142.追い詰められているはずなのに、何故か気分が良い。

追い詰められているはずなのに、何故か気分が良い。

モトの体を貫いて、私の体すらも貫いた鬼沙の拳。

痛みすらも感じず、寧ろ気持ちいいと思える程の感覚に浸っていた。


「ッフフ…ァハハハ…」


鬼沙に吹き飛ばされた先。

広場の中央、崩れた社の破片が、傷口にめり込んで鈍い痛みを発した。

頭の上、雲一つない星空に、未だ鳴りやまない花火が咲き乱れる。

目の前には、大量の血を流して、動けなくなったモトの姿。

こちらに向いた顔は、痛みに歪む顔のまま、空気を求め、もがき苦しんでいる。


「さて、邪魔者は消えたぜ。あと、1人だ」


モトが、瞬き一つする間に"宝石"へと姿を変えた。

鬼沙が、私を見下ろしている。

その表情は、鬼そのもの。


「チンケな呪符なんか要らねぇ。"隠す"ってのぁな。最初はこの力だったってわけよ」


広場の何処かへ刀を飛ばし、身動きの取れない私に、鬼沙は言った。

呪符が無くとも、"金色"に輝く右手。

その光から感じる力は、普段、私達が妖を隠す際に発現させるそれとよく似ている。


「ツマラネェよな。別に、要らねぇ掟よ。俺にとっちゃ、呪符なんて子供だましだ」


モトが姿を変えた宝石を、軽々と拾い上げて、それを広場の隅に投げ捨てた。

鬼沙の目は、その間も、ずっと私の方を向いている。

私も、彼の目を睨みつけながら、感情の抜け落ちた笑みをずっと向けていた。


「じゃ、次は……ゥぐ…私か!…ハッ!…やりなよ…やれよ!」


吹き飛ばされてから、私は思考が定まらない。

ずっとフワフワしている感じ。

目の前に鬼沙がいても、怖くも何ともない。

モトが死にかけていたというのに、哀れみ1つ、心配1つ浮かんでこない。

そのまま、今日、私達が鬼沙に殺されたとしても、それが本望だったと思えるほど。


「お前」


鬼沙は、そんな私を見下ろして、何もしてこない。

私は、微かに動く左手…和服の裾で隠れた左手に"最期のとっておき"を握りしめたまま、鬼沙の顔を見つめ続けた。


「やれよ!臆病者!裏切り者!半端者!…」


左目をこれでもかと開いて叫ぶ。

花火の破裂音よりも大きな声で、この広場一帯に私の叫び声が響いていた。


「あぁ、なら、望み通り。テメェは殺してやらぁ!!!!!!!!!!」


煽られるたび、赤くなった顔を更に真っ赤に染め上げた鬼沙。

震えて、歯を砕こうかというほどに噛み締めて、それが一気に発散する。

目で追えない程の速さで、"何か"が私の視界を覆いつくした。


刹那、感じた事がない程の力を感じる。

全てが、現実ではないと思える感覚。

現実を訴えるのは、周りの音と光だけ。


鈍い音。

地面が抉られた音。

上がる土煙、花火の光が、細かな砂の1粒1粒を照らしていく。


「あ!?…消えた…?だと?」


花火が途切れ、一瞬の静寂と闇が戻ってくる。

私の視界の先、少し間を開け下の方を見下ろして、呆然と立ち尽くす鬼沙の背中が見えた。

スタイルの良い男の姿。

白いYシャツを、血と土で汚し、仕立ての良いパンツや靴はもうボロボロだ。


一際大きな花火が一発、私の背後で打ちあがる。

それは、花火大会の最後を飾る一発。

その花火の光が、広場の上…見下ろした先、鬼沙の眼前に、私の影を作り出した。


「嘘だろ…」


放心したような鬼沙の声。

その前に映った私の影は、人というには無理があった。

頭から伸びた、体を覆える程の翼が、私が人で無いことを伝えている。


意識せずとも、空を漂うことが出来た。

勝手に羽が動いて、上下にユラユラと羽ばたいている。

白菫色の羽、時折舞い散る羽は、記憶にあるソレより艶やかだ。


「鬼沙ァ、随分、小さく、見える」


自分のものとも思えぬ甲高い声。

何も手にしていない左腕を、顔の前に持ってくる。


青白い肌を持つ人の手は視界に映らず、映ったのは、肘から先が"何か"に変わった姿。

肌が徐々に白い毛で覆われ、5本指はそのままに、黒く鋭い爪が生えた手。

ゆっくりと動かせば、人だった時と同じように動かせた。


「刀、もう、要らない。持てないかな?」


宙に漂いながら、全身を見回す。

若干やせ細った体。

ボロボロで、血だらけの和服はそのまま。

足元、和服から出た足は、人の足に、猛禽類の足が混ざり合った形をしていた。


「沙月、だよな?」


眼下で鬼沙が問いかけてくる。

私は、暫く鬼沙の顔を見つめると、ゆっくり小さく頷いた。


「ああ」


頷いただけで、地上に降り立とうとは思わない。

ユラユラと、宙を漂ったまま。

フワフワとしていた思考は、段々と1点に集まっていく。


「鬼沙」


鬼沙の名を告げると、鬼沙は少しだけ体を震わせた。


「何だ」

「石に変えた連中、もう、そのままでいいよ」


ボソッと呟くように本心を言う。

鬼沙の顔は、驚きに染め上げられた。


「何を言って…」

「邪魔だもの。どうせ、人間風情に、何も、出来やしない」


そう言うと、私は左手の先に真っ黒い靄を繕わせる。


「おぉ…綺麗」


何の光も通さない靄。

キラキラ輝いて見えるのは、靄そのものの輝き。


「お前、遂に…」

「どうしたのさ、鬼沙。これが、この私の姿が、望みだったんでしょう?」


さっきとは立場が逆の様だ。

唖然とする鬼沙に、私は無邪気な笑みを向ける。


「腕を切って、目を抉って。周りの"使い物にならない"人間を全部消してくれた。あぁ、変だな。矛盾してる気がする。ァハハハハハハハ!何がしたいんだかサッパリ分からない!」


左手に繕わせた靄は、呪符で作るそれ以上…私は、その手を鬼沙の方へ突きつけた。


「妖が戦っても意味は無いのに!不思議だ!不思議なんだけど、鬼沙、お前だけは、必ずこの手で"殺して"やるよ。今日を、新しい命日にしてやろう…必ず…殺す。殺してやる」

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