144.この夜が、何時までも続けば良いと思った。

この夜が、何時までも続けば良いと思った。

ここまで体が軽く感じた事は、今までで1度も無い。

体中に纏わりつく煤けた汚れと、べっとり付いた血の感触さえ無ければ、もっと良かったのに。


「ァハ…!ハハハ…」


随分と高い所から墜ちてきた気がする。

視界の先、雲一つない星空が見えるはずなのに、映っているのは土埃だけ。

体中、鈍い痛みが私に身の危険を訴えていた。


「トドメ、刺さなきゃぁ、なぁ…まだ、まだ、終わりじゃ、ねぇでや」


痛む体を強引に動かす。

動かすたびに、バキバキと、派手な音を立てる体。

体が動かないのであれば頭を使えばいいと、翼を羽ばたかせると、体は簡単に起き上がった。


「フフ…アハハ!…呆気ない!呆気ねぇなぁ!おい!」


土埃が舞い散る広場。

出来上がった2つのクレーター。

その1つ、私が作ったそれから飛び上がってもう一つを見下ろせば、倒れてピクリとも動かない鬼沙の姿が見えた。


「妖同士、やっても、意味が無いのにねぇ…やれやれ。私もすぐに後を追えそうだ」


土埃が晴れていく。

大きな翼を羽ばたかせ、暫く上空に漂っていると、星空がハッキリ見えるようになった。


「あぁ、最期なのに。今日が、満月だったら良かったのに。それが心残りか」


星空に浮かぶ、半分ちょっとの月を見上げて一人呟く。

バキバキ音を立てながら、腕を眼前まで持ち上げると、そっと手先に念を込めた。


「まだ、虫の息だろう?鬼沙ァ、どう?最期のセリフは、何が良いかな?」


左手の先、弱った体でも、呪符で作る以上の"力"が籠った靄が作り出せる。

黒い靄、その靄は、さっきと同じように、私の体を包み込んでいった。


「あぁ、こういうのが良いかもしれない。恥ずかしいけど、んなもの、一瞬さ」


そう言って、握りしめた左手を鬼沙に向ける。

汚れ切った顔で、精一杯の笑顔を作って、そして、左手をパッと離した。

刹那、私諸共、広場一帯を覆いつくした真っ黒なサークルが一気に発散し始める。


「今日は、もうおやすみだねお兄ちゃん!良い夢を!」


 ・

 ・

 ・


「…………」


薄っすらと目を開ける。

全身がズシリと重く、それでいて凄く気持ち悪い。

目に映る景色は、最近見てきたそれよりも随分と広く見え、何処か大きな世界の中にいる小人の様な錯覚を感じた。


体は一切動かない。

動かそうとしてみても、どうやら私の体は色々なもので固定されているらしい。

徐々に戻って来た感覚に注意を払えば、手足は何かに固定されている。

口元には酸素マスク…下腹部の辺りや右腕、胸元からは何本か管が伸びている様だ。


視界の違和感の正体は、目だ。

左目を閉じてみても、しっかりと"復活した"右目が機能している。

この間までと同じように、しっかりと何かを見て感じ取れていた。


ならばと、右腕があるかどうか確かめる。

徐々に戻って来た体の感覚。

右肩から先、右手を動かしてみようと力めば、弱いながらも、右手がギュッと握られた。


それを感じて、私は自然と笑みが零れる。

笑みが零れ、視界が微かにボヤけてきた。


スーッと、目から零れ落ちた涙が顔を伝って降りていく。

視界に映る無機質な天井、カーテンレール、白いカーテン。

ここは、きっと、病院だ。


今が何時なのかは分からない。

微かに見える窓の隅、空に高さを感じないから、きっと夏であるのは確かだろうか。


ここに来る前の事を思い出そうとしても、頭の中は強烈な霧がかかってしまっている。

モトと共に広場に行った所から先は、何があったのか思い出せない。


こんな、酷い重病人になってる辺り。

鬼沙を退けられただけで、ロクな事にならなかったのだろうな。


「…ぁー…ぃー…ぅー…」


頭は動くものの、まだ、完全に戻り切ってはいない。

声を出してみようとしても、出て来るのは、自分の声とは思えない甲高いかすれ声。


「待って!声が聞こえる!起きたかも!目が覚めたかも!」


小さな声だった。

だが、その声は、病室の外の誰かに届いたらしい。

叫び声にも近い、誰かの声が、外から聞こえてきた。


「おい、入るなよ!沙絵さん呼んで来るから!」

「分かってる!お願い!」


その声は、随分と若い子の声だ。

知ってる声、なのに、顔が出てこない。


バタバタとし始める病室の外。

ガラ!と勢いよく扉が開かれたのは、少し経ってからだった。


「沙月様!!!」


カーテンが開けられると同時に沙絵が飛び込んでくる。

その表情は、見たことも無い位に不安げな顔。

手には呪符が握りしめられていた。


「?」


ポカンとした顔で沙絵を見返す私。

沙絵の顔と、その姿勢が噛み合っていないせいだろうか。

沙絵は、泣きそうな顔を浮かべたまま、金色に光を纏わせた呪符を握って構えていたのだから。


「さ…沙月様?ですよね?」


私の様子を見るなり、呪符を背後に隠す沙絵。

金色の光はすぐに消え失せ、私の顔を覗き込んできた。


「……」


動かない体を、ゆっくり動かして、コクリと頷く。

沙絵は、その瞬間、一気に脱力してベッドの傍にへたり込んだ。


「あぁ、戻ってこられたのですね…沙月様、良かった…良かったぁ…」


泣き声の沙絵。

左手に縋りつくのは良いのだが、涙で濡れる上に、凄く痛みを感じる。


手首が繋がれ、添え木でガッチリ固定された左腕を、僅かに動かすと、沙絵はハッとした顔をこちらに向けた。


「あ、すいません。まだ、痛みがありますよね」


ゆっくりと頷くと、沙絵は顔を真っ赤に染め上げる。


「ごめんなさい、その…沙月様は、何処かへ"隠す"しかないと、覚悟してましたから…」

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