何にも口に合わなかったのさ。病院食が不味いからってのもあるだろうけど。でも、不意に、血を舐めてみたら妙に美味しくて」
食べる合間に、私は誰にも言わなかった感情を八沙にぶつける。
「ちょっと、自分の肌を削いで食べてみたりして。そっちの方が口に合ってさ」
「沙月様…それ以上は」
「お願い、言わせて?人に戻れた今でも、偶に頭に過るんだから」
八沙の言葉を押し切った私は、適当に掴みあげたイクラの軍艦を八沙に見せて言った。
「誰かを眺めて美味しそうって思う前に、自分の好きだった物で穴埋めしないと。どうにかなっちゃいそうなんだからさ」
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